■田楽(でんがく)は、田植えの前に豊作を祈る「田遊び」から発達した「五穀豊穣を祈る」「お百姓さんの労をねぎらう」芸能で、朝鮮半島から渡来したものといわれています。平安時代に書かれた『栄華物語』という物語に田植の風景として歌い踊る「田楽」が描かれています。大江匡房『洛陽田楽記』には、1096年、後に「永長の大田楽」と呼ばれるほど京都の人々が田楽に熱狂していて、その様子を天皇もご覧になったという記述があります。平安後期には寺社の保護のもとに座を形成し「田楽法師」という職業的芸能人が生まれました。田楽法師は田植えの間延々と田楽を続け、田植えが一段落したら軽業を中心とした雑芸を演じていました。鎌倉幕府の執権北条高時が田楽に耽溺したと「太平記」に書かれていたり、室町幕府の将軍足利義持も田楽法師増阿弥の芸を好んだことが知られています。永い間京で流行した後、大和猿楽の興隆と共にすたれていき自然に消滅してしまいました。