■江戸時代、荒事芸を創始した市川團十郎家(成田屋)は、歌舞伎役者の家系の中でも「宗家(そうけ)」として別格の扱いを受けてきました。7代目市川團十郎(1791−1859)が、初代以来受け継がれてきた市川家の得意芸を18だけ選び出し、これを「歌舞伎十八番」(家の芸)として定めました。天保3年(1832)3月の市村座で「助六」を演じ、息子海老蔵<えびぞう>に八代目團十郎を襲名させて自分は海老蔵と改名したときに公表されました。歌舞伎十八番に含まれた狂言は、いずれも初代・二代目・四代目によって初演されたものの中から選ばれていて、一番新しい作品でも当時から50年も前に上演されたものでした。そのため、先祖の團十郎が得意にしていたことはわかっていても、作品の中味がはっきりしないものも多く含まれていました。多くは初演当時の脚本は残っていないので、2世尾上松緑(おのえしょうろく)(1913−1989)などによって復活の試みがなされましたが、初演の頃とは脚本も相当変わっているのではないかと思われます。代々の團十郎は荒事(あらごと)を最も得意としたため、歌舞伎十八番の役はほとんどが荒事です。明治時代以降、さまざまな俳優が家の芸を決めましたが、市川團十郎家の歌舞伎十八番がその最初です。
以下に「歌舞伎十八番」の演目を紹介します。「不破(ふわ)」、「鳴神(なるかみ)」、「暫(しばらく)」、「不動(ふどう)」、 「嫐(うわなり)」、「象引(ぞうひき)」、「勧進帳(かんじんちょう)」、「助六(すけろく)」、
「外郎売(ういろううり)」、「矢の根」、「押戻(おしもどし)」、 「景清(かげきよ)」、「関羽(かんう)」、「七つ面(ななつめん)」、 「毛抜(けぬき)」、「解脱(げだつ)」、「蛇柳(じゃやなぎ)」、
「鎌髭(かまひげ)」