食パン
主食として食べるパンのひとつ。箱型に焼いているもの。

現在では、「パン」とは何か、が法律ではっきりと規定されています。
<農林水産省「パン類品質表示基準(H16.10.7)」より抜粋>

@ 小麦粉又はこれに穀粉類を加えたものを主原料とし、これにイーストを加えたもの又はこれらに、水、食塩、果実、野菜、卵及びその加工品、糖類、食用油脂等を練り合わせ、発酵(以下パン生地)させたものを焼いたもので水分10%以上のもの
A あん、クリーム、ジャム類、食用油脂等をパン生地で包み込み、又は折り込み、又はパン生地の上部に乗せたものを焼いたものであって、焼かれたパン生地の水分が10%以上のもの
B @にあん、ケーキ類、ジャム類、チョコレート、ナッツ、糖類、フラワーペースト類並びに食用油脂等をクリーム状に加工したものを詰め、若しくは挟み込み、又は塗布したもの。

 「食パン」はパン類の@、Aに規定するもののうち、パン生地を食パン型(直方体又は円柱状の焼き型)に入れて焼いたもの。
 「菓子パン」はパン類のAに規定するもののうち食パン以外のもの及びBに規定するもの。
 その他の「パン」はパン類の@に規定するものであって、食パン以外のもの。

 ・・・ということは、食パンを放っておいて乾燥して水分が10%を切ったら、食パンとは呼べないのですね・・・
語源
●「食」に関する説を5つ紹介します。
<1>本食パン説
 パン屋さんで売っている四角くて長いパンのことを、もともと「本食パン」と呼んでいました。第二次世界大戦より前のパン職人は食パンのことを、西洋料理の『もと』となる食べ物という意味で「本食」と呼び、イギリス系の白パン(山型食パン)のことをさしていました。今でも食パンを「本食」と呼ぶ人がいますし、実際に「本食パン」という名前で販売している店もあります。その「本食パン」を略して「食パン」と呼ばれるようになりました。
<2>主食パン説
 日本で「食パン」と呼ばれているものの元祖は、『ヨコハマベーカリー』という店のイギリス風型焼きパンです。『ヨコハマベーカリー』の経営者はロバート・クラークで、1862年に幕府の援助を得て横浜で店を開きました。1874年には木村安兵衛が「あんパン」、1901年には中村屋が「クリームパン」を開発。食パンそのものは早くから日本に来ているのですが、パンとして人々に広まったのは菓子パンの方でした。<下の豆知識を参照> その後、イギリスパンとして広まった山型食パンは、おやつ用とは違う「主食用のパン」という意味で「食パン」と呼ばれるようになりました。
<3>消しパンと区別する説
 パンは食べる以外にも、デッサンなどの消しゴム代わりに使われていました。パンの白い部分を丸めて「ねり消し」のように使っていたようです。消しゴムが発明されるまではパンが最も適した素材だったようで、今でも「消しパン」は使われています。その「消しパン」と区別するため、食用のパンをあえて「食パン」と呼ぶようになったという説です。もともとパンは明確に「食べるもの」なのであえて「食」をつける意味があったのかどうかという点で、ちょっと強引な説かもしれません。
<4>酵母説
 食パンは酵母を使って作るもので、ふわっと膨らんですきまができます。それらの穴は酵母が食べた後だとも言えるので、酵母に「食べられた」と言う意味で「食パン」と呼ばれるようになったという説です。
<5>フライパンと区別する説
 フライパンも「パン」と呼ぶ(平鍋の形、という意味で、パンケーキのパンはこの意味)ので、キッチンに存在する2つのパンを区別するため、「フライ=パン」「食用の=パン」の区別で「食パン」と呼ぶようになったという説です。

 ■パンの発祥はメソポタミア(現在のイラクあたり)、今から6000年以上も前のことだろうと推測されています。この地方には野生の小麦が多く、当時は小麦の粉と水とをこねて生地を焼いたせんべいのようなものを食べていましたようです。無発酵のパンといえるでしょう。その後、エジプトへ伝わったときにいわゆる「パン酵母」が混ざったらしいのです。ある日、作りかけで放っておいた生地がふっくらとしたので、それを焼いてみたらとてもおいしい!ということになり一気に広まったとのこと。パンの発見は偶然だったようです。このあたりのことは、峯陽作詞、小川寛興作曲、「パンのマーチ」でも歌われています。
 ■日本にパンがやってきたのは、1543年のこと。種子島に漂着したポルトガル人によって鉄砲とともに伝えられたのが最初だと言われています。そして、1549年に来日したフランシスコ・ザビエルのキリスト教布教とともに国中に知られるようになり、織田信長も食べたとか。その後は、徳川幕府によるキリスト教禁止政策によりほとんど普及しなかったようです。
 ■日本人によってパンが作られたのは、1842(天保13)年、まだ江戸時代のことでした。「パンの祖」と言われている伊豆の代官江川太郎左衛門が、長崎出島のオランダ屋敷で細々とパンを作っていた料理人作太郎を呼び寄せて、その年の4月12日に日本初のパンが作られたといわれています。その後、幕府の援助を受けたフランス人ロバート・クラークが横浜でヨコハマベーカリーを始めるなどして、フランスパンが出回りました。明治7年、東京銀座の木村屋総本店が、日本人の好きな餡(あん)を包んだ「あんぱん」を発売すると大ブームとなり、いわゆる菓子パンが広まりました。その後、イギリスの支援を受けていた薩摩と長州が中心となった明治政府のもとで、フランスパンよりもイギリスパン(山型食パン)が主流になっていき、昭和になって第二次世界大戦の後は、アメリカ式の大量生産型の四角い食パン(サイコロ食パン)が一気に普及しました。サンドイッチを食べるアメリカ軍駐留兵士のニーズから主に8枚切りが製造されましたが、トーストが好きな日本人の好みにあわせて、西日本を中心として6枚切りや4枚切りなどの厚切りが広まりました。

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