千里さんの庭

 

通路の向こう側には醍醐山と連なる山々が見え、この庭の借景と成っている。その山々とこの庭をつなぐために、サツキ、ヒイラギナンテンで山を作り、その山を縫うように玄関までのアプローチとした。このアプローチ(通路)は板石(市電石)と山石のあられこぼしの市松模様とした。

板石で積み上げた門

市電の板石の裏側をあえて表面に使いそのテクスチャーを生かす

市松模様は古くから用いられてきた文様ではあるが、こうして石畳にするとモダンな感じさえもする。まさに『和モダン』。この通路が出来たのは、今から50年以上前で、『和モダン』などと言う言葉も無かった頃です。市松模様の市松は江戸時代の歌舞伎役者「佐野川市松」が由来であるが、それ以前は『石畳文様』と呼ばれていたそうです。つまり、石畳に市松模様を使うのは自明の理であるわけです。また、公家の有職故実では『霰(あられ)』と称されていたというところもこの通路と妙に合致する。 

お花畑であったところを草対策のため板石を敷きつめる。