大和海軍航空隊(柳本飛行場)関係



 

唐古遺跡の高射砲陣地跡 田原本町唐古


弥生時代の遺跡で、全国的にも有名な唐古遺跡、
発掘跡の唐古池の堤防に八角形のコンクリートの床が残っています。
真ん中に、四角の穴があいています。
(後ろの怪しげな建物は、弥生時代の復元楼館)


少し東側に、大和海軍航空隊(柳本飛行場)があり、
ここを守っていた、防空陣地と思われます。


唐古池の堤より見た飛行場跡方面
 

増補
 


本日久しぶりに唐古鍵遺跡に立ち寄りました。
池の周辺は上の写真とすっかり変わってしまい遺跡公園となっています。
今まで認識不足でしたが唐古池南側にも一つ砲座跡がありましたので
紹介させて頂きます。(※2019年3月10日)

纏向石塚古墳の高射砲陣地跡 桜井市纏向


邪馬台国論争で有名な纏向遺跡にある歴史上かなり古い古墳
弥生時代後半〜古墳時代の前期に作られた纏向古墳群の一つ、
通常墳丘は、お椀を引っくり返したようになっていますが、
この古墳は、高射砲陣地の建設の為ごらんのように、
墳丘の上部が削られて土俵のようになっています。


墳丘の上に立つと、平らになっていますが
基礎などの残骸は確認できませんでした。

柳本飛行場から見ると、
すぐ南側で西隣の纏向小学校(後ほど紹介)が
兵舎として使用されていました。
 

 

纏向勝山古墳の高射砲陣地跡 桜井市纏向


纏向勝山古墳上にも高射砲陣地が建設されていました。
石塚古墳と位置関係を見れば纏向小学校を中心に、
石塚古墳はすぐ、東側でこの勝山古墳は、すぐ北側にあります。


ここは、整備されておらず竹林になっていました。
御覧のように、墳丘上が平らになってることが確認できる程度で
ここも、基礎などの残骸は確認できませんでした。


纏向勝山古墳より、飛行場の方向を見る
田んぼの向こう側に基地の敷地が広がっていました。

 

纏向小学校の兵舎 桜井市纏向


1945年6月、百里ヶ原航空隊より、大和航空隊に先遣隊が到着、
300名程度の兵舎を確保せよと命令があったそうです。
この時、纏向小学校の校舎を確保したそうです。


写真:現在の校舎です。

記録によると、まもなく本隊が続々と到着し、
飛行場へも、百里ヶ原海軍航空隊基地の308航空隊の
零式艦上戦闘機(零戦)の部隊が到着布陣したそうです。

 

 

竹之内集落の防空壕 天理市竹之内


アーチ状の防空壕の内部、この壕は98年に天理高校二部の生徒さんたちが
発掘して発見した物で、長さ約20メートル、幅4.5メートルで
上部コンクリートが1.2メートルもある事がわかったそうです。


一番奥の出入り口で管理者(天理教)が現在ふさいでいる。
※上で整地作業が進んでいるようで、安全のためのようだ。


中央の入り口でここも、ふさいでいる。


天井には照明の配線などが今も残っています。


現在の入り口で、ドアは後に付け替えられているが
内側のドア枠は、修理されているが頑丈に今も守っています。


壕上部より、飛行場を見る


壕近くの兵舎跡、ハイキングコースのすぐ横で
かつて海軍航空隊があった事など想像出来ない。 



 

下池山古墳の通信施設 天理市成願寺町


海軍は、下池山古墳(前方後方墳)の後方墳の部分に、
天井石を床とする半地下式の通信施設をつくっています。

現在は、草むらの中にコンクリートの塊だけ残っている。

解放出版社、朝鮮人強制連行・強制労働ガイドブックの
聞き取りの項目によれば、「15インチテレビのような
電波探信機か据わっていて、潮岬の通信隊が発信してくる
敵影をキャッチしていた。潮岬通信隊は、南方洋上の
迫る米機の規模を、いち早く電波でみとめて、それを
大和基地に送信していた。」との事です。


下池山古墳につくられた半地下式通信施設の遺構
1995年橿原考古学研究所の発掘で判明。
その後の古墳本体の発掘の為、消滅しています。


 

ヒエ塚古墳の防空壕? 天理市萱生町

※現在埋め戻されています。


ヒエ塚古墳発掘のさい出土しました狭さ、南北に出入り口が一つづつ
コの字上になっているのでから防空壕か?と思われています。
※画像は北側から南側に並べています。






墳丘規模の調査のための発掘でしたがこの施設のために遺構は破壊されていました。


発掘現場から出土した1940年代のビール缶
柳本飛行場を接収していた米軍が持ち込んだものと考えられています。


戦争時代の日本製の薬瓶とビール瓶

 

白提神社跡 旧鎮座地 天理市長柄町


飛行場建設のために移動させられた神社の跡地にある石碑です。
臍見長柄丘岬
白提神社跡
長柄城跡
と書かれています。
飛行場建設後は、右後の杜(北東約200メートル)に鎮座されています。


裏面に
広大な元海軍航空隊大和基地跡
昭和四十六年十月二十日
長柄長寿会建之

何回も柳本飛行場に出かけましたが初めて活字で飛行場跡を確認できました。
 



 

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