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明 治 八 年
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第十五号
来ル三(四)月一日ヨリ日数八十日間奈良東大寺大仏殿内ニ於テ博覧会取設度
段社中ノ者共願出聞届候条管下一般所有ノ古器類及新規発明ノ器械其他人民
ノ智識ヲ開ク一助ト可相成品ハ金石木竹草花ノ類ニ至ル迄所持ノ者ハ本月三
十一日限東大寺塔頭竜松院同社中エ可指出事
右之趣管内無洩相達者也
明治八年一月 奈良県権令藤井千尋
(注:明8-A-26-2では赤で三月を四月に訂正している)
第十八号
管内県郷社以下諸寺院小破損修繕等是迄願出来候得共従来之在形ニテ修繕候
儀者以来願出ニ不及新規或ハ建替建次等之儀者総而其都度絵図面相添可伺出
候事
右之趣管内無洩相達者也
明治八年一月 奈良県権令藤井千尋
第二十号
兼テ学齢之儀満六年ヨリ満十四年迄之者各小学ヘ入校可致候様相達置候処兎
角不就学之者不尠甚以テ不都合之至ニ付以後事故ナク不就学候節ハ父兄之越
度タルヘク依テ自今心得違無之様精々注意可致候事
右之趣管内無洩相達者也
明治八年一月 奈良県権令藤井千尋
第二十六号
於寧楽書院貸費生之内ヨリ小学教員申付追々派出為致候ニ付而者本人ヨリ拝
借金上納方並取扱手続別紙之通相定候条正副区戸長及学区取締世話掛等ニオ
イテハ別而入念粗漏之取扱無之様深注意可致事
右之趣管内無漏相達者也
明治八年一月 奈良県権令藤井千尋
(小学教員貸費返納取扱手続略)
第三十号
第一大区二十小区
添下郡西大寺村
堀山喜三郎
杉本長四郎
右之者共昨明治七年十一月廿七日春日若宮御祭典ニ付裸体ニテ参詣イタシ候
処住所姓名不知者裸体ニテハ参拝不相成旨説諭イタシ衣類貸与候ニ付即チ着
用参拝終リ衣類返却可致心得ニテ以前之場所エ参リ候処群集之中ニテ行衛不
相分旨警察奈良出張所エ届出候ニ付衣類ハ同出張所ニ留置有之候条心当之者
ハ至急可申出事
明治八年一月 奈良県権令藤井千尋
第三十一号
隠売女体之所業致シ候者有之候而者大ニ風俗ヲ害候ニ付既ニ壬申六月四十六
号ヲ以相達候趣モ有之候処旅篭屋料理屋等ニ於テ間々数人之女子ヲ抱置其名
ハ下婢雇人ニシテ其実ハ右等之所業致候者モ有之哉ニ相聞候条今後心得違之
者於有之ハ悉ク至当之処分可致其時ニ至リ悔悟候共無詮之事ニ候間此旨厳重
相達候事
明治八年一月 奈良県権令藤井千尋
道路橋梁損所は会議所へ届出、些細な損所は最寄りの村で修治すべきこと
第三十七号
道路橋梁共損場出来候節ハ其都度々々可届出儀ハ勿論之事ニ候然ルニ新開路
等ハ村方ニ関係セサル様相心得鎖少之損所出来候テモ打捨置候向モ有之不都
合之事ニ候条自今道路橋梁共損所出来候節ハ其区会議所エ届出可申尤些少之
損所水溜等ハ其村最寄申合修治可致此旨管内無洩相達者也
明治八年二月 奈良県権令藤井千尋
第七十五号
是迄鳥市ト唱ヘ各其場所エ持寄売買禁止之儀ハ明治七年三月第七十一号ヲ以
及布達置処此節市在ニ於テ闘鶏之上直段相定メ売買致シ候抔曖昧タル遁辞ヲ
構ヘ畢竟金銭ヲ賭候者モ有之哉ニ相聞以之外之事ニ候条以後遊戯之闘鶏ト雖
モ一切令禁止候事
右之趣管内無漏相達者也
明治八年三月 奈良県権令藤井千尋
各小学
教員
各小学生徒之内アナイチト称シ金銭ヲ翫弄候悪風侭有之趣相聞以之外儀ニ付
兼テ教諭モ可有之筈ニ者候得共尚右様悪風無之様精々注意可致候此段相達候
事
明治八年三月 奈良県権令藤井千尋
第七十七号
学事拡張之御主旨ヲ以兼テ御扶助相成居候御委托金之内今般一小学区ニ付金
三円並単語篇十八部宛配当候条其父兄タル者心ヲ学事ニ傾ケ宜シク御盛意ヲ
体認シ子女ヲシテ学ニ従事セシメ其業日ニ就リ月ニ将ミ遂ニ幼稚ノ教育ヲ善
美ニシ以テ天賦ノ幸福ヲ完了候様可致事
但シ現金之儀ハ其校之貲本ニ備ヘ置キ利子ヲ以テ校費ニ相当テ可申事
右之趣管内無洩相達者也
明治八年三月 奈良県権令藤井千尋
第七十八号
種痘施術相受候者ヨリ其医者ヘ仕向ノ謝儀差定メ無之テハ不都合ノ儀モ不尠
候間此度ノ儀ハ左ノ通相定メ候条此旨布達候事
明治八年三月 奈良県権令藤井千尋
謝儀定則
上等 壱人ニ付
金拾五銭
中等 壱人ニ付
金拾銭
下等
同五銭
但難渋人ノ向無謝儀ノコト
第七十九号
近来各学校或ハ各村学資之内ヘ金員或ハ物品等致寄附度旨出願或ハ寄附イタ
シ候旨ヲ以奇特之義届出候者モ有之候得共間ニハ何等之義モ不申出趣相聞遺
憾之事ニ候右ハ元来教育拡張之信志ニ出候訳ナレハ厚情一時ニ消滅セシメ候
ヲハ教育勧奨之趣意ニ悖リ候義ニ付一般人民エモ相知ラセ可申義候条已来出
品之多少ニ抱ハラス其旨可及出願尤其数些少且遠隔ノ土地ハ正副戸長迄差出
シ会議所ヲ経テ進達可致就テハ右収入之学校或ハ其村方ニヲイテハ仮令些少
之金員タリトモ可成丈ケ月費等ニハ不遣払永存之方法相立利子等ヲ以費補ニ
相充候様可致此段相達候事
右之趣管内無洩相達者也
明治八年三月 奈良県権令藤井千尋
第八十四号
従前西国巡礼或ハ諸国社寺巡拝ト唱ヘ旅中乞食又ハ金銭等助力ヲ乞ヒ旅行致
シ候者有之候処当今右等之所行致シ候者ハ決シテ無之筈ニ候ヘトモ万一旧習
ヲ脱セス路用之貯ヘモナク猥リニ他行致シ前条之姿ニ立至リ候テハ不相済候
条心得違無之様可致尤心願有之不得止巡拝参拝等致度者ハ必ス其情実正副戸
長ヘ申立戸長ニ於テ篤ト相糺病症及路用等差支無之者ハ左之雛形ニ照準往来
券相渡旅行可為致候事
右之趣管内無洩相達者也
明治八年四月 奈良県権令藤井千尋
雛形用紙適宜
往来券
奈良県族職業
大和国第何大区何小区
何郡何[村町]住
誰何々
何之誰
当何年何ヶ月
右之者心願有之四国或ハ何所社寺巡拝ノ為当地出発候付而ハ旅行中万一事故
ニ罹リ候節ハ御規則之通御取計被成遣度依而往来券如件
父兄或ハ親類之内
何村住
年号月日 何之誰 印
正副戸長ノ内
何之誰 印
道筋
府県御管下
戸長御中
第八十五号
此迄県庁ノ事務ヲ分チ庶務 聴訟 租税 出納ノ四課ニ候処本年第五十三号
御達ニ付自今学務課ヲ置キ五課ト相改候条此段布達候事
右之趣管内無洩相達者也
明治八年四月 奈良県権令藤井千尋
第八十六号
学区取締給料之儀ハ素ヨリ管下人民ノ課出ス可キ義務ナレ共創立之際一時学
資匱乏民力ノ及ハサルヲ察シ暫ク御委托金而已ヲ以テ是迄支給シ来ルト雖モ
右ハ人民義務上ニ於テ欠ク可ラサル事ニ付右給料全額課出申付ク可キ筈ニ候
得共尚又難渋ノ者モ有之哉ニ付先ツ左之方法ヲ以テ各小学区学資ノ内ヨリ課
出申付ケ御委托金ト合セテ支給候間各会議所エ取纏メ学務課エ上納可致事
但本年三月分ハ来ル五月中ニ取纏メ上納致ス可キ事
課出金大略方法
一六百七拾六小学区
右壱小学区ニ付壱ケ年学資ノ内ヨリ金弐円ツヽ毎年両度ニ[三月十月]課出
ス
右之趣管内無洩相達者也
明治八年五月 奈良県権令藤井千尋
第八十七号
是迄学区取締専務ノ者ヘ一ケ月給料金五円宛差遣シ来リ候処今後一ケ月金九
円ツヽ差遣候最副戸長ヲ以学区取締兼務之者ヘハ為手当一ケ月金三円ツヽ差
遣シ候条此旨布達候事
右之趣管内無洩相達者也
明治八年五月 奈良県権令藤井千尋
第八十九号
学文ハ身ヲ修メ産業ヲ盛ンニスルノ資本ニシテ学校ヲ設ケ天賦ノ人智ヲ開カ
シメ以テ広ク之レヲ登庸セラレントスルノ御趣意ニテ小学ヲ興シ尚伝習所二
校ヲ設ケ専ラ教員ヲ陶冶シ生徒ヲ養成スルト雖適当ノ年齢ニシテ体質並備ハ
ル者鮮ナシ依テ今般各小学区内ヨリ年齢大約十四年ヨリ廿五年迄ニシテ体格
壮康性質英敏将来成業ノ見込アル者二名ヲ撰ヒ奈良及五条伝習所ヘ入校セシ
メ大凡三ケ年ヲ期トシ修業申付候最学資ハ[壱ケ月凡金弐円五拾銭]自弁勿論
ナレトモ有志ニシテ学資ヲ給スル事能ハザル者ハ其区内ニテ適宜貸費ノ方法
或ハ有志ノ者十人乃至五人中ニテ申合セ其他幾様ノ便宜ヲ以テ支給候様可致
候条右姓名等委曲取調本月廿五日迄左ノ雛形ニ准シ各大区ヨリ学務課ヘ可申
出事
但シ教育ノ日浅ケレバ教員伝習所或ハ師範学校等ニ入学スレハ将来教員ト
ナリ終身学ニ従事スルノ身トナル抔ト分ヲ限リ候様相心得テハ本文之趣意
ニ相悖リ候儀ニ付必ス人材御登用ノ御趣意各自産業ノ基礎タル事ヲ厚ク相
弁ヘ可申様正副戸長共ニテ懇ニ相諭シ可申事
雛形
┌──┬──┬────┬─────┬─────┐
│郡村│属族│姓名年齢│保証人郡村│保証人姓名│
├──┼──┼────┼─────┼─────┤
│ │ │ │ │ │
├──┼──┼────┼─────┼─────┤
│ │ │ │ │ │
└──┴──┴────┴─────┴─────┘
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年五月 奈良県権令藤井千尋
第九十号
当県第八十六号ヲ以テ学区取締給料課出方大略壱小学区ニ付金弐円ツヽ可差
出様相達候処学区人員之多少ニヨリ課出方不公平ニ相成候ニ付壱学区六百名
ニ付金弐円ノ割[壱区三百人ナレハ金壱円二百人ナレハ同六拾六銭六厘六毛]
ヲ以テ毎区月々学資ノ内ヨリ差出可申事
但人員ノ義ハ月々増減有之課出毎ニ金額増減候モ不都合ニ付明治六年七月
調之人員ヲ以テ毎区課出ノ金額ヲ定メ可申事
右之趣管内無洩相達者也
明治八年五月 奈良県権令藤井千尋
第九十二号
昨明治七年八月第弐百八十五号ヲ以地方官会議御都合ニ寄リ延期被 仰出候
旨相達置候処更ニ本年六月二十日ヲ以御発会二十日間会議被 仰出候ニ付此
度拙者義上京可致義ニ候条左之条件ニ付存意有之向ハ聊無忌憚見込書ヲ以来
ル三十日迄ニ可申出此旨相達候事
明治八年五月十日 奈良県権令藤井千尋
条件
第一 道路堤防橋梁之事
付リ民費之事
第二 地方警察之事
第三 地方民会之事
第四 貧民救助方法之事
第七拾弐号 使府県
今般地方官会議被 仰出候ニ付テハ傍聴被差許候条既ニ民会ヲ開キ人撰相調
ヒ居候者又ハ区戸長ノ内ヨリ願出候者ニハ一管内壱両人ヲ限リ可差許此旨相
達候事
但旅費其外都テ自費タルヘキ事
明治八年五月五日 太政大臣三条実美
今般右之通被 仰出候付而ハ傍聴ニ罷出度望之向各名前書ヲ以来ル三十日限
リ其会議所エ可申立尚会議所ニ於テ名前書取調可然者一名ツヽ迅速県庁エ可
差出此段相達候事
右之趣管内無洩相達者也
明治八年五月十日 奈良県権令藤井千尋
第九十四号
各小学校資金之儀ハ元来入費金額取調適宜募集ノ方法確定ノ旨申立候ニ付開
校候処一時営繕書籍等ノ費ニ充テ見積金額ヨリ不足ヲ生シ候ヘトモ右ハ一時
ノ支払ニ付即今ニ至リテハ見積金額ヨリ必ス費用ハ減ス可ク去レバ其ノ余金
ヲ以テ利子増殖ノ方法等相設ケ弥維持ノ目途ヲ立ツ可キ筈ノ処却テ入費ノ見
積高ヨリ減スルヲ幸ヒトシ其月ノ入費ヲ限リ募集ニ及ヒ他日ノ要費ニ充ツル
ノ資金モ之レナク姑息ノ所為ヨリ遂ニ見積金ノ何タルヲ問ハス甚シキハ教員
ノ月給スラ渡シ方遅滞ニ及候学区モ侭有之趣此クノ如キ姿ニテハ隆盛何レノ
日ヲ期センヤ右ハ全ク其区内人民ノ不注意ヨリ生スルトハ雖固ヨリ戸長等ノ
責任ナレハ今後一層教育上ニ精力ヲ尽シ最前申立テ有之候見積金本月ヨリ屹
度取集メ支払余金ヲ以テ利子増殖ノ方法相立テ予メ不慮之変ニ備ヘ置益学事
隆盛候様厚ク注意可致事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年五月 奈良県権令藤井千尋
第九十五号
従来村方ニ於テダンジリ或ハミコシ太鼓抔ト称ヘ郷村ノ祭礼ニ用ヒ来リ候者
之レ有ル処今ヤ無用ニ属シ只庫中ノ一廃物トナレリ然ルニ学校ハ人民教育ノ
基本設ケザルヲ得ス而シテ其費用ニ至リテハ課出難渋ノ者モ不尠候ニ付右無
用物ヲ以テ有用ノ学資ニ充ツレハ自然民費ノ幾分ヲ助ケ候儀ニ付右ダンジリ
ノ類ハ無論其他不用ノ物ハ総テ学資ニ充テ候様厚ク注意致ス可キ事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年五月 奈良県権令藤井千尋
第九十七号
従来各村ニ於テ道路堤防橋梁養水樋等ノ修繕其他川池浚等ニ至迄村普請ノ向
多クハ其居村ノ者ヲ募リ歩代抔ト唱ヘ何程歟金米ヲ給与スル仕来候処間々其
村民共怠惰ニシテ些細ナル修繕ト雖モ徒ニ月日ヲ費シ冗費ヲ散シ約ル処村方
ノ疲弊ニ立到可申義ニ付屹度得失ヲ顧慮シ一村ノ為方ヲ可相計義者無論ノ事
ニ候条先仕様目論見帳ヲ製シ正副戸長什長年番等立会当村ヲ始広ク他方ノ者
ニモ入札セシメ落札ノモノヨリ引受人連印ノ受合証取置キ尤修繕中正副戸長
其場所時々出張監督ヲナシ冗費ヲ省キ修繕向行届キ将来其村方ノ為方専一ニ
心掛可申様可致此段布達候事
右之趣管内無洩相達ス者也
明治八年五月 奈良県権令藤井千尋
第百一号
奈良及五条小学教員伝習所今般文部省ヘ伺済之上奈良県師範学校ト更称候条
此旨為心得相達候事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年六月 奈良県権令藤井千尋代理
奈良県参事岡部綱紀
第百二号
痘種ハ天然痘ノ大患夭殤ヲモ預防シ其生命ヲ全スル貴重ノ事ニ候得共僻遠ノ
人民未タ種痘ノ何タルヲ知ラサル者多分之アル趣ニ付本年二月頃天然痘処々
ニ流行候ヨリ自然蔓延候而者不容易ノコトニ付未痘ノ者ハ迅速種痘可致旨
懇々相達候処今以未痘夫カ為夭殤ノ者モ不尠猶流行病モ止マサレハ医員或ハ
戸長ニヲイテ悲歎之余リ施術可受様種々懇説ストイヘトモ彼是申延シ施術ヲ
拒ミ或ハ種后必ス感染ノ真偽余病ニ変転等ノ監定可相受之処兎角採漿抔ヲ厭
ヒ検査ヲ拒ミ候者十ニ八九ハ有之由甚以心得違之事ニ候元来種痘ハ小児出生
七十日ヨリ満壱年迄ヲ種痘ノ善期トシ種后近傍ニ天然痘ノ流行スルトキハ初
種ノ久暫ニ関セス再種スヘク且再ヒ流行痘ニ感スルハ痘苗ノ善否施術ノ粗拙
等ニヨルコト多シトイヘトモ亦其者ノ性質ニ従ヒ若干年ノ後チ其預防力自然
ト消減スルノ類モナキニアラサレハ一度接種シテ終身再感ノ患ヲ免ルヽヲ保
タス故ニ五六ケ年毎ニ再三接種シテ幾層モ預防ノ力ヲ奮起スヘシト種痘規則
心得等ニ有之候条未痘嬰児ヲ育スル者共ハ弥此旨厚相弁迅ニ施術ヲ受ケ岐度
心得違ヒ無之様可致此段更ニ相達者也
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年六月 奈良県権令藤井千尋代理
奈良県参事岡部綱紀
学校適当の地将来設置目途ある分に限り敷地取調(内務省達乙第六九号)
乙第六十九号
府 県
諸学校敷地ノ儀ニ付テハ明治七年第百三十一号公達ノ通一時民費ヲ以テ難弁
情実モ有之ニ付学制中掲載ノ数ニ限リ無税官有地ニ於テ中学ハ千坪小学ハ五
百坪以内ノ地ヲ学校敷地トシテ無代価御下渡可相成処即今還禄者ヘ地所払下
ノ期限中ニモ有之往々無税官有地無之様相成候テハ御旨意モ通徹致サヽル儀
ニ付現今設立セサル分ニ候トモ学校適当ノ地ニテ後来設置ノ目途有之分ニ限
リ不払下官有地ニ据置ノ積取調置可申此旨相達候事
明治八年五月廿八日 内務卿大久保利通
右之通リ御達ニ付適当ノ地所有之向ハ来ル七月十五日限リ可申出候此旨管内
無洩相達スル者也
明治八年六月 奈良県権令藤井千尋代理
奈良県参事岡部綱紀
第百八号
本年四月当県第八拾四号布達心願ニ因リ四国或ハ社寺巡拝之者ヘ相渡候往来
券書式中父兄或ハ親族之内姓名押印之廉自今取消候事
右之通改正候条管内無洩相達スル者也
明治八年七月七日 奈良県権令藤井千尋代理
奈良県参事岡部綱紀
第百十号
奈良及五条師範学校ニ於テ年齢廿年以上四十年以下ノ者二十名ツヽヲ限リ学
業試検ノ上入学差許候条志願之者ハ本月廿五日迄各履歴書持参一応奈良師範
学校ヘ可願出候尤当時小学教員在職ノ者ト雖志願ノ向ハ同様可願出候此段相
達候事
但学資ハ自弁勿論ナレトモ事実支給スル事能ハサル者ハ保証人ヲ相立テ同
校ヘ出願候ヘバ詮議ノ上相当ノ学資ヲ貸与ス尤卒業ハ粗六ケ月間ヲ期シ師
範学科卒業証書ヲ[此ノ証書ハ当県限ノモノニアラス官立師範学校ニテ与フ
ル証書ト異ナラス]与ル儀ト可相心得候事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年七月十二日 奈良県権令藤井千尋代理
奈良県参事岡部綱紀
第百十一号
頃日幼年之輩過而溺死致シ候者屡有之趣畢竟親共注意不行届訳ニ有之憫然之
至ニ候条猶不慮ノ儀無之様親族共無油断厚ク心ヲ付ヘキ事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年七月三十日 奈良県権令藤井千尋代理
奈良県参事岡部綱紀
第百十三号
今般文部省ヘ伺済之上奈良元中教院ニ於テ医局取設別紙規則之通リ相定メ来
ル八月八日開局候条開業医ハ勿論薬舗等ニ至ル迄有志之輩ハ本日午前第八時
迄同局ヘ出頭可致候事
但当日入学並入舎志願ノ者ハ同局ヘ可願出候事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年八月三日 奈良県権令藤井千尋代理
奈良県参事岡部綱紀
医局規則
奈良県
奈良県管下医生取締規則
第一条
当管内ノ医業ハ総テ医局ニ於テ之ヲ管理ス
第二条
医局ハ管内之医生薬舗及ヒ医学病者等ノ事ヲ管理シ医生施術ノ得失ヲ勘察
シ生徒ヲシテ各科ヲ研究セシムルヲ要ス
第三条
医局中ニ医局頭取副頭取当直医副直医事務掛薬局掛並医局世話掛ヲ置キ管
下ノ医術ヲ担任セシムヘキ事
第四条
遠隔ノ地方ハ弁宜ノ場所或ハ世話掛ノ宅ニ出張所ヲ設ケ回講医員ヲシテ各
医生ニ講義ヲ授ケ且治療上ノ諸事ヲ掌ラシムヘキ事
第五条
医生平常治療シタル患者明細表ヲ製シ月末毎ニ世話掛ヲ以テ医局エ差出ス
ヘキ事
第六条
内外科医家畜医ハ履歴ト治続書産婆薬舗ハ履歴書ヲ出サシメ開業免許鑑札
ヲ授与ス
但シ医学校各府県病院当県医局等ノ学科卒業証書ヲ所持スル者ハ本文ノ
規則ニ照準シ開業免許鑑札ヲ授与スルト雖モ医局入学勝手タルヘキ事
第七条
医生タル者各地ニ於テ流行病或ハ習俗並衣食住等ノ事ニ付現ニ健康ヲ害ス
ルコトアルヲ察セハ速ニ医局エ申出ヘキ事
第八条
種痘ハ文部省明治七年十月三十日第弐拾七号種痘規則ニ照準シ免状ヲ授与
スト雖モ牛痘ノ真仮経過ヲ弁知セサル者ハ之ヲ免サス
第九条
産婆ハ産科医或ハ内外科医ノ差図ヲ受クルニアラサレハ妄ニ手ヲ下スヘカ
ラス若シ事実急迫ニシテ暇ナキ時ハ躬カラ行フコトアルヘシ
但シ方薬ヲ与エ器械ヲ用ユル事ヲ許サス
第十条
鍼治灸治ヲ営業スル者内外科医ノ差図ヲ受クルニアラサレハ施術スヘカラ
ズ且ツ方薬ヲ与フルコトヲ許サス
第十一条
劇薬ハ医師ノ処方書ニ拠テ調合スルノ外ハ医師薬舗主化学家売薬家及ヒ工
職家ヨリ需要ノ趣旨ヲ記シタル証書ヲ以テ求ムルニ非サレハ決シテ販売ス
ルヲ許サス
但シ処方書及ヒ証書ハ貯置月々医局エ届出スベシ
第十二条
売薬ハ明治六年十二月太政官第四百二十九号ノ御布告ニ基キ其薬味分量用
法功能等ヲ詳記シ製剤相添県庁ヲ経テ文部省ニ差出シ同省ノ許可ヲ得ヘシ
(書式略)
医局規則
第一条
医ハ司命ノ職ニシテ其任至テ重シ学業精覈ナラサレハ人身ノ健康ヲ保全シ
疾病ヲ治瘉スルノ理ヲ知ルコト能ハス苟モ医ヲ志ス者ハ老少ヲ論セス医局
ニ入学シ学業ヲ勉励シ以テ司命ノ職ニ適センコトヲ庶幾スヘシ
第二条
教則中予科本科ヲ設クト雖モ晩学ニシテ其序ヲ逐フコト能ハサル者ニハ直
ニ原病論薬物学等ノ講義ヲ授ケ兼テ病床ニ就テ実験セシメ速ニ其要旨ヲ得
セシムベシ
第三条
入学ノ生徒ハ満十四歳以上ニシテ小学卒業ノ免状ヲ所持スルモノニアラサ
レハ之ヲ許サス
但シ方今卒業ノモノ乏キ故ヲ以テ当分免状無之モノト雖モ試検ノ上入学
ヲ許ス
第四条
医局入学ノ節管内ノ者ハ其区正副戸長管外ハ其県庁或ハ当管下住人之証書
ヲ持参シ入学致スヘキ事
第五条
医局入学ノ節束修トシテ金壱円ヲ収メ毎月授業料トシテ金弐拾五銭ヲ納ム
ヘキ事
但シ医学校各府県病院当県医局等ノ各科卒業証書ヲ所持スル者ハ此例ニ
アラス尚本文束修授業料ノ儀ハ営業ノ科及ヒ施術ノ多寡ニ寄リ斟酌アル
ヘシ貧生ハ之ヲ除ク
第六条
開業医刀圭ノ余暇ナクシテ毎日出席スルコト能ハサル者ハ別課ヲ設ケ講義
ヲ授クヘキ事
第七条
正則生ハ月末毎ニ小試業ヲ為シ坐列ヲ定メ一期毎ニ大試業ヲ為シテ等級ヲ
進退セシム
第八条
変則生ハ臨時小試等ヲ為シ坐列ヲ定メ二期毎ニ大試業ヲ為シ等級ヲ進退ス
第九条
参校ノ時限ハ毎朝授業時限十五分前タルヘキ事
但疾病事故アリテ已ヲ得ス闕席スルトキハ其旨預メ書附ヲ以テ可断出事
第十条
生徒心得方ハ入学ノ節事務掛ニテ詳細承リ置ヘキ事
年 月 奈良県医局
医局治療規則
第一則
此局ニ来リ治療ヲ乞フ者ハ当直医ニ申達スヘシ
但来局患者之姓名ヲ日々帳簿ニ記載スヘキ事
第二則
治療ヲ乞フ者エハ処方書紙ニ姓名年齢番号而已ヲ記シ診察所ニ誘引シ頭取
ノ診察ヲ受ケシメ病者ニ渡シタル処方書紙ニ病名薬剤分量製法用法年月日
ヲ記シ渡シ置クヘキ事
第三則
薬剤ヲ渡ストキハ薬価ヲ事務掛ニ受取リ薬局掛エ処方書ヲ示シ薬剤ヲ渡ス
ヘシ
第四則
日日患者明細表ハ医生取締規則第五条之表式ニ照準記載イスヘキ事
第五則
治療中入局ヲ請フモノハ其病症ニヨリ看病人附添可申事
第六則
病者診察ノ時間ハ午前第九時ヨリ第十一時迄ヲ限リトス因テ外来患者診察
ヲ乞フ者ハ午前第九時マテニ来局スベシ時間ヲ過レハ診察ヲ止ム尤大患急
症ハ此限ニアラス
第七則
自宅エ診察ヲ乞フ者アレハ其由ヲ当直医ニ申達シ予メ其容体ヲ承リ置キ頭
取エ達シ速ニ頭取往診スヘシ若シ差支有之節ハ当直医代診スヘシ
第八則
往診之際茶烟草盆之外饗応ヲ受ベカラサル事
第九則
薬料ハ其配合物ノ元価ニ高下アレハ予メ一定セス故ニ時々薬局ニ掲示スヘ
シ
第十則
診察日ノ休暇ハ日曜日祝日祭日其他臨時ノ休暇ハ門前ニ掲示スヘシ尤モ大
患急病ハ第六則第七則往診之例ニ準ス
第十一則
往診料ハ壱里以内ヲ除キ往復トモ壱里毎ニ十二銭五厘ヲ医局ニ納メ滞在ス
レハ五十銭ヲ納ムヘシ壱里以内トイヘトモ滞在スレハ滞在料ヲ納メシムヘ
シ
但往診ノ序他ノ患者ヨリ診察ヲ乞フトイヘトモ別ニ診察料ヲ納ムルニ及
ハス
薬局心得
第一章
薬品ハ釐毛ノ差大ニシテ其効用ヲ異ニスル而已ナラス生命ニモ関スル程ノ
害アルカ故ニ秤量ヲ用ユルノ際精々注意致スヘキ事
第二章
総テ薬剤ノ製練及ヒ配合ハ一切司薬生躬カラ執行ヒ習熟ノ者ト雖モ他人ニ
取扱ハシムヘカラサル事
第三章
薬剤渡シ方ハ入局患者ハ配剤録外来患者ハ処方書並事務局割印ヲ付ケタル
者ニ由テ調合スヘシ此二書ナキトキハ投剤スヘカラス
第四章
劇薬ハ他薬ト混雑セサル様別ニ筐中ニ納メ薬局長其開闔ヲ主トルヘキ事
第五章
薬品注文ノ節ハ都度々々局長ノ検印ヲ以テ事務掛ニ可届出事
第六章
薬剤之出高名称ハ毎日帳簿ニ記シ置キ月末ニ総計明細書局長ニ可差出事
右之通堅ク可相守事
年 月 奈良県医局
奈良県医局学科年表
予科
理学
化学
本科
初年 第一半期
解部学
生理学
第二半期
生理学 及動物生体試験
解部学 及術
二年 第三半期
原病総論
外科総論
包帯術
第四半期
原病各論
外科各論
薬剤学
三年 第五半期
雑科治療則[眼科 産科 婦人病 小児病 皮膚病等]
第六半期
此期ニ至レハ卒業ト為シ唯局内ニ在テ各々専門術ヲ習練セシム
第百十六号
昨明治七年当県四百九号ヲ以相達置候文部省種痘規則中第六条種痘後必ス其
善感不善感ヲ調ヘ置第壱号式之表ヲ製シ毎年両度[二月八月]地方庁ニ差出ス
可キ旨記載有之ニ付テハ種痘医ヨリ直チニ県庁ニ差出シ候テハ遠隔之ケ所モ
之レアリ迷惑可及ニ付各大区会議所毎ニ取纏メ本月三十一日限リ県庁ヘ差出
シ可申候事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年八月廿五日 奈良県権令藤井千尋
第百十八号
今般県下ニ医局ヲ開キ各大区ニ出張所ヲ設ケ回講医員ヲシテ各医生ニ講義ヲ
授ケ且治療上ノ諸事ヲ掌ラシメ候義ハ元来当管内ハ避遠ノ地ニテ医術熟練ノ
者ハ乏シク遂ニハ人民非命ノ死ヲイタスヘク乎ト深ク憫諒候ヨリ専ラ医道ヲ
興隆シ以テ人民非命ノ死ヲ救養イタシ度キ趣意ニ出候義ニ付診察治療等相受
ケ度者ハ回講先キヘ可申出依而ハ月々各大区出張所ヘ回講日限来ル九月十一
日左之通相定候条此段為心得相達候事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年九月七日 奈良県権令藤井千尋
毎月巡回講義定日
一ノ日 奈良医局ニオイテ講義 奈良
二ノ日 郡山
竜田村
三ノ日 御所町
四ノ日 三輪村
五ノ日 針ケ別所村
六ノ日 宇陀松山村
七ノ日 上市村
下市村
八ノ日 五条村
右郡山上市五条ノ三ケ所ハ午前第九時ヨリ第十一時マテ其他ハ正午十二時ヨ
リ午後二時マテ講義ノ事
右
第百十九号
医局ヲ設ケ病者ヲ治瘉シ医学ヲ興隆セシメ候義既ニ及布告候ニ付而者成規之
学科授業時間午前第七時ヨリ十二時迄日々教授候条此段為心得相達候也
明治八年九月七日 奈良県権令藤井千尋
地租改正弁
凡ソ人タル者誰カ一日モ無事安穏ヲ欲セザル者アランヤ其無事安穏ヲ欲スル
カ為メニ政府アリテ法令ヲ布キ治術ヲ施ス所以ナリ其法令ヲ布キ治術ヲ施ス
所以ノモノハ内ハ盗賊争乱ノ憂ヲ防キ外ハ外敵覬覦ノ侮リヲ禦キ富タル者貧
シキヲ虐スル事ナク強キ者弱キ者ヲ凌グコトナク人々平和安穏ニ生業ヲ営マ
シメン事ヲ欲シテナリ其平和安穏ヲ謀ルカ故ニ官省府県ノ設ケナカル可カラ
ス海陸軍ノ兵備ヘサル可カラス裁判所及ヒ警察ノ役人置カサル可カラス其他
凡ソ人民保護ノ事ニ関スル者一ツトシテ設置カセザル可カラザルナリ是皆政
府人民ノ為メニ設クル者ニシテ随テ是ガ若干ノ費用ナキアタハズ其費タルヤ
国内人民一統ノ為メニ消耗スル者ナレバ国内人民一統ヘ割合出サシムルハ当
然ノ事ニテ則一村一市ノ入用ヲ一村一市ニ割合出金スルト異ナルコトナシ其
割合金ヲ名ツケテ租税トハ云ナリ其租税ヲ輸ス即チ人民ノ義務トハ云ナリ抑
其租税ヲ出サシムルヤ甲ニハ重ク乙ニハ軽ク彼レニハ厚ク此レニハ薄キ等ノ
事アル可カラス必ス公平適実ナルヲ要スルナリ中世政権武門ニ出テ大小侯伯
天下ニ碁峙シテヨリ此隣法ヲ異ニシ民ノ労逸斉シカラサル殆ント異邦ノ民ノ
如シ今其例ヲ挙テ云ンニハ茲ニ収穫米一石ヲ得ル田地アリ甲ノ領地ハ七斗ノ
租税ヲ収メ乙ノ領地ハ三斗ノ租税ヲ納ル等ノ事アリ豈是ヲ公平ト云ンヤ夫レ
ノミナラス旧来ノ法タル検地以テ土地ノ広狭ヲ測リ石盛以テ地位ノ肥瘠ヲ定
メ検見以テ歳ノ豊凶ヲ卜ス人民生産ノ上ニ就キ其幾部分ヲ官納セシムル等往
昔縦令一種ノ良法タルモ時代ノ沿革アリテ検地モ其実ヲ失ヒ石盛モ其度ヲ誤
ルニ至レリ加ルニ歳月ノ久キ民力ニ増損ノ差アリ往昔ノ上田モ今ハ下田トナ
リ其下田ナルモ反テ上田トナリ或ハ同シク検地ヲ経タルモ中世ニ経タルト近
世ニ経タルトニヨリテ縄ニ伸縮ノ別チナキ能ハス竿ニ古中新ノ三等ナキヲ得
ズ或ハ年所ヲ歴ルノ久シキ隠田切添切開切畝歩等アリ地所ノ境界モ従テ錯乱
ナキヲ保ツ能ハス同シク一反ノ地ニシテ広狭ヲ異ニスルアリ又収穫多キ土地
ニ租税ノ少キアリ収穫少キ土地ニ租税ノ多キアリ租税ノ多キ田ハ貧民却テ之
レヲ保チ租税少キ地ハ富民之レヲタモツ実ニ不公平ト謂ハサルヲ得ズ其之ヨ
リ一層甚シキハ土地アリテ租税ヲ出サヽルアリ土地ナクシテ租税ヲ出スアリ
然レ共人民ノ耳目常ニ旧習ニ慣レ租税ハ此ノ如キ者ト思ヒ恬然怪シマサルニ
至レリ而シテ維新ノ今日此ノ如キモノ棄置トキハ人民各自ノ幸福ヲ保全スル
ノ主旨ニ乖戻スルヲ以テ之ヲ改正センカタメ曩ニ上諭ヲ以テ地租改正画一ノ
条例頒布セラレシナリ蓋シ地租ヲ改正スル所以ノ者ハ政府故サラニ事ヲ好ミ
改革セントスルニアラズ亦租額ヲ増加シ収入セントスルニアラズ前ニ述ル所
ノ旧弊ヲ改メザレハ全国人民ヘ対シ所謂政府ノ義務ヲ欠クヲ以テナリ而シテ
此地券法ノ旧法ニ勝レル所以ハ人民家産ヲ所有スル証拠ヲ与ヘ其所有ヲ固ク
シ子々孫々永遠ニ伝ヘテ保証ヲ失ナハシメザルノ主旨ニテ地主一トタビ此券
状ヲ得所持スルトキハ縦令其地ヲ政府ノ用ニ供スル事アリトモ持主承諾ヲ待
ノ後ニアラザレハ買上ル等ノ事ナシ況ンヤ其他ヨリ毫モ掠奪妨碍ヲ受ル事ナ
ク且其経界錯乱シテ争ヒ等ヲ起スノ憂ヒナシトス後来地租改正ノ後ハタトヘ
如何程収益アリトモ定額ノ地租則地価百分ノ三ヲサヘ収ムレハ人々ノ勉強ト
労力トニヨリテ向後年々得ル処ノ収益ハ全ク己ノ物トナリ勉強スレハ其勉強
タケノ利益ヲ得ラルヽナリ況シテ年々検見等ノ入費ト其手数トハ官民共ニ減
省スルナリ併シ此法ヲ施行スルニ就キ人民厚ク心得ネバナラヌ事アリ其一ハ
地所ノ広狭ヲ正シク実測シテ其実況ニヨリ総テ有リノ侭ヲ申立ル事ナリ譬バ
昔シ検地ノ時反別一町ト唱フルモ其実ハ一町五反アル地所ヲ旧習ニ泥ミ一町
ナリト書出ストキハ其五反ハ真ノ持地トスル事能ハザルノミナラス其事顕ハ
ルレハ欺隠田糧律ニ因リ取上トナリ持主ハ申迄モナク戸長迄モ其罰ヲ受ルナ
リ若シ其事顕ハルヽナキモ後日ニ至リ他人ノ為メニ掠奪セラルヽ共訴ル事能
ハズ畢竟些少ノ租税ヲ逃レン事ヲ謀ル為メニ家産ヲ失フニ至リテハ歎息ノコ
トニ非スヤ然レハ此改正ニ付村吏人民共青天白日ノ心ヲ以テセザルトキハ将
来幾千ノ後迄モ幾多ノ弊害ヲ残ス者ナレハ最モ戒慎ヲ要ス可キナリ況シテ今
度改正ノ租税ハ強チ反別ノ広狭ニ関セズシテ土地ノ収入ト実価ニ租税ヲ賦フ
ルモノナレハ人々必ス心得違ヒ致スマシキナリ若シ心得違ヨリ右等ノ詐偽ア
ルトキハ縦令其身ハ幸ニシテ免ルヽトモ前ニ述ル処ノ弊害ヲ子孫迄モ残ス事
ナレハ政府人々ノ所有ヲ保護シテ失ナハシメザル処ノ主旨ヲ深ク思ヒ遠ク慮
ラザル可カラズ殊ニ隠田切添切開切畝歩等モ此度ハ特典ヲ以テ其罪ヲ問ハス
シテ其者ノ所有トナル事ナレハ縦令一畝歩ノ田地タリトモ隠スコトナク書出
シ券状ヲ受ベシ其二ハ租税ノ額旧来ニ比スレハ多少増減ナシトセズ此度ノ租
税ハ固ヨリ不公平ナルヲ公平ニ改正スル為ナレバ壱人一個ノ上ニアリテハ必
ス増減有ベキ道理ナリ譬ヘバ是迄一円租税ヲ納メタル地所モ改正後ハ一円五
十銭ト成ル類無シトセズ右ハ是迄年々五十銭宛他ノ地所ヘ割掛ケテ己レハ僥
倖ニシテ免カレシモノナリ亦旧来一円五十銭納メタル地所一円トナリタルモ
有ベケレドモ是ハ年々五十銭宛他ノ地所ノ為メニ割カケラレタル難渋ヲ今初
メテ免カレシナリ孰レモ此意ヲ了解シ今度ノ改正ハ一方ノ民ヨリハ多ク一方
ノ民ヨリハ少ナク収入スル等ノ積弊ヲ洗除シ全国人民ノ幸福ヲ保全スルノ主
旨ト知ラバ一人一個ノ上ニ損益アリトモ固ヨリ銘々ニ於テモ全国人民ヘ対シ
己レ一分ノ義務ヲ尽サザル可カラズ故ニ開良有智ノ人民タル者ハ政府タトヘ
改正ヲ要セザルモ人民必ス政府ヘ請願シテ其不公平ヲ正シ公平至当ナラン事
ヲ欲スベキ筈ナリ蓋シ国家ノ光輝ヲ増ス所以ノ者ハ人民各自ノ幸福ヲ達セシ
ムルヨリ先ナルハナク其幸福ヲ達セシメンニハ人民所有ヲ固フスルヨリ急ナ
ルハナシ其所有ヲ固フスルハ凡此地券法ニ如ク者非ズ抑此地券法ノ主旨ニ於
ケル固ヨリ公平中正毫モ偏頗アルコトナシ故ニ重ニ苦ミ軽キニ僥倖ヲ得ルカ
如キ幸不幸相距ノ甚シキ者ハアラサルナリ且方今政府ノ御主旨ハ物産諸税ノ
興ルニ随ヒ地租ハ百分ノ一ニ減少セシメント欲スルナレ共今俄ニ減少スルト
キハ直チニ国用ヲ欠乏スルヲ以テ暫ク百分ノ三ヲ課スト雖モ追々夫等ノ御目
的モアル事ニテ近ク之ヲ今日ニ徴スレハ曩ニ華士族及官吏ニ禄税ヲ施行スル
等ノ如キ政府百般施行ノ跡ニ就キ之ヲ視レハ蓋シ天下一民モ租税ヲ出サヽル
ナク彼ノ農ニ課シテ自余ノ人民ニ課セサル等ノ流弊ハ果シテ無キニ庶幾ラン
乎今茲ニ各人ノ心得ニモナランカト地租改正ノ大意ヲ弁明スル者ハ戸毎ニ説
キ人毎ニ諭ストキハ日モ足ラザレバナリ
明治八年九月十日 奈良県権令藤井千尋
第百廿二号
春来天然痘流行候ニ付而者種々及布告或ハ種痘医ヲシテ各所ニ派出セシメ其
予防法ヲ設クト雖トモ昨今又々此症ニ罹ルモノ有之哉ニ相聞畢竟其父兄タル
者嬰児愛育スルノ情深シト雖トモ其子ヲ愛スルノ道ヲ弁マヘサルヨリ醸成ス
ルコトニシテ甚以謂レナキコトニ候依而者嬰児ヲ育スル父兄ハ春来布告之趣
意ヲ能々服膺シ早々最寄之種痘医エ施術ヲ乞ヒ可申将種痘医無之箇所ハ戸長
役所或ハ会議所等エ承リ合セ施術可相受様注意可致此段相達者也
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年九月廿八日 奈良県権令藤井千尋
第百廿六号
今般当医局ニオイテ正則日々ノ学課別表ノ通決定来ル十月一日ヨリ授業候条
有志之者ハ入学可致此段為心得相達候事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年十月四日 奈良県権令藤井千尋
正則生徒日課表
┌─┬───┬───┬────┬────┬────┬───┐
│ │自八時│自九時│自十時 │自十一時│自十二時│自一時│
│ │至九時│至十時│至十一時│至十二時│至一時 │至二時│
├─┼───┼───┼────┼────┼────┼───┤
│月│数学 │理学 │ │解剖学 │複読 │体操 │
├─┼───┼───┼────┼────┼────┼───┤
│火│数学 │理学 │化学 │ │複読 │体操 │
├─┼───┼───┼────┼────┼────┼───┤
│水│数学 │ │化学 │解剖学 │複読 │体操 │
├─┼───┼───┼────┼────┼────┼───┤
│木│数学 │理学 │化学 │ │複読 │体操 │
├─┼───┼───┼────┼────┼────┼───┤
│金│数学 │理学 │化学 │解剖学 │複読 │体操 │
├─┼───┼───┼────┼────┼────┼───┤
│土│数学 │理学 │化学 │ │複読 │体操 │
└─┴───┴───┴────┴────┴────┴───┘
各大区正副区長
昨七年一月第壱号ヲ以道路掃除規則之儀及布達有之処兎角等閑ニ相心得候向
キモ有之趣元来市街郡村共汚穢不潔ヨリ人身ヲ害シ疾病ヲ醸シ候ニ付能々掃
除溝浚等可致殊ニ道路之儀ハ高低石骨ヲモ無之様世話行届キ候得ハ人民自然
弁利ヲ得候ハ申迄モ無之義ニ付尚熟レモ厚ク相心得兼而被立置候規則之通
銘々請持ヲ以怠リ無ク清潔ニ可致若シ相懈リ候向キ於有之者其筋ヨリ及糾方
ヘク候条区長戸長ニヲイテモ無油断注意可致事
但人家懸隔之往還掃除之義ハ左之雛形之通持場ヘ標木可建置猶持場判然難
致分ハ其都度可伺出候事
(図省略)
右管内無洩布達可有之候也
明治八年十月五日 奈良県権令藤井千尋
第百廿九号
浴湯ハ人身ノ健康ヲ養フモノナリ然レトモ湯ニ適度アリ若シ度外ノ熱湯ニ浴
スレハ必ス健康ヲ害シ種々ノ疾病ヲ醸スコト不少纔カ温度之違ヒヨリ薬トモ
又毒トモナルモノナレハ銘々注意無之而者難相成候条向後別紙条件之通屹度
相心得可申此旨布達候事
但別紙条件ハ湯屋毎ニ掲ケ来浴ノ者エ可相示事
明治八年十月九日 奈良県権令藤井千尋
別紙
営業心得
一火ノ元大切ニ可致事
一湯室ヲ美麗ニシ掃除無怠清潔ニ可致事
但往来ヨリ見透サル様取設可致事
一浴室男女ノ区別厳重ニ可致事
浴法心得
一温度九十五六度ヨリ九十九度迄適度トス百度以上過クヘカラス
一浴湯ノ時間大体三十分ヨリ四十分迄ヲ度トス是ヨリ短カクトモ妨ケナシ一
時間以上入浴スヘカラス
一食後ハ一時間経サレハ決テ浴スヘカラス尤空腹ヲ可トス
一酔中浴スヘカラス
一浴後直ニ潅水或ハ寒冷ノ空気ニ触ルヽヘカラス
但頭部ヲ潅クハ妨ナシ
一七十年以上ノ老人五年以下ノ幼稚或ハ病人等附添ノ者ナク独リ入浴不相成
事
但七十年以上ト雖モ格別強壮ノ者ハ此限ニアラス以下ノ者タリトモ老衰
シテ進退危キ者ハ独リ浴スヘカラス
一放歌ヲ禁ス
右之通屹度可相守者也
明治八年十月 奈良県
第百三十二号
管下ニ於テ開業医生ノ内医学志願アル子弟年齢十四歳ヨリ廿五歳迄之者並他
ノ管下ノ者ヲ生徒トシテ教育スル者及管内ハ勿論他管下エ医学志願ニテ入学
スルモノ取調之儀有之候条左之雛形ニ照準シ各大区毎ニ取纏メ来ル十一月八
日迄当医局エ差出可申事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年十月二十日 奈良県権令藤井千尋
(書式略)
第百三十五号
今般文部省エ伺済之上当県師範学校諸則別冊之通リ改定候条為心得此旨相達
候事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年十月三十一日 奈良県権令藤井千尋
(奈良県師範学校諸則略)
第百三十六号
是迄各区ニ於テ小学校新築之向有之処右ハ光線之返照並間取等不都合ニテ実
地授業困難不尠ノミナラズ生徒健康ノ妨害ニモ相成候教場モ間々有之過分之
資金ヲ以不都合之造作ニ相成候モ甚本意ニ悖リ候儀ニ付今後新築ハ勿論一時
之営繕ト雖モ可成丈ケ別紙図面ニ照準シ尚新築之向ハ一応伺出之上建築可致
儀ト可相心得事
但各地之高低乾湿ニヨリ予メ一定シ難キ儀モ有之候ニ付右ハ実地検査ヲ経
建築可致事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年十一月五日 奈良県権令藤井千尋
但シ絵図面ノ儀ハ小区戸長役場ニ有之候事
(図省略)
第百三十七号
医局ニ於テ患者ヲ治瘉スル儀既ニ相達置候処右規則中薬価往診料等別表之通
リ更ニ相定メ候条為心得相達候事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年十一月十二日 奈良県権令藤井千尋
医局薬価概表
┌───────────┬───────────┐
│水薬 一日分 価 五銭│丸薬 一日分 価 二銭│
│ 七銭│ 五銭│
│ │ 七銭│
├───────────┼───────────┤
│散薬 同 同 二銭│外用薬 同 同 二銭│
│ 五銭│ 五銭│
│ 七銭│ │
└───────────┴───────────┘
同往診料概表
┌────┬──────┬────┬─────┬─────┬───┐
│往診里程│奈良市中 │一里未満│一里以外 │二里以外一│滞在 │
│ │ │ │二里ニ至ル│里毎ニ増加│ │
├────┼──────┼────┼─────┼─────┼───┤
│管内 │初診三十七銭│五十銭 │七十五銭 │三十銭 │五十銭│
│ │再診十銭 │ │ │ │ │
├────┼──────┼────┼─────┼─────┼───┤
│管外 │ │ │一円廿五銭│五十銭 │一円 │
└────┴──────┴────┴─────┴─────┴───┘
○初診再診共渾テ此表ニ準シ納ムヘシ最局長助教ノ外代診ノ節ハ五分ノ二ヲ
減ス但奈良市中ノ者既ニ医局ニテ診察ヲ受ケ尓後往診ヲ請フ者ハ再診ノ往
診料ヲ納ム可シ
○奈良医局ニテ診察ヲ請フ者初診ハ二十五銭ヲ納ム可シ再診ヨリ納ムルニ及
ハス
○各医員回講ノ節該場ニ至リ診察ヲ請フ者ハ渾テ二十五銭ヲ納ム可シ
○同断往診ヲ請フ者ハ該場ヨリノ里程ヲ量リ概表ニ準シ往診料ヲ納ム可シ
○往診先ニテ診察ヲ請フ者ハ渾テ二十五銭ヲ納ム可シ
第百四十号
今般当県医局ニ於テ管下医生並薬舗取締規則等ヲ設ケ且毎大区ニ医局世話掛
ヲ置候ニ付テハ今後医術及薬舗開業廃業其他医学上ニ関スル件々ハ渾テ右世
話掛之奥書ヲ以可申出事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年十一月二十日 奈良県権令藤井千尋
第百四十三号
禁厭祈祷ノ儀ハ神官僧侶ノ外不相成候処平人ニシテ神仏ヲ敬礼スルノ余リ従
前ノ弊習ニ因リ妄リニ諸人ノ請求ニ応シ禁厭祈祷シ甚シキハ神下ケト唱ヘ妄
誕ヲ造リ或ハ神仏ノ夢想ト唱ヘ薬剤ヲ施シ又之ヲ売リ且病者ヘ薬法ヲ指図ス
ル等ノ者有之哉ニ相聞ヘ以之外之事ニ候向後右体ノ所業致候者ハ勿論右ニ類
似シ神仏信仰ヲ口実ニシテ他人ヲ誑惑シ信施ヲ受ル等ノ者有之ニ於テハ屹度
所置申付候条心得違無之様可致事
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年十二月八日 奈良県権令藤井千尋
第百四十九号
県庁事務分課左之通被相定候事
第一課 庶務
第二課 勧業
第三課 租税
第四課 警保 元警察掛
第五課 学務
第六課 出納
庁訟課 此迄通リ
右之趣管内無洩令布達候事
明治八年十二月廿七日 奈良県権令藤井千尋
第百五十号
本年太政官第百四拾号ヲ以国税[府県]税之区別公布相成候ニ付而者左ニ掲ク
ル業体之者エ来明治九年一月ヨリ県税新賦可致尤税則之儀者追而相達可申ニ
付右営業致シ度向者同年二月十五日限リ願書可差出此旨相達候事
質屋 古着古道具商
洗湯 小間物商
翫物商 [上菓子製雑菓子卸売]之類
三味線商 水車
諸芸人[清本 常磐津 地歌 長歌 舞 手踊等之指南 歌舞伎役者 角力取
浄瑠璃語り 軍談 浮レ節 新内 祭文 操人形之類]
但盲人ハ免税
諸問屋[米穀 材木 海魚 炭薪 綿 木綿 青物乾物 綛糸之類]
右之趣管内無洩相達スル者也
明治八年十二月廿八日 奈良県権令藤井千尋