発 刊 の 辞

会長 阪本 猷

我が大和国史会は、歴史、考古学等に関心を有つてゐる同人達が組織してゐる一つの団体である。云ふまでもなく、大和は、神武天皇以来平城の都に至るまで、代々、帝都の地として、我国の政治上、文化上の中心地であつたがため、多くの史実が演ぜられ、遺物遺構の豊富な事は、勿論である。平安遷都の後にあっても、南都寺院の勢力は、永く伝つて、国史の発展の上に、相当重要な関聯を持続し、皇家中興の時代に至つては吉野地方が、その舞台として史上に顕はれた事も、普く人の知る処である。たゞに神武天皇御東征以後の事歴のみならず、それ以前に於いても石器時代民族の住居の地として多くの遺物遺蹟が残され、現に最近発掘せられた吉野宮滝の地は、考古学上多くの示唆に富んだ材料を埋蔵してゐる。

実に大和はまのあたりに見る堂塔伽藍は云ふに及ばず路傍に捨てられた瓦の破片、さては農夫の鍬の先に掘出される一片の小石にも、深い研究の心を動かされざるを得ないのである。よつて昭和六年の秋此会を興し爾来毎月史蹟名勝地に臨地研究を、又夏季には斯道の大家を聘して約一週間学術講演会並に臨地研究を行ひ、更に大和に関する典籍の発行を企画し、以つて聊かたりとも斯道の研究と普及に、延いては皇国精神の発揚に貢献せん事を期してゐるのである。

今度発刊の「大和志」は史料史蹟の研究、普及の機関たるは云ふまでもなく、苟も、大和に関するものは諸家の論説、美術工芸、風俗伝説等各方面に渉つて登載せん事を期してゐる。又他の一面本誌は大和に於ける史料、史蹟に関するあらゆる事項につき、最も新しい報道を読者に提供するであろう。又、大和に於ける各月の行事の重要なるものを掲げ、そのあるものについては、起原沿革等簡単な解説を施し、一旅行者にとつても好伴侶たるを期したい。或ひは、又、大和に於ける古美術、古建築等について、趣味として研究を始められる人々のために、その手引ともなるべき初学講座の如きものも載せるであらう。

雑誌「大和志」は斯のやうな趣旨で創刊せられたのであるが、吾人の此の挙がやがて世の人に理解せられ、鑑賞せられ、引いては我が国体を深く認識せられるの一助ともならば望外の幸ひである。



 

編 集 後 記

 創刊号を広く世の人々に送る事が出来た。我々が過去満三ケ年に於て歩んで来た二つの仕事(1)毎月例会に史蹟と古美術の探究、(2)毎夏季の日本文化史講座、この以外に多角的な工作を正に劃図成り、飛躍を試みんとするに当つて此処に生れ出たのである。

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 本会の使命は云ふ迄もなく我が国体の認識と日本精神の涵養にある。従つて本誌も又此れに順応し、国史の大衆化を以つてその内容とする所である。

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 我々は号を追うて、専門的に通俗的に、所謂大衆化の使命を発揮する事に務めると共に、宝庫としての大和に関する発見物に就てのニュース(法隆寺修理の際に於ける発見、二階堂遺跡発掘の経過等々)を逐次報告する予定である。

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 本誌は定価の低廉なるに反して内容の豊富なる新編纂として正に誇るに足るべく、大和を語る者の必携すべき好伴侶たることを我々は固く信じてゐる。幸ひ御知友各位への御吹聴を切に乞願ふ次第である。

 

(『大和志』創刊号 昭和9年10月1日)