幡 鎌 一 弘 編

  解   説

 ここにあげるものは、明治五(一八七二)年四月から明治九(一八七六)年四月までの間に、奈良県が発布した法令の中から、編者の関心に従って、宗教政策を中心とし、さらに開化政策に関わる法令を翻刻したものである。

 底本にしたのは、奈良県立奈良図書館所蔵の「奈良県布達」(旧式下郡辻村文書)、藤田文庫文献資料集の「奈良県布令書(明治五年四月〜七月)」(091-5-22)「奈良県布達書(明治五年八月〜一〇月)」(091-5-7)、及び奈良県庁文書学事課永年倉庫から一九九三年に同館へ移管された諸簿冊(別表参照)である。いずれも印刷物でかなりの重複がある。同館山上豊氏の御教示によれば、県行政文書の奈良図書館移管は、一九六三年の県庁建て替えに際し、廃棄文書が同館に保存されたことに始まる。その後歴史的文書保存利用研究会(県文書学事課内)が発足し、その調査結果に基づいて、一九九三年から新たに移管されることになった。一九九三年以後の移管簿冊原本は奈良図書館で閲覧できるが、複写については、県文書学事課のマイクロフィルムから行うことになっている。これに欠ける分は、奈良市史編集室が『明治初年布告・布達類目録(第一集・第二集)』(一九八三年三月・八四年三月)としてまとめた、奈良市立史料保存館所蔵複本(大和郡山市八条町有文書等)によって補い、当該期に印刷された布告のほぼすべてをみることができるようになった。

 これらとは別に、内閣文庫所蔵「大阪府史料」(「府県史料」の内)の中に「旧奈良県達令(明治五年〜九年)」という簿冊がある@。これは法令のすべてを掲載したのではなく、回達等はほぼ除かれていて、奈良県が主体となって発布した法令集となっている。ただし、写しであって原本と表記が異なるため、ここでは原本を優先した。

 当該期の関連する法令集には、全国的に纏まったものとして、『庶民生活史料集成二一 村落共同体』Aに所収されている「府県史料<民俗・禁令>」がある。ただし、奈良県についていえば、わずかに慶応四年の一点が採用されているだけである。また、高橋延定氏が「明治初期奈良県に於ける大麻配布に関する史料」Bとして、ごく一部ではあるが翻刻している。各個別研究、団体史・市町村史にも引用されているが、今回の整理によって、「府県史料<民俗・禁令>」で欠けていた奈良県の宗教・開化政策に関する法令をまとめて検討することが可能になるはずである。

 なお、奈良県法令集が翻刻されたことはないが、堺県(明治九年四月一八日から奈良県を管轄)に関しては山中永之祐編『堺県法令集』一〜四(羽曳野史料叢書五・六・七・八、羽曳野市)があり、大阪府(明治一四年二月七日から堺県を管轄)については、明治一六年一二月までは『大阪府布令集』一〜三(大阪府)がある。特に前者は網羅的であり、奈良県とのかかわりも深いので参考にされたい。

 さて、明治四年七月の廃藩置県によって、大和国では幕藩領に対応して、一五の県域に分かれたが、同年一一月二二日、新県改置によって大和国を領域とする奈良県として発足した。ここで扱うのはこの新県改置後から堺県への併合までであるが、実際には明治五年三月までは事務引継期間であり、明治五年四月の地券規則書が第一号になっている。置県後約半年で本格的な行政が開始されたことになるC。

 廃藩後の地方制度が整備されつつある時期といってもよいが、特に明治五・六年は、民俗行事・習俗への抑圧が一般化するという指摘が、安丸良夫氏によってなされているD。奈良県においても、明治五・六年の四条県政期については、既に高橋延定氏が「四条県政期に於ける民衆教化政策について」Eで、その積極的な開化政策を検討し、「民衆生活の全体に渡る生活態度の改変と正統な神々の受容が、民衆教化政策として強制された」と結論付けられている。たしかに、四条県政期の開化政策は、興福寺の廃寺処理に象徴されるようにかなり強引なものであった印象が強い。しかし、いうまでもなくこの時期は、近世社会と異なる社会システムへの変更期である。例えば、寺請という極めて宗教的な戸籍から属地主義による戸籍制度への転換、私的な問題であった教育や医療(健康)の国家管理、また、身分として社会的な地位を保っていた僧侶が私的な職業へと変化し、一方神職は官僚化する。近代化による民俗の抑圧、あるいは神道と仏教の分離という思想的な動向は従来非常に重視されているが、地域社会で何が公共の場で何が私的なものとして理解されていたのか、あるいは近代における「官」「民」の区別や、それらの近世社会からの変動等を含めて、開化政策をあらためて検討する必要があるように思える。

 また、四条県政期より比較的穏健ともいわれる藤井千尋県政期(明治六年〜明治九年四月)にあっても、開化政策は連続的に積極的に行われていることに注意したい。

 ところで、わずかではあるが、起案書の中に会議所或いは中教院・医者等の建議書が見出せ、また、本文中から建言の存在がうかがえるものもある。政府の意向を受けての法令制定・公布、あるいは県令の開明性だけでの県行政の説明では不十分なのはいうまでもないが、こうした問題については、本史料の拾遺の視線を含めて別に論じることにしたい。

 今回の法令整理に際し、宗教政策にあっても国の法令の回達のみの場合は極力省略している。それについては、既にいくつかの整理がなされているからであるF。また「府県史料<民俗・禁令>」を見る限り、各県の布告であっても、かなりの共通性があって、何をもって県法令と考えるか難しい。ここでは、発布主体が県令・県で、文中に国からの法令をそのまま引用していないものを基準にした。また開化政策のいくつかの要素、例えば教育・勧業・医療、さらにそれらを推進する地方自治・警察等一つ一つの制度の変遷をすべて網羅したわけではない。本来ならば、それらすべてを掲載すべきであろうが、おそらく法令全部を掲載しなければ、問題は解決されないだろう。ところが、番号のつかない個別指令、県内地域での違い、あるいは広い意味では会議所等からの指令もあるが、それらは未調査のままである。よって総ての法令を網羅するというのではなく、制度の趣旨や基本的な内容を持つ法令の幅広い掲載を原則としたことをお断りしておく。

@「府県史料」の細目については福井保「「府県史料」」の解題と内容細目」 (『北の丸』二号、一九七四年三月)参照。今回は大阪府立中之島図書館所蔵の複製本によって確認した。大阪府史料に含まれたのは、同史料編集期に大阪府が旧奈良県を管轄していたからである。

A一九七九年一二月、三一書房。

B『仏教史研究』一五号、一九八一年一〇月、のち日本近代思想大系『宗教と国家』(岩波書店、一九八八年九月)所収。

C江戸時代には奈良奉行の一国支配権が認められるが、維新によってそれが解体し、旧幕領を中心とする奈良県が成立してからの一時期、広域支配権は解消した。そのため、新県改置以前は氏子守札渡しなどの整備は不十分であった。拙稿「大和国における神社制度の展開」(『神道宗教』一四八号、一九九二年九月)参照。

D『神々の明治維新』一七四頁(岩波書店、一九七九年一一月)。同「近代転換期における宗教と国家」五三九頁(『宗教と国家』所収)。

E『仏教史学研究』二五巻第一号、一九八二年一二月。

F最新のものとして宮地正人作成「宗教関係法令一覧」(『宗教と国家』所収)がある。

[付記]今回の史料収集に際してお世話になった、奈良県立奈良図書館山上豊氏・奈良県文書学事課岩本敏氏・同山口豊仁氏・奈良市教育委員会・奈良市立史料保存館・大阪府立中之島図書館にこの場を借りてお礼申し上げます。


[別表]奈良県布告・布達にかかる奈良県立奈良図書館所蔵行政文書(新規移管分)

奈良県立奈良図書館整理番号 簿冊名 文書学事課番号 マイクロ番号
明5-A-30-1 布告留(明治五) 9052895 M5
明5-A-32 御布告留(明治五〜六) 9052978 M6-1
明5-A-33 当県布告全書(明治五〜六)    9052986 M6-1
明6-A-20-1 管内布告留(明治六)  9052937 M6-2
明6-A-20-2 管内布告留(明治六〜七)      9052929 M7-2
明6-A-21-1 諸布達綴(明治六) 9052952 M6-2
明6-A-20-2 諸布達綴(明治六)  9052945 M6-2
明6-A-22   管内限布達(明治六)     9052960 M6-1
明6-A-23  当県布告全書(明治六)      9052994 M6-1
明6-A-26  管内布達綴(明治九)・黜陟一件(明治六)・丙号達(明治一六)・府県制例規(全)   9052804 M16 
明7-A-21-1 管内布告留(明治七) 9053026 M7-1
明7-A-21-2 管内布告留(明治七〜九)    9052903 M9-1
明7-A-22-1 管内布告(明治七)  9053000 M7-2
明7-A-22-2 管内布告(明治七)    9053018 M7-1
明7-A-23    市在布告(明治七〜八) 9053034 M7-1
明8-A-25   管内御布告留(明治八)   9053075 M8-1
明8-A-26-1 管内布達書(明治八)  9053109 M8-1
明8-A-26-3 管内布達書(明治八)  9053117 M8-2
明8-A-29 布達及達之件 但諸決議ノ件共 9053141 M8-2
明8-A-30 市在布告  9053042 M9-1
明9-A-10  管内御布告留 9053174 M9-2

(初出は『天理大学おやさと研究所年報』第2号)