足を洗う
悪事や、いやしい職業の世界から抜け出ること。
語源   
 仏教からの言葉です。昔のインドでは、僧は、一日中はだしで歩いて托鉢の修行をしていました。庵にかえってくると足はすっかり泥だらけ。その足を洗い清め、心身共にきれいになることで一日の行を終えたということです。その後、庵の中で説法などを行いますので、世間を「迷いの世界」、庵の内を「救いの世界」、と見立ててきちんと区別していたのでしょう。それが、「汚れたもの=世界から抜け出る」という意味と重ね合わされて、今の「悪事や、いやしい職業の世界から抜け出ること。」という意味に使われるようになりました。
 ただこの習慣は、インドの修行僧に限ったことではなく、日本各地の「接客を生業とした女性たち」の間でもあたり前の習慣にもなっていました。日本では、その生活パターンと重ねて使われていることも多いと思われるので、本当の意味で広まった語源は、日本の女性たちの生活習慣と言えるかもしれません。

■始まりは「手」を染めるのに終わりは「足」を洗うと表現するのはなぜでしょうか。お隣の中国では「手を染め」て「手を洗」う、どちらも手で表現しています。日本で足になっているのは、やはり別々の語源から生まれた表現がたまたま結びついたと考えるのが妥当でしょう。ただ、単なる偶然だけでは簡単には広まりません。それなりに納得のいく背景が必要でしょう。
 そこで考えられるのが次の2点です。「物事を始めるのは手。手を染めて、腹黒くなって、終わりは、からだ全体が抜ける足を洗うという、上から下への流れになっている。」「悪いことに手を染めて、やめるときには足は洗うが、完全にきれいな体には戻れない=汚した手は汚れたまま罪は消えない、という思いを込めている。」こんなニュアンスがぴったりあてはまって、多くの人に使われるようになったのでしょう。
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