あいさつ(挨拶)
人と会ったときや別れるときにとり交わす、儀礼、応対のことばや動作。手紙の応答のことば。
語源  
 「挨(あい)」には、「押す、背中を叩く、開く、押しすすむ」という意味があります。「拶(さつ)」には、「責める、迫る、はさみつける、押しつける」という意味があります。両方ともに「押す」という意味があることから、禅宗ではこれらを並べて、門下の弟子僧の悟りの深さを試すための問答のことを「一挨一拶(いちあいいちさつ)」といいます。問答は「複数で押し合う」という意味ですので、それを日常生活にあてはめて、安否や寒暖のことばを取り交わすなどのお互いの儀礼をあらわすようになりました。後に略されて「挨拶」となり、おじぎや返礼のことも「挨拶」というようになりました。
 「あいさつに行くぞ!」と、隠語として「仕返し」という意味で使われたり、「あいさつ切る」という用例のように「人との関係」や「縁」という意味でも使われます。

 ■『碧巖録<第二十三則 保福の妙峰頂>』にある記述は次のとおりです。「垂示に云く、玉は火を將て試み、金は石を將て試み、劍は毛を將て試み、水は杖を將て試む。衲僧門下に至っては、一言一句、一機一境、一出一入、一挨一拶に深淺を見んことを要し、向背を見んことを要す。且く道え、什麼を將てか試みん。請う擧し看ん。」『碧巖録』は、正式名称は『仏果圜悟禅師碧巖録』といい、中国、宋代にできた禅の公案集です。全10巻。禅の修行の道標となる話100則に圜悟克勤が評釈を付したものです。文学的にも優れているために、修行僧が参禅実習をおろそかにして、読みふけってしまうという弊害があらわれてきたので、圜悟の弟子大慧宗杲が焼き捨てたという逸話があります。元(げん)の時代になると禅宗第一の書となり、禅宗、特に臨済宗の重要な典籍になりました。

 ■日本の挨拶は、頭を下げて腰を屈めてお辞儀をしるのが標準です。立礼と座礼による違いがあり、手の置き方、足の揃え方、座り方などにも作法があります。欧米では握手やキスが主流で、特に握手は世界中に広がっています。「両手を合わせて膝を下げる」「左手を胸まで上げる」「両手を胸において頭を下げる」「両頬を交互にあてる」「鼻をすりあわせる」などいろいろな習慣があり、その場の状況に応じて、協調・信頼・畏敬などさまざまな社交的な役割を果たしています。

 ■正月礼・盆礼などの年中行事や、婚礼・葬礼などの通過儀礼に見られる挨拶を「晴れの挨拶」といいます。晴れの場で大切にされるのは「つきあい=義理」と、特別な言動を表現する「挨拶」です。ことばとしては、祝儀・吉事に「おめでとう」、不祝儀・凶事には「ご愁傷さま」が基本です。その後、お決まりの口上を述べることもあります。それに伴う「身ぶり」も祝意もしくは弔意を丁寧に表明するものとして必要です。挨拶のことばには呪術的・宗教的祝福の意味が含まれていることが多く、フランス語の「メルシー(merci)」なども「神の恵みを」という神への感謝からおこったことばです。日本語の「ありがとう」も、もとは「ありがたし=有り難し」で、「ありえない」「あるのが不思議だ」と神や仏の徳をたたえる意味から生まれています。神仏に対する「かたじけない」「もったいない」と感謝・喜びの気持ちがお礼のことばに定型化していったのです。現在、日常の挨拶ことばはほとんど様式・定型化されてしまっていて、たとえば、「おはよう」は早朝の挨拶ことばで、「早く起きましたね」と相手の勤勉を誉めたたえる意味がありましたが、今は、その心遣いを「おはよう」ということばに含めて言うことはほとんどありません。晴れの挨拶は、形式をきわめて重視し省略を許さないことがほとんどですが、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」「ありがとう」などの日常の挨拶は短く簡略化する傾向があります。最近広まりつつある「あけおめ」も、正月儀礼が軽く扱われるようになった証拠でもあり、いずれ定着した表現になるかも知れませんね。