ひらがなとカタカナは漢字からうまれたの?
 日本に漢字を伝えたのは、朝鮮半島から渡来したたくさんの古代朝鮮人です。言語の構造が朝鮮語とよく似ているので、音韻体系が単純な日本語を漢字で表すことは渡来人にとっては簡単なことだったかも知れません。はじめのころは、日本語の読み書きができたのは、ほぼ渡来人に限られていたのではないかと思われます。古代の日本人が、信じられないような短い期間で漢字を用いて自分たちの言語を表記できるようになったのは、日本人の勤勉さもあったかもしれませんが、渡来人の力が大きかったのではないでしょうか。

 文字を覚え、漢語を学び、漢文で文章を書けるようになった日本人ですが、もともと日本にしかないものを表現するためには、自分たちで表現を考えなければなりません。新しい文字をどんどん創作するわけにもいかないので、まずは、漢字の読み=発音だけを借りて「話している日本語にあてはめて」書くようになりました。

 よ・の・な・か・は(世の中は) → 余能奈可波 
  これは漢字の「音読み」を借りているので「借音」といいます。

 はる・すぎ・て(春過ぎて) → 春過而
  これは漢字の「訓読み」を利用しているので「借訓」といいます。

 借音を使えば、一応すべての言葉が表記できますし、借訓をあてれば、使う文字が少なくてすみます。日本語の音節の数は、約100種です。奈良時代にはもっと細かい発音の区別があったと考えられますが、すべての発音に漢字を割りあてることは難しくなかったでしょう。

  例えば、朝鮮語の音節はとてもたくさんあったので
  すべてに漢字をあてていくのはとても難しいことでした。
  日本と同じように漢字を利用しようとしたがうまくいかず
  朝鮮では十五世紀にハングルが創作されるまで
  漢文=中国語で表記する状態が続きました。


 もうひとつ。日本の文化の中心であった和歌を表記しようとすると、難しい問題が生まれてきます。歌は単純に意味さえ通じればよい、というものではなく、歌う=音の響きも楽しむものだからです。しかも、日本語には中国語にない助詞や助動詞が多く、動詞の活用も頻繁です。どちらかといえば「借音」によって、一音一字で表記しなければならないことが多かったのです。そのため、だれでもが読みやすいように、「同じ発音はいつも同じ漢字で表そう」ということになってきました。

 その後、みんながだんだんと同じ漢字を使うようになってきたら、「何度も書くのだから字形をくずして簡単にしたほうがいい」ということで漢字を思い切ってくずした「ひらがな」や字画の一部だけをとった「カタカナ」が生まれて、広まることになりました。

  安加左太奈 → あかさたな
  伊呂八仁保 → イロハニホ

 こうして漢字で表したほうがよいところは漢字、表せないところは仮名という「漢字仮名交じり文」が成立し、現在の日本語表記の標準になっています。

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