●尊敬語(そんけいご)

相手の言動を表現する言葉遣いです。


相手に対する呼びかけや、相手の言動には尊敬語を使います。
尊敬語についてはいろいろ議論されることが多いので、私なりの整理をしてみます。

  尊敬語を今まで通り大切にしていきたいと思っている人の考え方。 

   ●日本の国の伝統・文化を大切に守っていきたい。
   ●私たちを成長させてくれているお年寄り・先人・先輩たちに対しては
    きちんと敬意を表するのが人としての自然な心の働きである。
   ●複雑な人間関係の中で、お互いが気持ちよく生活していくために、
    マナーとして必要である。
   ●日本語の細やかで情感豊かな表現は、素晴らしいと感じる。
   ●態度だけではなく、自他共に敬意を表するために
    明確に言葉でも敬いの気持ちを表現すべきだ。
   ●丁寧語・謙譲語だけではストレートな敬意表現ができず
    逆に日本人の悪い面が引き立つことになる。
   ●言葉は正確に伝わってはじめて役割を果たすものだから
    積極的な表現をするべきだ。

  尊敬語にこだわりすぎることは時代遅れだと感じる人の考え方。 

   ●国際化が叫ばれている現在、外来語や若者語を含めて日本語は
    もっと柔軟であるべきだ。
   ●他国の言語体系では、「敬称なし」の方がより親しみを込めた
    礼儀ある姿勢にあたる場合もあるから、尊敬語にこだわる必要はない。
   ●個性や実力で評価されていくべき現代社会にはなじまない。
   ●気持ちを伝えるにあたり、ストレートな表現の多い英語の方が
    優れた言語だと思う。
   ●慎ましい謙虚さが日本人の消極性につながっている。不要な気
    づかいや差別的社会構造の一端を尊敬語が担っている。
   ●自分に主体を置く謙譲語の方が、より日本的な情感を表現でき
    るのであって、尊敬語は不自然なときがあり、今の時代にあわない。
   ●言葉は自由に使うもので、あれこれ表現を束縛すべきではない。
   ●尊敬の念は、態度だけで十分通じる。


どちらの流れが自然なのか、という観点では、
それぞれの人の生活環境や教養で判断が変わってくると思います。
つきつめて言えば、日本語=日本のお国言葉をどうとらえるのか
ということです。

伝統は、生きる指針として大切にしていきたいものです。
しかし、それに縛られるだけでは言語の発展はありません。
現在の「文語」のように生活感とかけ離れた言葉になってしまうでしょう。
ただし「文語」は、「恋愛」「遊び」「学問」の中心が言葉であった時代に作られ、
和歌や物語集などの作成にあたり、皆が一言一言に心を砕き
発音、表現のすみずみにまでこだわった完成度の高い言語であることも事実です。

社会の情報化が進み、諸外国の文化が日常にどんどん吸収されていく中で、
まだまだ閉鎖的な島国の「ことば」をこの先どうしていくのか、
という問題を尊敬語は抱えているのです。

短い命を哀しみ、自然をおそれ、神に祈りを捧げ、
すべての情感を言葉にこめていた、
「万葉時代のやまと歌」という原点に立ち戻って考えてみれば、
おのずから「日本のお国言葉」に対する答えはでてくるような気がするのです。