●家庭での敬語
現在の日本の家庭は、教育的な機能が弱くなりました。「家庭」という表現自体があてはまらないことも多いと思います。「家族」という言葉の定義も、もう一度考え直さなければいけません。さらにいえば「親」とは何か、こんなことさえ、はっきりしなくなってきました。問題点の指摘はできるが、自らが実践できない親。権利は徹底的に主張できるが、義務はできるなら避けたい親。子どもたちの前でいい手本になろう、という教育的自覚の不足した親。新しいことや知識は親よりも子どもの方がうわて。知識、体験、柔軟性、体格、すべてで子どもに負けたようになり、子どもを教え諭すことができない親。マナーやモラルを身につけられないまま大人になった親たちには、敬意をもつことや言葉だけでなく、生き生きとした人生すら子どもの世代に伝えられないとしたら困ったものですが・・・ 昔は時の流れがゆっくりで、お年寄りの知識はそのまま時代の生きる知恵でした。 今の時代の流れの速さの中では、年をとるほど時代遅れになる。大人が高校生のブームに合わせて受けをねらったり、若い世代にこびる大人が増えました。いろいろ若者の問題が取り上げられ騒がれていますが、それらは若い者の責任ではなく、そういうふうにしか育てられないおとなたちのせいだ・・・ということは、おとななら誰もがわかっていることです。 子どもはやはりおとなを見ています。「挨拶をしなさい」と愚痴を言う前に、自らが挨拶しましょう。「言葉づかいがなってない」と嘆く前に、自らが実生活の中で手本をみせましょう。家庭というのは、学校なんか足もとにもおよばない、大切な大切な教育現場です。懇談や面談で「父が好きです」「母を尊敬しています」という子どもたちの親には、はっきりとした傾向があります。 1.仕事か趣味か、何か好きで夢中になることを持っている。 2.他人をほめることができる人である。 子どもにとって、確かに輝いていて魅力があるのです。自然に敬意が生まれてくる、そんな環境がうまれたなら「敬語の正しい使い方が・・」ということもなく、自然に敬意表現ができるようになるかもしれません。 |