●「おられる」について フッタ

結論からいうと、

 ●「私ならここにおります」と、自分に使うのは正しい用法

 ●「横井先生はおりますか」と、敬意を表すべき相手に使うのは誤用

 ●「今、水瀬社長はおられますか」は、誤用とも正しい用法ともいえる。

ということになります。

「おる/おります」というのは、「いる/います」を丁寧に表現したもので、厳密には尊敬の意味は含まれていません。


●「鳥、岩の上に集まりをり・・」(鳥が岩の上に集まってじっとしており・・土左日記)

 「をり」は、もともと、物事が継続している状態をあらわすことばで、上の例のように「おる」は動詞の後ろについて、その動作の継続を慎み深くあらわす性質をもっていました。その後、ある状態にじっと固定されている=縛られている、我慢する立場、という意味あいから
自分を卑下する語=謙譲語としても使われるようになりました。「”おる”は謙譲語だ」と定義すると、相手側の動作に使うのは正しくないといえます。


 敬語は人間を対象にしか使われません。あくまでも、対人関係を表す表現だからです。ですから、「鳥がおる」「雨が降っております」は、単なる丁寧語の「おる」です。
 同じ用法の「私はここにおります」も、丁寧語の「おる」が本来の意味のはずですが、この言葉に丁寧さを超えた敬意を感じるようになり謙譲語の「おる」としても使われるようになりました。この丁寧語の「おる」から謙譲語の「おる」へと変化したことによって言葉の使い方がまだ混乱しています。

 丁寧語の「おる」に尊敬の「れる」をつけて、「おられる」と使うなら、丁寧語+尊敬語の形は語法上矛盾しないし、正しい表現だといえるでしょう。一方で、謙譲語の「おる」に尊敬の「れる」をつけて、「おられる」と考えるなら、謙譲語+尊敬語で矛盾した敬語の重なり、という点で、誤用だといえます。

 関西地方を中心に尊敬の意味で「おられる」が使われているので、もう「おられる」は尊敬表現として定着しているといえると思います。



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