故事成語

顰みに倣う
 荘子孔子の弟子たちにたとえ話をしました。

 「呉の国と越の国は、激しい戦いを繰り広げましたが、最後には呉の国が越の国を撃破しました。負けた越王の句践(こうせん)は、呉王にひれ伏して、ご機嫌をとるために絶世の美女と言われていた西施(せいし)を連れてきました。呉王の夫差(ふさ)は、美しい彼女をとても愛して、西施の名は絶世の美女として今の世まで伝わっています。

 西施がまだ故郷にいたころ、胸の病気にかかったことがありました。痛みのために胸を押さえて、時々、眉(まゆ)を顰(しか)めていました。その村のある娘が、西施のその表情を見てとても美しいと感動し、胸に手をあてて顔を顰めて、村の中を歩き回るようになりました。美人ではないが、すっかりその気になっておかしな顔で歩き回るので、みんなは「気がおかしくなってしまったのか・・」と心配するようになりました。村の金持ちたちは堅く門を閉ざし、貧しい人たちの中にはあまりにも不気味だったので不安に思い、妻子を引き連れて村を逃げ出す人もいたそうです。その娘は、西施の眉を顰める姿が美しいということはわかっても、その表情がなぜ美しいのかわかっていなかったのです。

 残念ですが、あなた方の大先生である孔子もこのたとえ話と同じです。昔の聖人のまねばかりしています。このままではいずれ行き詰まってしまうでしょう。礼儀、制度、価値観は、時代にあわせてどんどん変わりゆくものです。大切なのはありのままを受け入れる姿勢ではないでしょうか。」
■ 事の善悪を考えず、人のまねをすること。人を見習って何かをするときに、自分を謙遜して使う。

<例> 顰みに倣うだけでは、いい仕事はできないよ。
●「虚無」を尊んだ荘子にとって、「礼、孝 仁、忠」を根本とする儒家の思想は全く反対の考えだった。