東大寺は、大仏殿完成後、天平時代の終わりには雄大な七堂伽藍が整った。築地塀が境内を巡っていたが、今は南大門、転害門のみを残している。 転害門は、大仏殿の北西、一条通りに面して、東大寺創建時より建つ八脚門で佐保路門ともいわれる。
転害門から、法蓮、法華寺にいたる一条大路は「佐保路」、佐保川から佐保山にかけての一帯は「佐保の内」とよばれ、貴族たちの住宅地であった。梅や柳が過ぎてしまうことを惜しんで、春日野にでかけて遊んだことが、 御所中響き渡るようなうわさを立てられたことだ。 梅柳 過ぐらく惜しみ 佐保の内に 遊びしことを 宮もとどろに
万葉集 6-949