古希の京都道中記:2009年3月20日〜21日           Update: July 4, 2009


玉島高校33年卒同窓会



「古希の京都道中記」    平成21年320日() by 逸見邦夫

春爛漫にはまだ早い京都に、26人が参加した古希の集いの報告をする。

この日を楽しみにわくわくしていた人は、多かったらしい。幹事の努力でよく同窓会をしているが、京都開催には横内さんの執念があった。案内は午後1時集合、霞橋では2時出発とあった。京都駅に12時45分に到着。駅前が狭い感じがした。ちょっと肌寒い、歩いて行く途中2回尋ねて、やっと和泉屋旅館着、もう大勢来ていた。皆さんと、久しぶりに挨拶した元気そう。

他方、来る前に宇治に寄って時間を活かしている人達(池田、井谷、古谷、森分さん)がいました。古谷さんがガイド役で平等院を見学していました。

2時過ぎにタクシーに分乗し三十三間堂へ、みんな駐車場に入ってメータが上がったと悔しがる。案内の標識が日、英、中、韓の4ヶ国語でグローバル化を感じる。

入って多くの立像を観る。1001体の観音立像は知っていたが、中央の中尊、両端の雷神(入口)、風神(出口)の観音二十八部衆像(我々と等身大)は知らなかった。これらは国宝である。みんな熱心に見学しているためか進んで来ない。へーこう言う事なのか、あるいは、これが見納めか・・・先頭と最後で小一時間も経っていたのでは。湛慶グループによって作られたことも初めて知った。阿修羅象の説明で阿修羅は正邪両面あると、悪神と思い込んでいた。

<阿修羅はインド神話の悪神。釈迦によって教化されたとみなす場合仏教の守護神>  堂の西側の通し矢・競技場が結構長いように感じた。

・次に養源院へ行く、直ぐ東にあるとはつゆ知らず、庭の桜が蕾から咲きかけんと。本堂の廊下の天井は血天井と言われている。伏見城が石田三成勢によって落城時、徳川方が死守し、最後は自刃しその板の間が血染のままにおかれた。霊を弔うためにその板を天井に使った由。

俵屋宗達が襖、杉戸に象、獅子と麒麟を描いていて、その表現が奇抜である。こつこつ働いている姿と、遊びというかパーフォーマンスのポーズを対照的に表現している(絵は国宝)。アリとキリギリスを表現したんだと、良く描いたものだと感心し、江戸時代に描いたことに驚いた。廊下はすべて左甚五郎による鶯張りで今も鳴いている・すごい。知らないこと、初めて教わることで興味がわき、それに、まだまだ知識欲もあるじゃないか古希にしてはと思ったりして。

2箇所とも良かった。殆どの人は初めてか、久しぶりだっただろうと思う。帰りは、歩こうかの声もあったが、ちょっと遠い、タクシーで帰館。6時から食事それまで自由、各自部屋に落ち着く。5人が相部屋にお茶を飲んで一服して、浴衣に着替えて風呂へ。4階からエレベーターで、直ぐ3階でストップ、金髪のお嬢さん二人が浴衣でゲットイン。

フォェアードゥーユーカムフロム? デンマーク。

ホェン ディジューカムヒアー? イエスタデー。 ジスデイ。

ツデイ、イエスタデイ トーキョウ。

B1着。風呂で疲れを取り、外へ出ると、金髪の二人がソファで休んでいた。そしたら高校生か?の声。ハイスクール? ノー。 スチューデント? イエス。

ハプニングはここまで。デンマーク人と会ったことは、もしかして初めて。

だって人口30万人だよ。兵庫県より少ない。もっと話せばよかった残念。           

部屋へ戻り、鍵、金庫など確認して5階の広間へ。

この頃宇治から女性4人が到着。安藤さんは明日の朝来ることに。

6時夕食・宴会の始まりです。野田さん挨拶、乾杯。(野田会長の玉高創立100周年記念事業の大役と完遂は見事でした:刻苦勉励)食事は懐石風で先付、前菜、おつくりは、鯛、さより、車海老・・・美味しくいただいた。

瀬戸内の美味しい魚料理に慣れた人は、どうだったかな・・・

その間来年どうするか、宇奈月(富山県)案も出て、明日の予定、名簿と卒業写真が配布された。写真で自分がどれか分からない人もいれば、転校してきた彼女を見つけたりして、ひと騒ぎあった。カラオケはいつもより挑戦者が少なかった。横内さんの「われら人生60から」をみんなで歌った。昼の封筒には横内さん手製の絵と添え書きがあり、全員異なっているそうです。毎夜われわれのために描いた。その絵は親の遺伝子が・・・と想像した。

酒、ビールは銘柄が好みと合わない人もいました。みなさん量はほどほどで済ました様子。それぞれ久しぶりの友好を暖めて、校歌でお開き。

続きは各部屋で旧交と今昔の話は山ほどあったことでしょう。両佐藤さんが母校の後輩に高校時代の話をしたら・・真面目な真剣な検討がありました。

そして明日のハップニングを知るや知らずや白川夜船となったでしょうか。

3月21日(土) 快晴

日目の朝は、5時本願寺の鐘の音で始まった。朝の早い人はもう起きて、西本願寺に参って来ました香西さん。外は5度で、寒かったと。

両佐藤氏も早々に起床して最後7時前までは木下、逸見でした。各部屋ではどうだったでしょうか。身支度後、佐藤芳範さんが7時半より前にもう用意できているから行こうと。一番に着席したが、こんなことは自分では珍しい。

ここで、皆さん実力の片鱗を見せました定刻前に全員着席。周りからさすがの声あり、立派なものです。ちゃんときちんとやって!

朝食(定番)も美味しかった・ビールの人もいました。

9時の出発までに佐藤芳、木下さんと逸見三人で荷物を駅のロッカーに置きに行くことに。行きは重い帰りは軽い。女性(井谷、佐藤)はその時預けに行きました。この時池田さんは東京・品川へ、藤田さんは帰宅となりました(ご主人の術後初めての外泊であったとか、お大事に)さようなら。

他方、安藤さんが到着、家族から間に合うように気を遣ってもらって。

9時、道路を西に渡って西本願寺側からタクシーで高台寺へ。秀吉夫人の北の政所が開創した寺。開山堂に当時の衣装が展示してあり、女性はねねの小袖に興味があり質問していた。その色、特に赤が鮮やかである。そして上に目をやると、秀吉が朝鮮出兵の御船の天井を格子天井に使っている。その色、模様から彼の派手好みが分かる。政所の御所車を彩色天井に用いて、これも豪華。これらに比べると、霊屋(おたまや)にある二人の木像、寺全体もどちらかと言えば質素な感じがした。それは火災で多くの堂を失って、最初の壮観な寺観は無いと言われている。この辺り皆さん結構早く進んでいったようです。

外に出て、円山公園まで散策。公園入口で一休みし写真を撮ったりして、ソフトクリームを食べる人も。広い場所で兼述さんの服装・紺のストライブのスーツとハットが目立つダンディである。特にハットが珍しく目印に良いと思った。

後続の何人がいない・・・・今、出たところ(高台寺・掌美術館に行っていた)そうしているうちに、来た来た・・・・となっていました。

 後程、美術館に行かなかったの?券が付いていたじゃないのと、大島さんに言われ。一瞬しゅんとなった。

その頃、高台寺の前で、ただ一人になっているヒトがいました。

そんな時、円山公園入口の菊池さんの携帯電話が鳴った、菊池「今、京都にいる、高校の同窓会で」解説:「伊藤です」の声で菊池さんは東京の伊藤さんと思い込んでいた。声が違うと思ったが。一方伊藤さんがなぜ菊池さんにかけたか?それは以前に携帯に取り込んでいた。(推測:有馬温泉で同室だった)

伊藤さんは予定より早く進んでいた。たまたまトイレに行ってきたらもう誰もいなかった。計画より随分早く今日は進行していて、モバイルが威力発揮でOK。伊藤さんのループタイのオーナメントの色柄が印象に残った。

その時、そうとは知らず先頭グループは知恩院にいました。

なかなか来ないどうして?知恩院(浄土宗総本山、比叡山を下った法然が専修念仏を唱えて庵を結んだのに始まる:正式には華頂山知恩教院大谷寺)の山門で待つことしばし。やっと皆が来た。山門の大きいことが分かるデジカメにやっと入るらしい。日本も大きな物をよく作っている。この頃、佐藤英逸さんは列車の時間がせまり香西さんと知恩院に参って、その後タクシーで駅へ、さようなら、お元気で。

知恩院を通過して、南禅寺に向けスタート、東にかなり歩いて行って開けた感じの、交差点に出た。もう直ぐ南禅寺で、大本山南禅寺と角柱に大書してあり、何宗?@みんなの声。境内を通って、三門Aこれが大きい、下の横木が大きく、高すぎて跨ぐのが大変であった。南禅寺本堂も大きい日本の建築物は大したものだと思う。そこの南側に赤レンガつくりのアーチ状の橋脚と上に高さ1メートル位で一体になった水路と全高は3〜4メートルで橋のようなものがある。兼述さんから琵琶湖から水を流していると説明を聞きながらその上にみんな上がって見ると、幅1メートルくらいの水路をきれいな水が勢いよく流れていた。これは、琵琶湖疏水で明治にできた運河。

<注記@南禅寺は臨済宗南禅寺派。Aなぜ山門でなく三門

三門:主に禅宗で寺の本堂の前にある正門、禅宗では本堂を涅槃に擬しそこへ入る端緒である空・無相・無作の三解脱門を象徴したものと解釈される。>

 正午はとっくに過ぎて、次はいよいよ食事。落ち着いた静かな塀に囲まれた、高級住宅街の道を北に歩いて、西に歩いて湯豆腐の有名料理屋へ到着。しかし、そこは満員、外に客の列。もう我々には待つ気力などありません。直ぐ西隣へ行くことに、二十数人が一緒に入れるか気になったが何とかOK。丁度このとき足にまめが出来そうになり、座敷に移動し足を開放する。こんなに多く一度に料理出来るのか、みんな心配していたが、程なくと言うか、程あって食事となりました。美味しく豆腐料理をいただきました。うどん・・・この時おつゆについて、関東に来て、一番驚く:真っ黒の色、濃い味。逆に関東の人は京都に来て薄い色と味でびっくりするそうです。中には食べたくなくなる人も居るとか。てんぷらもおいしい。高校野球で倉工が同点にした情報。香西さんの笠岡から四国の山・剣山が見える。石鎚山は・・・大島さんが詳しい。井上さんがどうしてそんなに詳しいの?高知にずっと居たんだと逸見。

皆さん満足したでしょうか?運動の後で、美味しかったよ!

外に出て、西に行くと平安神宮の鳥居が少し北に見えた。タクシーで八坂神社まで銘々で行く。ほとんど到着したが別の所に付いた車があり、待ちぼうけ。ここから錦市場まで歩く。この時は、歩道は人でいっぱい、揃って歩くのは無理、小グループで西に向かう。京阪で木林さん(ぎっくり腰で長時間歩くとつらい様子)が、阪急で三嶋さんと那須さんが帰途に、さようなら、お元気で。四条場河原町の交差点では渡るのに時差が出た。横内さんが紙店で依頼の品物を購入。もう直ぐ錦市場の辺りで、先頭でなかったのに誰も居ない、サンドイッチマンに錦市場はと尋ねる。「この先の交差点を・」「ありがとう」行こうとしたら、「あなた最後まで聞きなさい・ひとに聞いたのだから」と叱られた。後ろで安藤さんが大笑い。ここは京都四条の繁華街、六十路のはての恥さらしとなりました。いや、古希。一つ手前に戻り皆で北へ、そしてここでと、兼述さん帰途に。案内ありがとう、さようなら。錦市場を西に向う。両側にびっしりと商店が並んで食料品が多い。最初、一時間後に集合としたが、40分後と決定。各自思い思いの物を買って通って、丁度40分、○。途中どうしてもラーメーンを食べたいと森分、古谷さん仲良し・お二人がさようならとなりました。

美味しかったでしょうか?

最後に、六角堂へ行くため北へ向け出発。この辺は人通りも少ない、迷わず六角堂に到着。六角堂は聖徳太子が開基し、親鸞が比叡山から夜百日参籠して霊夢を感じ法然に帰依したと。<六角堂住職は池坊家元

お線香を取ったが、火をつけることができない。近くにろうそくに火がついて、そこで火をつけた。隣のビルの屋上から六角を確認した人もいました。皆さんお疲れの様子、そこでお茶でもと、そのビルでコーヒーブレイク。オープンテラスのテーブルをまとめて席を作るが全員は無理、室内と分かれた。注文したいがボードの大書のメニューの中身が分からない。カフェラテ470円、320円(S)・・田辺さんにSでいい、他は大きすぎると言われてそうしたら正解。

田辺さんによるとパリではオープンテラスでの一杯は高価だそうです。分からない時は、よく説明を聞いて注文を決めた女性も居ました。

スターバックスでコーヒーブレイクをオープンテラスで楽しみ鋭気を取戻した。

烏丸通へ出て一路南下、京都駅が近くに見える。地下鉄の標識を見過ごす人もいれば見つけた人もいて地下のホームへ。なかなか来ない、満員で二駅乗車。京都駅着、楽しい古希の集いも幕引きとなりました。主役・脇役退場で解散               

直ぐ下りの新幹線自由席は大島、安藤さん、逸見の三人。佐藤、井上さんは高速バス。浅野、伊藤、臼井、野田さんは、は新幹線予約。上りは井谷さんがさびしく一人旅、それとも同窓会の余韻にひたったかな。佐藤郁子さんは一人JRで大和郡山へ、田辺さんはJRで、木下さんは近鉄で、横内さんは一人新幹線で、各自帰路につきました。京都に残ったのは香西さん、菊池さんは弟さんと、吉武さんは兄さん一家と食事。横内さん疲れはとれたでしょうか。

天候に恵まれ、京都の南東部を巡る今回の企画は良かった。場所がメジャーでなくマイナーがいい。竜安寺をはずしたことも○。丁度、古希にふさわしい距離と場所だった。皆が歩ける距離と時間を配慮した計画の由。二十六人もよく出席したと思う。京の歴史の重さと宗教(仏教)の影響力および文化芸術(美術)の深さ並びに、その数多く・大きさ壮大さに感服。よく残したものだ。  

幹事と関係者の尽力に心から感謝。 みなさん 思い出をたくさんありがとう。

ひかり475号3人自由席

京都駅で特急券を買う直ぐ完了。新幹線ホームへこれが直ぐに見つからない。案内が見えない不親切表示の京都駅。見当で行って、ホームを前から後ろまで探す、二人の姿はない。もう行ったか、一人ベンチで休む。次のひかりの表示が出て、立ち上がったら前から手を振っている大島、安藤さんを見つけた。二人は切符売り場まで探しに行っていたと。すごいおもいやり!感謝。4時48分発の自由席で終点までの楽しいおしゃべりでした。きのう、今日あったこと、同窓についての話。北国出身から見ると、国宝が県に一つ、三十三間堂だけであんなにある。日本史を学ぶとき東北以北はほとんど登場しない。西日本中心を知らされると。

しかし自然がいい、世界遺産もある。山形、秋田辺りでは梅、桜、桃が一斉に咲き春が来たとなるそうだ:三春。
6時17分岡山着、すぐ在来線で新倉敷着大島、逸見下車。安藤さんは笠岡へ。
大島さんは自転車で夕闇の中を家路に。
車中で同窓会について・・・・・

・同窓会が楽しい。それは利害関係なし、未来が無限に近く、希望を持ち、一緒に過ごした青春の頃に戻れる。

○同窓会に出られることだけで幸せなんよ。(安藤)    次回を楽しみに

 

 今回、本願寺、六角堂関連で、親鸞

明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐のふかぬものかは     (親鸞)

願はくば花の下にて春死なむ その如月のもちづきのころ    (西行法師)

古希

ついに行く道とはかねてから聞きしかど昨日今日とは思はざりしを(在原業平)

白川夜船:京都を見たと偽った者が白川のことを聞かれ川だと思って夜船で通ったから知らないと答えた。→ 熟睡していて何が起こっても気づかないこと。

青春で□にどうぞ

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