一番のお気に入り写真。
Erzurumの街は非常に綺麗で、ウィンドウショッピング楽しい。


Cifte Minareli Medrese。
この名称は外観の通りで、「対になった尖塔付きの神学校」。


上の神学校の内部。
ロの字型の学校の中央部はお花畑です。
奥には霊廟。


例によって、朝御飯はピクニック。
真ん中のオレンジ色の丸はジュース。
赤いのはトマト。
断食中だった為、おじいちゃんがやって来て
「君ら今はラマザンだぞ。」と一言。


Yakutiye Medrese(ヤクティエ神学校)。
緑豊な公園の中にございます。
尖塔が有名。


城砦から見たErzurum市街。
この写真撮るのは、命を少し賭けました。
20cm先はなんもなし。
  

■ Erzurum --エルズルム
   

東部最大の都市といわれるErzurumは、
標高が高い為、冬はトルコ最大級の極寒地となります。
そして、ロシアとペルシャからの侵攻を防ぐ為に、
Erzurumは昔から重要な軍事都市でございました。
また、昨今までPKKのテロ活動が活発だったところでもあります。

保守的で、イスラム色の強い街ですが、
Ataturk(アタトゥルク)大学があることから、
街は若者でにぎわっています。
スキー場も備えているので、凄い楽しい街、
という印象を受けました。
大通りにはたくさんのお店が並び、
お菓子屋さん、カフェに目移りしまくりでした。

名物は黒曜石(黒琥珀?)。
場所は忘れましたが、黒曜石専門のパザールがありました。
買おうかどうか悩んでいたら、
「時間あるんだったら、好みのもの作るよ。」と、
おじさんが言っていましたので、
オーダーメイドも可能なのかしらん。
主に「tespi(テスピ)」といわれる、
イスラム教徒のおじさん達が持つ、
数珠が売られております。ネックレスもあった。

Erzurumの人々は「Dadas(ダダシュ)」という
言葉でつながっています。
「Dadas」は「Erzurum人」という意味でして、
こんなHPもございます。
(文字ばっかりで、読む気なくすけど、心意気は伝わってきます。)

同じ名前のバス会社もありますが、
私は「Esadas(エサダシュ)」というバス会社の方が好き。

先ほども述べたように、Erzurumはイスラム色の強い街です。
そんなわけで同じくイスラム色の強いKonyaのように、
街には大きな神学校跡がございます。

有名どころは、写真にのせている2つの神学校。
でも、1つ目のCifte Minareli Medreseについて、憶えている事といえば、
ピクニックしたことと、裏手に人糞らしきものがあったことと、
トイレが綺麗だったこと・・・・(笑)。

この神学校の歴史は古く、建築されたのは13世紀。
当時のErzurumはセルチュクトルコの支配下にあり、
アラアッディン・カイクバートさんと、その娘さんにより
建築の命令が下ったそうな。
正面の1対の尖塔は、形こそ同じなれど、
その彫刻のデザインは全く違うものです。
残念な事に、片一方は未完成のまま。

内部の壁面もこれまた未完成で、
彫刻が途中までで終わっている所が多々みられます。
なんでだったかな?
自信ないけど、たしかモンゴル人の侵入によって、
建築が続行できなくなったんだったかな?

もういっちょ、神学校。Yakutiye Medrese。
こちらの学校はモンゴル人によって作られた神学校。
モンゴル人は、セルチュクトルコの建築様式に
自分達の独自の文化を加えて、独特のものをつくりました。
写真に写っているような尖塔のデザインは、
この神学校以外では見れないんじゃないかしら。
本当は尖塔は2つあったそうですが、
もう1つは、現在土台のみ残っているそうです。

2つの神学校の内部は、現在博物館になっています。
(入ろうとしたら、友達から電話がかかってきて、
喋ってるうちに入る気なくしたから入ってません。)

その他、有名なCamiがございまして、その名は
Lala Mustafa Pasa Camii(ララ・ムスタファ・パシャ・ジャミ)。
このCamiのデザインは、オスマントルコ最強の建築家として
名を馳せるミマール・シナン、もしくは、
彼の弟子によるものだそうです。

Cifte Minareli Medrese の近くにはUlu Camiがありますが、
このUlu Camiは物凄くハジケテます。
1129年の建築で、外観は地味なCami。
由緒正しきCamiのはずなのに・・・、なのに、
正面入り口のところに、電飾掲示板があり、


って文字が流れているんです。
「ウル・ジャミィへようこそっ!!」。

あれ?保守的な街??
あれっ??イスラム色強いの??
こんな前衛的なモスク、見たことねぇ・・・。

この街の城砦跡には、ロシア、オスマントルコの銘の入った
大砲が数基展示(放置)されております。

また、いかした時計塔なんてものもあります。
この時計塔は、建設当時は尖塔として作られたそうですが、
後に時計塔として生まれ変わったんだそうです。
ここで使われている時計は、1877年にイギリスの
ヴィクトリア女王からオスマントルコ帝国に
贈られたものだそうです
塔に登るのは、かなり勇気と根性が要りますが、
そこからの景色は、価値ありでございます。

ちょっとこの時計塔には良い思い出があります。
まぁ、大したことないんで、飛ばして戴いて結構ですけども。

日本の主要都市にお城があるように、
トルコの主要都市にも城砦があります。
こういった城砦にお金を払って入るのは観光客だけで、
地元の人間は絶対に、どこか抜け道から入ってきてます。
若者達のかっこうの遊び場になってるんですよね。

で、私達はもちろん正門から入ったわけですが、
中にはいると、「軽いヤンキー」みたいな感じの
トルコ人若者達も、抜け道から侵入してきたんです。
危害を加えられるっちゅうことは、まず無いでしょうけど、
ヤンキーにからまれるのは嫌だなぁーと思っていたら、
奴等は物凄く良い奴等で、なぜか案内を始めてくれ、
時計塔に登るののお手伝いをしてくれたのです。

塔内の階段は、有り得ないくらい急で、とてもじゃないけど
自分の力だけでは登れませんでした。
塔の上に登りきって、持ってたジュースを彼等にも
分けようとしたら、彼等は「断食中」とのこと。
いいなぁ。若者、真っ当な奴等だったー。

と思っていたら、いきなりリーダー格の青年に
手を握られ、ニコッ・・・いや、ニヤッとした笑顔とともに、
「結婚しよう。」と言われ、私はドキドキしたのでした。
・・・・アホですな。
でも・・・でも・・・・、浮かれてもえーですやん。
だって、物凄い甘いマスクだったんだもーん。
でもイラン系の顔した青年の方が、私の好みだったー。


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