「世界の森を守れ」作成者へ、林業作業員として働くかたから、メールをいただきました。このかたのメールの内容がすべて正しいかどうかはわかりませんが、現場で働く方のとても勇気のある提案であり、多くの方に、議論されるべきものだと考えました。そこで、このメールの内容を以下に掲載することにしました。この提案に関して、ご意見をお寄せください。(03/4/19)
|
河川と花粉症について、わたしの仕事場である「山」からの声を
お聞きいただきたいと思いました。
環境問題、というと諸研究者が研究結果を発表し、世論に訴え、
国民の意識を変える、
そののちはじめて行政が重い腰をあげるものの、
その対策事業が全く見当違いというような、
大変長い時間と労力を要する様に(私個人としては)感じているのですが、
ちがいますか?
わたしの提案は、
・ 水量を減らし続け、生態系をも変えつつある一方、
台風の度に暴走する河川
と、
・ 花粉症に苦しむ人々について
即効性のある対策だと思っています。
まず花粉症についてですが、
症状に苦しむ患者さんの中からは
「杉の木さえなければ、全部伐採して雑木林にしてしまえば
それで全て解決する」かのような声が聞こえてきます。
確かに日本中の杉の木が一夜にして姿を消したなら、
症状はいったんおさまるかもしれません。
が、花粉が空気中の汚染物質と結びついて初めてアレルゲンとなることを
人々は忘れていないでしょうか。
杉がなくなれば、今度は別の植物の花粉が、
あらたなアレルゲンとして出現するでしょう。
こう言うと、「空気の汚染をなくさない限り、花粉症はなくならない」
で終わってしまうのですが、
全国規模で人工林の強度間伐が一斉に行われたなら、
具体的に花粉の飛散量は半減します。
日本の人工林では、1haあたり3000本からひどい時には4000本
植栽されています。
これを間伐率50%以上にし、残存本数を山の荒廃度に応じて
1000〜1500本にするのです。
そもそも人工林がなぜこんなに大量の花粉を飛ばすようになったのか。
日本の林業が低迷し、「山」が「経済」でなくなり、
荒廃を極めた結果であることは、申し上げるまでもありませんね。
山は病んでいます。もう長い患いです。死にかけています。
そして死の真際に最後の力をふりしぼって、
子孫を残そうとしているのです。
山が息を吹き返し、健康を取り戻せば
木々はむやみやたらに花粉を飛ばす必要はないのです。
今年から環境省が間伐事業に乗り出し、
間伐率30%を提示してきましたが、(従来の国の定める間伐率は20%)
そんなものではとても山の蘇生は間に合いません。
現場の総指揮をとる人物は作業員達にこう言いました。
「枯れ木を伐るだけで30%は十分達成できる。
あまり伐り過ぎないように。
検査と花粉の調査をもって‘‘ これでは伐り足りない’’と
環境省にダメを出させれば、また予算が出るから。」
わたしは「役人の言うことを聞かない作業者」であり、
作業員である前に「山師(きこり)」なので、
上からの指示など無視して、良しと思うまで伐っています。
しかしながら、高齢化を否めぬ作業員の殆どは上層部のいいなりで、
なにより「作業量が少なくなればそれに越したことはない」くらいにしか
思っていません。
ちなみに施業の終わった現場では、花粉飛散量の調査の為の
ネットが設置されています。
枯れ木しか伐っていないのだから、花粉の量が減っている筈は
ないのに、です。
次に河川について。
日本の河川は地域を問わず、年々その水量を減らし、
生態系にも大きな影響を及ぼしていますが、
一方では、ひとたび台風となると氾濫し岸をえぐり、
時には住宅さえも押し流してしまう。
かつて山腹を走った沢も、普段は枯渇しているのに
豪雨にともなって土石流と姿を変え、ふもとの山村に襲いかかる。
その全ての元凶が日本の間違った林業形態であることは、
一般には殆ど知られていません。
河川の枯渇・氾濫も、土石流も天災ではありません。
れっきとした人災なのです。
これによって被害を受けた人達は、国の林野行政に対して
賠償請求ができると言っていいのではないでしょうか。
間伐作業のひとつに「玉伐り集積」・「大刈り」なるものがあります。
全く意味の無い徒労であるばかりか、
山村や関連流域に住む人々にとって、大変危険なものです。
玉伐り集積とは、
間伐において伐り捨てた木の枝を切り取り、
2メートル程の丸太に切って、残存する優良な木の根元に
うず高く積み上げるというものです。
こうすることで素人目にはキレイに整理整頓されたように見え、
伐り捨て材が斜面を落下することを防ぐ、
と上層部は信じて疑いません。
が、作業者に言わせればこれが大間違いなわけです。
玉切った丸太や枝を一ヶ所に集積すると、
地表は剥き出しになり
雨風の力によって集積材は崩れ落ち、斜面の土は流出する。
流出した土は沢や川を埋め、
「落下防止」に積み上げた筈の丸太が谷に山積する。
これが土石流の材料となります。
また、根を洗われた残存木は自然に倒れ、
運良く(?)集積材が落下せず、木も倒れなかった場合、
年月とともに朽ちる丸太を背負わされた優良木は、
丸太に接触する部分から害虫やシミが入り、
市場で最も高値のつく「一番玉」(根元から4メートルの材)が
台無しになってしまいます。
善いことはひとつもないのです。
山や川のことを考えるのならば、伐りっ放しで倒しておくのが
一番適切なのですが、
これがデスクワーカーの上層部には理解できない。
作業者が手を抜きたがっている、くらいにしか考えられないのです。
丸太で積み木遊びをしてる暇があったら、
ひとつでも多くの山を救出しなくてはならないのに。
伐りっ放しのいいところは、
時間・労力・経費ともに最低コストにして完成度が高く
作業者にとっても自然界にとっても安全であることです。
枝を取らずに伐りっ放しで倒した木は、
土の流出を防ぎ、落下することもなく、
鹿などの大型動物の侵入による木の表皮の食害を防げます。
人間の目から見た見栄えなど
無意味なものです。
次に「大刈り」とは。
育成苗のまわりを刈る「下刈り」に対して、
「大刈り」はある程度成長しきった木の林床に茂った
潅木や雑草を刈り払う作業を言います。
(「蔓切り」という施業の際にも行なわれます)
そもそも草刈りとは幼い苗木の成長を妨げない為にやるものであって、
「大刈り」は山にとって必要のない作業なのです。
必要がないどころか、山の保水力を奪い、
先述の土砂流出をまねく、とんでもない施業なのです。
蔓が這い上がったら、蔓だけを切ればいい。
必要に応じて作業者が歩く所だけ、最低限刈ればいい。
「河川が痩せていくのは人工林を増やしすぎたせいだ」といわれます。
決して間違いではありませんが、
「大刈り」をなくし、間伐率を上げ、
人工林に雑木(天然木)を呼び戻す(混合林にする)、ことで
河川は間違いなく甦ります。
そしてそれは気の遠くなるような先の話ではなく、
5〜10年内に確実な成果を得られるものです。
考えてみれば小学生にも理解できる、単純な理屈なのですが
役人の頭というのは「考え」たり、「応用」したりするように
できていません。
また、「いままでやらなかった新しいこと」に取り組むのが大嫌い、
ときています。
さらに、林野関係の上層部にいたっては
「体裁」と「補助金の確保」、「搾取」しか考えていません。
(実際、補助金の60%は管理職の給与・諸経費と化し、
山(現場)には1haあたり17〜18万円しかおりてきません)
「山が崩れたとしても、それでまた仕事が増えるのだから結構」
とさえ言い放ちます。
林業の世界というのは、一般の人には想像もつかないほど
封建的、閉鎖的なものです。
作業者は牛や馬、あるいはトラクターのようなもので、
トップの人間がスイッチを押したら動けばいい。
どんなに間違った施業でも、上の言うなりに動かなければ
首を切られる。
対等に口をきくことは許されない。
意見などしようものなら明日の生活の保障はない。
我々の言葉は決して上へは届きません。
体制を変えるには、環境研究のエキスパートである方々に
林野庁や全国森林組合連合会を、追求していただきたいのです。
林野行政のトップ達と研究者が一堂に会し、
フォーラムをもっていただけたら、山が、川が、生き返ります。
全国規模での活動が難しいのであれば、
地元の林野行政機関に意見していただくだけでも
十分効果があるのです。
私の願いは突拍子もないものでしょうか、
不可能な話でしょうか?
|