チッソ水俣病関西訴訟を支える会についてのページ


 チッソ水俣病関西訴訟を支える会がついに、ホームページをつくりました。とてもいい内容ですので、そちらの方も是非ご覧ください。
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チッソ水俣病関西訴訟を支える会
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       このページの目次

  1. 「チッソ水俣病関西訴訟を支える会ニュース」No.143   編集後記より
  2. 1999年4月28日更新弁論報告
  3. 三浦洋先生(原告患者らの主治医で阪南中央病院副院長)に対する原告側尋問より

 「チッソ水俣病関西訴訟を支える会ニュース」No.143
           編集後記より

☆七月十一日は原告団会議の日でした。くしくもこの日は一審判決からちょうど五年目にあたります。思えば提訴からは十七年が経ちました。原告患者さんは、ずうつと被害者であり、患者でありつづけて交代することができません。一方の被告国・熊本県の代理人は年年歳歳変わり、水俣病患者公式確認以降に生まれたと思われる人もおります。原田正純先生がよくおっしやいますように被害者は代われないが、加害者は入れ替われるといういわゆる「公害」の構造的不公平さを痛感しました。                                

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以下の更新弁論では、水俣病関西訴訟の意義が、わかりやすく述べられているので、掲載しました。

1999年4月28日更新弁論報告

 四月二八日(水)午前十時半から午後三時まで、大阪高等裁判所二〇二号法廷で、チッソ水俣病関西訴訟の弁論が行われました。
これまでの岨野裁判長が定年退官ということで、四月から岡部裁判長が赴任し、裁判所の構成が新たになったことを受けて、この日は、関西訴訟の争点を整理し、原告側・被告側双方から説明する弁論となりました(更新弁論)。当初は一時間半程度の予定でしたが、できるだ判りやすく説明したため、午後三時まで行われました。今回のニュースでは、この日の冒頭に、本訴訟を意義付ける弁論を行った大野康平弁護士(弁護団副団長)の弁論内容を報告します。
最初に、私、大野の方から発言します。
 裁判所の構成が変わったのを機会に、更新弁論ということで、数名が分担しているわけですが、今日は「判りやすいこと」を第一目標にするということで、申し合わせをしております。そのために、正確性とか厳密性の方は、多少犠牲になるかと思いますが、この点は予めお許しいただきたいと思います。
 私の発言テーマは、「水俣病は終わっていない」、「終わらない」というか、むしろ、今日、この法廷の場から始まるんだということについてお話ししたい。そのために、甚だおこがましいことながら、私じしんの体験談から申し上げることにしたい。
 昭和四六年六月三〇日のいわゆる戦後公害事件史の最初を飾ったイタイイタイ病第一審判決の当時は、原告の弁護団の一員として末席を汚していましたが、その後一〇年以上も経たある日に、隣席にいま座っておられる松本健男弁護士から、水俣病関西訴訟のことで話があると持ちかけられました。一瞬私は、@水俣病なんて遠い地方の話であり、A昭和四八年の判決やチッソとの補償協定の成立で解決済みの筈であるので、B今ごろ、しかも大阪の地で何があるのかという疑念が頭をよぎり、しかも悪いことに、そのことを口に出して質問をしてしまった訳です。これがいけなかったのですが、松本弁護士は、@水俣は漁業が壊滅して何方人という人が他の地域に移住したこと、Aその多くの人が関西地方に来ていること、B一方、県の審査会は患者の救済申請を次々と棄却し、切り捨てているといった実情などを、とうとうと説明されました。このようにして、私は社会的意味での水俣病問題に、いわば初めて、「感染」し、ついに「罹患」したという訳です。
 思えば、今日改めて合議体を編成していただいた三名からなる裁判所におかれても、多分私と同じか、類似した疑念を、いちどは抱かれたのではないかと推測しますへあくまで、勝手な推測なので、お答えには及ばないが)。
 しかし、水俣病は、一方的に「被害」をもたらしただけでなく、むしろ有り余るほどの教訓と厳しい試練をも与えてくれました。その最も最たるものは、まず、自分じしんが裁かれる立場に立たされたということです。部落問題において、部落の存在を知らないということじたいが、最大の差別だといわれますが、水俣病のことなどを知らないということこそ、水俣病の被害者たちを見殺しにし、差別し、切り捨てることであることを、痛感させられました。凍りっく真冬の相思社で、坂本しのぶさんが、五分も一〇分もかけて、あの曲がった腕と指で、熱いお茶をいれてくれました。坂本しのぶさんは、昭和四七年、ストックホルムで開かれた国連の人間環境会議に、原田正純先生らと一緒に参加しました。ものはほとんどいえませんが、あの体そのものを全世界の人々の前にさらけだし、環境問題の重要性を訴えて大きな反響を呼び起こしました。そうしたことを見聞きし、知るにおよんで、本当に目からウロコが落ちる思いがしました。っまり、水俣病の問題は、本質的には何一つ解決などしていないということです。何べんも何べんも「これで解決した」、こJれで問題は全て解消した」とされてきた水俣病でありますが、実際はこれからなんだ、という思いを深くしたものでありました。
 神武景気とか岩戸景気とかいわれ、あるいはまた所得倍増政策といわれた時代に、水俣病なんぞという問題は国や企業にとってやっかいな、はっきり言って邪魔な荷物でした口うして最初に「水俣病は終わった」ことにしたのが、昭和三四年一二月の見舞金契約でした。のちに公序良俗に反するとして無効判決をうけるこの「解決」は、将来水俣病の原因がチッソであることが決定したばあいでも、新たな補償要求は一切行わないという条項を含んでおりました。
 これに引き続いて、翌三五年から三六年にかけて、水俣病の発生は昭和三五年で終焉したという見解が、徳臣暗比古らの文献を軸にして流布されました。こうしたなかで、昭和四〇年には新潟水俣病が発生しましたが、熊本県はこれを無視することに全力をあげて、度重なる県議会審議の中でも、住民調査の必要性を徹底的に否定することに集中しました
 昭和四三年九月には、国が水俣病をもって公害病である旨の見解を発表しましたが、内容を見ればすぐ判るように、これまた水俣病問題を過去の問題として、幕引をしたものであることが明白です〔水俣病の発生は昭和三五年で収束したと記述し、以後の対策らしいものは殆ど述べられていない)。政府の公式発表は、このように甚だ不当かっ不十分なものでしたが、それでも、これまで陰にかくれてひっそりと暮らしてい、「うして水俣病」の人達が、改めて救済を申し立てるきっかけにはなりました。つい先ごろ死亡された川本輝夫さんらの努力で、多くの患者が発掘されて行きましたが、これを見て政府はまた、患者の分断と切り捨てを狙って「水俣病補償処理委員会」(別名、千種委員会)なるものを作り、昭和四五年五月に処理案を提示すると同時に、一定の見解を発表しました。驚くことにその内容は、先の見舞金契約を全面的にほめ上げ、チッソの過失責任すら問わず、患者らに泣さ寝入りを押し付けるものでした。
 中途は省きますが、昭和五二年の判断条件なるものは、愚者を救済するものではなくて、機能マヒに陥った認定審査会を救済し、また、加害企業であるチッソを補償金の支払いから解放するために作られました。これで何度目かの (五度目か六度目の)「解決した」ことにする策を樹立した筈でしたが、ここで被害者たちは、最後の救済を求めて、裁判所に提訴することになった訳です。熊本、東京、大阪、そして京都と全国の患者たちが訴訟に踏み切り、大量提訴の中で、国の法的責任を認める判決が出るという状況になりました。
 こうして、最後の、そして極め付きの「全面解決」すなわち、つい先頃の政治決着なる幕引が行われることになりました。「水俣病ではない」が、「四肢末端に感覚障害を有する者」を対象にして、「その精神的不安を解消するため」という言い口で、一人当たり金二六〇万円というカネを支給するというのが、その内容ですC裁判や認定申請を取り下げるといういうことが、支給の基本前提になっています。この「解決」の基本的な問題点は、四肢末端優位の感覚障害を有する人達を「水俣病ではないが」としているところにあります。水俣病でない者に対して、国が何の理由があって公金を支払えるのか?。形式的には支払い根拠はつくられたのでしょうが、実質的には寄付かお恵みのようなものであって、根拠を欠くというべきものでしょう。一方、二六〇万円をもらう方の側も、おかしな具合ではないでしょうか?。自分は、まず水俣病ではないと言われる、しかし不安の代償として金二六〇万円をいただく訳ですが、何とも情けない立場と言わざるをえません。「解決」に当たった国側の人たち、とくにこの処理を提案し推進した井形教授などは、この解決内容を自賛し、多くのボーダーラインの人達を救済したと称して、鼻高々でありました。一方の患者団体の執行部諸氏も、「生きているうちに解決を」の目標を達成したとして、水俣病の問題はこれにて全面解決したかのように評価しています。
 しかし、一万人を超すと言われるこれらの人達は、一体何物なんでしょうか。「水俣病ではないが」といわれ、ただ気の毒にも、不安にさいなまれているとされる、これらの人達が、なぜ不知火海周辺にだけ、こんなにたくさん発生したのか?。この質間こそが、極端にいえばこのことだけが、本件訴訟の中心的な争点だと言っても、よいくらいであります。
私共は、ここ二年くらいにわたって、水俣病問題の最も鋭い断面であるこの問題を、克明に、一つ一つ洗い出してきたつもりです。津田証言と浴野証言がこれであるし、井形尋問と衛藤反対尋問もまた、この視点に絞り込んで実行してさました。そこには、水俣病問題の最も重要な実質が、ぎっしり詰まっていますし、裁判所の判断に直接影響するエキスの部分が、充満しておりますので、十分ご注意いただきたいと思います。
 数年前から、地球温暖化の問題が大きく議論されてさておりますが、最近ではいわゆる環境ホルモンをめぐる状況、あるいは各地で持ち上がっているダイオキシン問題などをみるにつけまして、作業の発展と環境問題、その保全と浄化という課題は、二〇世紀から、世紀をまたいで二一世紀へと生さて行く人類にとって、いよいよ、のっぴきならぬ様相を呈してくるものと思われます。そういう意味で、環境問題は、人類にとって終わったとか、解決したとかいうものではなくて、多分形をかえながら、人類にまっわりつく永久の課題になっていくのではないでしょうか。
 水俣病問題というのは、そうした人類の課題の一つであるという意味でも、また、ほんらいの意味の疫学調査と研究によって、その実像がようやく解明されたという意味で、さらにまた、水俣病に罹患した患者らの苦しみと、これに対する社会の、はっさりいえば国・県・企業の悪質な水俣病かくし、研究妨害と放置・切り捨ての犯罪的な所業が、将来にわたって人類の反面教師となり、教訓となるだろうという意味でも、永久に終わることのない問題であり、課題であります。
 そのときに、歴史をひもとくわたしたちの子孫が、きらりと輝く「判決」という名の文章をひもといて、何かを確信し、勇気づけられるという、少々欲深い期待を、新構成の裁判所に託しまして、私の更新弁論を終えることにします。
原告弁護団副団長 大野康平
              「チッソ水俣病関西訴訟を支える会ニュース」No.141より                                         
「チッソ水俣病関西訴訟を支える会ニュース」No.144より

チッソ水俣病関西訴訟控訴審第二四回口頭弁論(六月三〇日)報告その一

三浦洋先生(原告患者らの主治医で阪南中央病院副院長)に対する原告側尋問より

 水俣病の捉え方について、原告側は、一審では「不知火海沿岸地域に住み、有機水銀に汚染された魚介類を多食した経歴があり、手足の感覚障害など水俣病特有の症状が一つでもある患者は、水俣病と認めよ」と主張しました。
 一方、被告国・熊本県は、「水俣病とは、感覚障害+水俣病の主要症状といわれる運動失調・平衡機能障害・求心性視野狭窄・聴力障害との組み合わせが必要であり、この捉え方は医学的知見に基づいたもので、原告側の主張は、学問的な根拠に乏しい」と主張しました。
 このような原告側、被告側の主張に対して一審審判決は、「被告側の水俣病の捉え方は、医学的知見に基づいたものである」と、被告側の主張をそのまま採用した判断を下しました。
 原告側は、一審判決で国・熊本県の水俣病に対する法的責任が認められなかったことと、この裁判所の水俣病の捉え方には承服しがたいため、控訴して闘い続けることを決意したのですっ
 控訴審において原告側は、国・熊本県及び一審判決の水俣病の捉え方を覆す弁論に全力をあげて取り組んできました。いくつかの新しい証言・証拠を提出することができ、一審とは大きく展開を変えることが出来たと思っています。その一つは、岡山大学医学部の津田敏秀先生による、「不知火海沿岸地域に住み、有機水銀に汚染された魚介類を多食した経歴があり、四肢末端優位の感覚障害があれば九九%水俣病である。」という疫学者の立場からの証言でした。もう一つは、疫学に基づいた調査研究論文を米国の環境科学雑誌に発表された熊本大学医学部の浴野成生(えきのしげお)先生による、「感覚障害を診る検査をメチル水銀に汚染された地域住民と汚染を受けていない地域住民に行った結果、ほぼ津田先生の証言に見合う調査結果が得られた。」との証言でした。
 さらに、浴野先生は、その調査結果から「感覚障害を引き起こすのは大脳皮質が傷害されているからである。」とも証言されました。
 これら、学問的に裏付けされた津田・浴野両先生の証言は、原告患者らが水俣病であることを立証していくうえで、非常に大きな支えになっています。そして、いよいよ原告患者らの症状が水俣病によるものであることを個別・具体的に立証するために、主治医である阪南中央病院の三浦洋先生に証言していただくことになったのです。
 三浦先生の法廷証言は、六月三〇日、七月二八日の原告側主尋問、九月二二日の被告側反対尋問で終了しました。
 今号では、原告側主尋問の中より、三浦先生が、「主治医として水俣病をどう捉えるか」について証言された部分に焦点をあてて、報告します。                                                    


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