「 頭のなかの ♪ おたまじゃくし 〜クラシック音楽を聴いてみよう〜」

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ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」 4部からなるヴィオラ独奏つき交響曲
Berlioz: Harold in Italy


ベルリオーズの「イタリアのハロルド」(作品16)は、1834年に作曲されています。
ウィキペディア(Wikipedia)を元に記述すると、4部からなるヴィオラ独奏付きの交響曲ですが、第1楽章では、ヴィオラのソロが活躍するもののの、楽章が進むにつれて、ヴィオラの出番が少なくなってゆくという構成になっています。
しかし、副題に「ヴィオラ独奏つきの交響曲」とあるように、第1楽章はソナタ形式、第2楽章は緩徐楽章、第3楽章はスケルツォ楽章です。第4楽章は、それまでの楽章が断片的に回想されるフィナーレとなっています。
また、第1楽章で提示される「ハロルドの主題」が全楽章に登場し、主人公を描写するというアイデアは、幻想交響曲でも試みられた「イデー・フィクス」(固定楽想)と呼ばれる手法です。

第1楽章「山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の場面」ト長調
ゆっくりした序奏と、ソナタ形式による活気あるアレグロ主部からなり、ハロルドのメランコリックでもあり、快活な複雑な気分が表されるもの。

第2楽章「夕べの祈祷を歌う巡礼の行列」ホ長調
ハロルドはたそがれ時、巡礼の一行が山の小さな教会で讃歌を歌い、通り過ぎていくのを眺めている。

第3楽章「アブルッチの山人が、その愛人によせるセレナード」ハ長調
舞曲的な性格の楽章で、毎年クリスマスの頃、アルブッチの山中からローマにやってくる牧童が吹奏する民謡を転用しています。

第4楽章「山賊の饗宴、前後の追想」ト短調
山賊の乱痴気騒ぎの合間に前3つの楽章の主題が回想され、ハロルドは山賊の手にかかって命を落とす。
最期は、山賊の主題が荒れ狂ってフィナーレとなるもので、独奏ヴィオラは、登場しなくなってしまう。
この構想は、バイロンの長編詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」の場面に着想を得ているそうです。

デュトワ モントリオール交響楽団 1987年
Charles Dutoit Orchestre Symphonique de Montreal
(Montreal Symphony Orchestra)
ヴィオラ:ピンカス・ズーカーマン Pinchas Zukerman

こりゃ良いわ〜拍手

録音状態は極めて良い。とても色彩感があり、楽しげで、描写力がある。華麗だ。
カップリング:1〜4 イタリアのハロルド 
5 序曲「ロブ・ロイ」 6 序曲「海賊」
実は、ベルリオーズのイタリアのハロルドは、どうも苦手で、ツマラン曲だと思っていたのだ。
しかし、デュトワ盤で聴くと、なんだか活気があり、歌うように奏でられ、結構、楽しく聴けちゃった。
以前は、ガーディナー盤で聴いたのだが、どうにもこうにも〜 ウジウジした奴が登場人物だと思えちゃって、嫌いになってしまったのだ。
ミュンフン盤は、わりとイメージが膨らみやすく、劇付随音楽のようだと感じたのだが、結局のところ、よく、わからないストーリーで、イメージが湧かないわ。・・・ってことで、ほぼ放置されていたのだ。
まあ、ストーリーは、解説にあるとおり、バイロンのチャイルド・ハロルドの巡礼って作品をモチーフに使ったようだが、場面設定は、ちょっと違うようである。
それより、ヴィオラのフレーズが、ハロルドの主題として登場してくるのだが、そこの主題が、とても美しい。
切々と、メランコリックに奏でられて優美だ。まるで、男性の主人公というより、儚げな女性のようで〜 ゆったりと美しく、フレージングされているので、思わず聴き惚れてしまった。
やっぱり、デュトワ盤は聴かせてくれる。ワタシのツボに、はまってしまった。

さりげなく、歌っているし〜 美しい色彩感あふれるオケ。
渋いヴィオラの音質を、バックがカラフルに彩り、映えさせよう〜としているのだ。音色はカラフルだし、華やかさが際だっている。また、フレーズが楽しげ。ワクワクした旋律で、これぞ、イタリア!
いやいや、幻想交響曲を聴いているかのような雰囲気が出ており、まるで舞踏会シーンのように聞こえてくるのだ。
これは、いいっ。

また、2楽章は、夕べの祈祷を歌う巡礼の行列は、聴き惚れた。
ホルンの音色の柔らかさ、距離感が感じられ、ホント、黄昏時、行列が通り過ぎているというシーンがみごとに描かれている。音の柔らかさ、音が移動しているようで、このオケの演奏している空気感が、黄昏シーンにピッタリとはまっている。

3楽章は、愉快にのびやかに「みっみ れみふぁ みっみ れみふぁっ・・・」と、歌われ、舞曲の雰囲気がたっぷり描かれている。また、穏やかなセレナード主題となり、ホルンの雰囲気がアルプス風だし、ヴィオラのフレーズも美音だ。

4楽章は、1楽章の華やかさが巡ってくる。
前楽章のテーマが巡ってくるし、ヴィオラは、確かに段々と活躍しなくなってしまう。
まるで、客観視しているというか、主人公でありながら主人公になりきれないようなロマンチストなのか、アクティブさには欠けてて、思いだけが募るような、そんな主人公かもしれない。
でも、あまり鬱々とならず、デュトワ盤で聴くと、劇効果があり、華やか。
幻想のように魔女は出てこないが、今度は山賊が活躍するというシーンなのだ。
(なんだか聴いてて、さほど変わらないような気がするのだが・・・ 笑)
前楽章のテーマをちりばめながら、巧く編集したものだと感心しちゃうし、ベルリオーズならではの華麗さが満喫できちゃう。
デュトワ盤で聴いても、さほどスピード感はないのだが、ゆったりしつつも、華麗さは充分に味わえる。
ガーディナー オルケストル・レボリューショネル・エ・ロマンティーク 1994年
John Eliot Gardiner    Orchestre Révolutionnaire et Romantique
ヴィオラ:ジェラール・コセ Gerard Causse モンテベルディ合唱団 

う〜ん。どうだろ


録音状態は良い。良い演奏だと思うのだけど、どうもこの楽曲と相性がよくないようで、いつも睡魔に襲われるんです。スミマセン。
カップリング:ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」、
トリスティア 宗教的瞑想曲、バラード「オフェーリアの死」、「ハムレット」最後場面の葬送行進曲
イタリアのハロルドは、なかなかに難しい。
滋味なヴィオラが主人公だし、どうもワタシ的には、うじうじした、はっきりしない男性が主人公のように思えて、イメージがとても悪い。ベルリオーズは、快活な楽曲が似合っているのに〜っと、勝手に思ってしまっている。
しかし、改めて、この楽曲のことを、ウィキペディア(Wikipedia)で調べてみたら・・・
・・・構想は、ジョージ・ゴードン・バイロンの長編詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」の場面に着想を得ている。
1楽章で独奏ヴィオラが提示する「ハロルドの主題」は、「幻想交響曲」における「恋人の動機」(固定楽想)のように、全曲に形を変えて登場する。物語の舞台は、イタリアのアブルッツィ地方であるが、これは、ベルリオーズがローマ賞受賞でのイタリア滞在の際に訪れた地である。

イタリアのハロルドは、1楽章ではヴィオラ独奏が活躍するが、楽章が進むにつれヴィオラの出番が少なくなってゆく特異な構成になっている。しかし、副題に「ヴィオラ独奏つきの交響曲」とあるように、1楽章はソナタ形式、2楽章は緩徐楽章、3楽章はスケルツォ楽章である。また、4楽章は、ベートーヴェンの第9交響曲を意識したかのように、それまでの楽章が断片的に回想されるフィナーレである。

第1楽章 「山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の場面」
ゆっくりした序奏と、ソナタ形式による活気あるアレグロ主部からなる。ハロルドのメランコリックでもあり快活な複雑な気分が表される。

第2楽章 「夕べの祈祷を歌う巡礼の行列」
ハロルドはたそがれ時、巡礼の一行が山の小さな教会で讃歌を歌い、通り過ぎていくのを眺めている。

第3楽章 「アブルッチの山人が、その愛人によせるセレナード」
舞曲的な性格の楽章。毎年クリスマスの頃、アルブッチの山中から、ローマにやってくる牧童が吹奏する民謡を転用している。

第4楽章 「山賊の饗宴、前後の追想」
山賊の乱痴気騒ぎの合間に前3つの楽章の主題が回想される。やがて、ハロルドは山賊の手にかかって命を落とす。
最期は、山賊の主題が荒れ狂ってフィナーレとなる。独奏ヴィオラはもうほとんど登場しなくなってしまう。

バイロンさんの生涯も、ちょっと調べてみたけれど、イマイチ、ワタシ的には好きになれない放蕩オヤジのようで〜
うじうじ、はっきりしないのかどうかは、ともかく、楽曲の方も。う〜ん。なんどか聴いたけれど、う〜ん。
「みぃ〜どぉ ど ふぁ〜し みぃ〜そ しぃ〜み どぉ〜 しら〜」というテーマの旋律だけで、あとは、う〜ん。
やっぱ視覚がないと、ワタシのイメージは膨らまないのかなあ。

ガーディナー盤は、録音状態がとても良く、見通しも良いし、透明度も高い。
ゆったりとしつつも、明晰な線で描かれてているようには感じるのだが、聴き手のワタシ自身の、詩心がワカラナイというか、持続しないというか、せいぜい1楽章を聴いて、ほっとしてしまい・・・ 
あとが、放心状態というか、眠気に誘われてしまうというか、何度聞いても、緊張感が続かないのである。
ホント、スミマセン。どうも相性が悪いようで・・・ ポリポリ・・・ またの機会を見つけてチャレンジします。

一応、ガーディナー盤のCDジャケットをご紹介しておくと、ターナーの絵画です。
ターナー 「チャイルド・ハロルドの巡礼−イタリア」 1832年 テート美術館収蔵
大きくヘアピンカーブを描くように河が曲がっており、その見晴らしの良い高台で、楽器と舞踏するものを伴って、貴族たちが、ピクニックを楽しんでいるようです。はぁ〜良いお暮らしぶりで〜

ミュンフン パリ・バスティーユ管弦楽団 1994年
Myung-Whun Chung    Orchestre de l'Opéra de la Bastille
(Bastille Opera Orchestra)

う〜ん。どうだろ

録音は極めて良い。ヴィオラ:ローラン・ヴェルネイ
カップリングは、歌劇「ベンウェヌート・チェルリーニ(ベンヴェヌート・チェッリーニ)」序曲、序曲「ローマの謝肉祭」「海賊」「イタリアのハロルド」

1楽章 山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の情景
2楽章 夕べの祈りをうたう巡礼の行進
3楽章 アブルッツィの山人が、恋人に捧げるセレナーデ
4楽章 山賊の饗宴、前の情景の追想

1楽章
最初に聴いた時には、忙しく、テンデバラバラのような曲想で、ベルリオーズが躁状態で書き散らかしたかのような楽曲だなあ。って思っていた。交響曲とも、ヴィオラの協奏曲とも言われているし、カテゴリー分けをする際には、ちょっと困ったような曲が、このミュンフンのCDの裏には、交響曲「イタリアのハロルド」〜ヴィオラ独奏付きの4楽章からなる交響曲との記載がある。

山におけるハロルド(主人公の名前)の行動や心情が、ヴィオラに託されてテーマが演奏されているのだが、1楽章において、最初は瞑想中のようだ。
甘い旋律なのだが、もの悲しい雰囲気で、失恋しちゃったの?と聴きたい感じ。まさしく、そうらしいが、 ハープの音色が、ヴィオラの旋律により添ってくると、慰めになったのか。ちょっと明るい旋律に変わる。
ミュンフンの演奏は、イメージが膨らみやすく、劇付随音楽のようだ。

ヴィオラが憂鬱そうな旋律を弾いている時に、バックが気持ちを引き立てるように幸福感あふれる旋律を奏でている。
しかし、ちょっと妙に分離されているような気がする。両者に心情が交わってこない。
う〜ん。何故なんだろう。バックはバック ヴィオラはヴィオラという感じで、呼応してこない。 録音は、とてもクリアーだし、奥行きも十分なので、録音のせいではないと思うのだが。う〜ん。 ヴィオラの音色が渋すぎなのかなあ。もっと前面に出てきてくれても良いのだが。 弦が力強く弾いて、金管が、テンションがあがって舞い上がったようなパッセージを吹いていると・・・主人公がヴィオラだったということを忘れてしまう。

2楽章
これは〜 うう〜 まるで葬送の行進曲じゃん。 弦が、何度もよく似た旋律を奏でる。変奏曲のように〜 フレーズの合間に、「れー れー れー」と、鐘のように鳴らしている楽器はホルンだろう。
巡礼の行進なのか、もの哀しい雰囲気が漂っている。
何度も繰り返されるので、頭に染みついてくるのだが・・・ 
つかみ所のない半音上がり下りするフレーズなので、穏やかなわりには、落ち着かないフレーズが続く。
ミュンフン盤のこの楽章は、絵画ミレーの「落ち穂拾い」のようなイメージで、暗いっ。なんとも、 色合いが渋くて、希望を見いだしたいくせに、ちょと見いだせないような。う〜ん。なんとも中途半端・・・。
ヴィオラのハロルドは、お弔いにでも参加しているのだろうか。
しかし、ヴィオラは、あまり主人公的は役回りではなく、行列の1人の参加者的役割になっている。
ミュンフン盤では、まだ平和的で、明るい色彩が漂っているのだが、インバル盤になると、もはや絶望的という感じになっていた。

3楽章
セレナードとあるが、冒頭は、お祭りでしょ〜って感じ。
ただ、すぐに終息してしまい、オーボエとフルートが絡んで、ホルンが添ってくる。またハープも参加してくるし、どうやら、いろんな楽器が登場してきて、祭りに参加してくる雰囲気になっている。
穏やかなセレナード的な雰囲気はあるが、こうなると、ますますヴィオラの影が薄くなる。
チャイコの弦楽セレナードのような、甘くてとろけるような旋律ではなく、もっと複雑で〜
ミュンフン盤を聴く限り、1対1の求愛のメッセージ。告白というイメージしたセレナーデではない。
村の小さな祭りに参加した人たちの恋のささやき風なのだ。ハロルドは、単に、それを見ているだけなのだろう。

う〜ん。客観的な視点で描かれているのだろうか? これじゃー感情移入できないよねえ。
「イタリアのハロルド」の曲自体が、渋い。派手さの欠ける・・・といわれている所以だろうか。 主人公でありながら、第三者的なんだもん。第一人称的なストーリー展開じゃないのであれば、余計にヴィオラも渋く感じる。
これじゃ〜あまり面白くないよなあ。なーんだ。ヴィオラの音色も多少甘いところがあるのだが、う〜ん。これじゃヴィオラじゃなく、ヴァイオリンでいい のデワ?と、思っちゃうのだ。 主人公にするなら、やっぱヴァイオリンでしょ。えっ?

とにかく、この3楽章も、村のこじんまりした祭りの楽しい旋律と、ヴィオラの妙に沈んだ旋律が、分離してて。
祭りに参加したくても、入り込めないで楽しめないでいる、いじけた主人公のような感じがしちゃう。
なんだー これじゃ。恋人に捧げるセレナードとあるが、告白できず片思いで終わっちゃうのか。
ふむふむ。いや〜 私の思い違いで、最初から失恋して放浪してて、この祭りに遭遇したらしい。
はあ〜なるほど。それでねえ・・・。と、勝手に想像して、妙に納得しちゃった。

4楽章
次の楽章に至っては、山賊と格闘になって殺されちゃうという悲劇になる。 冒頭のシンバルは、何なんだろう・・・
いきなり鉢合わせになって睨み合っているのかしらん。 で、命が危なくなってきて、頭の中で思い出が走馬燈のよう巡るってワケで、前楽章の回想があるのかもしれないね。
幻想交響曲だと、断頭台への行進曲があり、ギロチンが落ちるシーンが描かれているのだが、 剣がバチバチ・・・と、やり合っているような、弦をこしげて弾いているフレーズがあり、金管が合わさって・・・ パンっ。と静まりかえった。
やばっ やられたのかなあ。ここで、ご落命だったのかもしれない。
でも、再度、弦と金管が、バチバチやっているので・・・戦闘は終わってないようだし。
チューバの音色を聴くと、「怒りの日」で、最後の審判かぁ〜とイメージしてしまったのだが、どうも違うようで。
う〜ん。この楽章を何度か聴いたものの、どのフレーズで落命シーンが描かれているのか、未だ、はっきり判らず。
静まりかえったところが、主人公の終焉なのだろうが、ラストは盛り上がって終わるしねえ。
よく、わからないストーリーで、イメージが湧きません。

それにしても、何が面白くてこの曲を書いたのやら。ベルリオーズの意図が、よくワカリマセン。
ヴィオラを主人公に当てはめて書いたら、結局、悲劇で終わるのかしらん。幻想交響曲の方が、ストーリー性や劇的効果が盛りだくさんで、面白いわ。とも思うし、 しかし、どっちもウジウジした内気そうな男を主人公に仕立てて、派手なオーケストレーションで化粧を施して、結局、悲劇的に終えるストーリーにしちゃうんだから。う〜ん。なんとも・・・。
ベルリオーズさんは、皮肉屋さんと言いましょうか、諧謔的といいましょうか・・・。
ミュンフン盤でも、なんだか中途半端に聞こえてしまいました。
でも、もしかしたら楽曲のせいかも。あしからず・・・。スミマセン。やっぱり楽曲に、なじめないデス。

1987年 デュトワ ズーカーマン モントリオール交響楽団 Dec ★★★★★
1988年 インバル バシュメト フランクフルト放送交響楽団 De  
1994年 ガーディナー ジェラール・コセ オルケストル・レボリューショネル・エ・ロマンティーク Ph ★★★
1994年 ミュンフン ヴェルネイ パリ・バスティーユ管弦楽団 ★★★

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