「 頭のなかの ♪ おたまじゃくし 〜クラシック音楽を聴いてみよう〜」

オネゲル 交響曲 第3番「典礼風」(礼拝)
Honegger: Symphony No.3 "Liturgique"


オネゲルの交響曲第3番「典礼風」又は「礼拝」(H.186)は、1946年に作曲されています。
ウィキペディア(Wikipedia)を元に記述すると
この作品のタイトルについて、「他に適当な言葉がないので、私はここに『典礼風』という形容詞を使用しました。この交響曲の宗教的な性格を表すためです」と語っているそうで、作品の3つの楽章には、死者のためのミサ(レクイエム)と、詩篇の中から取られた句がタイトルとして付けられています。しかし、カトリックの典礼から取った標題を与えているのにもかかわらず、グレゴリオ聖歌からの引用は含んでいません。

第1楽章 「怒りの日」 4/4拍子
神の怒りに直面した人間の恐れだそうで、オケは、全てを一掃する絶対的な激怒した竜巻、力の爆発と全てを破壊する憎悪を表現するのだそう。執拗なリズムが、死の舞踏のように混沌のイメージを作り出す間、管楽器が呻きに似た長いフレーズを奏します。暴力的な3つの主要主題に基づいて構成され、展開と再現が認められるもの。
楽章終結部で、トロンボーン・チューバ(低音域のフルートとコーラングレを伴う)のオクターブユニゾンにより「鳥の主題」が演奏されます。

第2楽章 「深き淵より」 3/4拍子
神に見捨てられた人々の苦しみの瞑想、祈りを表現し、霊感に満ちた深遠なアダージョ楽章とのこと。
終結部分では、「鳥の主題」が、フルートの装飾的なソロに変容します。
この「鳥」は悲劇の中にあって、平和への約束を象徴する、オリーブの枝をくわえた鳩なのだそうです。

第3楽章 「我らに平和を」 4/4拍子
低音楽器を主体とする重々しい行進曲で始まり、集団的な愚かさの台頭、隷属への人の絶え間ない進行のさまを描いたものなのだそうな。バスクラリネットによる「馬鹿げた主題」で、行進は進み、アクセントを伴うホルンの主題半音階で下降する木管楽器の動機、弦楽器によるエスプレッシーヴォの主題などが加わって次第に盛り上がり、fff の不協和音によるクライマックスに至ります。急速に静まると、ホ長調のアダージョとなり、人類の平和への願いを表すのだとか。ピッコロが「鳥の主題」を回想し、静かに曲を閉じるものです。
オネゲルが「鳥の主題」と呼ぶ同一の主題が、一種の循環形式のように用いられ、曲全体の統一が図られています。

セルジュ・ボド チェコ・フィル 1960年
Serge Baudo Ceska filharmonie (Czech Philharmonic Orchestra)



録音状態は良い。60年とはおよそ感じないほどクリアーだ。
丁寧でスピーディな演奏で、特に緩楽章は優美だ。

← オネゲル交響曲全集 2枚組BOX
カップリング:
ディスク1
1〜3 交響曲第1番
4〜6 交響曲第2番
7〜9 交響曲第3番「典礼風」

ディスク2
1〜3 交響曲第4番「バーゼルの喜び」
4〜6 交響曲第5番「3つのレ」
7   機関車パシフィック231
8   交響詩「夏の牧歌」
9   喜びの歌

1楽章
このオネゲルの3番は「典礼風」と呼ばれている。1楽章は「怒りの日」、2楽章は「深き淵より」、3楽章は、「我らに平和を」というサブタイトルが付いている。
何も知らない時、典礼風というタイトルで、エルガーの祝祭風の交響曲をイメージしていた。
でも、ぜーんぜん違う。華やかなモノではなく、暗い。はっきり言って暗くて晦渋で、とっつきにくい。
ゲンダイオンガクっぽく、そのくせ様式にこだわって、ガシガシになっている。で、典礼(てんれい)って、キリスト教のカトリック教会における祈祷・儀礼のことだった。どうやら公式礼拝の総称のようだ。
宗教的な意味あいが強く、第二次世界大戦で犠牲になった方々へのレクイエムなのだと思う。
で、ボドさんの交響曲全集は、録音年こそ古いのだが状態は極めて良く、今聴いても、遜色ない。 ただ、とっつきにくい楽曲なので、何度聴いても、う〜ん。唸って固まってしまうばかりで、ちっとも馴染めないのだ。デュトワ盤も聴いたし、カラヤン盤も聴いたけど。う〜ん。

「怒りの日」と題された楽章で、唐突に突風が吹きあれているような光景から始まる。で、うめき声があがっているような状態で。ひぃ〜っ。
ショスタコさんの交響曲も相当に暗いが、それより、ちょっぴりスポーティなものの、なかなかに暗い。
金管が「しっし〜らっらっ しっしっ」
弦が、ギシギシ、ガシガシ・・・ まるでノコギリで、カラダを切り裂かれているかのような不快感が走る。
「みれどれ みっれみっ みれどれ みっれみっ みふぁそふぁ ふぁみふぁ・・・」
すごく印象に残るフレーズなのだが、不可思議な和音がイッパイ詰まっているようで、よく聞き取れない。
とにかく、せっぱ詰まった焦燥感を煽るような金管のフラッターのような音。 機械が回転するかのような、チャカチャカチャカチャカ・・・とした音。これが、雑多に放り込まれているようで、きちんと整理されて繰り返されている。
う〜ん。現代風の「怒りの日」なんだろうなあ。

テーマ音楽のように、「みれどれ みっれみ〜」というフレーズが、音を変え、楽器を変えて登場してくるし、チューバの音が重々しく、グサグサと響いてくる。
それにしても、怒りの日 ディエス・イレって、レクイエムに登場するが、ヴェルディのレクイエムは、相当、度肝を抜かれるような迫力のあるフレーズで、死体が甦るほどの華麗な祝祭的なフレーズになって、TVやCMに登場しちゃうほどの人気フレーズだが、しかし、オネゲルでは、ホルンのまろやかな音色でも、現代的なのだ。
「しらそら し〜らし」と鳴ると、相当不気味。現代的な乾いた音で、メタリックで悲痛である。 それでも、ボトさんの演奏で聴くと、まだ甘みがあって、楽器の音色がまろやかなので救われる。

ホルンの音色が、低周波のように柔らかく響いていることと、高い甲高い金管の鳴り方、ギシギシ目のつまったノコギリ音型の弦のフレーズが続くものの、弦に、しなやかさがあって嬉しい。
で、穏やかで、安寧感ただようフレーズでは、かなりソフトだし。
「ふぁ〜ら そ ふぁ みれみどふぁ どし そられ〜 れみふぁ〜そふぁ〜」 優しいんだよねえ。
特に、弦が甘美な音色を描き出してて、ほーんと、あのギシギシ、ノコギリとうってかわって、これが同じ楽器から出てくるものか、信じられない〜という感じだ。

2楽章
「深き淵より」と題されたアダージョの楽章だ。前楽章と違って、すごく深く美しい楽章で、牧歌的な安らぎがある。
メタリック系の怖い悲痛な声から脱却できて、ほっとする。
クラリネットやフルート、ホルンが出てくると、ホント、ほっとする。
オーボエが悲しげなのだが〜柔らかい弦の響きが美しい。ことにチェロが、 「れふぁ〜み れふぁ〜み そし〜 ふぁ〜らそ ふぁふぁ みれみどふぁ〜」 「どしそられ〜 れみふぁそ ふぁれ〜ど どみ〜れふぁ〜 ふぁら〜そ そらし〜」

ここは、3番の白眉でしょう。誰が聴いても美しっ。と涙ぐみそうになると思う。 で、えっ ピアノも参加しているのかな。
オーボエは高い音域で、すーっとした声だ。フルートが、もう少し前に出てきてくれても良いんだけど。
全体的には、ほんわかした、浮遊感のあるふんわりした幸福感が漂っている。
途中から不気味な低弦の音が入って様相が変わる。ミュート付きのトランペットが入ると、まったく違う世界に変わってしまうし。このスムーズな展開には驚かされる。再び、幸福感の漂うフレーズに戻る。 それにしても、楽器の音色で雰囲気が、ものすごーく変化する。 ボド盤の音色は美しい。低弦の響きが、まろやかに奥まって響いているので、立体的だ。

3楽章
「我らに平和を」
ボボボ・・・ボボボン・・・と響く、重苦しいリズムから始まる。
はあ。ショスタコさんのような軍隊マーチかなあ。スネアが入っているが、ショスタコより、わかりやすい。
ホルンで、「しふぁ ふぁふぁ ふぁ〜 らそふぁ らそふぁ〜ふぁ〜 どれみ れしし〜」
なんとなく、おどけた雰囲気も持ち合わせているし、カジュアル的で、キーンとした音が無い。
なんとなく、エキゾチックな風合いも持っているし、洒脱的だ。通俗的っていうか・・・。 トランペットが入ってきて、ティンパニーが、ドンドン ドンドン ドンドン・・・ 
しばらくすると、金管のフラッターが入ってきたり、打楽器のロールの響きが大きくなって〜 はあ。でも、コミカルだよね。
この楽曲。
ショスタコーヴィチさんとは風合いが違ってて、結構、わかりやすく親しみやすい。 それに、盛り上がった後の、瞑想的で幻想的な雰囲気は、う〜ん。美しい。 とびっきり美しいフレーズになっている。この世のモノじゃーないってことなんでしょうね。

全体で30分弱の楽曲なのだが、ものすごくスケールが大きい。楽章の違いがハッキリしており、時間の経過のように過ぎていく。大河ドラマ的というか(いや、宗教色の強い楽曲だった)、30分弱とは、とても思えないほど、ずっしりと重い。疲れてしまう。
ボド盤は、壮大な金管バリバリ風の演奏ではないけれど、こぢんまりと、まとまっているワケではない。
アンサンブルには緻密さもあるし、特に2楽章や3楽章の美しい世界を描き出す場面では、優美に演奏されているように思う。音色は、ちょっぴり渋めだけど地味すぎず〜やたら大袈裟に演奏するのでもないし、熱っぽく、悲痛さと天上のコントラストを描くのではなく、 人肌に近い、丁寧で、素朴感のある演奏だと思う。
デュトワ バイエルン放送交響楽団 1982年
Charles Dutoit  Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
(Bavarian Radio Symphony Orchestra)

う〜ん。どうだろ

録音状態は良い。見通しは良いのだが、軽やかで、もう少し低音域の響きや力強さがあっても良いかもしれない。
カップリング:
ディスク1
1〜3 オネゲル 交響曲第1番
4〜6 オネゲル 交響曲第2番
7〜9 オネゲル 交響曲第5番「3つのレ」

ディスク2
1〜3 オネゲル 交響曲第3番「典礼風」
4〜6 オネゲル 交響曲第4番「バーゼルの喜び」
7 オネゲル 交響的断章(運動)第1番「パシフィック231」
8 オネゲル 交響的断章(運動)第2番「ラグビー」

1楽章
この楽曲は標題があり、各楽章にもタイトルがある。オネゲルの楽曲のなかでもイチバン有名な作品なので、それなりに聴くが、しかし、なかなかに晦渋な楽曲で、イメージがしづらい。
宗教的な性格を有するというものの、どうイメージしたら良いのか、主題が形作られていくが、デュトワ盤で聴くと、流麗で見通しが良く綺麗な音が出ている。
冒頭の金管のパッセージは、軽やかで煌びやかでさえある。
特に、弦の「みれどれ みっみ みぃ〜 みふぁそふぁ みっみ みぃ〜」は、美しい。
低弦の機会が動いていくようなフレーズは、力強いものの、推進力の方が勝っており、ゴリゴリした感はない。
弦の旋律に、金管が絡むという対位法が用いられているが、楽器によって、それぞれのテーマが奏でられ、それぞれが相まって進んで行く。
デュトワ盤で聴くと、旋律が絡むというより、さらっとした、ぱらっとした浮遊感のあるものとなっている。
楽器の音色は明るめで、どす黒く、重量感のあるものではない。重くて、なかなかに動かず、どろっとした粘り気や、暴力的で怒りを含んだ感じがせず、軽やかで推進力のあるものだ。セルジュ・ボド盤のようなメタリックさ、気味の悪さは、あまり感じられない。

2楽章
ここでは、敬虔さを感じさせる美しい楽章で、祈りの気持ちが湧いてくるものだ。
「みら〜 しどしれ み〜 みみ〜 みそぉふぁ〜 れふぁ〜 れふぁみ〜 そし〜 ふぁぁぁ〜」というフレーズには、ふわっとした慈愛に満ちた、神々しさはあるのだが、その後、フルートの響きが充満してきて、木管と弦がアンサンブルを奏で始めていくが、 金管へと、さりげなく、すっと引き継がれていく。
フレーズが長めで、特に弦の響きが天上の世界を描き出してくる。しかし、少し長く感じられるのだが、どうしたことか。
息の長い旋律に、大きなうねりが感じられないのだろうか、フルートの余韻を感じつつも、音の膨らみが少なめで、響きが大きく膨らまず、色彩感が薄れてくるからだろうか。
弦には緊張感はあるのだが、オーボエやクラリネット、金管の響きが融合していかないような感じがする。
各楽器が、それぞれのテーマで奏でられるので、それがバラバラに聞こえてしまうと、ちょっと隙間が空いてしまう気がする。

3楽章
ちょっと、ゆったりめのテンポで行進曲風の楽章である。
ちょっぴりコミカルで、まるでショスタコ風だ。金管の「らそふぁっふぁ みぃ〜 どれみ みししぃ〜」という調子はずの主題を吹いていく。
この主題は繰り返すのだが、デュトワ盤で聴くと、古代ローマの格闘技場のテーマ音楽みたいで〜 オリエンタル調のようなフレーズにも聞こえてしまうのだ。
うぐっ。おいおい、映画音楽じゃーないのに。(と、自分の耳を疑ってしまった。そんな軽い楽曲ではないだろうに・・・。)
録音の加減なのだろうか、ちょっと軽めに聞こえてしまうのだ。また、煌びやかさ、軽やかさを感じる。
もっと、低音の響きが欲しいのだが、少し腰が高めのような気がする。
重低音の打楽器、低弦の響きなど、重心をもっとさげた響き、もっと意思の強さがあれば嬉しいのだが、どこか客観的で、やっぱり映画音楽っぽく聞こえてしまった。

デュトワ盤で聴くと、ある意味、平和的な演奏という感じで、あまり悲痛さは感じない。メッセージ性のあるものとは、ちょっと違うかも。意思の強さ、感情の露出があってもいいのかもしれないが中庸だ。
とても美しい演奏だが、もう少し融合された、ひとつの響きとして、力強く聴きたいような気がするのだが、どうだろう。

フルネ オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団 1993年
Jean Fournet  Radio Filharmonisch Orkest
(Netherlands Radio Philharmonic Orchestra)



録音状態はまずまず。ちょっと、くぐもった感がするが、柔らかく、諭されるかのような演奏で、しんみり〜猛省っ。
カップリング:交響的楽章第2番「ラグビー」、交響的楽章第1番「パシフィック231」、コンチェルト・ダ・カメラ、夏の牧歌、交響曲第3番「典礼風」
1楽章
オネゲルの交響曲第3番は、典礼風っていうタイトルがついている。
何故、典礼風っていうのか、なーんか曲を聴いてても、さっぱり解らない。
で、ウィキペディア(Wikipedia)で調べてみたら、次のようになっていた。

・・・プロ・ヘルヴェティア財団からの委嘱を受けて、第二次世界大戦が終結した1945年から1946年にかけて作曲された。
オネゲルは、この作品のタイトルについて、「他に適当な言葉がないので、私はここに、『典礼風』という形容詞を使用しました。この交響曲の宗教的な性格を表すためです」と語っており、作品の3つの楽章には、死者のためのミサ(レクイエム)と詩篇の中から取られた句がタイトルとして付けられている。
しかし、カトリックの典礼から取った標題を与えているのにもかかわらず、グレゴリオ聖歌からの引用は含んでいない。・・・
えーっ。適当な言葉なかったから、典礼風? ギャフンっ。

一応、この1楽章は、怒りの日ってサブタイトルが付いているのだが、そのフレーズは出てこない。
突然、プラッター音のように金管が、短く、「そっー そっそ そぉ〜」「「そっそ そぉ〜 ふぁっ ふぁっふぁ〜」と警告音のように、不協和音のように鳴らされる。
「みれどれ みっみれ み〜 みれどれ みっみれ み〜 みふぁそふぁ ふぁ〜みふぁ〜」と、掻きむしったような弦の音が鳴ってくる。
ん たった たぁ〜 タッタ たぁー タタタタ タッタタン タタタタ タッタタン。という、音の並びがあって、ガシガシ 低弦の音が続いていくのだ。フルネ盤は、さほど、がちっとした音が鳴ってこない。硬質的でもないし、ギシギシ ガシガシした軋み感は、まだ少なめ。柔らかい。
響きとしては、柔らかい方なのだが、う〜ん。徹底した冷たさを感じる演奏ではないのだが。
この楽章としては、徹底して、冷たく鋼鉄のように、クールに、底光りするように、青白く光っている方が良いのかもしれない。

2楽章
「深き淵より」と題されたアダージョの楽章 は、これは、ゆったりとした、ほわっとしたフレーズで、聴き応えのある楽章である。柔らかな木管とホルンのフレーズが、光を見いだしたように、一筋の陽射しを描き出す。
まず、「みら〜 しどしれ み〜 みみ〜 みそぉふぁ〜 れふぁ〜 れふぁみ〜 そし〜 ふぁぁぁ〜」と、そろっとした歩みがある。すごく弱々しい音で、ホントに、そろっと、ふわーっと出てくる。
この、ふわっとした序奏の後、深い息を、これまた、そろっと出して、そして一瞬、息を詰めたような空気感のなか、「らそふぁ〜 らそ〜ふぁ〜ふぁ〜ふぁみれみ どぉふぁ〜 ふぁ〜 どぉし られぇ〜」と、息の長い長いフレーズが、切れ目無しに奏でられる。
この長い長い、どこで切れるのか、ちょっと解りづらい間合いの取りづらい旋律なのだが、この間合いの無い、ふわーっとした弦の歌謡風フレーズと、音の余韻のなかで、旋律らしき音が出てくる。 弦と木管で、音が綴られた独特な美しさだ。

フルートの柔らかく息の長い音を聞いていると、呼吸がゆったりとしてきて〜 音が音として存在するのではなく、空気のような存在に近くなってくる感覚だ。 この2楽章は、なんて優しく、ふわふわっとした雲のように、浮かんでいる。
音というより気体に近いかなあ。フルネ盤で聴くと、宗教的という感覚より、自然的なシアワセ感的な雰囲気が出ているのだが。 いや〜 やっぱ、宗教的世界に近い。 いずれにせよ、思わず視線が、自然に上を向いて行き、空を見上げたくなるような、そんな感覚だ。
楽章後半は、低弦の響きが混じってきて、チューバの太い響きで、ぶちこわしてくれる。
まあ、最後には、柔らかく一筋の光を再度描き出してくるのだが〜 
はあ。これを聴いたら、うなだれてしまう。美しい世界への憧れ感が、自然と伝わってくるような演奏だ。

3楽章
軍隊マーチのような重々しい行進があって、中世時代のような暗くて、暗黒時代のような、おどろおどろしい野蛮さが出ている。 ゆったりと演奏されているのだが、メカニックなキツサはなく、どろっ。としてて、暗いのだ。
フルネ盤で聴くと、柔らかい響きなのだが、粘着性が感じられる。
ウツウツとして、沈殿した液体のように、朽ちて、どろっとした液体のような重み感があり、それでいて、綺麗な透明度を欲しているかのような、不思議な重さとなっている。
徹底して重くないし、冷たくないだけに、余計に、心理的に、どぼっ。となりそうだ。
なかなかに複層的で、下に引きずられて行くような、エグミがあってシュルシュシュルって落ちていくような気持ちになる。
沈み込んでいった後には、新しい主題が顔を覗かせ、「我らに平和を」と、祈りが生まれてくる。

う〜ん。この楽曲は、いやー すごい、メチャ深い世界を描こうとしているんだ。と、ようやく気づいた次第だ。全体で30分弱の楽曲なのだが、 描こうとする世界が、大きすぎて。
ワタシには、う〜ん。考えさせられる楽曲で、すーっと流せない。(← あたりまえだっ。)
思想的で、宗教的な主題でありながら、すっと、さらっと描ききってて、聴いたあとに、うーん。と唸ってしまうところがある。
実のところ、1楽章を聴いただけで、晦渋な楽曲だな〜と思ってたのだが、スミマセン。
ワタシが、間違っていました。もっと、もっと、聞き込んでいきたい楽曲ですね。
フルネ盤で聴いた後は、ハイ、愚かしい、人として、もう少し考えて行きます。人さまのお役に、ちょっとでも立てるような人になります、って言いたくなるような、柔らかく諭されているかのような気持ちになります。
なんだか、晦渋だと単に思っていたのですが、ようやく開眼っ。
フルネ盤を聴いてよかった。猛省し、ちょっとうなだれてしまう・・・  自分を振り返ることのできる、楽曲・演奏でした。
1960年 セリジュ・ボド チェコ・フィル Sup ★★★
1969年 カラヤン ベルリン・フィル  
1982年 デュトワ バイエルン放送交響楽団
1993年 フルネ オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団 De ★★★★★
所有盤を整理中です。

「 頭のなかの ♪ おたまじゃくし〜クラシック音楽を聴いてみよう〜」

Copyright (c) mamama All rights reserved