「 頭のなかの ♪ おたまじゃくし 〜クラシック音楽を聴いてみよう〜」

ルトスワフスキ 交響曲第2番
Lutosławski:
Symphony No.2 


ヴィトルト・ルトスワフスキ(Witold Lutosławski)は、1913年生まれのポーランドの作曲家です。
交響曲は4曲あり、管弦楽のための協奏曲が有名です。
ウィキペディア(Wikipedia)を元に記述すると、
1950年代は、「2つの練習曲」、「2台ピアノの為のパガニーニの主題による変奏曲」などは、新古典的様式を示しており、硬質の形状を伴った音楽作りは、生涯を通じて変わっていないとのこと。戦後は、ポーランドの共産主義による規制で、前衛的な曲を書くことが制限されたそうですが、そんななかで「管弦楽のための協奏曲」が書かれています。

1960年〜70年代は、シュトックハウゼン、ブレーズ、ケージらの前衛イディオムの単なる引き写しを行わず、12音和音、ad-lib動律(アドリブ)と呼ばれる各パートが「それぞれのアゴーギクを保ちつつ」、「ほぼそのように」演奏される為に、指揮者は入りの瞬間だけをキューで示し、後の音楽の進行はそれぞれの奏者ごとに与えられる異なったテンポやフレーズ、繰り返しに任されるような楽曲を作曲しています。

パートの旋律の様相が、クリアに浮かび上がるために、不確定性全盛の時代の中で、最もクラシック音楽に近いポリフォニーを生成できたとのことですが、このテクニックでは、セクションが終わるまで動律が止まらないため、衝撃音か合図音で打ち切らなければ、次に進めないなどのいくつかの問題点を生んでいたそうです。
ad-libセクションと、通常の小節線によるセクションを往復することを、初期には縄状形式、後に「チェーン形式」と呼んでいます。
1980年代以降は、伝統的な作曲技法へ変わり、通常の五線譜で作曲されるようになったとのこと。

ルトスワフスキは、94年までご存命だったので、ゲンダイオンガクですし、アドリブでの演奏って・・・ う〜ん、どうなってるんだっ。という感じですが、交響曲3番などの後半の作品は、あまり前衛イディオムが表に出てこないので、まずまず聴きやすい楽曲のように・・・感じられるように思います。

サロネン ロサンジェルス・フィル 1994年
Esa-Pekka Salonen
Los Angeles Philharmonic Orchestra

まっ こんなモン

録音状態は良い。他盤と比較できてないし〜 楽曲についていけてないので、う〜ん 困っています。(謝)

カップリング:
1  ロサンジェルス・フィルのためのファンファーレ
2〜5 ピアノ協奏曲 ピアノ:ポール・クロスリー
6〜14 歌の花と歌のお話(ソプラノと小管弦楽のための9つの連作歌曲)
ソプラノ:ドーン・アップショー
15〜16 ルトスワフスキ 交響曲第2番
サロネンさんは、85年から94年にかけて、交響曲第2番〜4番を録音しており、後にロスでライブ録音された1番と一緒になって、交響曲全集として2枚組BOXで発売されている。
ゲンダイオンガクは苦手で、どう聴いたらよいのか、さっぱりわからず、ルトスワフスキは、聴きやすい方だとはいえ、この2番は、どうも・・・ 
1楽章は、冒頭、金管が普通のファンファーレ風に吹いているのだが、そのうちに、テンデバラバラに吹かれて、は?
1965年に作曲されているので、当時の作風であるアドリブが取り入れられているようだ。
えっ 何人トランペットがいるの? と、戸惑っていると、ピアノのような弦がなり、ジャンっと小太鼓が鳴って、それを合図に違う曲に進む。
フルートなどの木管が、今度は、テンデバラバラに吹かれており、神秘的だけど、タムタムのような打楽器が奥で、ボコボコっと鳴っているので、不気味さもある。
打楽器が合図してるんでしょうねえ。パンっと鳴ったら、一瞬、シーンっとなって、次に進むようだ。
まあ、自由自在に、いや、勝手気ままに演奏者たちが、短い音を奏でるというのが、作風らしいが・・・う〜ん。
面白いような面白くないような・・・ う〜ん。(ワタシは、唸ってばかりである。)

なんていうか、タケミツさんのような長い音が、聞こえてこないので、神秘的な雰囲気というのも、まあ、感じられないわけではないが、ど素人には、ピコピコ、パコパコ、ぱららら〜ひろひろ〜っとしか、感じないのだ。(段々と、つまらなくなる。)
なんだか、まとまり感がないので、だから、なに? で、何が言いたいの? と、自然発露的に、ツッコミを入れたくなる。
これが、サロネン盤で、13分41秒続く。
う〜ん ある程度、音としては色彩感もあるし、漆黒の闇のなかで響く〜という風でもないので、繰り返して聴いてみたのだけど、う〜ん。特に、原色的なリズム感が生まれてくるわけでもなく、ジャングル探検してるわけでもなく、乾燥地帯を歩いているワケでもなさそうで、あまりイメージが膨らまない。
木琴の音かな〜とか、小太鼓が鳴っているとか、シンバルの鈴だな〜とか、ピアノがあるんだ。とかしか、感じない。

2楽章は、木管のぴよぉ〜〜っという音が、ちょっぴり和風的に奏でられ、低音の蠢く音が出てくる。
ファゴットの音が、短く、ふわわぁ〜 モゴモゴ感が出てくるので、なんとなく、ボコボコした凸凹感があるのだが、トランペットのフレーズが重なって、コンクリートのような、金属加工工場のような雰囲気も出てくる。
チューバが唸っていたりするが、音が鳴らない空白の隙間があったりする。
指揮者は、どんな風に指示をして、楽器を入れ替えているのか、ちょっとCDだけでは、わからない。
サロネン盤だと、14分11秒というクレジットになっているが、後半は、段々と、うねり、ぐにゃぐにゃした感覚が勝ってきて、カオス的な様相を醸し出す。
う〜ん 不協和音というより、騒音に近くなってくるのだが、オケの音合わせのボリュームが、一気に広がり、ひぃ〜いっ!という感じで軋んでいく。
音量は、均質的に大きくなるわけでもなく、減ったり増えたり、音の長さは、長くなったり短くなったり、音価は、う〜ん。これも均一化されたものではないようだ。
で、ラストは爆発しちゃう。爆発しちゃうというつつも、いろんな楽器が詰め込まれているので多彩だ。
打楽器の合図で、ひろひろひろ〜っと風のように、うにゃうにゃうにゃ〜っと、渦を書いていくのは、面白い。

まあ、管理された偶然性の音楽・・・って、管理するって、どういう意味なんだ。
いつまでも、うにゃうにゃ〜してたら、果てがなく、終わりがないから、打楽器で、合図しているんだろうってことなの?
あーっ わからん。
2楽章は、なんとなく、テンデバラバラのなかにも音の多彩さが感じられ、パワフルで、緊張感も高揚感も、それなり(ってどういう意味なのか、段々、ワタシの定義が揺らぎだす)に面白い。
弦は、弦で、ガガガ・・・ 打楽器も、ダダダ ダダダ・・・と、畳みかけてくる。
一瞬終わったと思ったら、再度、だーっ! と、鳴って終わる。

なんでもありーっ! ご自由にどうぞ。となった場合、開放感にあふれてて、いいのかもしれないが、なんかねえ。
気楽で良いのかも知れないのだが、う〜ん。気楽さは、どうも自由とも違うようで、なんとなく、居心地が悪い。

ワタシ的には、やっぱ枠があって、ある一定の決まりやルール、型のなかでのオリジナリティが、感じられるのが、もしかしたら、気持ちが良いのかもしれないな〜って思ってしまった。
感覚的には、管理されるっていうのは、好きじゃないけれど、無尽蔵では、どうも居心地が悪くなるみたい。
アドリブで良いよ〜というわれても、ちょっと、演奏家さんたちも、戸惑うのかな〜
いやいや、そこはプロなんだから、巧く演奏されるんでしょうね。


1994年 サロネン ロサンジェルス・フィル SC ★★★★

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