「 頭のなかの ♪ おたまじゃくし 〜クラシック音楽を聴いてみよう〜」

プロコフィエフ 交響曲第5番
Prokofiev: Symphony No.5


プロコフィエフの交響曲第5番(作品100)は、1944年の作品です。
ウィキペディア(Wikipedia)を元に記述すると
戦時中の1944年、モスクワ郊外のイヴァノヴォにある作曲家たちの山荘で、わずか1ヶ月あまりでピアノ・スコアが書かれ、そこから1ヶ月で、オーケストラのスコアが完成されたという作品です。

第1楽章 変ロ長調 4/3拍子 ソナタ形式
第1主題は、4/3拍子を基本とているが、実際は変拍子に近いもので、旋律も様々な楽器に受け継がれていき、第2主題は、4/4拍子で、構成面・音響面ともに第1主題と対比されています。

第2楽章 ニ短調 4/4拍子 三部形式
スケルツォの楽章で、オスティナート的な弦楽器のスタッカートに載って、軽快な主題とリズムが展開されます。トリオは、ニ長調で、その主部は、3/4拍子で軽快なもので、回帰したスケルツォでは変化が激しく、最後は、その勢いを保ったまま強奏で終わるもの。

第3楽章 ヘ長調 4/3拍子 ロンド形式
抒情的で落ち着いた歌謡的な主題を持ち、主部は広い音域をもった美しい旋律で、長いフレーズの中で、様々な楽器に紡がれてゆくもの。

第4楽章 変ロ長調 2/2拍子 ロンド形式
序奏の後、第1楽章の主題を、4声のチェロで回想して主部に入ります。中間部では、ブラームスの交響曲第1番終楽章のフーガにも似た展開が行われ、コーダでは、この楽章の3つの主題が展開され、終わり直前に、突然、各楽器を1人にして音量を絞ったのち、一気に盛り上げてトゥッティで終わるものです。

プロコフィエフの交響曲のなかでは、最もといって言いぐらい人気の高い楽曲です。前衛的でもあり、カオスが爆発するかのような高揚感もあって暴力的かと思う反面、とても抒情的で、コミカルで陽気な面もあり、多彩で、ごった煮的なところに、何故か、ついつい〜ワタシは引き込まれてしまいます。

カラヤン ベルリン・フィル 1968年
Herbert von Karajan
Berliner Philharmoniker
(Berlin Philharmonic Orchestra)

録音状態は良い。68年の録音とは思えないほどクリアーである。幾分、かっしりしているが、コミカルに演奏されている楽章もあり、多彩に変化して頑張って演奏しているな〜と思う。
カップリング:プロコフィエフ 交響曲第1番「古典」、第5番
1楽章
不可思議な安定しない半音階っぽい楽曲なのだが、とこどなく憎めず、ほんわか〜っとした出だし。
カラヤン盤も、のびやかにフルートとファゴットが出てくる。まるでアクビをしているようだ。
「そ〜ら〜しそれどそ〜どみふぁそ〜 らそふぁみれどれふぁ〜み・・・」
その後、小太鼓が軽く鳴って、高揚感を出している。 録音状態は良い。68年とは思えないほどクリアーだ。
旋律が頻繁に転調しちゃうので、捕まえどころがないのだが、カラヤン盤は、テンポをあまり揺らさず、かといって、ガシガシに硬くならずに浮遊感を漂わせている。

へえ〜 カラヤンって、こんな風にも演奏できるんだ。と、驚きのあまり、生意気な感想が出たりした。
旋律の後ろで鳴るホルンの「ほほぉ〜」という音色が優しく、弦が「どーら しどど どれふぁ・・・」と、半音混じりの旋律を、こっそっと弾いていたりする。
これが妙に、こましゃくれた囁きに聞こえたりする。
なんだか、後ろで悪口を言われているような・・・(笑)
金管が、冒頭に戻って不協和音の「そ〜ら〜しそれどそ〜どみふぁそ〜」を厳かに鳴らす。
この旋律だけが命って感じで、あとは、つれづれなるままに・・・という雰囲気で、音が鳴っているのだが、後半は、タンバリンが鳴ったり、打楽器類が頻繁に顔を覗かせる。
カラヤン盤は、フレーズの語尾がちょっと硬め。でも、低弦や金管の太い低い音は、かなり重量があるので、地の底から生暖かいパワーが生まれたような感じがする。 この盛り上げ方は、かなり劇的だ。
で、パワーが生まれたところで、銅鑼が鳴るのだが、カラヤン盤は、かなり大袈裟な音なのだが、シャーンっとした、軽めの金属音で入っている。はっ?  音量が大きく派手なのだが、音が軽い。
まるで、アルミ製の金盥を叩いたかのような響きで、はりゃ?なんですかこれは?
バックの打楽器は、品よく頃合いなのに、釣り合いが取れないような気がする。受け狙いってワケじゃーないだろうに。
う〜ん これはいただけないです。

2楽章
「そみそみそみ・・・」 まるで、蜂が飛んでいるようなフレーズで始まる。
軽快なスケルツォだが、いろんな楽器で、「みーみーみー」となっており、金管が、「らーそーらーそーら」
弦が「らそら〜 らそーどれ〜そしれそ〜れっそ・・・」
ハハハ・・・ ここらあたりになると、コミカルというかアイロニーというか、滑りそうになりながら、踊っているような光景が想像できる。
単純な「れそーれそー」という細切れのフレーズが、バックに常に流れており、 まるで、トムとジェリーのようなアニメーションの追い駆けっこゲームを見ているようだ。この楽章は、痛快っ! これは面白いっ。
弦のピチカートに続く、楽章の中間部分は、ラブロマンスのようなシーンに代わる。
映画ダンスのBGMように聞こえるし、通俗的といえば通俗的な音楽だが、ミュージカルっぽいのと、 弦とパーカッション群が華やかで、明るい金管の音色が、小気味良く多彩に彩りを添えてくる。
次は、ギクシャクした歯車が回っているような音で、前半の「らそら〜 らそーどれ〜そしれそ〜れっそ・・・」フレーズが再開される。あっ これは〜 会社であくせく働いているシーンと、夜の娯楽シーンのかみ合わせかも。なーんて想像することができますね。カラヤン盤が、いかにアンサンブル重視で、まじめくさって、杓子定規に演奏しても、この楽章は楽しい。
まあ、他盤に比べると、さすがに硬め、暗め、マジメという感じはしますが。

3楽章
「しそれ しそれ ・・・ そ〜ふぁ〜そ ふぁみれみどれ〜 そしれふぁしどふぁ〜」
テンポが遅く、水中で揺らめいているような感覚だ。クラゲのように、ふわふわ〜 水中で浮いている、重力感のない軟体動物になったような気分だ。極めて美しいフレーズなのだが、くにゃくにゃしてて、とろけてしまう。
聴きようによっては妖艶なフレーズでもあり、まいってしまった。
カラヤン盤で聴いた時、弦の「どそし どそし・・・」という低い響きが、大変気持ち良い。なかなかに低音が入っているので、不気味な和音が支配するが、「どそし どそし・・・ らどし そぉ〜ふぁっ〜」 3拍子のリズムが、妙に心地よい。
最初聴いた時には、変なワルツだなあ。と思ったものだが、 低い金管が不協和音を奏でているものの、妙に、美しく聞こえてくるのだ。
弦の高音域の煌めく音から、低い唸り声のような低音まで、幅広く響きわたる。非日常的な世界で、 水中深くに潜む、深海魚的な気分となってくる。じけーっとした感触も、ここでは愉悦性に変わる。

4楽章
1楽章の冒頭のフレーズが再現される。
パパパパパ・・・という金管の柔らかいパッセージの上に、旋律が、まろやかに乗ってきている。ところどころ、日本的なフレーズというのか、耳に馴染んだフレーズが聞こえる。チェロやヴィオラ、木管などが、和風コラールを演奏するのだ。
「そらし〜 みふぁそ〜 しそふぁみら  そらし〜そふぁ〜み〜そみ れしど〜 ・・・」
なんだかなー すごく懐かしい雰囲気がする。フルートが横笛に聞こえてくるところもあり、肌に馴染みを感じるようで、なかなか嬉しいフレーズが刻まれている。カラヤン盤では、軽快にテンポが刻まれて、コミカルさも適度にあって痛快だ。
テンポの刻みは、わりと几帳面で、杓子定規的であるが、多彩な面が顔を覗かせる。

最後、金管の短いパッセージが重なって重厚さを帯びてくる。「どれみ〜っ」、このパッセージが単調なくせに、なかなか面白い。そのなかで、再度、和風コラールが入ってくるのと、打楽器オンパレードのなか、幕を閉じるのだが・・・。
カラヤン盤なんぞ、ダメだろうなあ。と思っていたが、 う〜ん。意外や意外。
なかなかに聴き応えあり。熱狂的ではないが、ほどほどに、カラヤンとは思えないほどノリが良い。アンサンブルも、もちろんみごとである。カラヤンだから、というよりは、この楽曲の懐の深さというか、密かな愉悦性が顔を覗かせてくるのだろう。

テンシュテット バイエルン放送交響楽団 1977年
Klaus Tennstedt
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
(Bavarian Radio Symphony Orchestra)

ライブ盤 録音状態はまずまず。ぼや〜っとした感があるが、テンシュテットさんの独特の感性で、ぶにゅ〜っと、ぐにゅ〜っとしたグロテスクさに、思わず引きずり込まれてしまう。
カップリング:プロコフィエフ 交響曲第5番、第7番
1楽章
録音状態は、さほどクリアーではない。
冒頭、「そ〜ら〜しそれどそ〜どみふぁそ〜 らそふぁみれどれふぁ〜み・・・」
もわ〜っとしているな。というのが第一印象だったのだが、混沌としているが、ふわ〜っとしており、まろやかさも持ち合わせている。
そのうち金管があわさってくると、少し金属的な輝きが出てくる。
和音が揃っていないような気もするのだが、低音域が、ぶわ〜っと被さってきており、 厚みのある雲のなかに漂っているような気がする。浮遊感と温かさに取り巻かれて、ちょっと息苦しいが、気だるさと共に、うねうね〜としたつかみどころのない、前の見えない感覚に襲われる。
かといって、混沌とした底なし沼に落とされたような怖さや悲劇性はなく、そのうちに「ターラ タタタタ タタタタァ・・・」と切り込んでくれて、雲の合間に青空が見えてきた・・・。そんな気にさせられる。
なかなかに、多彩というか、グロテスクさがあって、気怠さと、なんともいえない足元の悪さ、沼地に足を取られているかのような〜風でもあり、もわっとした厚ぼったい、真綿に首を絞められているかのような雰囲気もあって、ひとくちで表現しづらい気持ちの悪さと、気持ちの良さが、表裏一体的に感じられる。(なんとも表現しづらのだ 笑)

銅鑼が鳴るところは、あまり迫力がないのだが、鳴れば、希望を見つけたような明るい気持ちになる。
低音に馬力があり、底力で、ぐぐ〜っと、うねる長いフレーズが、巨大な軟体動物のように、横に動いて迫ってくる。
リズミカルに弾む楽曲ではないので、このクネクネした長い動物が、グロテスクに、ねちっこく、湿気感を漂わせて迫ってくるのが、見えるかのようだ。
大太鼓のもわ〜っとした響きが、うへっ なんだ、これは・・・と、生理的にあわない人もいるかもしれない。
楽章最後は、どろどろ〜 とろとろ〜とした液体が底に溜まっている感じがして、ちょいと〜 いや〜 かなり、ブキミでもあり、火山のマグマを覗いて見ているかのような気にさせられる。
気がつけば、エライとこに来ちゃったぜ〜的な、まずいで〜こりゃっ。と引いてしまうような風景が広がっているのである。

2楽章
「そみそみそみ・・・」「らそら〜 らそーどれ〜そしれそ〜れっそ・・・」
この楽章は、まず、虫的に聞こえてくる。鬱陶しい虫が、周りに寄ってきて飛んでいるような、ちょいと不快感が漂っている。う〜ん。ピアノの音もよく聞こえているし、木管、弦、パーカッション群の活躍で、躍動的ではあるのだが。
テンシュテットさんならではの、ブラックユーモア的なコミカルさがある。
まあ、もともと、このプロコさんの楽曲が、何とも言えないヒネり感のある楽曲なんでしょうけど。

アシュケナージ盤のような、綺麗で健康な〜という感覚ではなく、やっぱテンシュテットさんなので、アイロニーが漂っているというか、ちょいと捻りが感じられ、いひひっ・・・。と、意地悪く、笑っているような感じがする。
中盤の三拍子に変わるところなんぞ、特に、ねばっこく、木管が浮き上がっており、リズムも抑揚も一律ではなく、不可思議な粘りがあって、わざと、拍感覚をずらしているんじゃーないの。という、ずれを感じるのだ。
「んちゃーちゃ んちゃーちゃ チャチャチャ・・・」のフレーズが登場してくるところは、かなりテンポを落として、今度は、動物的ではなく金属的・機械的な感覚に変化して、うねって演奏されている。 この動物的にも金属的にも聞こえてくる演奏は、大変面白い。1つの盤で、同時にこの感覚を味わえるっていうのも、まれかもしれない。
「らそら〜 らそーどれ〜そしれそ〜れっそ・・・」と、楽器が合奏してくるところは、鋭いエッジが立っている。

3楽章
「しそれ しそれ ・・・ そ〜ふぁ〜そ ふぁみれみどれ〜 そしれふぁしどふぁ〜」
この楽章では、どんな変化をするのか気になったのだが、テンシュテット盤は、誰もいない閉店後の、深夜、一人で、水族館にいるような雰囲気だ。
深い水槽に落ちて、ゆらゆら〜っと揺らめきながら、泳いでいるような感覚になる。
いや〜 死体になって浮いているって感覚の方が正しいのかもしれないが、うへっ かなりブキミだっ。
三拍子のリズムが、どろん どろん・・・と響くなか、低弦が三拍子で揺れ、高音域の弦が、なまめかしく悲鳴をあげる。そのうち、低弦が足音に代わり、う〜ん。ぞっとしてくる。
怖いくせに、あまりにも美しいため、悲鳴をあげられない。って感じだなあ。
なんとも摩訶不思議な感覚で、妖艶で、なまめかしく、とーってもアブナイ美しさが漂っている。
背中が、うすらさぶくなって、ぞくぞく〜っとしてくるのだが、この感覚が好きな人には、たまらんでしょう。
かなり、アブナイ、危険な美意識が、たっぷり盛り込まれ、アナタを後ろから見ている〜 そんな感じだ。あっ 危険が迫っていると思いつつも、怖い見たさ的な興味があって、 派手さはないが、独特の感性で3楽章は、この盤の白眉だ。

4楽章
しなやかに開放的に、まず演奏される。さきほどの楽章とは、かなり印象が異なる。
爽やかに展開していて、へえ〜っ さきほどのオケと同じとは思えないほど。驚かされる。
「そらし〜 みふぁそ〜 しそふぁみら  そらし〜そふぁ〜み〜そみ れしど〜」では、明るい音色で演奏されていて、ああ〜バイエルンだったよねえ。と思いだす。
特に、木管が、爽やかな一陣の風のようで、草原に立っている雰囲気を醸し出している。
ヨナ抜き風のコラールになると、諸行無常って感じにさせられるのだが、リズムが生まれてくると、一気に、跳ね回ってくるし、どこに行ってしまうのか予測不能の楽曲である。
自由自在に変化しており、いろんな姿に変容していくさまが感じられる。まるで、魔物が、いろんな姿に化身していく様を描いたような楽曲なのかと思わせる一面を持っている。
最後には、1楽章のフレーズが戻ってくるが、その姿には、様々な装飾がついている。これが華麗に、大胆に、豪快に演奏されている。
ついには、テンポの渦に巻き込まれて、振り回されて遠心力で飛ばされる。

かなり感覚的な楽曲なので、好みによって大きく分かれるだろう。テンシュテット盤は、幻想的で、蠱惑的であり、グロテスクな世界が広がっているので、健康的な精神をお持ちの方は、う〜ん。眉間にシワが立つかもしれない。
 (健康的なモノを好むなら、小澤盤が良いかも)
しかし、悪魔的な要素を孕み、蠱惑的で化身するモノが好きな人には、ふふっ。と、ほくそ笑んでしまうような、たまらない一枚が、このテンシュテット盤だと思う。
ワタシ的には、毒づいてしまった盤がこの盤が面白いというか、この盤を取り出す時は、うひっ うひひ〜と、しゃくりあげて、頬をこおばらせて、おもわず笑ってしまう始末である。(あかん、危険やんっ)

マゼール クリーヴランド管弦楽団 1977年
Lorin Maazel
Cleveland Orchestra

録音状態は、まずまず良い。いろんな要素が、いっぱい詰まった楽曲で、カメレオンのように変化している。
カップリング:プロコフィエフ交響曲第1番「古典」、第5番、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第3番など (複数の指揮者・オケ等 2枚組オムニバス版)
1楽章
マゼールにしたら、あまり勝ち気に流行らず、茫洋とした出だしになっている。
テンポは、速くもなく遅くもないのだが、中途半端な感じを受ける。「そ〜れみどそ〜ふぁど どふぁ〜らしどぉ」 
「そ〜どみふぁそ れみみ〜 ふぁふぁ〜 らら〜しど〜」
伸びがあまりなく、単にけだるい感じがするだけのような。あれれぇ〜 意外とキレが悪いやん。

トランペットの音色など、ストレートに聞こえてくる部分もあるのに、「た〜ら たったたた たたたたぁあ〜」という、付点のリズムに、全くノリが感じられない。それと、杓子定規になりすぎて、蝶番の外れた、関節の外れたロボット的動きになっており、しなやかな、うねり感がないというか。まったり感が感じられないというか、あれっ? かなり凡庸に聞こえちゃう。
また、 オケの色彩能力に、ちょっと疑問を感じてしまった。
それに、官能的にはなりきれないのか、中音域の木管のパパパ パパパという弾んだ音が聞こえたり、埋もれがちなフレーズも、頑張って出して浮かせるようにしているのだろうが、う〜ん。ティンパニーが活躍する場面になるまで、緩くて、伸びきって、だれた感じがする。
後半、飽和状態になってくるところまで、なんだかなあ。けだるい脱力感で支配されているようで、それが面白いと感じる盤もあるのに、なぜか、マゼール盤では、盛り上がらない。
主題が戻ってきても、活気がないし、音としては綺麗に聞こえるのに、フレージングに張りがないというか。なんで?
銅鑼が鳴って、表面張力が漲るところで、何故か、プチっと鳴ってしまうし、シンバルの音らしいのだが、なんだ〜これっ? 編集ミスだろうか。
最後、すごい重い音が鳴り響く。雷鳴のごとく、ものすご〜い大仰な演奏で、見得を切って盛り上げているのだが、それは無理矢理あげた音量のパワーだ。 すっげっ。この演出。まるで映画音楽さながら、ご大層に上段に構えて鳴らす。う〜ん。このラストで、やるんだっ。最後の すごいパワーっ。まるで火山の爆発である。

2楽章
ソミソミ・・・と、リズミカルな楽章なので、ここは、楽しめる。スネアの激しいこと。テンションあがりっぱなし〜 
「らそら〜 らそーどれ〜そしれそ〜れっそ・・・」 これは、オスネ状態のアイロニーたっぷり。
さすがマゼール盤っ。テンポを揺らしてくるし、パーカッション群が活躍してくれて、音の強弱もバッチリついてて、「たらら ららら〜 ンチャ ンチャ・・・」のリズムが生きてくる。
弦のパッセージもハッキリしているし、コミカルだし、映画音楽風の歌謡フレーズも、なかなかに、小気味が良い。コーラングレだと思うが甘い音色の響きも、かなり良い。
この楽章は、私的には好きなので、誰の演奏でも惚れ惚れしちゃいがちだ。いろんな要素が詰まっているので、おもちゃ箱を覗いているみたいな気分で、ついつい、つまみ食いで満腹になってしまう。
マゼール盤は、各ソロの音色が綺麗に、まとまっているし、スピード感もあり軽快である。
木管の響きと、弦の「らそら〜 らそーどれ〜そしれそ〜れっそ・・・」のスピード感が抜群に良いので、大いに満足しちゃう。滑り落ちるような転落感もあって、なかなかにスリリングである。

3楽章
またまた、1楽章同様に、けだるいフレーズになると、ぶわ〜っとした水中に漂う雰囲気に変わる。
「ふぁ〜み ふぁみれど〜 れしど〜 らどふぁしそふぁ〜 ふぁらしど〜れみれ〜」
弦の交錯したフレーズが、とろとろに溶けており、非常に官能的になっている。
まどろみのなかのエッチ状態なのだが、三拍子の心地よさの反面、スネアの軍隊調フレーズが、ヒタヒタとブキミに、こっちに向かってやってくる。
「れっそふぁ〜 みっどれ〜」
背中のなかに、何が詰まっているのかわからないリュックサックを背負わされて、行進しろと促されているようだ。
この楽章、非常に感覚的で、どのようにもイメージして良いと思うのだが、マゼール盤では、官能より、強制的に促され、無理矢理に連れて行かれるような気分になる。
テンシュテット盤だと、死体が、水に浮いている感じがしたんだけどねえ・・・。どこが、どう違うんだろう。
マゼール盤は、権力的というか、社会現象状態に聞こえるのだ。ヒタヒタと近寄る悪しき者、 その存在が見えないまでも、確実に迫ってくるという、得体の知れない不気味さ。
「みっらそ〜ふぁっれみっ みっらそ〜ふぁっれみ〜」というフレーズが、ことのほか冷たく、氷の塊のように感じられる。
フレーズのクールさ。ニコリとも笑わないで、氷の塊を、無理矢理あてがわれてしまったような。そんな感覚だなあ・・・。

4楽章
序奏部では、氷の世界が、少し溶け始めて希望が見えるかも〜という雰囲気が出てくる。
急に開放感溢れると言う状態ではなく、じわじわ〜って感じ。
「そそそ そそそ そっどれみしど〜 しらそ ら〜どみ〜」 機械の回転のような三連符のフレーズが、ずーっと続くなかで、木管の爽やかな跳躍感のあるフレーズが乗っかっている。
他の盤だと、草原をイメージしたのだが、う〜 マゼール盤では、さすがに自然界というよりは、社会現象というか、システムに組み込まれたなかでの、自分が、パーツの一部のように感じられて、 激しくテンポがあがらいくせに、なーんか無機質な匂いがするのだ。

また、人間らしく、ヒューマン的なフレーズでもありながら、「タタタ タタタ タタタ・・・」という、音型に気が行ってしまうことが要因かもしれない。 コラール風のフレーズが顔を覗かせると、ようやく、人間らしく戻れるのだが、まだまだ時間がかかる。
プロコフィエフの緻密な幾何学模様のなかに、放り込まれ、この演奏において、マゼールが解説してくれているのに、どーも、余計に複雑になってくるという気がする。
馴染みやすいフレーズがありながら、それだけで終わらないところがあって・・・ひねりが効いている。

まあ。あえて例えて言うと〜 いろんな要素(フレーズ)を、数多く見せられて、迷いが生じてしまったという感じなのだ。
まるで、いろんな香水を嗅がせてもらって、自分なりのオリジナルの香水を創ろうとしているのだが、鼻が麻痺しちゃって、何がなんだかわからなくなった。そんな状態になってしまう。
マゼール盤は、コーダに入ってくると、テンションが急にあがって〜 爆発しちゃう。まあ、1楽章のように大仰ではなく、すとんっ!と、憑きものが落ちたように終わってしまうのだが・・・。これもまた、ひねりが効いてて、最後の素っ気ない結末に驚かされるのだ。

マゼール盤を聴いているうちに、プロコフィエフの楽曲って、やっぱ、とっても難しい楽曲なんだなあ。と、改めて感じてしまった。プロコフィエフもマゼールも、カメレオン的に見える。いろんなモノに姿を変えているので、それだけでも追いていくのが大変っ。あ〜 難しい楽曲だなあ。ますます頭を抱えてしまう始末で、 あ〜 自分が情けないっ。
でも、この楽曲に、すっぽりその後、はまってしまった。どうしましょ。困ったなあ。(汗)


ネーメ・ヤルヴィ スコティッシュ・ナショナル管弦楽団 1986年
Neeme Järvi
Scottish National Orchestra



録音状態は良いが、少し残響が多め。豪快な鳴りっぷりだが、繊細さが足らず、ツンツン、角張った感じがなく、総体的に丸みをおびた演奏になって、面白みの無い演奏になってしまっている。
カップリング:プロコフィエフ 交響曲第5番、ワルツ組曲 第1番、3番、4番
1楽章
「そ〜ら〜しそれどそ〜どみふぁそ〜 らそふぁみれどれふぁ〜み どれふぁみど〜ら〜しそ〜」
テンポはゆったりめ。
残響が多めで、風呂場的雰囲気がする。 録音状態は良いのだが、ツンツンとんがったプロコフィエフではなく、鋭角的でもない、丸みを帯びたプロコフィエフになっている。
で、何度かこの楽曲を聴いた人には、ちょっと、たるい。ゆるい。って感じるかもしれない。
間接音が結構入っており、エコーのかかった、小惑星空間にいるような雰囲気がする。
カチカチに絞った、タイトな演奏ではなく、良く言えばおおらかさがある。
で、音量もパワーもあって、金管の大音響が響き渡る。
大ホールで、豪華に優雅に、どっぷり浸かりたいという方には、まあ。お試しあれ。という感じ。
このネーメ・ヤルヴィ盤は、レーベルがシャンドスである。
レヴィ指揮のアトランタ交響楽団の演奏も、残響多めのの録音傾向があるが、こちらはテルディックである。私的には、残響がある方が好きなのだが、プロコフィエフだと、もう少し 硬め仕上げて欲しいかなあ。
まっ もっとも、あまり律儀にガシガシになると、これまた面白くなくって。
なかなかに難しい。(← 好みの問題だが。)
ネーメ・ヤルヴィ盤は、金管の響きがまろやかで、あたりに拡散していく。
しかし、内声部が、あまり聞こえてこないので面白みがない。特にパーカッションが。
音の響きとして、残響多めなので優しくは響いているが、演奏自体は、豪快で荒っぽい感じ。
特に1楽章の最後は、火山の噴火風で、力ずくって感じがする。
細部はこだわらず、精緻さは欠けている。ティンパニーなんぞ、どろどろ〜っと響いているし、銅鑼のシャーンには、仰天させられるし。ホント、音量のでかさに、あわててボリュームを絞りに走らないといけない。
そういう意味では、深夜に聴くには不向きだ。

2楽章
ここは流れるようなフレーズが面白いのだが、まあまあ。可もなく不可も無し。
無難な演奏で、あまり文句はないのだが、シャキシャキした歯ごたえがないので、ちょっとなあ。
パーカッションの音が、豪快に鳴っているが、もう少し、音量の調節を微妙にしてくれたら、いいんだけど。デリカシーが無いっていうか。1本調子的な感性で、う〜ん。金属的でも、動物的でもなく、う〜ん。
特に感じるところがないかなあ。
正直言って、ピンと来るモノがない。ヒクヒクしたり、ピクピクしたり、いひひ〜っと笑ったりする部分が、無いんだよなあ。すーっと流れてしまった。 スパイスが効いていない。

3楽章
「しそれ しそれ ・・・ そ〜ふぁ〜そ ふぁみれみどれ〜 そしれふぁしどふぁ〜」
ぶわ〜っとした空気感で、暖かみがある。テンポが一様な感じで、反対に不思議な感覚がする。
他の盤だと、揺れを感じるのだが、茫洋としてて、う〜ん。
水中で揺らめいているような感覚とか、幽霊が出そうな雰囲気の盤もあるのだが、 無味無臭的な感じがする。あの〜ぉ。この楽章、マーチじゃないんだけど。と、冒頭思ってしまった。
なんか感性が鈍いっちゃ〜怒られるのかもしれないが、異様さとか、摩訶不思議な、おどろおどろしさとか、悪魔的な感性とかが、ちょいと少ないようだ。ぐぐぐっ〜っと来たり、ぞぞぞ〜っとしたり、感覚が湧き立たない。で、訴えてくるモノが少ない。まっ 私が、変なモノを期待しているのかもしれないが、いやいや他盤が面白すぎるのだけど。(笑)

N・ヤルヴィ盤は、 演奏的には、パワフルで大仰である。ここまで鳴らさなくても〜って思うほどだが、きっと個性を出そうとしても。音量調節しか考えていないのではないだろうか。
もっと繊細さがあれば、両端が聳えて面白いんだろうけど、かなり 病的に演奏しませんと〜 この楽章はねえ。
いかにも、鳴ってます、鳴らせています〜だけになっちゃって、いかにも凡庸になっている。
なんか、波打って欲しいところが、平面的で終わってしまっているし、ちょっとなあ。違うんだけど。 音量だけを変えるぐらいじゃ〜、全く面白くない、全く、持ちこたえられない楽曲だと思うんですけどね。

4楽章
柔らかい。なにせソフトだ。木管の響きが、前に出てくるので幻想的に聞こえる。
でも、ちょっと平和的すぎるきらいがあるかも。のんびり〜 草でも食べている牧歌的な演奏になっている。
もう少し鋭さがあれば良いのだが、自然観がタップリで、これもヤルヴィさんのアプローチなのだが。
自然感覚は、それで良いんだが、そこに、機械的な要素が絡むと面白いのになあ。
音の幅も、あまり感じられず立体感が出てこない。また、現代のすれっからし的な、強い、いひひ〜っと笑えるような要素がないので、スパイスが感じられないというか。
なーんとも、丸みの帯びた、角のとれた、平和な優しいプロコになっている。
こりゃ、やっぱり、きりり〜と引き締まったところが無いところが、モノ足らないって感じさせるのかも。
残響の多さによるソフトさと、大音量で豪快な鳴りっぷりとに、特徴がある。


アシュケナージ コンセルトヘボウ 1987年
Vladimir Ashkenazy
Royal Concertgebouw Orchestra
(Amsterdam Concertgebouw Orchestra)

録音状態は良い。ホール感があり、奥行き、横にもダイナミックに広がっている。
演奏は、まったりしているが中庸的で、毒にも薬にもならぬ〜って感じでしょうか。
カップリング:プロコフィエフ 交響曲第5番、交響的絵画「夢」

1楽章
冒頭、わりと、ぼわ〜っと出てくる。静謐感があるというよりは、暖かさが勝っている。
「そ〜ら〜しそれどそ〜どみふぁそ〜 らそふぁみれどれふぁ〜み・・・」
最初に聴いた時には、うへっ。かなり気怠い。
オケが、コンセルトヘボウなので、鋭い。冷たい。という感覚より暖かみがあるのだが、ちょっぴり生ぬるいような感じがしたのだが、録音状態は良く、ダイレクト録音というより、ホールトーンがあり、舞台奥から金管の音が出てくる。かなり奥行きを感じるものになっている。
音色に関しては、これが暖かくて良いと感じるか。もう少し明晰に、クールにしてくれよぉ。と感じてしまうか。ちょっと難しいが、1楽章は、ぼわ〜っとしてて良いかも。
アシュケナージ盤では、フレーズを、意識してリズミカルに区切って演奏しているように感じる。
金管のまろやかな響きが心地よいのだが、弦の切れ味がイマイチで・・・なんか気持ちが乗らない。
う〜ん。どうしてなんだろう? 
金管は、ポワポワしてて良いのだが、弦が、ところどころ「ターラ タタタタ タタタタァ・・・」と切り込んでくるところがあるのだが、これが、鋭くないので、なんかダラダラ聞こえてしまうのだ。
この点、私的には、もう少し鋭さが欲しかったかなあ。
中盤以降、ティンパニーが鳴りだして、再度、主題が戻ってきたあたりから、ぐぐ〜っと底から盛り上がってくるパワーを感じる。
鋭いというより、地面全体から、もりあがってくるようで、銅鑼が鳴るところはホール全体で鳴っている迫力がある。飽和状態で〜 あふれんばかり。まあ。この楽曲だからなあ。
飽和状態を描いているって意味では良いんだろうと思う。残響を残して終わる。

2楽章
弦が綺麗に軽快に弾いている。「らそら〜 らそーどれ〜そしれそ〜れっそ・・・」
スネアが絡んできたり、金管が絡むと、ますます軽快で。
特に木管の音色が綺麗だ。オーボエとクラリネットコミカルで〜 トライアングルも綺麗に響いて。う〜ん。
これは、色彩豊かに響いている。音響効果が抜群で、ホントよく響いている。
中盤は、三拍子に変わっていて、スマートな舞踏会が始まっているようだ。でも、ジャズっぽく響いている要素もあって、なかなか、う〜ん。含蓄がある。
たらら ららら〜 ンチャ ンチャ・・・ タンバリンや木質の硬めの打楽器だろうか。
ここは、おみごとっ。オケの軽快さと、響きが良いっ。
いったんテンポを落として、「んちゃーちゃ んちゃーちゃ チャチャチャ・・・」と再度うねりがでてくる。
「らそら〜 らそーどれ〜そしれそ〜れっそ・・・」フレーズが再開される。
アシュケナージ盤は、パートの音がよく出ており、かなり見通しが良い。これは録音の良さだと思うが。
品のよい〜 ドンチャン騒ぎが楽しめる。

3楽章
不気味なくせに、妖艶な雰囲気が漂っていて、儚げにも聞こえる。
アシュケナージ盤は、弦の音が良く、透き通っている。
透明度が高いので、空中に浮いた感がする。三拍子のリズムが、ずしん ずしん・・・と響くし、打楽器ののリズムと、弦のサーカス風の旋律が絡み合っている。
うわ〜っ 難しい楽曲だが、なんと美しいんだろう。変な光を放っている。
このあたりは、オケの音色によって、違いがでてくるように思う。
アシュケナージ盤は、金管はまろやかだし、木管が、よく通る渋めの音色であるので、かなり落ち着いて聞こえる。あまり、てらいがないかもしれないが、私的には、穏やかに聴けるので好ましい。
テンポも、あまり揺れない。楽章最後は、チェロのねばったフレーズがよく響いている。
ド派手に、下品に、もちっと粘って〜 トロトロに〜という方には向かないが、わりと自然派的に聞こえた。

4楽章
1楽章の主題が戻ってくる。アシュケナージ盤は、強烈な個性はないのだが、しなやかにで弾力がある。
金属的ではなく、それこそ木質的で、硬質感はあまりしない。ロシア風の金管炸裂っという演奏でもないので、中庸って感じると思う。
でも、この複雑な楽曲を繰り返して聴くには、録音も良いので、何度聴いても飽きない。
特に、チェロやヴィオラ、木管などが、和風コラール 「そらし〜 みふぁそ〜 しそふぁみら  そらし〜そふぁ〜み〜そみ れしど〜」では、堂々とも、朗々ともしていないが、雰囲気が良くでているように思う。
パーカッションもよく聞こえてくるし。ティンパニーもパーカッション群の1つのような存在であったりする。
最後のシンコペーションのリズムに突入すると、さすがに盛り上がってくる。
このリズミカルさに、いつも快感を覚えてしまう。

全体的に細身だな〜っと思ってしまうのだが、スマートでありながら迫力はある。パートの見通しが良いことと、聴き疲れをしない盤なので、 何度も繰り返して聴く分には良いかも。まずは、このアシュケナージ盤で、健康的に聴くことが良いかな〜 レヴィ盤でも良いし。でも、他の盤を聞き込んでしまうと、きっと麻痺しちゃうので、そのうち見向きもしなくなってしまうかもしれません。(汗)

小澤征爾 ベルリン・フィル 1989年
Seiji  Ozawa
Berliner Philharmoniker
(Berlin Philharmonic Orchestra)

録音状態は良い。立派な演奏だが、ちょっと面白みに欠けるかもしれない。アンサンブルはやっぱり巧いので、教科書的に聴くのも良いかも。
カップリング:プロコフィエフ 交響曲第5番、「キージェ中尉」(歌入り5曲)
1楽章
「そ〜ら〜しそれどそ〜どみふぁそ〜 らそふぁみれどれふぁ〜み どれふぁみ〜ど〜ら〜しそ〜」
テンポはゆったりめ。ひとことで言っちゃうと、大変立派な演奏。
カラヤン盤と、雰囲気がよく似ていて、堂々として硬い。カシカシとした枠にはまっているかのようだ。
いわゆるドイツ風ってことになるのかなあ。重量感があるし〜
難癖をつけているように聞こえちゃうかもしれないのだが、雰囲気がなあ。こんなに硬く、律儀に、楷書体でしなくても良いんだけど〜と、思っちゃうのだ。テンシュテット盤とか、プレヴィン盤を聴いた後だと、う〜ん。もちっと、柔らかくでも、ふわふわ〜っとしたところも欲しいなあ。と思ってしまう。
だが、録音状態も良く、内声部の見通しも良いし、小道具たちが活躍しているのがよく聞き取れる。
特に、ピアノの存在も〜 ほほぉ〜 ここで弾いているんだ。と、驚いちゃうほど、わかるのが嬉しい。
で、この分解気味聞こえちゃうところが、面白みに欠けちゃう要素にも繋がっていて、軟体動物的というか、うねるような大きな流れが、イマイチわかりづらい。
雰囲気が無いっていうか。大きくとらまえきれていないような気がするのだ。パート、パートの完成度は高いのだろうけど、大づかみした時の印象が、あまり残らない。

リズム感が、跳ねて飛んで、どこに行っちゃうかワカラナイ。そんなところが無くって、あくまでも予想範囲って感じの小澤さんの指揮だし、あまりリズムが生きてないような気がする。
得体の知れないエネルギーが満載の楽章最後の部分に、繋がらないんだよなあ。
生き物的に聞こえてこないというか、ジャーンっと銅鑼が鳴っていても、マグマ的なパワーがなあ。
音は、よく聞こえるし迫力あるんです。メッチャ良い録音だと思う。
でも、ぐちゃ〜っとか、どぎゃ〜ん。という悲鳴というか、げっ と驚くような、天変地異が起こったような、そんなパワーや驚き、悲痛さに繋がって こないところが、ちょっと残念な気がする。
きっと、迫力満点で振っておられるに違いないんだろうが、オケが燃えてないというか。
熱くないんだよなあ。まあ。熱さもだけど、テンポアップしてくれないんで、羽目を外しているような、面白みが、やっぱ欠けちゃうのかなあと思う。

2楽章
「そみそみそみ・・・」「らそら〜 らそーどれ〜そしれそ〜れっそ・・・」
ピアノの音が、きちんと聞こえてきて、この楽章は楽しい。結構コミカルに、「ら〜そ ら〜そっ〜」とテンポ良く進んでいる。快適だ〜っ。パーカッションの音も、良く響いて楽しげだ。
タンタカ ターン タンタカ ターン〜
もちっと、熱く鳴って欲しいんだが、まあ。こんなもんでしょう。痛快ってところまで行かないけど。
中間部分のロマンティックなメロディーになると、ふふっ。なかなか豊かな響きで、映画ダンスBGMになっている。几帳面さは保ったままなので、通俗的に鳴らず・・・
ちょっと、堅物で、いらっとする部分もあり。居酒屋で背広を着て飲んでいるみたい。
もう少し、ラフで良いんですけどねっ。
アイロニーたっぷりというような風味は、ちょっと不足気味だが、低音がたっぷり、硬めで、がっしり重厚さのある楽章になっている。録音状態が良いので、かなり教科書的存在になるかも。

3楽章
「しそれ しそれ ・・・ そ〜ふぁ〜そ ふぁみれみどれ〜 そしれふぁしどふぁ〜」
この楽章、他の盤より、ちょっと速めに聞こえる。
水中で揺らめいているような感覚とか、幽霊が出そうな雰囲気の盤もあるのだが、小澤盤では、ちょっと、しっくり来ない。
クラゲが浮いているというより、水族館の魚を見ている感じ。健康的なんだな。きっと。
なかなかに、低弦の響きが良く、弦だけではなく、木管の音色や金管の響きが、歯切れが良く、部分的には、すこぶる丁寧で、きっちり、楷書体で演奏されている。
もう少し、病的に振っていただくと、もっと、もっと面白い要素が顔を出して、面白いかもしれないのだが、イマイチ、非日常的な響きでもなく、病的でもない、綺麗なまとまりを持っただけの健康的な5番の3楽章になっている。

4楽章
柔らかく第1楽章の主題が流れてくる。
ところどころ、日本的なフレーズが流れてくるので、印象に残る楽章になっている。
木管の響きが、大変心地良く、この木管の響きを前に出していて、和風テイストたっぷりの響きになっており、穏やかなバランス感覚で彩られている。
和音の柔らかさ、しなやかさ、まろやかさ。弦の響きもソフトで、枠にはまったような1楽章とはうってかわって、フランスっぽく、印象派的な響きに変化したような気がする。
え〜っ これは驚きじゃ。まるで別の楽団が演奏しているような雰囲気づくりとなっている。
ドイツ風+フランス風、両面の雰囲気を出す演出なのだろうか。へえ〜。そんなアプローチで迫っているとしたら、これは申し訳けない。1楽章で面白くないって何度も言ってしまった後だぞ。どーしよう。
プロコフィエフが、ロシア風テイストでもなく、ドイツ+フランス風味になっているような。いや、和風テイストにもなっているし・・・う〜ん。国際 色豊かな風合いで、色彩豊かに鳴っている。
ベルリン・フィルという感じが、最後の楽章では、あまり感じない。角が取れて、丸みを帯びて、心地良くなってくる。
オケがのアンサンブルが精緻なので、最後は、やっぱ、完成度は高いかなあ。と思ってしまった。

私的には、小澤盤は、最初に聴く分には、アシュケナージ盤と共に教科書的で良いと思う。
しかし、他の盤を聴いてしまうと、う〜ん。面白みに欠けるし、羽目を外した崩れた盤も聴きたいところである。 ちょっとマジメすぎって言えばマジメすぎて〜 演奏としては面白くはない。
まあ〜 オケによって、また振る人によって、それぞれに、いろんな面が出てくる多彩な楽曲だと思うので、同曲異盤を数多く聴きたくなる のだが、オケが、ベルリン・フィルという、しっかりしたオケなので完成度は高いのはもちろん。でも、私的には、イマイチの小澤盤である。
まっ この楽曲の違う面が垣間見られ るな〜と解った1枚である。

レヴィ アトランタ交響楽団 1990年
Yoel Levi
Atlanta Symphony Orchestra

まっ こんなモン

録音状態は良い。残響多めなので、好みが分かれるかもしれないが、明るく伸びやかで、色彩的。柔らかいブラスが特徴で、あまり個性盤を聴くと、驚いて引いちゃうかもしれないので、最初に聴くには、耳に優しいし、良いかもしれません。
カップリング:プロコフィエフ 交響曲第1番「古典」、第5番
1楽章
「そ〜ら〜しそれどそ〜どみふぁそ〜 らそふぁみれどれふぁ〜み」
か弱そうなフルートと、ファゴットが、ふわ〜っとした出だしでコラールを奏でる。
辺りの空気は暖かく、ほわ〜っとした雰囲気が漂っている。音が出た瞬間から、ふわ〜っとした響きが目に見えて、音の波として広がっていくような感覚だ。
少し木管が、細いことと、へっ と思うようなところもあるが、これはご愛敬かもしれない。
音の響きが、とても柔らかいっ。柔らかい響きで、とろとろ傾向にあり、ブラスの音色も、まろやか〜っ。
しかし、少し録音状態に癖があり、残響多めなため、ブラスの音色は柔らかいものの好みがわかれるかもしれない。
で、ブラスが大好きな方には、お薦めかもしれないが、ダイナミックに起伏を描いているものの、まろやかさが先に勝ってしまって、鋭敏で機能的な動きは、う〜ん、少し抑えられている。

2楽章
「そみそみそみ・・・」「らそら〜 らそーどれ〜そしれそ〜れっそ・・・」
蠅が飛んでいるかのような、いやいや、熊ん蜂が飛んでいるかのようなフレーズが続く。木管のフレーズも良いし、ノビ感があって、まろやかさのある響きが、ふわっと飛んでいくようだ。
レヴィ盤でのリズム感は、とっても楽しく愉悦性が高い。
「らーっら そぉ〜っ」という金管のフレーズの響きと、弦と木管のコラボ、パーカッションの華やかな音の広がりが、リズムだけでなく、愉悦性を高めている。「たぁ〜ん たらら らぁったん」という転がりが、とても楽しい。
ツーンとした冷たい演奏もいんだけど、旋律のノビ感とリズム感が、レヴィ盤では、とてもマッチしているようで、ほわぁ〜としたブラスの柔らかさと明るい響きが、明るく開放的で、こりゃ〜良いわと単純に感じてしまった。
アハハ〜 このノー天気さが、いい意味で、なんとも楽しい。ご機嫌な感じに仕上がっている。

3楽章
う〜ん このレヴィ盤は、この3楽章の、独特のなまめかしい、妖しい雰囲気とは・・・ う〜ん、悲しいかな、全くご縁がないようで、健康的すぎるというか、マジメ過ぎるかもしれない。
アカンやん、こんな正当に振ってしまうと、この楽章はダメだよぉ。
締まりがないというか、ここは、もっとタイトに締めて、息を潜めて緊張感を出して、静謐感を出して、蠱惑的な魅力をまきちらせて、うひひ〜っと迫ってきてくれないと、まーったく楽しめない楽章なのだ。
う〜ん ひとことで言うと緩いっ。緩いというか、主になる旋律が出てこないというか、タメ感と、低音の不気味な弦を、もっと前面に出さないと、ん たらら らん・・・だけでは、ダメなのだ。
で、ブラスだけでは、この楽章は食べていけないのである。

なんか、旋律の切れ目が見えてこないというか、どこで拍を感覚を持つのか、なんか、フレージングが変じゃない?
なんか、変ですねえ。杓子定規にしちゃうと、え? という感じだし、ツーンとしたワサビを効かさないと、あきませんで〜
それにしても、素人から見ても、この楽章は、超難関という感じがする。
また、変わった盤 個性的な盤が、たくさん他にあるので、それに味をしめてしまうと、凡庸な盤は、捨て置かれることになっちゃうのだ。(笑)

4楽章
木管のフレーズの柔らかさに、3楽章の不気味さから脱却。
で、1楽章の思い出のように主題が流れて、まったり〜 ほっこり〜
で、「タタタ タタタ タタタ・・・」という、音型に入っていくのだが、クラリネットの柔らかい音と、プラッターの金管が、混ぜ合わされて出てくるが、あくまでもレヴィ盤は暖かい。
日当たりの良い窓辺に座っているかのような、小市民的なシアワセ感に浸れる。
クールに、無機質的に演奏する盤が多いのだが、「ど れみみ し どぉ〜 (ら〜そどぉ っれらふぁ〜)」と優しい。
せわしなく動き回る昆虫のような、演奏ではない。

で、「そふぁれ れみふぁ〜 そらぁ〜そぉ〜 ふぁれみ〜そみ れしどぉ そらし みふぁそしそふぁ〜」
斉唱のように奏でられる旋律は、う〜ん。とっても美しいブラスで、開放的で大らかだ。
とっても心が満たされた気持ちで、優美で、まろやかに膨らんでいく。このフレーズは、ホント美しい。
「そらど しふぁっ そらど しふぁっ!」という、ちょっとグロな旋律を打ち消していく。
ブラスの柔らかいがまろやかな豪快さ、打楽器の打ち込みのリズムは、明るくて楽しげで、愉悦性は高い。

レヴィ盤は、柔らかく暖かく、包み込むかのような母性愛的な演奏だ。
クールで、首筋が、すわーっと、凍り付くかのようなグロテスクで不気味さを感じたい。という方には向かないが、初めて聴こうかなという方には良いかもしれない。
また、あまり個性盤ばっかり聴いていると、ホント、凍り付いてしまい麻痺してしまうので、ここで解凍されると良いかも。


ラトル バーミンガム市交響楽団 1992年
Simon Rattle
City of Birmingham Symphony Orchestra

録音状態は極めて良い。いろんな要素が詰めこまれたフレーズから、立体的に音が浮きあがって、色彩的に豊かに楽しめる演奏である。これは飽きない。
カップリング:
1〜4 プロコフィエフ 交響曲第5番
5〜8 プロコフィエフ スキタイ組曲「アラーとロリー」
1楽章
「そ〜ら〜しそれどそ〜どみふぁそ〜 らそふぁみれどれふぁ〜み どれふぁみど〜ら〜しそぉ」
ぼわ〜っとした靄のなかから、弦がかしげてくるのだけど、硬めの芯がありながらも、まろやかに響く。
「らっれ らっれ〜」っとリズムがついてくるところから、歯切れが良く、てれ〜っとしない雰囲気が出ている。
う〜ん。これ、ちょっと硬めかな。
そんな雰囲気が、冒頭から感じられて、テンシュテット盤とは、違うアプローチで迫ってきている。
茫洋感が、なんともたまらない官能的に響く楽曲でもあるのだけど、ラトル盤は、機能的だし、ダイナミックに起伏を描こうとしているようだ。
たら〜らぁ〜っと金管の和音が響くところも、バックで弦がこまめに動いているし、すばしっこい、ぬけめのなさみたいなところを感じる。主となるフレーズから、違うフレーズを、少しだけ顔をのぞかせては、頭を出して、そしてまた沈む。このあたりは、う〜ん。メチャ面白いかも。
フレーズの入れ替わりとか、金管を前に出してくるところと、凹ましているところとあって、凸凹をかなり意識してつけている感じがする。何度か、この楽曲を聴いていると、はぁ〜 なるほどなあ。工夫しているな〜と思うのだけど。最初に聴くと、難しいって感じるかもしれない。
あまり機能性を出してもらうと、ウネウネしたような動物感覚がなくなっちゃうし。ワケのワカンナイ、なんとなく宙に浮いた感覚が失われてしまうかもしれないんだけど、なんか妙に角度もついているし、立体感というか、構築性も感じるんし。
う〜ん。不思議な感覚だ。いろんな技というか工夫しているような気がする。一辺倒じゃーないところが凄いかも。
で、最後、金管のぶっとい音が、ぼわ〜っと広がり、大太鼓のごろごろ〜っとした響きが大きく、かなりパワフルな演奏となっている。
ただ、わりと、サッパリしてて〜 不気味さとか恐怖感とか、どろどろ〜っとした液体的な雰囲気は、あまり感じなかった。驚くほど、すごい音量で爆発しているのだが、切れが良くスッパリしてて、スマートさを感じる。粘着性のある演奏ではないので、どす黒さとか、ブラックホールに落ち込んだ感じはないけれど、これはこれで、ラトル盤は、面白い演奏である。ウサンクサイ動物的な感覚は無いが、都会的センスというか、どっぷり入れ込まない感情が、そこに「ある」かのようだ。

2楽章
「そみそみそみ・・・」「らそら〜 らそーどれ〜そしれそ〜れっそ・・・」
この楽章は、ラトル盤は運動機能が抜群に発揮されていて、ちょっぴり乾燥気味の空気感のなかで、音が、直線的に通っていく。
虫が飛び交うような感じのする盤が多いんだけど、ラトル盤だと、飛行物体のようだ。
ドライなくせに、ウェットもあるし、古風であったり機械的であったり、なんだか時空間を自由に飛び交うことのできる楽章になっている。
総体的に温度は低い感じはするが、木管のフレーズなんぞ、暖かみを感じるところもあるし、木管が主旋律を弾いているところでは、ヴァイオリンはクールに演奏しているし・・・。
う〜ん。演奏されている楽器によって温度が変わるようで、なかなかに面白い。
1つ1つの楽器の演奏が目の前に広がってくるようで、動きが感じられて面白い。
1つのパーツが全体を構成し、全体がパーツを支配している。そんなことを感じさせる演奏だ。
打楽器群も、抜群のリズム感で、響きがメチャ楽しい。
で、フレーズの切り替えも、ちゃんと間がおかれていてるし、しっかり明確にギアが変わる。
しっかりテンポを落として、落として〜 我慢してから、チャカチャカ・・・と、テンポをあげていく。でもクールなんだよなあ。

3楽章
う〜ん。なめらかに妖艶であり、官能的だけど、やっぱクールだ。
かなり硬めで、しっかり拍を刻むタイプで、水中に浮かぶ死体風にはなっていない。
う〜ん。私的には、どんより〜 ねちねち〜っと演奏するのが好きなんだけど。
ラトル盤では、異なるアプローチで、金管や木管が、スマートに、すーっと1本フレーズを演奏してくる。
で、ラトル盤は、演奏を聴いてイマジネーションが広がってくるという感じがしない。
音の透明度も高く、目の前で演奏されている。そのアンサンブルを見ている。という感じ。
あくまでも音なのだ。音が並んで出てくる、皿に載せられて目の前を通過する。でも、その出てくる音が楽しい。
この楽章を聴いて、水中に浮かぶ死体や、荒野に、グロテスクな死体が山積みされているという風景がイマジネーションされるわけじゃない。なんだろう。これを客観的なアプローチというのだろうか。
でも、とっても弱音部分は綺麗だし、描き方は丁寧で、不思議な色合いが見えてくるような気がする。
絵で例えると、きっと描き方が、ラトル盤の場合、具象ではなく抽象画なんでしょうね。
(うまく感想が述べられなくてゴメンなさい。)

4楽章
爽やかな空気が流れ込んでくるように始まるのだけど、懐かしい香りがする。
チェロの音色が優しくって、抽象画から一気に、草原に投げ出された感覚で、 草原でギャロップしているような感じでもあるし、空を感じる。
特に、木管が、機械や都会的な世界から、解放させてくれるようだ。さっきまで乾いた空気だったのに、えっ もう空気が変わっているんか。ヨナ抜き風のコラールになると、 中央アジア方面に飛んで行ったようになってしまって。う〜ん。すげっ。
で、リズムは、あまり激しくなく、飛び跳ねている感覚は少ないのだが、穏やかで。落ち着ける。
ゴリゴリと演奏するのではなく、フレーズが柔らかく、さっきまで硬めに拍を取っていたところが、なだらかな曲線を描き出す。布がはためくような感覚に驚いていると、また、打楽器が大きくなるし、 しばらくすると曲線が描かれるし。
う〜ん。この楽曲の摩訶不思議感が、彩りを持って、入れ替わり立ち替わり目の前に表れてくる。
打楽器群は、メチャパワフルでリアルだ。この録音、どーなってるんだろう。ホント、リアルだ。どこにマイクが置かれているのやら。スピーカーから音が溢れてくる。飛び出す絵本式に、よく聞こえる。

ラトル盤は、のめり込んで聴くという感じにはならないが、この楽章に織り込まれた、いろんな違うパーツ、要素が、うまく組み合わされて、それぞれが主張して浮き出てくる。
それが、嫌みなく浮き出てきて1枚の絵に収まって、作品になって目の前に表れてくるようだ。
二次元というより三次元、いや四次元的な面白さがあって、どこを切り取っても、過不足なく楽しめるようで、まあ。何度となく繰り返して聴いても、多分飽きないんじゃーないだろうか。
楽曲本来の一辺倒ではないところも、あるんだけど、ラトル盤では、見る角度によって、面白さが倍増しますよ。と言っているみたいだ。いろんな角度から楽しめるような気がする。1つのムード、雰囲気だけにおさまらない演奏で〜 ハイ、なかなか歯ごたえ有りです。

ゲルギエフ ロンドン交響楽団 2004年
Valery Gergiev
London Symphony Orchestra



ロンドンのバービカン・センターでのライブ盤 録音状態は極めて悪い。デッドすぎ。とても21世紀の録音とは思えない。フィリップス盤だが、信じられないほどに悪すぎ。演奏もまとまりがなく、バラバラ。
← 交響曲第1番〜第7番 4枚組BOX

4番については、1930年原典版と1947年改訂版が収録され、おまけに、国内盤のみ交響曲第7番の第4楽章終結部改訂版が、オマケとしてついている。
全集だから高価なのだが、なにせ録音が悪すぎ。ライブ盤としても差し引いても悪い。悪すぎ。
リマスタリング盤の方が、録音状態は良いぞ。昨今・・・ 
演奏が、どうのこうのと言うまえに、1分もしないうちに眉をひそめて、なんじゃ〜こりゃぁ〜 話にならない。とにかく、ムカツクっ・・・。と思ってしまった。
残響のないデッドな録音で、響きってものがない。こんなモノ買いたくないし、よく、こんなモノを発売するな〜という感じ。ロンドン響のライブは、私的には総スカンである。
レーベルは「LSO」ではなく、天下の「PHILIPS」なのだ。なのに、これなのぉ〜 ウッソ〜 
こんなモン売るなよぉ。ってところでしょうか。

演奏も、う〜んゲルギエフさんのプロコだと期待したのだが、完全に裏切られた。
フレーズが細切れにされてて、響きの和が感じられないことと、まるで歌が無い。
1楽章の冒頭、「そ〜ら〜しそれどそ〜どみふぁそ〜 らそふぁみれどれふぁ〜み」
「どれふぁみど〜ら〜しそ〜」 もっと繊細な音楽だと思うのだが、アマチュアかと思うようなダサイ演奏で、この時点でダメ。はあ? なんですか、これぇー。
ティンパニーの音は、ボコボコだし、これをありがたく、そのまま聞くのは、どうかなあ。
まず、どーしてフレーズが細切れに出てくるのかワカリマセン。

世間の評価がどうなのか知らないけれど、ワタシとしては、聞くに耐えないです。
交響曲全曲を録音したことによる、録音したというダケの評価で、褒められるんでしょうか。録音=レコードだけの意味なら、はあ。まあねえ。
即物的に演奏するとしても、貧相な音で、まず、普通の基準を満たせていないし、演奏も、木管・弦・金管・打楽器がバラバラになってて、総合オケとしての演奏として全く面白くない。
楽章の終盤で、派手な盛り上げがあるのだが、ジャーン、ドワーン〜と鳴ってても、なにこれ、この録音。ひで〜っ。と思っちゃうんですね。
内声部の音が、カスカス 弦もカスカス、乾燥している以上の悪さ。干からびてて音楽として聞けないです。他の盤だと録音状態が悪くても、多少は我慢してて、そのうちに馴れるものもあるんです。
内容が、納得できるモノもあるし、煌めく演奏だとしたら、愛らしく感じるモノなのです。
でも、こりゃ、ひで〜や。
2楽章の虫が飛んでいるようなフレーズは、テンポ変えすぎ。目眩がする。
きっと、腰を振って手首を振って演奏してるんでしょうねえ。気持ち悪っ。
それに、パーカッションの音が悪い。ボコボコの木魚でも叩いているのかいな。うへっ あってないぞ。
で、音の響きはデッドだけど、それだけでなく、音の層が薄いんだけど・・・ なんで〜 どーしてぇ〜

1楽章でも思ったけど、楽団員の数が少ないの? 室内楽じゃないよねえ。パーカッションに人を回して弦が少ないとか。(そんなわけないか)
3楽章も、もっと色彩的で、鬱々と、底流でモゴモゴ蠢いて動物的に鬱屈しているモノでもあれば良いのだが、淡々と進められてしまって、ルーティンの演奏でも、もっとマシだと思うんです。
縦の線は響かず、横の線は流れない。じゃー何なんですかねえ。
4楽章 はあ〜 もう止めて欲しいっす。オケが鳴ってないのか、収録しきれてないのかワカリマセンが。
まっ 書いてても気分が悪く、腹が立つだけで〜金返せ〜の世界になってしまうので、これ以上、コメントはしません。
私的には、とにかく理解出来ず、アホくさいです。私的には、これはゴミです。
ゲルギエフさんのファンの方には申し訳ないですけど・・・。ワタシも嫌いじゃなーんです。好きな方だと思うんですけど、これはひどい。世間一般を、なめてんじゃーねえよ。と言いたいです。
これでは、わざわざ大枚をはたいてまで、CDを買わなくなります。CDが売れない筈です。
安直にライブ盤を売らないでください。オマケもいらないです。ゴメンなさい、さよーなら。

ドミトリー・キタエンコ ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
2007年 
Dmitri Kitaenko
Gürzenich-Orchester Köln



録音状態は良い。大きなホールで聴いているような広がりと、奥行きがあり、まろやかな大きなスケール感と、軽妙でリズミカルな面がある。ライブ盤
交響曲全集5枚組BOX ナクソスでも聴ける。
1楽章
「そ〜ら〜しそれどそ〜どみふぁそ〜 らそふぁみれどれふぁ〜み どれふぁみど〜ら〜しそ〜」
スケールが大きく、出だしからのテンポはゆったりめ。
ライブ盤だが、録音状態は良いので、低音の響きが、たっぷりとある。
ただ、スケールは大きく感じられるのだが、透明度はイマイチかもしれない。
その点、冒頭のフレーズには、キレや、シャープさが足らない感じも受けてしまうが・・・。
いやいや、曲が進むにつれて、なかなかに、大きなスケールを描く。そして、その割には軽妙である。

すきっとした響きではないが、大きな、ゆったりめの響きと共に、金管の上の響きや、金管のなかでも和音を構成する下支えの響きが入っているので、おおっ、こう響いているのかという、金管の多層的な面が垣間見られる。
旋律美というよりは、和音の響きが良いかもしれない。
大らかなフレージングで、ちょっとタイトさが欲しいかなあ。と思うのだが、弦だけの響きの時は、シャープだし、ぴぃ〜っと鳴るピッコロの音も飛びだして来るし、構成としては満足だ。
特に、打楽器の迫力もあるし、低弦の動きもシャープだし、残響もほどよく。音像が、ぼんやりもしてないし、キンキンもしていないので嬉しいかも。

表情付としては、ちょっとしたタイトさも欲しいし、どろどろ〜とした火山の溶岩が噴き出すような、地底から噴き上げてくるようなエネルギーとかも欲しい。
なーんていう、とっても多面的な欲求を抱いてしまう。この5番って、聴き手は、欲張りになっちゃうのだ〜
それにしても、キタエンコ盤は、ライブ盤のわりには、うふっふっ。とほくそ笑んでしまう、最後での盛り上がりがある。
ぐわっと胸を鷲づかみにされるほどの勢いや、迫力、エネルギーは感じないのだが、大きな響きのなかでの聴き応えはあり。もっともっと、大太鼓の響きが欲しいきもするが、直接的に訴えてくる前向きの迫力はないが、いや、なかなかに底で、どろどろ〜と響いてますねえ。大音量で聴くと〜 ビリビリと響く。
テンポがゆったりしているので、さほど響きは混濁していないし、他盤では感じない、金管の多層感が感じられる面白い盤かもしれない。

2楽章
クラリネットの、小馬鹿にしたようなフレーズから、う〜ん。小気味良い。
スネアの、チャチャカ チャッチャカ・・・と刻むテンポも良いし、弦の戯けたフレーズも決まっている。
煽り立ててくるもあるし、パーカッションも、メチャメチャ良く聞こえるし、弾んだ感覚があり。凡庸な演奏では、無味乾燥になりがちだが、弦の尻上がりの、スイっとした音もあるし、シャキシャキ感もあり。
木管も、適度におどけて吹かれており軽妙だ。
中間部は穏やかで、温かみのある透明感もあり、中音域の弦も歌ってくれるし、もっともっと歌って欲しい気もするが、う〜ん。音色も良いし巧いと思う。
にやり〜っと笑える要素は少ないけれど、いやいや、文句ないわ。響きもたっぷりあるし、馬がパカパカ走っているような、皮肉っぽさも感じられるし、機械的には鳴ってない。
いったんテンポは緩やかになるが、音の刻みに色があるし、いろんな音の層が詰まっていることが解る。
一気に爆発するようなパワーはないんだけど、壊れない程度に精巧に回転する高速マシンである。

3楽章
「しそれ しそれ ・・・ そ〜ふぁ〜そ ふぁみれみどれ〜 そしれふぁしどふぁ〜」
不可思議感のある、ゆるみと揺れる楽章だ。
いや〜 暖かい音色のなかで、色彩的だが、弦の旋律が多重で、聞き分けることがムズカシイ。
木管のフレーズは、若干速めだが、アクセント的に使われているし、スネアが奥から刻みが響き始めると、これまた熱くなってくる。
弦の揺らぎが、すごく感じられる不思議感がある。寄せる波、引く波どころか、イッパイ、小さなフレーズが詰まっているようで、う〜ん。立体的という言葉で表すには不十分かなあ。
感覚的に、いろんな面が刺激される楽曲だが、キタエンコ盤を聴いていると、いろんな要素が見え隠れしているようで面白い。
なんだか、指揮者が、直接的に1つの感覚に絞って訴えてくるんじゃーなくって、あらゆる可能性を秘めた多角的に訴えてくるような流れのような気がする。聴く時々によって、聴いている人間に訴えてくるものが違うんじゃーないだろうか。なんか、そんな気がする。
キタエンコ盤を聴いていると、一辺倒ではないのだ。演奏する側が、こんな風に〜と1つに決めて演奏してないというか、聴き手の側に幅を持たせているような〜 感覚は正常なのだが、どっか狂っている感じ。(うまく言えない)
さほど病的な感じもしないし、夢想的でもないし、健康的な演奏だが、どっか温かいのにヒンヤリしているような、ちょっと アヤシイけれど官能的にも過ぎず・・・ う〜ん。
1つの言葉では表しづらい。分析型の人にも好まれる演奏かもしれない。

4楽章
ソフトな響きのなかで、牧歌風なフレーズが入ってくるが、1楽章の主題が奏でられ懐古しているなかで、「そそそ そそそ そっどれみしど〜 しらそら〜しどみ〜 れ〜」と回転しだす。
タララ ラッタッタ〜 クラリネットのフレーズと、金管のプラッターと、弦の回転と〜
ふふふっ 小馬鹿にされたようなフレーズが、硬くもなく、厳しいものではないのだが、木管の響きが浮いて聞こえてくる。
当初は、牧歌風の楽しげな面が多いのだが、そのうちに〜変化するのだ。
東洋風のフレーズも間に挟まっているが、タタタタ タタタタ・・・のリズムが柔らかい。もっと、鎌首をあげてくるように、段々にキツクなっていくと面白いのだが。なかなかタイトにはならないなあ〜
メロウな旋律が、過去を振り返るような郷愁漂うフレーズは美しいのだが、回転度数は、段々に上がっていくし、ぶっとい低音の響きがあるので迫力はそこそこあるものの、首を締め付けられるような、タイトな感覚には、ちょっと至らない。
危機迫るって感じの、ひーっと、締め付けられてくるような息苦しさは無い。あー もうっちょっとなのに。
まあ ライブ盤としては、とっても素敵な一枚だが〜  キタエンコ盤は、鋭敏さや精緻さには欠けているかもしれないが、たっぷりと響くなかで、いくつもの層が、垣間見られる点が面白かった。まっ これは、いろんな盤を、いっぱい聴かないとダメなような気がするし、聞き分けることのできる耳でなければならないので、とっても、ムズカシイ曲だと思う。
まだまだ未熟なワタシの耳と頭では〜 う〜ん。まだまだ・・・。この楽曲の面白さが、全部、解っていないだろうなあ〜。 キタエンコ盤って、一度、さらり〜と聴いてしまうと、凡庸な感じを受けちゃうが、角度を変えると面白いというか。
マゼール盤のように、ガシッとガッツのある演奏はしていないし、ラトル盤のようにパーツ系を組み合わせたような演奏でもないんだが、柔らかいカメレオンタイプの演奏で、そういう意味では、もっと、聴き手であるワタシも、精度をあげないとダメだな〜っと思 う。
メロウな部分と硬派な部分と、意外と併せ持った盤は少ないのだけど、結構面白い盤だと思う。

1968年 カラヤン ベルリン・フィル ★★★
1977年 テンシュテット バイエルン放送交響楽団 Profil ★★★★★
1977年 マゼール クリーヴランド管弦楽団 ★★★★★
1985年 アシュケナージ コンセルトヘボウ Dec ★★★★
1986年 プレヴィン ロサンジェルス・フィル Ph  
1986年 ネーメ・ヤルヴィ スコティッシュ・ナショナル管 Chandos ★★★
1988年 デュトワ モントリオール交響楽団 Dec  
1990年 小澤征爾 ボストン交響楽団 ★★★
1990年 チェリビダッケ ミュンヘン・フィル EMI  
1991年 レヴィ アトランタ交響楽団 Telarc ★★★★
1992年 ラトル バーミンガム市交響楽団 EMI ★★★★★
2004年 ゲルギエフ ロンドン交響楽団 Ph ★★
2007年 キタエンコ ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団 Phoenix Edition ★★★★
所有盤を整理中です。

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