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プロコフィエフ 交響曲第6番
Prokofiev: Symphony No.6


プロコフィエフの交響曲第6番(作品111)は、1947年の作品です。
ウィキペディア(Wikipedia)を元に記述すると
1945年に交響曲第5番が初演された後、46年から翌年にかけて作曲しています。
初演に際して、プロコフィエフは、「第1楽章は時に叙情的、時に厳しいが、総体的に動揺興奮している。緩徐楽章はより明るく旋律的。急速な長調の終楽章は第1楽章の厳しい部分の回想を除いては、交響曲第5番の性格に近い。」
また、プロコフィエフの伝記を書いたネスティエフとの談話において、プロコフィエフは戦争の影響をうちあけている。
「現在われわれは大勝利に酔っているが、誰しも癒すことのできない傷を負っている。ある人は最も親しい者たちを失い、またある人は健康を害している。こういうことは忘れてはならないのだ。」
で、楽曲は、戦争の悲劇と犠牲を内面的に描き、難解で密度の高い作品となっています。
友人のミャスコフスキーはこの曲について、3度聴くまで理解できなかったことを告白しているそうです。
初演では成功を収めた本作品ですが、48年、ジダーノフ批判にさらされ、「形式主義的過ちを犯した作品」とのレッテルを貼られて、長い間演奏される機会を失うことになったのだそうです。

3楽章から構成され、演奏時間は約40分から45分。
第1楽章 アレグロ・モデラート 変ホ短調 8/6拍子 ソナタ形式
第2楽章 ラルゴ 変イ長調 4/4拍子 ソナタ形式
第3楽章 ヴィヴァーチェ 変ホ長調 4/2拍子 ソナタ形式

ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、小クラリネット(E♭管)、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル、ウッドブロック、タンバリン、小太鼓、シンバル、大太鼓、タムタム、ピアノ、ハープ、チェレスタ、弦五部 約40分から45分の楽曲です。

プレヴィン ロサンジェルス・フィル 1987年
André Previn
Los Angeles Philharmonic

いかすぜっ

録音状態は良い。大編成の曲なので、少しヌケが良くないかもしれないが、もわっとした感覚、揺らめき感がある。
カップリング:
1〜3 プロコフィエフ 交響曲第6番
4〜7 プロコフィエフ スキタイ組曲「アラとロリー」
1楽章
プロコフィエフの交響曲は、5番、7番は好きだし、人気があるように思うのだが、6番は、こりゃー 難解である。
出だしは、金管の短いパッセージで始まる。
楽器を変えて半音イッパイ 「どしらそ そふぁみれ どっど み そっ らどみ」って感じ。
そこから、弦で、「らしどぉみ〜ふぁ そぉ〜し み〜ふぁ しぃ〜そみぃ・・・」と、落ちるようなフレーズで奏で始める。
金管の和音のフレーズが続き、「みふぁそ しぃ〜どぉ れ〜ふぁ しど ふぁ〜れし〜」という、ゆらゆらと落ちていくかのようなフレーズと、甲高いオーボエで、「ふぁぁ〜れどぉ〜し らみ ふぁぁ〜れどぉ〜しらふぁみぃ そふぁぁ〜」というような、ケッタイなフレーズが聞こえる。

まあ、どっちかというと悲痛な音なのだが、気持ちが悪い、うぅ〜んが うぅ〜んが と、船の底に押し込められたような感じで、波が立ってて、ウネウネしている。
金属的な音が聞こえたり、弦の柔らかい音であったりして、気分が安定しない。
しぃ〜らら しぃ〜らら と、うねるなかで主題が戻ってきたりしている。

どこか、回顧調で、戦後の混乱時のことを、変に思い出したくないような、イヤな思い出にとらわれて、自分の気持ちが縛られているような感じに聞こえる。
くぐもった、泣き節のようでもあり、突然、弦が、怒りを爆発させたいのに抑え込んだかのように、のたうつ。
「らしど しぃ〜ふぁ そぉ〜し みぃ〜ふぁ そぉ〜し れぇ〜し みぃ〜そ しぃ〜」というのが、主題なのだ。
弦で奏でたり、ぶっとい金管で奏でたり。
展開部なのだろうか、低音の金管が、短い音で伴奏するなか、歌謡風フレーズを中音域の弦で奏でられる。
ここは、美しいのだが、儚げで、オーボエが冷たい通る声で歌う。ど演歌風の詩なのだが、これが、また難しい。音が、半音イッパイで歌いきれないのだ。
まあ、うぐうぐ、打楽器のように金管は鳴るし、打楽器のようにオケ全体が展開していく。
タムタムのような音だったり、スネアが叩かれたり銅鑼が鳴ったり、ターン タタ〜ん と、連続して鳴りながら、悲鳴をあげている。それが終わると、牧歌的なホルンのフレーズに変わる。
ここのホルンは、大変美しく、ほっとさせられるのだが、完全に開放的ではなく、癒やしを求めて彷徨う感じがあり、歌謡風フレーズが戻ってきたと思えば、オルガンのように和音が鳴ったり・・・。
う〜ん ショスタコのように、カンカン、ガンガン、ギシギシと、軋んだ音で、レアに、激しく動かないのだが、痛い音楽だ。

2楽章
ドスン 「ふぁぁ〜 そぉ〜ふぁわぁ〜」
大太鼓なの?銅鑼?
「ふぁ〜  そぉ〜そふぁそ ふぁ〜そ そそ みふぁ ふぁみふぁ〜 どっみ みれみぃ〜」
残響のなかで、木管が金属片がカシャカ カシャと、音を立てている。
どっばぁ〜〜ん と響きのなかで、木管のけったいな和音が鳴るのだが、穏やかさも感じさせられ、ゆったりと、大地から放射冷却のように、熱気みたいなのが、立ちのぼっていくかのような雰囲気がする。
柔らかい低音の金管の音響きのなかで、すわーと立ちのぼっていく弦のフレーズは、う〜ん とっても美しい。
明暗が、ゆらゆらと立ちのぼっていく。
「そらしど れらそふぁみれぇ〜 そらしど れらそれ ふぁられふぁ らそふぁ・・・」っと、メラメラとしている。
ファゴットと弦のフレーズだと思うが、歌謡風のフレーズが、またもや、ゆらゆらと揺らぐ。
で、ピアノと打楽器の、マーチングバンドのようなフレーズが登場する。
ゆったりとしたテンポだが、パっ パっ パっと、途切れながらも、アクセントとなっている。その後、ハープやチェレスタが登場してキラキラした雰囲気も出てくるし〜 
う〜ん 複雑な楽想だが、短くとも、美しいと一瞬垣間見られるところが、ニクイ演出なのだろう。

3楽章
弦とクラリネットで、軽やかに明るめに、リズミカルに進む。
パンパンパン・・・というリズムがあり、「どぉ〜 どみれみ ふぁ〜そ みれぇ〜 らぁらららぁ〜」
弦の軽やかな響きは、プレヴィン盤で聴くと、少し、曇っているし、木管の音は、抜けるような音にはなってない。
「どっどっどっ ふぁっふぁっふぁっ」というリズムは、どこか重いが、弦の歌謡風フレーズは、確かに、軽やかだ。
木管が奥まっているのだろうか。
「そらぁ〜 ふぁぁ〜 しらぁ〜ふぁみふぁれふぁ どれみれどぉ〜 どしぃ〜」と長いフレーズを奏でる。
まるで、モンゴルの大平原を馬で走っているみたいなのだが、段々と、沈んでいく。
寒い大地を走っているというよりは、ワタシ的には、プレヴィン盤で聴くと、モンゴルの大平原なのだが〜
戦闘状態のドンドン ドンドン っというリズムのなかで、金管が吹かれて、明るいフレーズも出てくるし、戦車にでも乗って進行だっ と威勢の良い感じになって行くのだが、開放的な感じがしたのに、えっ 第1楽章に突然戻って、ドスン どひゃーん、じゃ〜ん えっ、なんだか唐突に終わってしまう。れれれぇ〜

総体的には、プレヴィン盤で聴くと、そんな悲痛な感じはしない。締め付けられるような感覚は少ないので、まあ、聴きやすいのではないだろうか。硬く、ガツガツした凹凸の激しいものではない。
特に、この楽曲は、2楽章が美しいが、とらえどころのない、揺らめき感たっぷりの儚げな美しさだ。気体のように、すーっと消えていくもの。
なんか、例えが悪いのだが、ゆらゆら感は、1楽章が船の底、2楽章は大地の目覚め的なもの、3楽章は馬の背中・・・って感じがする。

1987年 プレヴィン  ロサンジェルス・フィル Ph ★★★★

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