「 頭のなかの ♪ おたまじゃくし 〜クラシック音楽を聴いてみよう〜」

スクリャービン 交響曲第3番「神聖な詩」
Scriabin: Symphony No.3 "Le Divin Poème"


スクリャービンの交響曲第3番「神聖な詩」(作品43)は、1904年頃に発表されています。
ウィキペディア(Wikipedia)を元に記述すると
3つの楽章で構成されていますが、それぞれ連結されています。
1楽章 闘争 ハ短調 Luttes : Allegro
2楽章 悦楽 Voluptés : Lento
3楽章 神聖なる遊戯 ハ長調 Jeu divin : Allegro

1楽章「闘争」
まず序奏があり、トロンボーンを主に低音域でのモットーとなる強烈な主楽想が登場します。そしてトラペットが応答したところで、ヴァイオリンと木管楽器が入ってくるもの。
その後、主楽想の変形がヴァイオリンに登場し、低音に引き継がれてクライマックスを築きあげていきます。讃美歌調の主題が登場し、木管楽器とヴァイオリンが低音の伴奏にあわせて第2の旋律を歌います。長いトレモロに乗って 「ドレスデン・アーメン」を連想させる主題が登場し、トランペットが伴奏に合わせて、いくつもの主題を原形で示します。
再現部の後、激しい伴奏に合わせてホルンとヴァイオリンの主楽想が戻り、第1楽章の締め括りは激しく、減衰したあと2楽章に入ります。

2楽章「悦楽」
ゆるやかで甘美な旋律は、木管楽器とホルンに現れ、トランペットが先行楽章の信号音を繰り返します。情熱的になっていくが、ホルンの力強いパッセージに打ち破られます。ホルンのパッセージは喜びを表し低音がトランペットの信 号音を転回させて響かせているうちにフィナーレに至ります。

3楽章 「神聖なる遊戯」
弦楽器のきびきびしたリズムに合わせて、トランペットが信号音の変奏を響かせます。木管楽器とホルンによる和音伴奏に、第2の旋律がオーボエとチェロに登場しますが、いきなり最初の旋律が戻ってきて中断されます。展開部後、 ホルンのエピソードと転回された信号音が戻ってきます。
1楽章の主楽想が戻り、ユニゾンによる信号音に合わせて、終結を迎えます。

ギーレン 南西ドイツ放送管弦楽団 1975年
Michael Gielen    South West German Radio Symphony Orchestra, Baden-Baden(SWR Symphony Orchestra)

録音状態は良い。弦がシャキシャキしてて、茫洋とした感覚やとろけるような恍惚感は無く、硬めのアプローチ。
カップリング:ブゾーニ「悲歌的子守歌」、ラヴェル「海原の小舟」、ストラヴィンスキー「ロシア風スケルツォ」
1楽章〜3楽章
「れ〜ど〜れ ふぁら〜し〜 (ふぁれ〜れれ〜) そ〜ふぁ〜そ しどれみ〜(しそ〜そそ〜)」 
わりと、すっきり系の出だし。音量は、そこそこあるのだが綺麗という感覚だろうか。
ゆったりとした余韻を残して、充分な間合いのあと、弦が奏で始める。
弾むようなリズムがあり、旋律が絡み合いながら出てくる。
このギーレン盤の弦は、副旋律が浮かび上がってきて、シャキシャキした歯ごたえがある。
また、横の流れが強烈ではなく、とろり〜ともしておらず、各パートの声がそれぞれに聞こえてくる。
金管の響きや弦が、複雑に絡んでいることが気づかされる。他の盤であれば、まず音の圧力で圧倒されてしまうのだが、変なぬめり感もなく、さっぱり 、きっぱり、スクリャービンにしては、厳めしいドイツ風。
また、金管が前に出て、ぼわ〜っと吹いておらず、スクリャービンの摩訶不思議さが、感じられない。
明瞭に、明確に、分析しないと、ダメっしょ。とばかりに、割り切られて映し出されている。
テンポはゆったりで、弦が刻むように流れてくるので、決して、横の流れが強調されるだけでなく、縦横の織り目が出てくるような感じ。

う〜ん。難しい。表現するのも難しいなあ。縦糸重視かな。やっぱり。
で、楽曲自体も相当に絡んでいるので、優美に流れてはいかない。特に、しゃ〜り しゃ〜り うねるような旋律も、弾むリズムも、弦がなかなか、しなやかな 風は装っているが硬め。芯の硬い音が出ている。
特に、木管と弦が、「ふぁ〜ら〜ど〜 れみふら〜 ふぁ〜ら〜ど〜れみふぁら〜」 
弦が弾んだように、「れっれっら らら ふぁふぁふぁ  れふぁら〜 どっどっふぁ・・・」と、舞曲風のフレーズを奏でるところは、しゃり感が、たっぷり。
スヴェトラーノフ盤では、とろみが、たっぷりついているのだが、ギーレン盤が振ると、サラダ感覚だろうか。
かといって、無機質ではなく、各パートが絡んでいるので有機的に聞こえるんだけどね。
シノーポリ盤は、弦よりも金管がリズムを作って、主導権を握って推進されていく感じがするが、ギーレン盤では、むしろ弦が主体になっている。

銅鑼が、シャーンと鳴って場面の切り替えが行われるところは、変わり身が速く、ティンパニーの響きも切れが良い。
普通なら、とろり〜的に響くフレーズも、恍惚感よりも、ビジネスライク的で・・・。
まあ。割り切りが良いっていうか、さっぱりしているというか、ちょっと愛想がないような気もする。
音自体は長いのだが、膨らみが少なく、膨張気味の演奏ではない。
無駄な曲線は描かず、ちゃっちゃ〜としましょう。と、最短距離で走るコーナリングである。
冗長な演奏はしない。はあ。ギーレンさんだもんね。やっぱりねえ。

色彩感のある、軽やかな、女性的なプレトニョフ盤とは、また違って、硬めでモノクロ的である。
特に、「れっれっら らら ふぁふぁふぁ  れふぁら〜 どっどっふぁ・・・」という印象に残る、このフレーズで、各盤を聞き比べたら、面白いと思う。
ハープの音色がよく聞こえるが、まあ、他の盤だと、ムーディに官能的に、恍惚的に流れてくるのだが、なんとも。さっぱりしてて、用を済ませたら、さっと立って帰るという男って感じだ。
もっとも、これは好みになるだろうが。
後半は、ゆ〜ったりと、テンポ遅めに振っている。すーっとした綺麗な感じがするが、茫洋とした、もわもわとした曖昧模糊とせず、決して沈没はしない。シャシャシャシャ・・・と、弦が刻まれて、金管が最後、主題を吹いて終わる。
ハートも、カラダも共鳴はしないし、おおよそ、乱れもしない。演奏としては、複雑に織り込まれた旋律が、よ〜く聞こえてくるので、スマートに頭で聴くには良い演奏なのではないだろうか。
それにしても、分析的で明晰、切れの鋭いギーレンさんにしては、この楽曲にあわせて、よ〜く辛抱して冗長的に振っているように思う。最後も、しっかり盛り上げくれるし。
ギーレンさんの意外な一面かもしれない。えへへっ。

スクリャービンを振った盤があること自体が、ちょっと驚きだったぐらいで、何度も繰り返して聴くには、ちょっと高音気味のところがキツイし、弦のシャリシャリ感には、聞き疲れしちゃうけれど。
硬めのアプローチで、とても個性的である。(いや〜 スクリャービンだからね 硬いと感じるだけで)
スヴェトラーノフ盤とは、正反対のようなアプローチで、どろどろ〜 とろとろ〜が嫌な方には、このギーレン盤が良いと思う。なにせ、さっぱり、硬めのタイトな演奏である。
スヴェトラーノフ盤の対抗馬ってところだろうか。
コンドラシン コンセルトヘボウ 1976年
Kirill Kondrashin    Royal Concertgebouw Orchestra
(Amsterdam Concertgebouw Orchestra)

録音状態は、ちょっとこもりがちなのだが、まずまず。
不可思議な楽曲なのだが、中庸的で聞きやすい。
冗長的にならず、野蛮にもならず、テンポの良さで聞かされてしまう。ライブ盤

1楽章
この楽曲には、副題が「神聖な詩」となっている。「闘争」「悦楽」「神聖な戯れ」の3つの楽章になっているというのだが、交響曲という形になっておらず、大きな1楽章(単楽章) である。
実際にも、続けて最後まで演奏され、区切りがない。
でも、コンドラシン盤は、聞きやすい。きっと聞きやすいと思う。
私的には、スヴェトラーノフ盤で、スクリャービンを最初に聴いたのだが、これ、サッパリわからず。
なんだ〜 こりゃ状態で、しばらく聴いていなかったのだ。
まず、冒頭のチューバの大音量で驚かされる。
「れ・ど・れ ふぁら〜しっしー (ふぁれ〜れれ〜)」「そ・ふぁ・そしどれみ〜(しそ〜そそ〜)」 
この冒頭が特徴で、不思議な和音がばらけて出てくる。
ハ短調なんだけどねえ。とても不思議な和音である。これが、神秘和音と呼ばれる、走りみたいなモノなのか。う〜ん。
最初に聴いた時には、前期の交響曲3番で、既に唸っている状態で、はてさて、後期の交響曲作品を聞き分けられるのかしらん。と不安になったものだ。
まっ、不可思議な楽曲だが、最初のフレーズが、序奏にあたる。で、その後、つかみどころのないような、ふわーっとした旋律が続き、序奏が終わると木管のフレーズと弦が絡み、奥の方でティンパニーが叩かれて 、最後まで、フワフワと誘われる感じだ。

コンドラシン盤は、推進力があって、弦の動きが生命線のようである。スヴェトラーノフ盤は、まろやかすぎて〜 とろとろ〜っ。つかみどころのない、まるで底なし沼的 に、ずぶずぶと沈殿してしまう。
このコンドラシン盤の方が、う〜んとマシ。聴かせ処の強弱がついてて、まだ安定してる。
ムーティ盤も、弦が綺麗な盤である。
まっ そんなことで、聴き始めたのだが、「そ〜ふぁそ〜ふぁ」という、かすかなリズムが繋がるなか、とらえどころのない弦のフレーズが、うごめいている。幻想的というか、よくワカラナイというか・・・。
少なくとも、ベートーヴェンをいつも聴いているような耳からすると、ワカランっ。と絶句してしまうだろう。
最後には、諦めてとりあえず茫洋と聞きだすのが良いのかも。
感覚で、というか、耳慣らしが必要だと思う。流している間に、なにやら見えてくる感じがする。とにかく、古典的に聴こうとすると、こりゃ難しい。
で、何度か繰り返して聴くうちに、特徴的なフレーズが耳を刺激するので、そこだけ耳がピクンと動くような状態になる。
木管と弦が、「ふぁ〜ら〜ど〜 れみふら〜 ふぁ〜ら〜ど〜れみふぁら〜」 
金管が、「ふぁら〜 ふぁふぁふぁふぁ〜」
弦が弾んだように、「れっれっら らら ふぁふぁふぁ  れふぁら〜 どっどっふぁ・・・」 
途端に、あえぐようにフレーズが重なって流れてくる。
この楽章の唯一といっていいぐらい舞踏風なフレーズになっているところだ。
(ホント、ココしか弾んでおらず、あとは、とろとろ〜)
再度、冒頭と同じように、「れ・ど・れ ふぁら〜しっしー (ふぁれ〜れれ〜)」
う〜ん。始終テレテレと続いて〜 山場があるような無いような。
で、つい睡魔が襲ってくる。一応、イメージとしては、1楽章は「闘争」らしいのだが、甘味の多い演奏でショスタコのような闘争音楽にはなっていない。
がっぷり、エロチックなのである。男女の絡み合いみたいなモノ。
ラフマニノフとは、違う系統で、すごく淡いフレーズが聴きどころである。1日中、この音楽ばかり流されてしまうと、仕事には行けなくなっちゃうが、そこは困ったモン。
目がとろり〜となってしまう。いや、しかし甘いうえに、ハープまで奏でていただくと、ぶっ飛んでしまうのだ。
この楽章の最後で、ようやく、弦がちょっと速めに動いてくれるが、すぐに緩んで、鳥さんまで鳴いて朝を迎えてしまう。まだ眠いよねえ〜と、ついアクビが出ちゃう。 まあ。とにかく、夜に聴くのがよろしい。

2楽章
緩い楽章のまま続けて2楽章が始まるので、区切りがつかない。
えっ まだ「悦楽」ですか? もう充分なんですけど。(笑) 
4管編成の木管群が、頑張っている楽章で、中音域に厚みがある。というか、元々、ヴァイオリン主体のフレーズが無いに等しいのだが。う〜ん。真剣に聴いていると、次のフレーズが予感できず。
不安定な気分にも陥ってしまう。という不思議さ。
まあ。あまり今までの感覚にとらわれて、マジメに聴いてしまうとダメのようだ。
これは、直感だけで・・・流され、流れていく方が良いんだろうなあ。 さすがにコンドラシン盤でも、推進力はあるのだが、とろけてしまって、自堕落に陥りそうである。

3楽章
短いトランペットのフレーズで、始まる。「ん、たたた、たーら」、と弾んで出てくる。おほ〜っ。ようやくリズムが生きてきている。と、思った尻から、また緩やかになってしまう 。
金管の使い方が独特で、「どふぁふぁふぁーら」という、合いの手しか入れない。
「ふぁれ〜れ れ〜ふぁ」 このフレーズが、終始テーマとして貫かれているところは、わかるのだが、これだけ使い回されてしまうと。う〜ん。こりゃ変奏曲かいな。
ドビュッシーの海のような雰囲気があったり、私的には、印象派的な要素を感じるが、映画音楽にも聞こえてしまうし、環境音楽とは言わないが、それに似ているかも しれない。
とにかく、脳みそが、とろけることは間違いない。
最後、冒頭から、何度も登場するチューバの「れ・ど・れ ふぁら〜しっしー」で終わる。
このフレーズは、神のように雄大に。というコメントがついているらしいのだが。当初は、インパクトが強いものの、何度も言うように慣れてしまって、神々しさが無いまま終わってしまった。
あまり上昇指向が強いワケではないので、おたわむれ的に聞こえてしまう。
いや。もっと聴かないと。聞き込まないとダメかも。

私の場合、最初のとっかかりがスヴェトラーノフ盤だったが、最初、この良さがわからず。
次に手にしたのが、このコンドラシン盤。
スヴェトラさんよりは、少しはリズミカルだったので、何度も流しているうちに癖になってしまった。テンポの良さが、この聴き始めには嬉しかった。
シノーポリ ニューヨーク・フィル 1988年
Giuseppe Sinopoli    New York Philharmonic

録音状態は、う〜ん。イマイチ。あれこれ工夫して、劇的に仕上げようと思っているようだ。その点、努力賞ものなのだが。なんか違うんだよなあ。
カップリング:交響曲第4番「法悦の詩」
1楽章〜3楽章
「れ〜ど〜れ ふぁら〜し〜 (ふぁれ〜れれ〜) そ〜ふぁ〜そ しどれみ〜(しそ〜そそ〜)」 
とても印象的な冒頭のフレーズなのだが、シノーポリ盤は、大音量で出てこない。
スヴェトラーノフ盤のような巨大さは感じない。威圧感はあまり感じず。続いて、煌めく弦が余韻を作っている。
その後、弦と木管が絡んだり、たらん ららら〜と、金管が流れるフレーズをつくたりする。
途中、不協和音のような みーふぁれ〜 と、突然、不可思議な金管の咆吼があったりするが、全体的には、弦と木管が甘美に絡んでいる。
「どーれら そどーれらそど〜」 甘美な歌謡風な旋律もちりばめられている。
突然、弦と金管が咆吼したり、結構シノーポリは金管が活躍している。
木管と弦が、「ふぁ〜ら〜ど〜 れみふら〜 ふぁ〜ら〜ど〜れみふぁら〜」 
弦が弾んだように、「れっれっら らら ふぁふぁふぁ  れふぁら〜 どっどっふぁ・・・」と、舞曲風のフレーズを奏でるところは、スヴェトラーノフ盤では、たっぷり弦に歌わせていたのだが、シノーポリ盤は、弦よりも金管が 、リズムを作って、主導権を握って推進されていく。
チューバ れ〜ど〜れ ふぁら〜し〜 (ふぁれ〜れれ〜) と、再度、冒頭のフレーズが出現するが、
7分過ぎに、銅鑼が、ジャーンと鳴って場面の切り替えが行われる。
すげっ! こんな場面 あったっけ? あれ〜っ と言っている間に、煙に巻かれた。
木管が鋭く吹かれたり、なんだ〜 こりゃっ。というような、劇的効果がちりばめられている。
シノーポリは、かなり劇的に演奏してくれて、とろとろ〜っと寝るようなことは無い。単に甘美なフレーズを紡いでいるのではなく、金管が要所を締めている。 ドラマティックに演奏してくれているのだが、う〜ん。ベタすぎるかなあ。多少、恍惚感は得られてはいるが、スヴェトラーノフ盤の大仰に演出しきれていない。
どうも、そこまでは至っていないし。かといって、分析的かと言われたら、う〜ん。ちょっと違うかもしれない。
スヴェトラーノフ盤だと、わりと各フレーズが同じ色に染まっているし、単純に繰り返しているようにしか聞こえないのだが、シノーポリ盤では、楽章のなかでも、随所に違いを明らかにしてくれている。
鳥の囁きも、かなり聞こえてクローズアップしてくれているし、芸が達者というか、細かく緻密にメリハリをつけて、ヴァイオリンのソロも浮かび上がらせている。
もちろん、トランペットを明るめに吹かせるなど、ここは、こう演奏しよう〜と、意図が明確に伝わってくる。
単にテレテレ、冗長的に振っていないで、あれこれ工夫してくれているのは、よく解る。
しかし、いかんせん・・・ 
この楽曲は、マーラーのようには、いかないんだよなあ。う〜ん。
その点が、とてもツライ。
かなり努力してもらって、聴かせてくれようとしている点が、嬉しいような。でも、やっぱ冗長的になってしまって、悲しいというか。
なんだか、こねくりまわしているような気がする。こねくりまわして〜 ダメになっちゃったような。
努力賞は貰って欲しいような気もするけれど、ちょっと、聴いてて複雑な心境になってしまった。
少なくとも、もう少し録音に透明度があれば、よかったんだが・・・。
ムーティ フィラデルフィア管弦楽団 1988年
Riccardo Muti    Philadelphia Orchestra

録音状態はまずまず。籠もりがちだが、このオケの弦の煌めきは充分感じられる。どっぷり濃厚型ではなく、色彩的に綺麗な演奏。
ブリリアント(Brilliant Classics)レーベル盤3枚組 (EMI原盤) 
ムーティのスクリャービン交響曲全集より

1楽章
「れ〜ど〜れ ふぁら〜しし〜 (ふぁれ〜れれ〜) そ〜ふぁ〜そ しどれみ〜(しそ〜そそ〜)」
重量感たっぷり、という出だしではないが、フィラデルフィアの金管の明るさが前に出てきている。
「ふぁれ〜れぇれ〜 しそぉ〜そそ〜」
もちろんチューバの音量も文句なし。
どす黒い雰囲気でも、重々しい雰囲気でもなく、わりと明るい。オケの音色だと思う。
弦の音色としては、カサカサ気味なのだが、よく歌う。この歌い方は、カンタービレ調ではなく、わりと細切れ的だが、短めのフレーズをうまく繋いで、縫いめがわからないようなパッチワークとして完成しているような。
下の弦が、速めに上の弦のフレーズに、するり〜潜り込んできているような、切れ目なしにフレーズを押し出して、流れていくような。
そんなフレーズのつなぎ方が、メチャ快感に聞こえてくる。これがムーティの官能さかなあ。
「れ〜どれみ そらら〜れ〜どら どしっみそら〜らそら どれふぁ〜 らそら どれふぁらら〜」
微妙にフレーズのなかで弾んでいるのだが、それが波の頭のように聞こえて。飽きない。
音の波のなかで、波の頭が鋭くとんがっているのではなく、まるみがある。
「ふぁ〜ら〜 ど〜 れみふぁ ら〜 ら〜 どれみふぁ〜 らら れみふぁ ら〜ら〜」
金管のなかで弦が、「ふぁらふぁら ど・れ・み ら しら ら・・・・」と、細かく刻んでいるのだが、その音が、すご〜く細くてキラキラしているのだ。硬めで、普通ならきっとキンキンして聞こえるのだろうが、金管の響きのなかで、ちょうどうまい具合に、キラキラ感を出すことが出来ている。
スヴェトラーノフ盤のような、とろみ感や、ぬめり感は少ない。
でも、ぶわ〜 ぼわ〜とした丸い響きのなかで、煌めく硬いモノを発見する楽しさを、ムーティ盤は持っているようで、特に弦の響きを聴いていると楽しくなる。
もちろん、全体的に金管が咆吼したり、誘ったりするムードのある楽曲なので、重量感や重圧感がなければ、面白くないのだが、そこそこにあって、間に挟まっている木管の響きも、弦と同じく、アクセントとして存在している。
私的には、弦の歌い方に耳が行ってしまう。金管は、BGM的に響いているようだ。
ある意味、旋律重視かなぁ。
大きな推進力、パワフルさは感じないが、繊細に紡がれた流れに、耳を澄ませていたい。
川の流れだとすると、ずーっと流れの表面を見ていたい。波が盛り上がったところは、流れの底の方で、大きな石が転がっているのかな。ってな具合で想像しているような、そんな流れを追っかけていたい演奏に感じる。
テンポも変わるし、揺れもある、繊細に組み合わせて、さりげなく配置されているパーツ群が、わりと小道具として活躍しているのではないだろうか。
縦糸を重視して、カシカシ、キツメに音を置いていくタイプではない。
でも、弦の使い方が気持ちよいし、木管の響きが綺麗なのだ。
う〜ん。ムーティ盤は、金管より、ぜーったい弦、木管の音色が気持ち良く響いている。
でも〜 長い曲で、そのうちに飽きちゃうのである。

いつも1楽章は、楽しく拝聴しているのだが、2楽章あたりから、どべ〜っと耳がだれてしまって。
2楽章部分が、とろり〜とするべく、テンポをゆったりしてしまうので、これが緩む原因。
私的には、目が詰まった流れが欲しいところ。もちっとテンポあげてくれたら良かったのに。ぶつぶつ。
3楽章になると、軽快な「ん、たたた、たーら」、と弾むトランペットの音が入ってくるので蘇る。
ハープの音が入ってきたり、柔らかい色彩が、光のように降り注いでくる。
「ふぁ〜らしれ〜 み〜」 金管の細い音色が〜 心地良く、朝日を浴びているような感覚にさせてくれるのだ。
スクリャービンの楽曲とは、もっと、ねっとり重い濃厚な風合いだと思うのだが、ムーティ盤では、肩すかしを食らう。でも、ちょっと違うかのかもしれないけど、私的には健康で良いですねえ。
フィラデルフィア管のオケの音色を、この楽曲で楽しませていただける。
煌めく色彩感覚で、ふわ〜とした柔らかな風合い、流れの心地よさ。これが特質だ。
アシュケナージ ベルリン放送交響楽団 1990年
Vladimir Ashkenazy   Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin
(Berlin Radio Symphony Orchestra)

録音状態は良い。演奏も頃合い。
カップリング:
1〜4 スクリャービン 交響曲第3番 神聖な詩
5 スクリャービン 交響曲第4番「法悦の詩」
6 スクリャービン 交響的楽章「夢」
1楽章〜3楽章
とても印象的な分厚いブラスの和音・・・
「れ〜ど〜れ ふぁら〜し〜 (ふぁれ〜れれ〜) そ〜ふぁ〜そ しどれみ〜(しそ〜そそ〜)」 
冒頭、かなり力強く出てくる。おおっ 聴き応え有りだ。こりゃ〜よいわ。
で、神秘的な雰囲気も多分で醸し出されており、深々と息の長いフレーズとなっている。
その序奏から以降は、軽やかに、飛び跳ねるかのようなフレーズで、速い展開になっており、ベルリン放送響のアンサンブルが、大きく乱れるのではないかと思うぐらい、ちょっと速め。
テンポは、大胆かな〜と思うほどだし、ギアチェンジをこまめに行っている。
最初聴いた時は、あまりに歯切れが良すぎるんじゃーっと感じたのだが、べとべとした感覚になっていないので、かなり聞きやすい。
多少、こましゃくれた感じがしないでもないのだが、これが微妙なところだ。
妖艶ではあるが、一本調子になっていないし、弦が弾んだように、「れっれっら らら ふぁふぁふぁ  れふぁら〜 どっどっふぁ・・・」と、舞曲風のフレーズを奏でるところは、アシュケナージ盤は大いに弾んでいる。テンポよく、跳躍度も高い。
これだけ軽やかに弾まれたら、ちょっとビックリなのだが、可愛い雰囲気がする。
途中のヴァイオリンのソロも、素晴らしく美しいし、鳥の鳴き声のようなフレーズも美しい。
音色も綺麗で、その点、文句なしだと思う。
まっ、だれてしまうようなところは、幾分テンポアップしており、なかなか計算が高いというか、頃合いが良いというか・・・。まったり聴かせるところと、はしょってしまうところの「さじ加減」が良い 感じである。

スヴェトラーノフ盤は、始終まったりしており、腰回りが太めで妖艶だ。
その点、アシュケナージ盤は、上品で優美である。甘美だけではなく、歯切れが良く、幾分硬いかな。と思うほど、メリハリが良くついている。
とろとろとした甘美さや、妖艶な音楽を望むのであれば、やっぱ、スヴェトラーノフ盤がイチバンのお薦めだと思う。
で、ちょっと硬めで、すいすい〜 と聴きたいのであれいば、アシュケナージ盤がお薦めとなるだろうか。
まっ、コンドラシン盤もテンポが良いのだが、几帳面的で、ちょっと楷書体風である。もう少し硬めというなら、ギーレン盤だけど。
シノーポリ盤も、かなり個性的で金管が主になっている。
アシュケナージ盤は、やっぱ弦が主で、金管のパワーもあるし、バランスが良いと思う。他の盤より、いろんな音が聞こえてくるし、アシュケナージ盤は、録音状態も良く、しなやかで弾力性も高い 方だ。
安心・安定度が高く、聴くのにも疲れないし・・・。 私的には、このアシュケナージ盤を、最初に聴く方が良いと思う。何度もこの楽曲を聞き進むと、う〜ん。モノ足らないかもしれないし。
スヴェトラーノフ ロシア国立交響楽団 1996年
Evgeny Svetlanov
Svetlanov State Academic Orchestra
(Russian State Symphony Orchestra)

 

録音状態は極めて良い。ホール感もあり、まろやかに響いている。でも〜 長大なとろとろ楽曲で、全曲通して聞くには、気力・体力が必要だ。交響曲全集より
1楽章〜4楽章
「れ・ど・れ ふぁっら〜 ふぁれ〜れれ〜 そ・ふぁ・そ しど〜れみ〜」 
すごく太い音色で、地の底から響くようなチューバの音が、まず届けられ、続く弦が優美な世界に誘ってくる。チューバが、太くて逞しい男性の腕のように。
そしてハープが奏でられると、女性がふわ〜っと誘われて、男性の腕に抱かれるという雰囲気になる。
アハハ・・・ 冒頭から、いきなり、甘美な世界が香りたってくる。
イチバン最初に聴いた時には、さっぱりわからなかった世界が、聞き進むうちに耳慣れしてくると、自ら耳が、このスヴェトラーノフ盤のなかでの、とろとろ感を求めてしまう。
ふわ〜っとした、なんとも言えない軽い気持ちとなり、幻想的なふわふわ感が漂いはじめる。
う〜ん。この旋律だけで、魔法にかけられたような気分になること、間違いなし。
どこが、神聖な詩なんだ。っと思うんだけどねえ。それは、よくわかりません。
「闘争」「悦楽」「神聖な戯れ」の3つの楽章の、まず最初から意味不明。
これだけ、とろとろ状態の甘美な世界なのに、どこが「闘争」なのやら。さっぱりなのだが、そんなことは、どーでもよろしい。という気分になるのだ。
途中、「ふぁら〜ど〜れみ〜ふぁっ」と、金管が咆吼しているのだが、さほどキンキンにもならず、ほわ〜と陶酔感が、余計に増してくる。
弦が弾んだように、「れっれっら らら ふぁふぁふぁ  れふぁら〜 どっどっふぁ・・・」 
どうも、女性のあえぎ声に聞こえちゃうんだが、まるで、帳が降りた後の夜の営み世界なのだ。
まだ、3番だと思うんだが、4番の法悦の詩と間違っているんじゃー。
いずれにしても、マズイ。
頭のなかでオタマジャクシが泳ぎまわって、よからぬ空想に苛まれる。

スヴェトラーノフ盤を当初に聴いた時、とろとろになってしまって、実は、よくわからなかった。
で、コンドラシン盤を聴いて、少しメリハリの良いテンポで耳を慣らしたという経験がある。
何度か繰り返しているうちに、この楽曲は、どうやら体で感じるタイプらしいと思うようになった。
雰囲気でいいんだ〜っと。で、気持ちが楽になったのだが、単調な波が押し寄せるだけの楽曲で、シンプルなくせに、聴き手が、どう受け取れば良いのか、ちょっと考え込んでしまう難しい楽曲でもある。
単純なフレーズで、すぐに口ずさめるパッセージが、ところどころ顔を出すが、でも、全体的には、雰囲気を醸し出す短めのパッセージが、次々に重なるように登場する。
どれが主旋律なの? と思って聴くと、頭がこんがらがって、とらえどころがないのだ。
まあ。スヴェトラさんの盤で、チューバの序奏部分が、主と考えれば良いのかなあ。と思うようになった。
で、ふわふわ漂う旋律は、心地よく鳴ってくれればOKだと〜 
そう考えると、スヴェトラーノフ盤は良いんだねえ。
全体的に、まろやかで、スベスベの布にくるまれたような良い気分に陥るし、録音状態も良い。
癖になるって言えば、癖になるし、この世界に、どっぷりと浸かりたい向きには、かけがえのない盤だと思う。
プレトニョフ ロシア・ナショナル管弦楽団 1996年
Mikhail Pletnev  Russian National Orchestra

録音状態は良い。さらり〜とした演奏で、BGM的に聞こえてしまう。スクリャービンにしては爽やかな演奏で、女性的に過ぎるかもしれない。
カップリング:交響曲第4番「法悦の詩」

1楽章〜4楽章
「れどれ ふぁらっし〜 そふぁそ しど〜れみ〜 しそ〜そ〜」
上品でマイルドな響きで、プレトニョフ盤は始まる。
すご〜く太くて、地響きを立てるようなチューバの音は、そこにはなく、滑らかに弦が出てくる。
まるで、フィギアスケートでも始まるかのようだ。繊細で可憐である。
う〜ん これは珍しいっ。ホントすべるようなフレーズで繋がっており、超なめらかな舌触り。いや、耳触りなのだ。これは〜 一般向けって感じがする。
何枚も同曲を持っていて、ぶあつ〜いステーキのような歯ごたえのある盤を聴きまくっていたら、こりゃ歯ごたえのない、なんとモノ足らないっ。と言うことになるだろうと思う。
でも、何枚か聴いたなかで、このプレトニョフ盤が、イチバン、スクリャービンが違和感なく、するり〜とBGM的に入ってきて、さらり〜っと聞き通せてしまう。
アシュケナージ盤も、わりと聞きやすかったのだが、この盤も、かなり聞きやすい。
フレーズが整理されているというか、フレーズの繋ぎ目、フレーズの大づかみが、きっと良いのだと思う。

で、音色は軽やかでソフトだ。
これは、どう聴いても、ロシアのオケとは思えない。
ロシアのオケって言えば、金管バリバリ、崩壊しそうなほどの咆吼・・・と思いこんでいる偏見が根強い私なのかもしれないが。一見、いや一聴と、フランスのオケかと、思うかも。
で、ギトギトにならず、爽やかで〜 さらり〜としており、色彩的でかつ華麗である。
でも〜 反面、スクリャービンらしくないっていうか、つまり、さほど個性的ではない・・・ってことでもある。

スクリャービンらしくない。って表現は、イマイチだなあ。
う〜ん。私的なイメージとして〜スクリャービンって、官能的で、とろとろ〜に陥ってチンボツ型で、耽美的で、甘い香りが漂っていて、むせるような熱気があって、狂気にも似た情熱があって、そのくせ投げやりで飽きっぽく、偏執狂的に執拗で、建設的ではなく壊す方が好きで、デカダンス的というか。けだるく、力なく、にやけているような、そんな感じ。
(↑ すごい思い込みの激しい、思いっきり偏見な意見だ。)
まっ そんなイメージとは、プレトニョフ盤は、ちょっと違うのだ。
どちらかというと軽やかで、涼しげで、さほど官能的ではなく、どろどろしてもいない。
かといって、クール過ぎでもない。
いかにも、さらっとした感じで、線は細めで、健康的な演奏だ。さっぱりしているんだな。
う〜ん。シノーポリ盤のように、もう少しドラマティックに、仰々しく鳴らしてくれても良いのだが、もう少し盛り上げて欲しかったよなあ〜と言う感じで終わってしまう。
まあ。腹八分目的に聴くには、よいかもしれない。

品の良いスクリャービンで・・・ 幾分、淡泊だが、シルキィでなめらか、ほどよい甘さの風味で、女性的というかカマっぽい演奏である。ふわ〜と聞きたい時にはお薦めだし、夜のBGMに良いと思う。
私的には嫌いではないし、よく聴く方だとは思う。
しかし、過激な演奏に慣れている耳の方には、このソフトな感触には、ちょっと違うぜ〜と思うかも。
聴くときの気分で、選ぶか選ばないか、はっきりしちゃう〜 そんな盤である。
1975年 ギーレン 南西ドイツ放送交響楽団 Hanssler ★★★★
1976年 コンドラシン コンセルトヘボウ ETCETRA ★★★
1988年 シノーポリ ニューヨーク・フィル ★★
1988年 ムーティ フィラデルフィア管弦楽団 Brilliant ★★★★
1990年 アシュケナージ ベルリン放送交響楽団 Dec ★★★
1996年 スヴェトラーノフ ロシア国立交響楽団 EXTON ★★★★★
1996年 プレトニョフ ロシア・ナショナル管弦楽団 ★★★
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