「 頭のなかの ♪ おたまじゃくし 〜クラシック音楽を聴いてみよう〜」

シベリウス  交響曲第7番
Sibelius: Symphony No.7


シベリウス交響曲第7番(作品105)は、1924年に作曲され、同年に初演されています。
ウィキペディア(Wikipedia)を元に記述すると

単一楽章で構成されており、ティンパニのト音に続いて、地の底から湧き上がるような弦の音階によって開始されます。
フルートが、いくつかのエピソードを出した後、ヴァイオリンが序奏主題を奏で、厳かな楽想が続いた後、最初の盛り上がりとして、第1主題ともいうべきトロンボーンの旋律が朗々と響き渡ります。
トロンボーンの旋律は、中間部で、やや形を崩した形で現れ、終結部でもういちどほぼそのままの姿で再現されるもの。
寄り添うように、フルートが、上昇下降を繰り返し、終結部において、もっとも長い完成された形で現れてきます。
スケルツォ的な、快活でリズミカルな部分を挟みますが、曲の神髄は、有機的に融合した交響曲の各要素を凝縮された音の中で表現したことにあるようです。演奏時間は、約22分です。

ともて短い楽曲で、交響曲というよりは幻想的な楽曲ですが、凝縮された密度の高い、哲学的な楽曲です。
厳格で、晦渋な、難しい〜というよりは、なにやら達観したかのようにも聞こえるので、ワタシ的には、ある程度の年齢に達しないと、その良さはワカラナイのかな〜とも思ったりしますが、みなさんは、どんな風にお聴きになられるでしょうか。

  カラヤン ベルリン・フィル 1965年
Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker
(Berlin Philharmonic Orchestra)

録音された時期が古いので、 とびっきり良くはないが、ルカ教会の響きは大変心地良い。もちろん、アンサンブルはみごと。私的にはオーラを感じる演奏である。
カップリング: 
1 シベリウス 交響曲第4番(65年)
2 シベリウス 交響曲第7番(67年)
3 シベリウス 悲しきワルツ(67年)

カラヤンさんのシベリウスは、引き締まったタイトな演奏である。
弦の硬い響きと共に、金管の無駄のないスリムな響きが刻まれており、後々まで残る。
オケの響きが、この楽曲の一面を、きっちり端正に無駄なく描き出している。凄みがあるというか、緊張感がすごく張っていて、気を引き締めて、構えて聴かないとダメな楽曲のように思われる。

C・デイヴィスさんの演奏の後に、このカラヤン盤を聴くと、デイヴィス盤が、すごく生ぬるく感じられる。
ほんわかしたアプローチも棄てがたいが、う〜 このカラヤン盤は別次元にあるような感じ。
ベルグルンド、ヘルシンキ・フィル盤も好きなのだが、カラヤン盤で聞くと、迫力、気合いが違う。
こりゃ〜全く違うアプローチだ。こりゃ〜違う。
精神性という言葉は、あまり好きじゃーないが・・・ ハイ、でも、達観したかのような、厳しい世界なのである。背筋がシャンとするし、まるで禅のような〜 (といって、宗教観が漂っているってワケじゃないのだが) 無駄のない、墨絵のような世界というか。削ぎ落とされたというか。色で言うと白黒のタッチというか、
モノトーンですかねえ。
ずっしりとした重量感がありながら、透明度も高いし、硬めのサウンドで、ぐいぐいと迫ってくる気迫みたいなモノを感じて、そのくせ自然体だし〜 こりゃ すげっ。

カラヤンさんの演奏は、ゴージャスな演奏の時は、鼻血が出そうなほど暑苦しいし。どうもな〜という点があるのだが、このシベ7は、文句なしに良いと思う。
フルートの響きは、人を夢幻の世界に吸い込んでいく。弦のタイトな響きは、シーンとした静寂さと、底に張り付いた氷の上を歩いているかのような世界に誘う。また、金管の響きが、神々しい。
まるで、ご来光でも拝んでいるかのような気持ちにさせられる。
う〜 このありがたい気持ちにさせる開放感は、すごい。やられたっ。

う〜ん。楽器の響きが、これほど異なるイメージを、世界観を描いてくるとは。
う〜ん。唸ってしまった。人を改悛させるかのような高みへの誘い、時々、凍り付いたかのような深いクレパスを垣間見せ、切迫感を与える。そのくせ、奥まったティンパニーの響き、オーボエの響きなど、余韻が大変心地良い。

シベリウスのこの楽曲が、様々に姿を変えていくかのようで〜  カラヤン盤は、決して一辺倒のアプローチじゃないことが解る。いろんなイメージが出現し、いろんな形に変わり、変幻していくようだ。
この楽曲が、自然観なのか宗教観なのか心情を表しているのか、なにを描こうとしているのか、よくつかみきれないけれど。全てを包み込むかのような、それでいて、分解的で〜
距離感が測りきれないところがあるが、最後の一音の広がりが、空中で散っていくかのようなところがあり、無限大に広がっているエントランスに立っているかのような錯覚を起こす。
始まりの終わりのような〜

なーんか、演奏のことを具体的に書けず、自分の印象ばかりを書いて申し訳けないのだが〜
私的には、時空間を自分のイメージで飛べる自由さが感じられ、安心感に包まれているという、とても不思議な空間が出現するのだ。カラヤン盤を聴いていると、さまざまに変幻する形のないモノ、そのくせ、妙に安心、暖かく、前に歩みを進めて行きたいような〜 オーラのようなモノを感じる。
ワタシ的には、これは、ダントツ。参りましたっ。という盤である。(曖昧な、勝手な印象でごめんなさい)

ベルグルンド ヘルシンキ・フィル 1984年
Paavo Berglund  Helsinki Philharmonic Orchestra



録音状態は良い。硬質な演奏ではなく、暖かみのある演奏。
ベルグルンドのシベリウスは、ボーンマス響、ヘルシンキ・フィル、ヨーロッパ室内管の3つがある。これは、2回目の録音。
カップリング:シベリウス 交響曲第5番〜7番
単一楽章の交響曲で、20分あまりという短い楽曲だ。
でも、小宇宙的なシンフォニーで、幻想的で、夢想的。座禅でも組んでいる気分になるというか、坪庭を見ているような雰囲気になるというか。 ワタシの好きな楽曲である。

で、ベルグルンドさんとヘルシンキ・フィルの演奏は、すーっと流れて消えていく、内省的で静かな演奏である。ティンパニーの音が軽く鳴ったあと、「れみふぁそらしどれみふぁ〜」と、弦があがってくる。
そこに絡む金管の響きは強くない。
うわ〜っと広がっていく可視的な盤も多いし、悠然とした広がり、泰然とした雰囲気を持っている盤も多いのだけど、線は細身で、良い意味でこぢんまりとしている。
悪く言えば、あまり肉付きが良くない。
でも、なーんていうか、小さくまとまりつつ、そっと、底流を流れているせせらぎのような。
気をつけないと、見つけられない存在のような、そんな小宇宙を作ってくる。
「み〜 れみふぁそ ふぁそらしれどし〜  れ〜 どれみらそらし どしら〜」
「み〜 れみふぁし〜 どれ〜れ〜」 木管の二重奏響きの柔らかいこと。音が優しい。
澄まして聴いてみよう。さすれば、柔らかな木漏れ日が射し込んでいることに気づくだろう。って感じだ。
キザな言い方をすると、さりげない所作のなかに、たおやかさを見つけた喜び。そんな感じかな。
弦の透明度も高いし、すーっと流れていく柔らかい響きに品があり、女性的。
木管の響きが、ホント柔らかく優しく、息づかいが頃合いで、ナチュラル系だ。これには脱帽。

中間部は、小刻みに弦が動き、結構駆け足に演奏されている。せっかちなほどに動いていくのだけど、小さな生命体の活発な蠢きのなかから、長音が絡んで、大きな蠢きとなっていく。
この時のトロンボーンの旋律は、うん。もっと派手でも良いぐらい抑え気味。
開放的で、解き放たれた喜びを表すかのような、明るい音で、大見得を切る盤もあるんだけど〜
いやいや、この盤は、ホント人肌的な演奏だ。
特に、木管の響きが、自然観にあふれて、室内楽的な響きの延長線にある演奏となっている。
柔らかく、包まれた感覚になる幸せ。肉付きの良さという点は持っていないし、インパクトのある盤は他にあるので、つい、聞き流してしまいやすい盤なのだ。
初めて聴くには、ちょっと〜 もう少し、幾何学的で、クールな演奏を聴いた方が良いかなと思う。
若い人にも、どーかなあ。さっぱりしすぎて、精進料理臭いかもしれない。退屈になるかもしれない。

でも、この楽曲に馴染んでしまうと、あまりインパクトの強い演奏は、鼻についてしまうかもしれない。
味わいすっきり、何度でも〜聴ける。総体的には、さらりっ〜としている。 でも、とっても柔らかくて温度感が良い盤が欲しくなるかもしれない。まっ 上質な、クセの少ないお酒みたいなモンかな。

専門家じゃーないので、このシンフォニーの面白さを充分に伝えきれないんだけど、木管と弦が、有機的に繋がって、織りなしていく旋律の流れ。
音の響きが、不思議な幻想的な雰囲気で、ほわ〜っと溶け合っていくところが、ホント楽しい。
C・デイヴィスさんと同じように、ベルグンドさんも3回全集を作っていたと思う。
何度も繰り返して演奏され、録音されているのだけど、これは、ヘルシンキ・フィルとの2回目の全集である。
凍えるような冷たいクールな世界でもなく、余計なモノが削ぎ落とされてはいるけど、割り切った感覚でもない。飛び越えられないような距離感でもなく、猛々しさや峻厳とした峰に立っている感じでもなく。
鋼鉄のようなテカテカと、冷たい硬質感もない。もちろん無骨でもない。
ことさらに身振りの大きな演奏でもないし、何度も言うけど、インパクトの強い盤ではない。
でも、なーんて言うか、等身大サイズというか、人肌の暖かさを感じさせる、ベタに言うと〜 お酒はぬるめの燗がいい。って感じ。
でも、何度でも味わい、戻ってきたくなるような演奏で・・・。 ほっこりさせてくれる家族みたいなモンである。


ラトル バーミンガム市交響楽団 1985年
Simon Rattle  City Of Birmingham Symphony Orchestra

録音状態は良い。渾然いったいとした響きというよりも、どこか、旋律が出ているので、ざわついた感じがする。
カップリング:
1〜3 シベリウス 交響曲第5番
4    シベリウス 劇音楽「クオレマ」〜鶴のいる情景〜
5〜8 シベリウス 交響曲第7番
9    シベリウス 交響詩「夜の騎行と日の出」

ラトル盤は、冒頭のフレージングは丁寧だし、ホール感も、まずまずあるので、豊かには響いているように思う。
が、この楽曲は、各楽器の旋律が、よりあわさって、バラバラに聞こえるのではなく、渾然一体と聞こえないと、楽しくないような気がする。
う〜ん、どう言えば良いのかなあ。近くでみると、いろんな色が混じっているのだけど、遠くから見ると、1つの色として主張してこないと、イケナイみたいな。
遠くから見た色で、この楽曲の色彩や良さが、決まっちゃうような〜 そんな気がする。

底部からわき起こってくるような、エネルギーを感じることができるかどうか、という感じがするし、底辺の厚めの響きが欲しいかもしれないし、かといって、高音域の、すーっと透る雰囲気も大事だし。あぁ〜 なにやら、難しそうな楽曲だ。

マクロ的な視点と、ミクロ的な視点では、異なる、相反するかのような感じがする。
さざ波が立っているようなイメージが欲しいし、かといって、細かなところにこだわると、大きなつかみで、大きな波として、イメージされないと、形が崩れそうで、破綻しちゃう感がしないでもないし。難しそう。
単に、緻密に、積み上げる、積み重ねても、ダメって感じがする。

うねうね〜っとした、フレーズの揺らぎはあるのだが、旋律的には硬くて揺らがない、揺らいではいけない〜
そんな感じがするし、管の長音と、弦のうねりが、マッチしてこないと、縦が合わなくなって変な感じになりそう。
また、弦や木管の、ゆらっとした感も欲しいのだが、ある波幅を、気持ち悪くなって船酔いした感が生じちゃうので、限界を超えちゃうとダメみたいな〜 そんな感じがする。心搏の幅に、一定枠があるように思うのだ。
もちろん、目には見えない枠なんですけど。また、それは聴いている人の枠にもなるだけど・・・。
縦横に枠があって、その三次元のなかで、立体的にうねると感じる方が、かえって、タイトに聞こえて、気持ちが良いのかもしれない。まっ。ど素人なので、偉そうなことは言えないが〜 (笑)

音の音量だけの調節では、まったく締まりがなくなっちゃうし、楽譜のセンテンスと、カラダで感じるセンテンスの長さが異なるような気がする。3拍子のワルツだと、こころもち1拍めを伸ばさないと、ワルツに聞こえないみたいに〜
で、楽器の構造が見えすぎると、これもダメみたいな。
つまり、今、フルートが鳴っているとか、オーボエだな。みたいな感覚は、この楽曲では要らないような。
普通なら、見通しが良い方が、情報量が多いね〜と、喜んで聴けるし、気持ち良く聴けるのだが、この楽曲に関しては、分解して見せないほうが良いんじゃーという感じがするのだ。
なぜなんだろう〜 

ラトル盤で聴くと、例えば、弦が、そそそ ららら そそそ ららら〜っと鳴っているな〜と感じるのだが、混ぜ合わさった、渾然一体のなかで、揺らがないと、また、金管が聞こえると、えっ バランスが悪いな〜と思ってしまう。
う〜ん。なんでしょうねえ。渾然いったいとした、ぼや〜とした響きでいいのだが、どこか、主張してて、それが、いつもの楽曲だと、気持ち良く主張が聞こえてくるのだが、この楽曲だと、ザワザワした風に聞こえちゃう。
ササクレだっているような〜 そんな感じするらしてくるのだ。
う〜ん、この楽曲では、フレーズに、さほど主張は要らないし、膨らみ感もさほど要らない。そんな風に思えちゃいましたね。さほど硬いわけでも、柔らかいわけでもないが、重さが感じない方が良いんでしょうね。
また、息づかいが、さほど深くなく、深すぎても浅すぎてもイケナイみたいし、透明度も、いまひとつという感じがする。
この楽曲は、バラバラのパーツとして見せていただかなくても、よろしいかと。低弦のうねりは感じるんだけど、でも、なにか、枠から出ちゃったという感じがしちゃう。
遠くから拝見して、その風合いを楽しみ、色彩を感じ、そして抽象的に感じる何か・・・ 
凸凹の織り目を、楽しむのではないです。織り目は均等で、平面でなきゃ〜ダメで、また、何かの形を表すのではなく、また、見せてもいけない。具象ではなく、形としては不要、ぼやけた、溶解した抽象画です。

横には、多少流れて行かないとイケナイけれど、旋律の美ではなく、響きの美で、平面的だけど少し縦に伸びた、歪な抽象画を、音で描くって。うわ〜超難しそう〜っ。
まあ、以上は、ワタシの勝手なイメージでございます。失礼しました。

C・デイヴィス ロンドン交響楽団 1994年
Colin Davis London Symphony Orchestra

録音状態は全体的に籠もっている感じがするが、柔らかで大らかな演奏だ。
デイヴィス2度目の全集盤
1度目はボストン響と、3度目は同じロンドン交響楽団とのライブ盤が出ている。
シベリウスの交響曲第7番は、1楽章のみの小品だが、聴けば聴くほど奥が深い。
C・デイヴィスさんのロンドン響との演奏は、柔らかく、ふくよかな響きを持っており、ゆったりとした、広がりを持っており、大きな器を感じさせる。
ことさらに大きな身振りで演奏されていないけれど、泰然としてて、豊かさがある。
私的には、小さな氷の結晶のような、硬く締まった小宇宙的なシンフォニーだと思っているのだが、この演奏を聴いていると、ほんわかしてきて、特に前半は、大変柔らかい。
柔らかいと言っても決して弛緩しているわけではない。
作品自体の持つ旋律の織り目から、ふわ〜っとした靄が立ってくるかのようだ。
朝靄にたなびく、ゆるやかな稜線を持つ高原に佇んでいるかのようで、目の前にアルプスの山々が見えてくるかのような雰囲気がするのだ。
結構、金管の響きは、伸びやかで奥行きを感じさせるし、可視的だし、パノラマ風景のように感じる。
一瞬、ブルックナーかと思うほどで、和音が、とても綺麗だ。スケール感が出ている。
録音状態は、さほど良いとは言えないんだけど、響きの柔らかさが出ているので、この楽曲にマッチしているように感じた。

まっ フィヨルドのような狭く切り込んだ雰囲気ではなく、高原のような、アルプスの山々を見るかのような広がっていく雰囲気があるので、楽曲に対するイメージは、私的には違っていたんだけど〜。
それでも、上昇する旋律の時の揺らめき感や、堂々とした強さ、男性的な雰囲気を持っているので、聴いていて結構、納得感がある。
密度の濃い、織り目が詰まった感じはしない。テンポも、総体的にゆったりしている。
中間部の弦が、カシャカシャと蠢くところも、ゆったりめ。で、柔らかい響きが特徴だ。
トロンボーンの響きも、ティンパニーも、結構、太めにゴツク響いてくるが、全体的に茫洋とした感じになっている。それが、でもこの楽曲には広がりを与えるし、かえって良さが出ているんじゃ〜ないだろうか。

C・デイヴィスのロンドン響盤は、神秘的というより、大らかな自然観たっぷりの演奏で、私的には、ホントは、もう少し繊細でも良いようには思うけど、深刻にならず、小さくまとまらず開放的で明るめのシベリウスの7番になっているので、これはこれで、主張のある良い演奏だな〜と思う。

1965年 カラヤン ベルリン・フィル ★★★★★
1966年 マゼール ウィーン・フィル Dec  
1974年 ザンデルリンク ベルリン交響楽団 Brilliant  
1975年 C・デイヴィス ボストン交響楽団 Ph  
1982年 アシュケナージ フィルハーモニア管弦楽団 Dec  
1984年 ベルグルンド ヘルシンキ・フィル EMI ★★★★
1985年 ラトル バーミンガム市交響楽団 EMI ★★★★
1993年 サラステ フィンランド放送交響楽団 Fin  
1994年 C・デイヴィス ロンドン交響楽団 ★★★★
1997年 ヴァンスカ ラハティ交響楽団 BIS  
所有盤を整理中です。

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