「 頭のなかの ♪ おたまじゃくし 〜クラシック音楽を聴いてみよう〜」

ストラヴィンスキー カルタ遊び、兵士の物語、オイディプス王
Stravinsky: Jeu de cartes, L'Histoire du soldat, Oedipus Rex


  ミンシュ ボストン交響楽団 1961年
Charles Munch  Boston Symphony Orchestra

アホくせぇ

録音状態は60年代初頭なので、それなり。重めで、がっしりとした演奏で、軽妙さには欠けているかもしれない。
カップリング:
1    ミヨー 世界の創造(1961年)
2〜9 ミヨー プロヴァンス組曲(1960年)
10    プーランク オルガン、弦とティンパニーのための協奏曲(1960年)
11〜13 ストラヴィンスキー カルタ遊び(1960年)
ミュンシュさんの60年の録音で、、一応、往年の名盤って感じなのだけど、う〜ん。
最初のフレーズは、勇壮に奏でられて、ハイハイ、この楽曲だよな。と思いつつ聞いていたのだが、なんだか、途中から、面白くないというか、ギクシャクしているというか、なんだか違った楽曲のように聞こえてしまうんだけど・・・。
木管のフレーズが、とても重要な役割をしているように思うのだが、表情がついてないというか。
もちろん音は入っているのだが、はあ。フルートの そぉぉ〜ふぁれ そど そふぁ〜 というようなフレーズも、拍感覚が違うような気がするし。ここ3拍子なんだよねえ。
で、猛烈に速くなって行ったりするだけど、こんなに速いの?とか、ここはワルツ風なのでは?とか、テーマソングのような主題が、登場するところだけ、異様に目立つなあ。とか・・・。

なんだか、大雑把な感じがするんだけど、何故なのだろう。ハテサテ。
内声部が抜け落ちたような感じがするのと、ワルツぽいリズムが感じられないし、リズム処理の仕方が違うんだろうか。
木管なんか、鳴っているだけって感じで、弾み方も重いし、パロディのところも歌わないし、大指揮者に失礼ながら、なんか、つまらん曲に聞こえてしまいました。スミマセン。
  ケーゲル ライプチヒ放送交響楽団 1973年
Herbert Kegel  Leipzig Radio Symphony Orchestra
(MDR Sinfonieorchester)



録音状態はまあまあ。テンポは遅めだが見通しのよい演奏で、機械と人の中間に位置しているかのような感じで、独特だが、そこに興味を引かれる。
カップリング:
1 ストラヴィンスキー 組曲「カルタ遊び」
2〜3 小管弦楽のための組曲第1番、第2番
4 協奏曲「ダンバートン・オークス」
組曲 カルタ遊び

ケーゲル盤は、あまり、ポーカーを楽しんでいるっていう感じではない。
杓子定規的で、カツカツ、カミカミ、キコキコ、カキカキ・・・っと、ペトルーシュカではないのだが〜 機械仕掛けの人形が、動いている感じなんである。

で、録音状態は良いのだけど、インデックスは、小分けにされておらず、1つになっている。
なので、最初に聴くには、1ラウンド、2ラウンド、3ラウンドの区別が解りづらいが〜
まあ、最初のフレーズ 「どぉ〜ど どれぇ〜 そぉ〜そ そみどっ(パパパっ そみど)」
「みぃ〜みみふぁ〜(そみど)しそっ ら〜ら れっれしそ (らそらそらそふぁみ・・・)」が、3回鳴るので、まあ勝負の区切りは解る仕掛けになっている。
演奏を聴いていると、ははは〜華やかな幕開けだと思うんだけど〜 う〜やっぱり、クールなのだ。
で、テンポは、ゆったりめ。
バレエ音楽なので、人が演じるには、このテンポぐらいなのかな〜と思うが、24分弱で終わる。

ジョーカーのケタケタした笑いとか、荒っぽさとか、表情が、最初聴くには、解りづらいかもしれない。
木管のフレーズの優美さとか、ファゴットのコミカル、ウッパパっ。ウッパパっ。という響きが、もう少し強調されていたら、もう少し楽しいし、合奏としては面白いんだけどなあ。
遅めのテンポで丁寧に演奏されているのだが、優美さ、優雅さ、楽しさという感情面では、どうかなあ。
弦の滑るようなフレーズで、ジョーカーの踊りなんぞ、「らぁ〜そぉふぁ〜そぉ〜ふぁみれ どどどれ どしらそ れぇ〜」「しぃ〜らそふぁ み〜れ どしらそ」と 、ケタケタ笑っているような諧謔さ。
「らぁ〜しぃ らぁ〜しぃ」と、けたたましく動く場面とか、なかなかに良い演奏なんだけど。
ちょっぴり能面っぽい演奏だ。もっと、オーバーでも良いのになあ。とワタシ的には思う。

軽妙なワルツフレーズも、キッチリと縦糸が合ってて綺麗だし、木管のフレーズも、フレーズ自体の流れはとても精緻で、見通しは良い。演奏家さんが聴くには、とってもお薦めなのかもしれない。
パコパコパコ・・・と木管が活躍しているし、弦が、パパパっと弾んでいるし、細かなフレーズが合わさって、てんで勝手に演奏しているような一見バラバラした動きなのだが〜
うぱーっと広がる金管や、各楽器のパーツが、妙な動きで重なりつつも、なんとなーく、1つのフレーズとして、ぱ〜ぱぱあっ。ティンパニーが、パンパンパンっと弾んで、動きが見えてくるところが、面白いのかもしれない。
「セビリャの理髪師」序曲のフレーズが聞こえ、金管が細かく震え、金管が咆吼したり、相当に芸の細かい楽曲で、「どーどどれぇ〜 どーどどれぇ〜っ」と、華やかに鳴って終わる筈なのだが。
これが、えー う〜ん。オチなのかあ。と、もう少し鳴りっぱりが良ければねえ。なんだか、尻すぼみ的で、肩すかし的に終わっちゃったって感じがする。まっ そんなウラハラ的なのが、ケーゲルらしい。

総体的には、あまり、楽しげな表情が生まれて来ないのは、ワタシ的には、ちょっと不満なのだが。
テンポは遅めだが見通しのよい演奏で、機械と人の中間に位置しているかのような雰囲気がって、独特の雰囲気を持っている。まあ、そこに、なんだか興味を引かれる。
演奏を聴いていると、人間と、機械の中間的存在のように感じられ、トランプを人間が演じるっていう、その設定自体が、ハハハ〜 そりゃ〜無茶だ。人造人間××みたいな動きなのだよぉ。
と言いつつ、あっ そうそう、無表情で、機械的な喋り方で受けた、家政婦○○みたいな感じだな〜って思うのだ。なので、今のご時世には受けるかも・・・。
一種ひんやりした不思議な温度感、機械かと思えば、なんかコミカルな動きをしているぞぉ〜
まっ そんな興味が湧くと、それはケーゲルの描く不思議ワールドなのかもしれない。

ワタシの持っているCDは、ちょっと古い。キングレコードから出ている国内盤である。
で、最近は、交響詩「うぐいすの歌」が追加で収録されているものがある。スウィトナー 指揮の春の祭典とカップリングされているものもあるし、リマスタリング盤や輸入盤もある。 原盤は、ドイツ・シャルプラッテン(VEB Deutsche Schallplatten Berlin)である。 もし、購入を検討されるのであれば、収録されている曲の多いものを選んでください。

ネーメ・ヤルヴィ コンセルトヘボウ 1991年
Neeme Järvi  Royal Concertgebouw Orchestra
(Amsterdam Concertgebouw Orchestra)

録音状態はイマイチ。籠もりがちで重たく、フレーズが湿気を含んでいるような感じがする。軽妙さが、ちょっと不足しているかも。
カップリング:ストラヴィンスキー カルタ遊び、オルフェウス、兵士の物語(オケは、スコティッシュ・ナショナル管弦楽団 86年)

組曲 カルタ遊び

作曲家ストラヴィンスキーは、巷では、カメレオンって言われているそうである。
えっ なんでーって思っていたのだが、作風が、コロコロっと、変化していくからだそうだ。
まあ、画家のピカソのように、時代と共に、作風が進化しているんだと思うんだけどなあ。
カメレオンって、そりゃー ちょっと気の毒だよね。といいつつ、カメレオンに因んで、緑色のジャケットで登場したのが、パパ・ヤルヴィ盤である。

気合いを入れて聴いたのに、このCD、録音状態があまりよろしくない。
シャンドス盤で、録音年は91年、コンセルトヘボウ・ホールでの収録だ。おまけに、24ビット96ヘルツでリマスタリングしたというので買ったのに、なんでーっ!
いつも聴いているシャンドス盤と違って、ヌケがイマイチ良くない。
音が籠もって、ぼわーっ ぶよぶよぉ〜っとしているんである。特に、打楽器の音が冴えず、奥行き感が良くないのだ。まあ、ブツブツ言っても仕方ないので、聴いてみたのだが〜 
演奏は、ちょっと重厚すぎるかもしれない。

まずは、ちなみに、ウィキペディア(Wikipedia)で、この楽曲のことを調べてみよう。
・・・ストラヴィンスキーは幾度か作曲に対する姿勢を変えたりしていたが、このバレエ音楽「カルタ遊び」は「新古典主義時代」に属する作品である。
アメリカン・バレエの支配人ワルバークからの依頼で、1936年に作曲された。
全体は、3つの部分に分けられ、それらを通してトランプのポーカーをしている様子が描かれている。
ダンサーは、それぞれトランプの模様をした衣装を付けて進められていく。
ジョーカーやパスの踊りなども加わり、全体を一層多彩にして行き、最後にはディーラーの手が現われ、全てのカードを持ち去られる。・・・とのこと。

この最後、全てのカードが持ち去られるってところが、ホンモノのバレエを見てないだけに、イメージが湧かないし、そもそもトランプゲーム ポーカーを、バレエに しちゃえ〜という構想が、ワタシの想像を遙かに超えちゃっている。

さて、ヤルヴィ盤では、インデックスが細かく振られており、18に区分されている。
で、ポーカーの勝負なので、1楽章と言わずに1ラウンドと表記されている。
「どぉ〜どどれぇ〜 そぉ〜そそみどっ(パパパっ そみど)」
「みぃ〜みふぁ〜 みどっ どれみふぁ そそそ・・・」というのが、序奏になっている。
で、このフレーズが、3回出てくるんである。つまり、3ラウンド勝負なんですよね。

さて、この序奏が鳴って、ゲームが始まる。
大太鼓の響きのなかで、可愛いフルートが鳴る。「ふぁみられふぁっらぁ〜 ふぁみられふぁ〜らぁ、らしら らしら、ふぁ〜みれら〜 しふぁらぁ〜」フルートの二重奏。そこに、ファゴットやオーボエが絡む。
音階はなってくるし、パパパ・・・ うパパパっと、ワルツのフレーズが挟まってくるし、場面展開は速い。

ジョーカーの踊りなんぞ、「らぁ〜そぉふぁ〜そぉ〜ふぁみれ どどどれ どしらそ れぇ〜」
「しぃ〜らそふぁ み〜れ どしらそ」と勇ましいのだが。
えっ〜 どっかで聴いたようなフレーズなんだけどなあ。うう。思い出せない。
結構、おチャメなフレーズで、どのトランプカードに向かって笑っているんだろ。
いずれにしても、お馬鹿にして、ケタケタ笑っている場面なんだろうなあ〜と、イメージが膨らむ。

それにしても、楽器ごとに役割があるのか、よく解らないまま聴いてしまったが、そもそも、全3ラウンドを22分ちょっとで走っていく楽曲なので展開が速い。
それに、テーマを聞き分けられるほど、ワタシの耳は良くない。
第3ラウンドで登場する「セビリャの理髪師」序曲のフレーズが、聴き取れただけで終わっちゃったですね。

とにかく序奏が、3回出てくるので、あ〜今、勝負がついたんだ。1勝負終わったんだな〜
えっ でも、勝敗の結果は、どうだったのぉ〜 目に見えるようにしてよぉ。ワカンナイよぉ。という感じで終わっちゃうので、ちょっと不満。
で、ティンパニーは3台使われているらしいのだが、 これもイマイチ、これだけの台数が必要というのが、わかんないんですけど。う〜 一つのラウンドごとに1台かしらん。ボクシングのゴングじゃあるまいしなぁ。
う〜 これは、何度も繰り返して聴かないといけないのだが。
楽器を聞き取る耳と、洒脱の効いたフレーズと、ポーカーを知らないと、なんか不満が残りそうデス。
ワタシの場合は、想像しきれず〜イメージは混乱しつつ、耳がついていけず、理屈がワカンナイよぉ。と、悲鳴をあげている状態で、ヤルヴィ盤は、ちょっと重めで湿気た感じ がしてスッキリしません。って言っても、説得力がないかも。(苦笑)
楽曲そのものに、ついていけてないワタシなので、あまり偉そうなことは言えません。スミマセン。

  ブーレーズ クリーヴランド管弦楽団 1994年
Pierre Boulez  Cleveland Orchestra

さっぱりワカラン

録音状態は良い。ストーリーを気にせず、小編成の打楽器音楽として聴いた方が良いかも。
カップリング:ストラヴィンスキー
1     幻想的スケルツォ(94年)
2     カンタータ「星の王」(96年)
3〜6  交響詩「うぐいすの歌」(96年)
7〜15 組曲「兵士の物語」(96年)
ストラヴィンスキーの兵士の物語は、1918年に発表された朗読と演劇、バレエを総合した舞台作品です。
あまり馴染みがないので、ウィキペディア(Wikipedia)を元に記述すると

ロシアの民話をもとにラミューズが台本を制作したもので、7人のオケと語り手、兵士、悪魔の3人の人物が登場するもの。弦楽器、木管楽器、金管楽器のそれぞれから高音と低音を受持つものを選び、打楽器を加えた七重奏、すなわちヴァイオリン、コントラバス、ファゴット、クラリネット、コルネット、トロンボーン、打楽器(トライアングル、タンバリン、小太鼓、中太鼓、大太鼓、シンバル)という編成です。
全曲上演は1時間、組曲版(全9曲)、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための三重奏としても編曲されています。

ストーリーは、ロシア兵のジョゼフが、休暇で故郷に帰る際、ヴァイオリンを弾いていると、悪魔が老人に化けて登場し、金のなる本とヴァイオリンを交換します。本には、未来の相場情報が書かれえおり、3日間で本の読み方を教えるかわりにヴァイオリンの弾き方を教えてほしいと言われて悪魔の家へ。そこで過ごした3日は、3年間だった。

故郷に帰ったジョゼフは、本を読んで商売繁盛。しかし、商売に興味が持てなくなって、ヴァイオリンを買い戻すが、もはや鳴らない。
旅に出て、国王の娘が病に伏しており、治してあげると結婚できるという話しを耳にする。
王宮でトランプをしていると悪魔が現れ、悪魔の金を返せば昔に戻れるとのことで、悪魔と賭トランプして勝利っ。
ヴァイオリンを取り戻して王女の部屋で弾き始めると、王女が回復。
2人の前に悪魔が登場して踊り狂うが、ジョゼフがヴァイオリンを弾くと悪魔は倒れて追い出されてしまう。しかし、悪魔は、国境を越えれば、悪魔の手に落ちると警告する。

今、手にしているものに、昔持っていたものを足し合わそうとしてはいけない。
今の自分と昔の自分、両方もつ権利はないのだ。全てを持つことはできない。
禁じられている。選ぶことを学べ。1つ幸せなことがあれば全部幸せ。2つの幸せは無かったのと同じ。という、教訓めいたいセリフが述べられる。

しかし、悪魔の警告を知りつつ、望郷の念に駆られたジョゼフは、国境を越えた瞬間、待ち伏せた悪魔の弾くヴァイオリンに吸い込まれて舞台から去ってしまった。・・・というもの。

う〜ん、ブーレーズ盤で組曲版を聴いたのだが、あまりストーリーを気にしない方がいいかもしれない。
もちろん、舞台用の音楽なので、ストーリーはあっても邪魔にはならないが、リズム主体の空間芸術っぽい雰囲気を味わうのが、素直かもしれないと思う。確かにね〜 七重奏曲のような小編成の室内楽なのだ。
ちょっぴり滑稽で、皮肉っぽく、ジャズの要素も入っているのだろうか、すっとぼけた感のする行進曲風のフレーズがちりばめられている。
ヴァイオリンは、悪魔を象徴しているのかもしれないが、素っ頓狂な金管などの細かいリズムに覆われている。
楽曲自体が、ゲンダイオンガクに近づいていたようで〜 抽象化してて、ちょっぴり、ワタシにはわかりづらかった。
  ネーメ・ヤルヴィ スイス・ロマンド管弦楽団  1993年
Neeme Järvi   Orchestre de la Suisse Romande

ソプラノ:ガブリエレ・シュナウト Gabrielle Schnaut
テノール:ペーター・スヴェンソン Peter Svensson
テノール:ルーベン・アモレッティ Ruben Amoretti
バリトン:フランツ・グルントハーバー Franz Grundheber
バス:ギュンター・フォン・カンネン Gunter von Kannen
バス:ルドルフ・ローゼン Rudolf Rosen
語り:ジャン・ピアト Jean Piat

ふむふむ。

録音状態は良い。ライブ盤
オイディプス王

ストラヴィンスキーは、バレエ以外の舞台作品が、4作品ある。
ウィキペディア(Wikipedia)を元に記述すると
 夜鳴き鶯 (Le rossignol) 1907年〜14年 のちに、交響詩「うぐいすの歌」(1917年)を書いている。
 兵士の物語 (L'Histoire du soldat) 1918年
 オイディプス王 (Oedipus Rex) 1927年 ジャン・コクトーの台本によるオペラ・オラトリオ
 放蕩者のなりゆき (The Rake's Progress) 1951年

で、このオイディプス王は、エディプス王とも表記されている。
ここでは、オイディプスとしておくが、古代ギリシャ三大悲劇詩人のソポクレスが、紀元前427年頃に書いた戯曲で、テーバイの王オイディプスの物語を題材としたもの。ちなみに、オイディプスの娘が登場する「アンティゴネ」と、「コロノスのオイディプス」がある。(アンティゴネは、これ、オルフのオペラの題材にもなっている)

簡単にストーリーを書いておくと〜(ちょっと表記を変えています)

テーバイの王ライオスは、産まれた男子を殺させようとした。それは、「お前の子がお前を殺し、お前の妻との間に子をなす」との神託があったため。しかし、預けられた者は子を殺さず、山に捨てる。
その子は、隣国のコリントス王夫妻に拾われ、息子として育てられる。

子はオイディプスと名付けられ、立派に成長したが、周囲から「王の実子ではない」という噂を聞き、神に伺いを立てる。その結果得られたのは、ライオスに与えられたものと同じ神託で、彼は、この神託が、自分とコリントス王の事を指しているのだと誤解し、王を殺さぬ為、国を離れることにした。

その頃、テーバイでは、近隣にスフィンクスという怪物が出現する。ライオスは神託を得ようと周囲の者とデルフォイ出かける。そこで、オイディプスと行き会うが、行き違いから争いとなってしまった。オイディプスは、彼らの名も知らぬままに殺してしまう。その後、オイディプスはスフィンクスを成敗する。

テーバイでは、王の死によって混乱していたが、スフィンクス倒した若者に喜び、先王の跡を彼に継がせ、ライオスの妻イオカステーを彼にめあわせる。2人の間には男女それぞれ2人ずつが生まれた。
その後、時間が流れ〜 王座にあったオイディプスが、自分の出自を知って破滅していくというストーリーである。

ここからが、実は劇のストーリーなのだが〜
オイディプスが、テーバイの王になって以来、不作と疫病が続く。
デルフォイに神託を求めたところ、不作と疫病は、ライオス殺害の穢れのためで、その殺害者を捕らえ、テーバイから追放せよという神託を得た。

そこで、オイディプスは、ライオス殺害者を捕まえよ、殺害者を庇う者があれば、その者も処罰するとテーバイ人達に布告を出す。
オイディプスは、摂政のクレオーンの薦めにより、高名な予言者で盲(めしい)のテイレシアースに、ライオスの殺害者を尋ねる。オイディプスの前に現われた予言者テイレシアースは、卜占により真実を知ったが、その真実をオイディプースに伝えるのは忍びなく予言を隠そうとしたのだが、王になじられたため、不作と疫病の原因はテーバイ王その人にあると言った。

オイディプスは、摂政クレオーンを詰問していた処に、イオカステーが現われ仲裁し、予言など当てにならないのだと言い、その例として、ライオスとイオカステーの間に産まれた子供の話をした。(つまり、オイディプス王の出自)

ライオスとイオカステーは、子供がライオスを殺すとの神託を受けたが、ライオスはポーキスの三叉路で何者かに殺されてしまい、この予言は当たらなかったとオイディプスに伝えた。
しかし、この話を聞いたオイディプスは恐れる。昔、ポーキスの三叉路で人を殺した事があったからである。
ライオスが殺害された際、殺害を報せた生き残りの従者を呼んで、真実を確かめるようにアドバイスされ、オイディプスは、その従者を探す。
従者は、オイディプスが王位についた頃に、田舎に移り住んでいた。予言が実現された事を知った従者は、恐ろしさのあまり、逃げたのである。

オイディプスが、ライオス殺害者と従者とを追っていると、彼のもとに、コリントスからの使者が訪れた。
使者は、コリントス王ポリュボスが死んだため、コリントス王の座は、オイディプスのものになったと伝え、オイディプスにコリントスへの帰国を促す。
しかし、自分の両親を殺すであろうという神託を受けていたオイディプスは帰国を断る。
オイディプスは、ポリュボスとメロペーを、実の父母と信じていたから。でも、使者は、オイディプースに、ポリュボスとメロペーは、本当は、実の父母ではないことを伝える。

これを聞いたイオカステー(ライオスの妻→ オイディプス王の妻になっている)は、オイディプス王が自分の子供だと知り、自殺するためその場を離れる。
しかし、真実を悟らないオイディプスは、イオカステーが自殺しようとしている事に気づかず、女ゆえの気の弱さから、話を聞く勇気が失せて部屋に戻ったのだと思い違いをした。まもなく、かつて、ライオスが殺害されたことを報せた生き残りの従者が、オイディプスのもとに連れて来られる。
この従者は、オイディプスを、キタイローンの山中に捨てる事を命じられた従者と同一人物であった。

従者は、オイディプスに全てを打ち明ける。
真実を知ったオイディプスは、イオカステーを探すべく、イオカステーの部屋を訪れたが、既に時遅しだった。
罪悪感に苛まれたオイディプスは、狂乱のうちに、我が目を、イオカステーのつけていたブローチで刺し、自ら盲(めしい)になる。彼自身の言によれば、もし目が見えていたなら、冥府を訪れたとき、どのような顔をして、父と母を見ればよいのかそう思ったためで、自身をテーバイから追放するようクレオーンに頼み、自ら乞食になったという結末である。


ストラヴィンスキーが、どうして、この題材を選んだのか、ちょっとわからない。
友人のジャン・コクトーに、台本の執筆を依頼して、コクトーは語り手を置くことを提案している。語り手は、フランス語なのだが、歌の部分は、ラテン語である。
コクトーとストラヴィンスキーは、この作品を、バレエ・リュスの主宰者ディアギレフの舞台活動20周年を祝うサプライズにしようと考えて極秘裏に準備を進めていたらしいが、「贈り物」がバレエでないと知ったディアギレフは、観客が失望するであろうと落胆したという。

う〜ん、ちょっと長くなってしまったが、まあ〜 そうでしょうねえ。ディアギレフでなくても、あまりに、深刻で暗すぎて〜
素人、大衆受けしそうな題材ではないだろうとは、誰しも思うのではないだろうか。オペラでも、オラトリオでもOKらしい。まあ、語り手を入れているぐらいなので〜 わかりづらいかもしれない。
精神分析の世界では、エディプスコンプレックスという言葉あるぐらいで、ちょっと、テーマ自体が異様である。 
で、演奏については? なんとも・・・ 特段、感想を述べられるほどではない。こういう楽曲があるんだな〜という程度で聴いてしまった。

一応、配役としては、オイディプス王:テノール イオカステー:メゾソプラノ 摂政クレオーン:バリトン
予言者テイレシアース:バス 羊飼い:テノール コリントスからの使者:バスバリトン となっている。
N・ヤルヴィ盤は、スイスのヴィクトリアホールでのライブ録音で、51分の大曲である。
組曲 カルタ遊び
1961年 ミュンシュ ボストン交響楽団 Ph ★★
1973年 ケーゲル ライプチヒ放送交響楽団 Schallplatten ★★★★
1974年 アバド ロンドン交響楽団  
1990年 アレクサンダー・ラハバリ ベルギー放送フィル Naxos  
1991年 ネーメ・ヤルヴィ コンセルトヘボウ Chandos ★★★
1996年 シャイー コンセルトヘボウ Dec  
組曲 兵士の物語      
1994年 ブーレーズ クリーヴランド管弦楽団 ★★★
オイディプス王        
1993年 ネーメ・ヤルヴィ スイス・ロマンド管弦楽団 Chandos ★★★
所有盤を整理中です。

「 頭のなかの ♪ おたまじゃくし〜クラシック音楽を聴いてみよう〜」

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