「 頭のなかの ♪ おたまじゃくし 〜クラシック音楽を聴いてみよう〜」

ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第1番
Shostakovich: Cello Concerto No.1


ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番(変ホ長調 作品107)は、1959年に作曲されています。
ウィキペディア(Wikipedia)を元に記述すると
ショスタコーヴィチは作曲の際に、プロコフィエフのチェロ協奏曲第2番を意識したと言われています。プロコフィエフの交響的協奏曲(チェロ協奏曲第2番のこと)を初めて聴いたとき、興味深く感じ、このジャンルで自身の力を試してみたいという気持ちが起こったのだそうです。
献呈されたロストロポーヴィチのソロ、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団によって初演されています。金管楽器は、ホルン1本で、ソロ楽器として活躍し、全部で4楽章あります。

第1楽章 自由な形のソナタ形式
冒頭の序奏部からショスタコーヴィチらしい特徴的な音型が現れ、おどけたような行進曲で、冒頭の音型は、第3楽章、第4楽章にも現れ、本作のライトモティーフとしての役割を担っています。

第2楽章 叙情的な楽章で、ピアニッシモの弦楽合奏の後に、ホルンが印象的な旋律を静かに奏でるもの。

第3楽章 2楽章の中間部のモチーフから始まり、様々なモチーフを使い、長大なカデンツァが形成されるもの。

第4楽章 木管の下降するグリッサンドを合図に、弦楽器の刻むリズムの上で、チェロが主題を奏でます。この主題は、しなやかな緊張感を持っていますが、伴奏の軽快なリズムにのって、第1楽章の行進曲風な感じを思い出させるもの。

ヨーヨー・マ オーマンディ フィラデルフィア管弦楽団 1982年
Yo-Yo Ma
Eugene Ormandy The Philadelphia Orchestra

まっ こんなモン

録音状態は良い。1楽章は几帳面すぎて、ちょっと変な感じなのだが、その後は、やっぱり聴かせます。
カップリング:
1〜4 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
(バーンスタイン ニューヨーク・フィル 79年東京ライブ)
5〜8 ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第1番
1楽章
このCDジャケットをみたら、ショスタコの5番・・・でしょう。って感じなのですが、ここでは、カップリングされているチェロ協奏曲をご紹介します。
マさんのチェロと、オーマンディさん、フィラデルフィア管という組み合わせで、健やかな演奏って感じだ。
どういうのか、きちんと型どおり刻んでいるというか、定刻通りに刻まれた几帳面さがある。
で、この楽曲を他盤で聞き込んでしまったあとに、この演奏を聴くと、ん? なんとも、面白くない演奏に感じてしまうのではないだろうか。もうちょっと、くだけた、オチャメさというか、遊びというか、諧謔性みたいものを感じたくなる。
特に、オケの方が・・・ ちょっと、几帳面すぎて。そのまんま演奏している感じだ。
「ららら らしら〜 ららら らしら らしれ らしれ・・・」
いやいや、これは、これで正解なのかもしれないんですけど〜 いやいや〜 アハハ、やっぱり変な感じだ。
なんだか、スパイスが足らない。素っ頓狂に飛んだ音というか、はじけた感じのリズムであって欲しいというか、もっと、アクセントをつけてほしい。
アクが、たらないというか、野趣あふれる演奏を聴いちゃうと、この盤は、まじめくさってて、変なのだ。
なに、このクソまじめな演奏。いやいや、チェロは、これで楽しそうなですけど、オケがねえ。
いやいや、オケは、このクソマジメ風な几帳面なテンポでやって、チェロが、草書体で演奏したらいいんですよ。
えっ それでは、ズレませんか。なーんて、節回し、拍感覚の違いというか、どうもヘンテコリンに感じちゃいました。

2楽章〜3楽章
「しぃ〜らぁ〜しぃ ふぁ〜 ふぁぃ〜み〜ふぁ れぇ〜みぃ」
「どぉれ〜み ふぁ〜そ〜ら  しぃ〜そふぁ〜れ れ〜どぉし」
この楽章は、綺麗に流れており、かなり抒情的に演奏されている。
オケの方も、安心して聞こえてくるし、悲しみを押し殺しつつも、情感たっぷりにチェロが演奏されている。
擦れた悲鳴に似て、せつなくて〜と、身もだえしちゃうようなフレーズが、惜しげもなく聞こえて来て、巧い。
聴き惚れてしまった。
ホルンの音色も美しく入っており、そのまま、チェロが、ハーモニクスに入っていく。
「しぃ〜らし どぉ〜 しぃ〜らし どぉぉ〜 しし らし ししぃ らぁしぃ〜」
「しし どれどれ しぃしし〜 らぁ〜そふぁ れみれ らぁ〜そふぁれ みれ らぁ〜れし どふぁ・・・」と、沈静された、寂しげに歌う。ここは、この盤の白眉だと思う。
特に、3楽章は、無伴奏で奏でられるので、チェロの音色が、そのまま、素材として提供される。
マさんのチェロは、雄渾さもあるのさが、身をよじって、すすり泣くようなシーンが、まざまざと描かれてて、柔らかく、上品な演歌を聴いているかのような、優しい情感があふれでている。やっぱり巧いと思う。

4楽章
この楽章は、ケッタイな感じのするフレーズが、てんこ盛りだ。
「らららど そしふぁらみら みどそしふぁ らららど そしふぁらみら みどしみ しっしし どしれど みっ」
オケの方も、ここでは、強めに木管が吹かれており、ティンパニーも大きく叩かれ、まずまずの蝶番の外れ方だ。
チェロは、柔らかく、滑り落ちていく。
テンポは、ちょっと遅めだが、ギアが変わると、ちょっぴり速めに。
他盤に比べると、やはり少し几帳面に演奏されているが、木管のフレーズは、1楽章に比べると、派手に鳴らしており、楽しく感じられる。
録音年が、ちょっぴり古いし、今だと、もっと快速に、颯爽と駆け抜けて行く演奏があるように思う。
ずば抜けて、個性的な演奏でもなく、アクの強い演奏でもないので、他盤と比べると、ちょっと分が悪いかもしれない。

ハインリヒ・シフ マキシム・ショスタコービッチ バイエルン放送交響楽団
1984年

Heinrich Schiff
Maxim Shostakovich
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
(Bavarian Radio Symphony Orchestra)

アホくせぇ

録音状態は良い。なんとも気の抜けた、虚無感の漂う演奏だ。
カップリング:
1〜4 ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第1番
5〜7 ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第2番
1楽章
マキシム・ショスタコーヴィチは、1938年生まれの指揮者で、ご承知のとおり、ショスタコさんの息子である。
で、期待を込めて聴いてみたのだが〜 う〜ん。
「どふぁし ら〜 らふぁし らぁ〜(チャカチャカ)」という出だしから、ノラス盤は、既に戦闘状態という、すごいテンションの高さを感じたのだが、シフ盤は、おとなしい。
まあ、それは演奏者のアプローチの仕方だろうと思う。
シフ盤は、幾分、平板的に、クールに演奏していく。これだけアクの強い楽曲を、常にクールに演奏するというのも、結構、勇気がいるだろうが〜 まあ、のめり込んでは弾いていかない。
かといって、オケの方に凄みがあるわけでもなく、チェロ、オケ双方に、淡々と、演奏を進めていく。
「みぃみぃ みれど〜 みぃみぃ みれど〜 みふぁぁみぃ〜れど どぉどぉ どしら〜 どぉどぉ どしら〜どれ〜どぉしら」
チャンチャン チャカチャカ・・・というフレーズでは、戦争が起こっていようと、何処で、誰かが、何をしでかしてても、ワタシャー 知らないよぉ。と、素知らぬ顔をしている感じがする。
無関心なのだ。そんな風に聞こえる。
ノラス盤が、枯れススキの生えた草原で、一人、居合い抜きの稽古をして、刀を振り回しているかのようだったのに〜
シフ盤は、ぼさぼさ髪の放浪武士が、爪楊枝を口にくわえて、懐に手を入れて歩いているかのような感じだ。
緊張感が、あまり感じられず、ホルンのソロも、くぐもって旋律に締まりがなく、ふてぶてしい感じがする。
あまりの違いに、仰天してしまった。
まあ、こんな感じ方になるのは、リズムの処理とか、チェロのボーイングの違いなのだろう。
シフさんのチェロは、ワタシには、美音でもなく、スタイリッシュでもない、単なる投げやり的な〜という感じに聞こえる。
良いように言えば、 虚無的な演奏・・・ってことになのだろうが、単なる、やる気のなさで、力が抜けているんじゃーないの。という感じがする。

2楽章〜3楽章
この楽章こそ、虚無感が漂い、抜け殻なのだ。
「しぃ〜らぁ〜しぃ ふぁ〜 ふぁ〜み〜ふぁ れぇ〜みぃ」
「どぉれ〜み ふぁ〜そぉ〜ら  しぃ〜そふぁ〜れ れ〜どぉし」と、空しく響くのだが、 ところどころ、ツーンっと高音域に抜けたり、深々と低音域で歌うフレーズも出てくるところは、抒情的だ。
しかし、オケの方にも、張り詰めたような空気感は湧いてこないのだが、録音状態が、少し、もわっとしているせいかもしれない。シフさんのハーモニクス部分は、内省的で、ひとり二役しているような旋律にも、ウツウツと空虚さが漂い、抜け殻のように響いている。

4楽章
この楽章は、クラリネットのとぼけた音が鳴り始めて、チェロも乾いた音で、飛び跳ねてくる。
狂気を孕んだ気味の悪さと、うすら笑いを浮かべたような、皮肉さが全開となって、臆面もなく、調子外れの行進曲が始まっていく。うすっぺらいが湿気がこもって、自嘲気味に高揚して、パタンんと終わる。
あまりリズミカルではなく、ねっとり〜 じとっとした湿気を含んでおり、気味の悪さが出ている。
しかし、前楽章部分が、リズミカルに進んでこないのと、ニュアンス不足で、単に、たれっとした虚無感では共感を覚えるところが少なく、少し説得性に欠けているかもしれない。
作曲家の息子が指揮しているからといっても、どうも・・・。
今では、他盤も出ているし、資料的な意味合いがあったとしても、分が悪いかもしれない。少なくとも、他盤と比べて気合い負けしている〜と言われても仕方が無いかもしれない。

ミッシャ・マイスキー  マイケル・ティルソン・トーマス ロンドン交響楽団 
1993年

Mischa Maisky
Michael Tilson Thomas London Symphony Orchestra

いかすぜっ

録音状態は良い。ケッタイな楽曲なので、それなりに、慟哭して、ケタケタ笑ってくれないと困るが、マジメすぎず、楽天的すぎず、クール過ぎず良い。
カップリング:
1〜4 ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第1番
5〜7 ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第2番
1楽章
冒頭から序奏もなし、唐突に、「どふぁし ら〜 らふぁし らぁ〜(チャカチャカ)」って感じのフレーズから始まる。
「れれ れれしふぁ しぃ〜〜 れしふぁ しぃ〜」
「みぃみぃ みれど〜 みぃみぃ みれど〜 みふぁぁみぃ〜れど どぉどぉ どしら〜 どぉどぉ どしら〜どれ〜どぉしら」
チャンチャン チャカチャカ・・・
「ら〜ら〜ら〜 らしらぁ〜 らぁ〜らぁ〜 らしらぁ〜」
まあ、このような音型が、延々と続いていくのである。

あまった音が、続く音のアタマになっているような〜 かなり、けったいな音楽である。ケッタイな音楽だなあ。と思っているうちに、知らず知らず、「らぁらぁ〜 らしらぁ〜 らしらぁ〜」って、気がついたら歌っている始末なのだ。
弦のチャチャ チャッチャという刻むフレーズが、メチャメチャ面白い。
しかし、木管のフレーズが、クラリネットなどは、ちょっぴり甲高い音をたてておどけた風に吹いていく。
金管が出てくると、マイスキーさんのチェロは、どこへ行ってしまったのだ。という感じで、目立たなくなってしまうのだが、弦のセカセカした音が焦燥感を煽りつつも、おどけた気分を高揚させていく。
「ふぁれらそぉ〜 ふぁれらそぉ〜」・・・ まるで、蝶番が外れたマーチングバンドのようだ。
弦も、金管も、同じ音型を、延々と奏でていくのだが、これが面白い。

チェロ協奏曲というよりも、えへへ〜 チェロは、弦の筆頭役としか役割がないのだろうかと、思いきや、アタマをもたげて登場してくるし、まあ、弦が、金管のおどけたフレーズを増幅させていくようにも聞こえる。
もう少しテンポが速くても、面白いのだろうが、結構、手堅く、チェロもガッシリとした刻みで、自分で自分のカラダに傷をつけていくかのような感じで、自虐的に刻んでいく。

2楽章
「しぃ〜らぁ〜しぃ ふぁ〜 ふぁぃ〜み〜ふぁ れぇ〜みぃ」
「どぉれ〜み ふぁ〜そ〜ら  しぃ〜そふぁ〜れ れ〜どぉし」
小声で囁くような弦が、情感たっぷりに、弦楽のためのアダージョのように奏で始める。
ホルンが追随して、「しぃ〜らし どぉ〜 しぃ〜らし どぉぉ〜 しし らし ししぃ らぁしぃ〜」
チェロが、「しし どれどれ しぃしし〜 らぁ〜そふぁ れみれ らぁ〜そふぁれ みれ らぁ〜れし どふぁ・・・」と、沈み込んだ歌を歌う。
ヴァイオリンが、ロウソクの灯火のように、ゆらゆら揺れ、ホルンが、もわっと吹かれて〜 大変幻想的な世界となっている。
そこに、教会で祈りを捧げるかのようなチェロが登場し、すすり泣きを始めてしまうという感じだ。
ショスタコ独特の慟哭の世界で、「しっしっし どれどれ・・・」 木管まで引きずり込まれて、一緒に泣き出す始末となっている。
で、この静かな慟哭が泣き止むと、すわーっと、空気が入れ替わったように、広がりを見せてくる。
弱音の弦の緩やかなフレーズは、諦めのような、慰めのような心境となっていく。
室内楽のようなチェロのフレーズは、美しくも、悲しいものだ。

チェロのソロで、「れ みらし どし どれし れみ〜らぁ〜 しどしれ し どれ〜みぃ〜」と、奏でられたもんなら、背筋が凍るようでもあり、同時に、背中を優しく包まれるかのような雰囲気となる。この楽曲の白眉なんだろうなあ。
チェロが、段々と熱を帯びていき、高揚して昇華を初めて行く。
で、とっても高い高音域の世界となって〜 バンっ 「そぉ〜 ふぁ〜そ れぇ〜 れぇ どぉ〜れ しぃ〜どぉ」
ホルン「しぃ〜らし どぉ〜 しぃ〜らし どぉ〜」
この後は、完全に別世界の凍り付くような天上の世界で、チェロのものすごい、アリエナイ高音域へとのぼる。
きっと、マイスキーさんは、この時、チェロをハーモニクス(チェロの場合は、フラジオレットというのだろうか)という独特の奏法をしているんだろう〜と思う。チェレスタと共に奏でられており、ハイ、お星様になりました。・・・という世界になっている。
はあ、すげっ。ショスタコさんのピアノ三重奏曲第2番でも、おっそろしぃ〜 奏法が取り入れられていた。

3楽章
この楽章は、ソロのチェロだけがお出番になっている。カデンツァだけで、えっ 1楽章まるまる〜 という驚きの構成だ。
まあ、息を殺して、聴かないといけないので、とてもツライ部分だ。
マイスキー盤だと、5分42秒という〜 なんとも、そら怖ろしい世界で、既に2楽章で息も絶え絶えというのに、それ以上の世界が広がってて、うぐっ。
前後の楽章とは、切れ目がなく、一気に休憩なしに進む。これ生演奏で聴くと、超疲れるだろうなあ。
演奏している方も、100メートルを一気に呼吸なしに走るようなモンだと思う。
で、主題は前の楽章を使ってるので、統一感はあるし、ラストに向けては1楽章の最初の主題を入れ込んで走って行く。

4楽章
「ふぁどふぁ そっ それそれ ふぁ ふぁどふぁ しみら みぃ〜っ」
「らららど そしふぁらみら みどそしふぁ らららど そしふぁらみら みどしみ しっしし どしれど みっ」・・・ってな感じのけったいな音が続く。あ〜 わからん、この音の綴り方は、超独特である。
この方の和声って、どーなってるん? で、またまた、骸骨が踊っているかのような、けったいな踊りが始まるのだ。
アタマのてっぺんを、ピアノ線で吊られて、踊らされているかのような気分になってくる。

「みふぁ〜れそ そぉ〜 みふぁそぉ〜 みふぁそぉ〜みふぁ〜」という感じで、走って行く。
テンポアップしていくところは、とっても気持ち良いのだが、はあ、骸骨踊りをさせられた後なので、ちょっと、首の座りがわるい。3拍子なの? えっ? 「どれみっ れ ふぁぁ〜み」って感じの鋭い木管が鳴らされ、ハイハイ、踊ってぇ〜と、言われている感じで、強制的に、踊らされるんである。
こんなロンド、かなんわ。 
「れらふぁ れっ〜 れらふぁ れぇ〜っ ん チャカチャン」
で、えっ、急に終わるの。ホントに終わったの?

まあ、ホントに、ケッタイナ、風変わりな楽曲なのだが、すげー癖になりそうなもの。
まあ、言葉では言い表せないほど、言葉にするのも疲れるぐらい、疲れてしまって、気怠さを後に残す。
単なる、おちゃらけ、おとぼけ、皮肉たっぷり〜 というだけではなく、なんとも、複雑な、怪しげな精神的な楽曲だ。
地の底で慟哭していたと思ったら、一気に、お星様世界に昇るし、昇ったと思ったら、えっへへ〜っと、笑いながら踊るという通俗的な世界に戻ってきて、それも強制的な感じで踊らされて〜 
こりゃ〜 健全な精神のお持ちの方には、う〜ん ワカラン!イヤじゃこんなモノっ!  って感じになるのではないだろうか。
マイスキーさんの演奏は、情感たっぷり系の方なので共感するところは多いが、今回は、クールなオケと一緒なので、 あまり、独りよがりにならずに、調和がとれているのかもしれない。
ケッタイな、ちょとアヤシイ、アブナイ楽曲なので、それなりに、慟哭して、ケタケタ笑ってくれないと困るんだけど、かといって、ズブズブでも困るし〜  マジメすぎず、楽天すぎず、泣きすぎず、という、超微妙なバランスが欲しい楽曲だ。

アルト・ノラス アリ・ラシライネン ノルウェー放送管弦楽団 1997年
Arto Noras
Ari Rasilainen Norwegian Radio Orchestra

こりゃ良いわ〜拍手  ← 楽しいと言う意味での拍手ではなく〜 憑依度かしらん。

録音状態は良い。 力強く、硬めの枯れた感じの風合い。
でも、勇壮で、スケールが大きい。寡黙だが、意思の強さが感じられ、まるで野武士のように果敢であり、いぶし銀のように光る。
カップリングは下記のとおり。
←2枚組BOX
カップリング:
ディスク1
1〜4 ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第1番(作品107)
5〜7 ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第2番(作品126)
8 ピアノ三重奏曲第1番(作品8) トリオ・フィニコ Trio Finnico

ディスク2
1〜4 ピアノ協奏曲(ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲)(作品35)
 ピアノ:ユハニ・ラゲルスペッツ Juhani Lagerspetz トランペット:ヨウコ・ハルヤンネ Jouko Harjanne
 タピオラ・シンフォニエッタ Tapiola Sinfonietta
5〜8 チェロ・ソナタ(作品40)
 チェロ:アルト・ノラス Arto Noras ピアノ:タパニ・ヴァルスタ Tapani Valsta
9〜13 弦楽四重奏曲第3番(作品73)
 シベリウス・アカデミー弦楽四重奏団 The Sibelius Academy Quartet

1楽章
冒頭から序奏もなく、唐突に現る。
「どふぁし ら〜 らふぁし らぁ〜(チャカチャカ)」って感じのフレーズから始まるのだが、既に戦闘状態という感じがする。
「れれ れれしふぁ しぃ〜〜 れしふぁ しぃ〜」
「みぃみぃ みれど〜 みぃみぃ みれど〜 みふぁぁみぃ〜れど どぉどぉ どしら〜 どぉどぉ どしら〜どれ〜どぉしら」
チャンチャン チャカチャカ・・・
いきなり、枯れススキの生えた草原で、刀を振り回しているかのようだ。居合抜きの稽古でもしているのか、一人、黙々と姿の見えない敵と戦っているかのような様相だ。
「ら〜ら〜ら〜 らしらぁ〜 らぁ〜らぁ〜 らしらぁ〜」
マイスキー盤で聴いたときには、ケッタイな音楽だなあ〜と思いつつも歌っていたのだが、ノラス盤で聴くと、寡黙に武器を磨き、戦いに備えているかのような意思の強さを感じる。
フレージングは、しなやかで、しなやかに弓を絞って的を睨んでいるかのようで、とても、おどけた雰囲気がしない。
ティンパニーの硬い乾いた一撃が入ると、とっても驚かされる。
オケのフレージングは、戯けた踊りではなく、あくまでも、クールで硬質的だ。
透明度も高く、木管のフレーズも良く聞こえる。淡々と、職人のように、雄弁に語らず、気分の高揚は感じられないが、緻密に勇壮だ。

2楽章
「しぃ〜らぁ〜しぃ ふぁ〜 ふぁ〜み〜ふぁ れぇ〜みぃ」
「どぉれ〜み ふぁ〜そぉ〜ら   しぃ〜そふぁ〜れ れ〜どぉし」
弦楽合奏のように、ふわっとはしているが、抒情的でありながらも、ホルンとチェロが入ってくると、語尾が消え入り〜
「しぃ〜らし どぉ〜 しぃ〜らし どぉぉ〜 しし らし ししぃ らぁしぃ〜」
チェロが、「しし どれどれ しぃしし〜 らぁ〜そふぁ れみれ らぁ〜そふぁれ みれ らぁ〜れし どふぁ・・・」というフレーズを奏で始めると、空しさを感じる。
凍りついたような寒さではなく、薄ら寒さで、すーっと、むなしい空気感が漂う。
前楽章では、自分でテンションをあげていたのに、急に、力が抜けたように、抜け殻のようになってしまったような。
気骨の入った人格だったのに、心が折れた・・・って感じだ。特に、弱音での弦が、すすり泣くと、つらされて、チェロも一緒に、すすり泣きを始めそうだ。
しかし、涙を振り絞って〜 やっぱり意思の強い、大きなフレージングで、耐えに耐えて〜 立ち直ってくという芯の強い、何にも負けない精神力を感じさせるものとなっている。
大変、力強い、しっかりとした足取りを感じさせる。大きく、構えて、復興するぞ〜というような雄叫び(ってホントに叫んでいるわけではないのだが)、ナニクソっ!という感じの音になっており、強い意思、志のようなものが感じられる。
なんだか、反対に勇気を与えられるものとなっている。
ハーモニクス(チェロの場合は、フラジオレットというのだろうか)という奏法に変わると、シーンっと静まりかえってしまうのだが、感情の押し殺して偲ぶというような、鎮魂の歌のように聞こえてくる。

3楽章
この楽章は、ソロのチェロだけで奏でられるのだが、約5分56秒のカデンツァである。
ノラス盤で聴くと、チェロだから甘い音色だろう〜とか、かすれた声だとか〜 なんか、チェロの音質で語られるものではなく、この間合い、音の響きの残り香のようなもので、聴き手は、包まれたり、泣かされたりするんだな。って思う。
息づかいが良いというか、行間を読ませるような、演奏だ。
楽器が、呼吸をしているかのように感じられて〜 なんだか、とっても不思議だ。
演奏を聴いているのに、なんだか、ふっと、間合いを楽しんでいる。いや、単に慟哭しているわけでも、うちひしがれてカラダを振るわせて泣いているわけでもないだけど、弦に弓が当たる瞬間の音に、やられてしまった。
ムチを振るわれているわけでもないのに、聴き手のワタシが、ぶるっ!

4楽章
ケッタイな音楽が始まる。
蝶番が外れたような木管、バタバタっとなるティンパニー、骸骨の踊りのような〜 不気味に乾いている。
テンポは速めで、木管のフレーズの鋭さと、ティンパニーのバタバタっとした音が聞こえ、チェロが奏でると、なんだか、ワタシの首が、傾いてヒキツケを起こしそうになってくる。首が絞まってくるというか〜
まるで、バルトークの中国の役人じゃないけど〜 薄く、青白く、ぼんやりと光るかのようで、自ら、発光しそうだ。(笑)
いやいや、演奏がいぶし銀なんでしょうが、聴いているワタシの首は、なんだか、うすら寒く、傾き始める。
ホルンの音質は、暖かみがあるのだが、いやいや、オケの音質は、意外と温かいのだ。

でも、チェロの擦れた重音が聞こえてくると、いひひぃ〜という笑いに似て、聞こえてくるのだ。
う〜ん 悪意、おぞましさ、第三者の嘲笑に取り巻かれているかのようで、あーっ 味方はいないのか。
これが、民衆ということなんだろうか、なんだか、愚かしさを笑われているかのようでもあり、笑ってな〜 しゃーないやん。
みたいな、空しさみたいなものが、笑い変わってくるようでもあり。
う〜ん とにかく、この楽章では、なんだか、人の浅ましさ みたいなモノが感じられて終わってしまう。
ティンパニーのパンっというのが、オチで、ハイっ 終わり〜って感じなのだ。

えーっ あの意思の強かった姿は、結局、挫折しちゃったということなのだろうか。
あの情熱は、周りの聴衆に笑われ、結局は、救いがなかったのだろうか〜
あの強い意思は、どこへ行っちゃったのだろうか。と、演奏が終わってから、考えてしまう羽目に・・・。う〜ん。
特に、ストーリー性の高い楽曲ではないのだが、なんだか、ノラス盤に引き込まれてしまった。
擬人化され〜 人の魂が、乗り移ったかのようなチェロのようで、ついつい・・・。

ノラスさんのチェロは、雄弁ってわけではない。表情が濃いわけでもないし、よく喋る、うるさいぐらい語る演奏ではない。
なーんていうか、むしろ無口で、寡黙っぽい。
やっぱ、ここでは野武士風だなあ。背中で〜って語っている感じ。
ストイックで抑制されているのだが、意思がありあり〜 燃えているわけじゃ〜ないのにねえ。
なーんで、こう感じるんだろ。(う〜ん、ワタシも、もう少し、端的に言えるようにならねば・・・)
1982年 オーマディ フィラデルフィア管弦楽団 SC ★★★
1984年 シフ マキシム・ショスタコービッチ バイエルン放送交響楽団 Ph ★★
1993年 マイスキー マイケル・ティルソン・トーマス ロンドン交響楽団 ★★★★
1997年 ノラス アリ・ラシライネン ノルウェー放送管弦楽団 ★★★★★
所有盤を整理中です。

「 頭のなかの ♪ おたまじゃくし〜クラシック音楽を聴いてみよう〜」

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