うだるような暑さの続く東都。
「こんな季節」だというのに冷蔵庫が壊れるというハプニングに見舞われた新一は、思いつく限りの文句をぼやきながら、冷蔵庫の片付けをしていた。
偶然、壊れて間もなく気付けたから、新一が首を突っ込んでいる冷蔵室からは、冷気が流れ出して来る。
この冷気が涼しくて心地よいのが、唯一の救いだ。
冷蔵庫に首を突っ込み、全て片付けたところで、作業は冷凍室に移る。
と。
「あ・・・」
あらかた全て出してしまったところで、冷凍室の奥から現れた愛嬌のあるつぶらな瞳の持ち主と目があって、新一は先ほどまで溢れていた文句も忘れて微笑んだ。
真夏のゆきだるま
それは、新一だけでなく、蘭も一緒にランドセルにお世話になっていた、ある冬の朝だった。
「しんいちっ! 早く起きてよ!」
お外、真っ白なのっ! と、蘭は布団の中で縮こまる新一の肩を揺さぶった。
昨日も遅くまで読書をしていたのか、ますます布団の中に引きこもってしまう新一に、蘭はイタズラを思いついたのか、布団を半分引き剥がし、寝ぼけた様子の新一の頬に、真っ白い球体を押し付けた。
「うわっ!冷てっ!」
「へへ〜 目、覚めた?」
飛び起きた新一に、「凄いでしょ!」と雪の玉を見せる蘭。
そう。
蘭がはしゃいでいるのは、その前夜に東都では珍しいほどの積雪があったからなのだ。
「雪?」
「うん♪ ね!雪だるま作ろうよ!」
はしゃぐ蘭に急かされるように着替えて、庭に飛び出す。
普段大人ぶっていても、やっぱり子供で。
すぐに新一も、雪だるま作りに夢中になった。
冬の短い日がすっかり暮れる頃、雪が剥がされて芝があちこち現れた工藤邸の庭には、その無残な景観と引き換えに、それは見事な雪だるまが、でーんと座っていた。
途中で有希子が「ポタージュ・ブレイク」だと言って休ませなければ、不休で跳ね回ったのであろう勢いは、微笑ましく。
珍しく執筆を止めて、リビングで2人を見守った優作は、大きくなりすぎた雪だるまの頭を、2人に代わって胴体の上に乗せてやってから、記念撮影だと雪だるまの前で2人の写真を撮った。
「これだけ大きいと、明日からも少しは持ちそうだな」
「??」
優作の呟きに、首をかしげる新一。
優作は、その頭をぽんぽんと撫でて、苦笑を向けた。
「残念だけどね、新一。明日から暫く暖かくなってしまうんだよ」
「えっ!じゃあ、雪だるま、溶けちゃうの?」
新一よりも早く反応した蘭の頭も、同じように優しく撫でる。
冷えた蘭の髪が、さらさらと優作の指を流れた。
無言の肯定に、蘭の大きな瞳が潤むと、新一が慌てたように「何日持つ?」と尋ねた。
「そうだな、3日くらいかな」
しゅん、となってしまった蘭を横目に、新一が何事か考え込んでいる。
優作にはその考えがすぐに分かったが、新一が何かを言う前に、蘭の前にしゃがみこんで、そっと語りかけた。
「蘭君。雪は、いずれ溶けてしまう儚いものだ。でも君は、今日新一と雪だるま作りを楽しんだだろう? 雪だるまは溶けてなくなってしまっても、この写真と、君の胸の中にある思い出は、永遠になくならないんだよ」
曖昧に頷いた蘭は、ゆっくりと家に入っていった。
有希子が、慌てて蘭を追いかける。
その小さな背中を見送った新一は、同じように蘭を見送る優作に、厳しい視線を向けた。
「父さん・・・」
「なんだね?」
「アイツは・・・蘭は、消えるとか、無くなる、とか、変わるとか、そういうの、苦手なんだよ」
「・・・そうだね」
優作は新一の瞳をじっと見つめた。
蘭の、その傾向は多分に蘭の家庭事情が関わってくるのだが、自分はそれを良く知っている。
それなのに、現実を突きつけた自分を、新一はどうするだろうか?
(殴りかかってくる、かな?)
だは、優作の予想に反して、新一は静かに問うただけだった。
「信じることは無駄?」
意外な言葉だったが、驚いたのは一瞬だけで。
優作はふっと口角を持ち上げて、不敵に微笑んだ。
「いや。・・・この世で一番有効だね」
新一は、パタパタと、蘭を追いかけた。
そして、有希子に縋って「みんな、なくなっちゃう」と泣きじゃくる蘭の背中をゆっくりさすりながら、約束したのだ。
「泣くなよ、蘭。俺が、絶対「雪だるま」、守ってやるからさ」
「・・・ひっく、・・・っ、でもっ・・」
「絶対、無くさない。そんで・・・
・・・きっと、いつか、会わせてやるよ。約束する」
だから泣くな、と微笑む新一に、蘭は鮮やかに笑顔を返したが、雪だるまは3日後、優作の予測どおりに、跡形もなく溶けてしまったのだった。
蘭はそれをとても悲しんだが、新一が笑顔で「約束は守るぜ、絶対」というから、泣かなかった。
「嘘ついたら、ハリ千本なんだからね!」
「おうよっ!」
そうして、その冬、蘭はそれ以上、消えた雪だるまを悲しむことは無かった。
***
「新一っ!」
「お、早かったな〜」
パタパタとかけて来た蘭に、キッチンにいた新一は首だけ出して答えた。
「食べ物、大丈夫だった?」
「あぁ、どうにかな」
足元に置いた、キャンプ用のクーラーボックスを見下ろして苦笑を返せば、蘭がてきぱきと中身を確認していく。
「悪くなりやすい物は、うちで預かろうか?」
「いや、博士がどうにかしてくれるから、大丈夫だよ」
「そう?」
首をかしげる蘭だったが、新一のイタズラっぽい・・・なにか企んでいるときの・・・顔に、不審げな視線を向けた。
すると、案の定、新一は「でも」と続けるではないか。
蘭は一瞬構えて、僅かに身を引いたが、次の瞬間、目の前に突き出されたものに、目が丸くなった。
「コレだけ預かってもらおうかな」と言って、新一が差し出したガラスのお皿の上に、ちょこんと座った雪だるまが、蘭を見つめていたのだ。
「なに、これ・・・」
「8年前の雪だるま。ホラ、一晩で、積雪何センチだかで、大騒ぎになった時、作っただろ?」
「・・・な、んで・・・」
「だって、約束したじゃねぇか。いつか、会わせるって」
自信満々に笑ってみせる新一と、季節外れな、真夏の雪だるまを交互に見つめる。
その額には、ありありと「どうなってるの?」と書いてあって、新一は噴出した。
「簡単だよ。あの後、雪だるまの後頭部をちょっと削ってな?その雪で「ソイツ」を作って、冷凍庫に入れておいたんだ」
「!!」
「父さんが、キチンと保存できるように、パックに真空詰めしてくれてさ。長く持たせる為に、パックは開けられなくて、頻繁には出せなかったんだ。本体が溶けちまった時、蘭が泣いたらこのカラクリを明かすつもりだったんだけど、オメェ、泣かなかったからな」
新一は、皿の上の、小さな雪だるまをツン、とつついた。
蘭も嬉しそうに雪だるまを撫でる。
冷たい感触に、蘭は嬉しそうに微笑んだ。
「うん。新一は嘘つかないから。・・・いつか会えるって、信じてたから」
それに、おじさまに、雪だるまの写真、いっぱい貰ったし、と付け加える蘭に、新一は「なんだよ、写真のおかげかよ」と、ちょっとふてくされた様子で、蘭の手からお皿を奪う。
「あっ!」
「・・・ったく。今、夏なんだぜ?溶けちまうだろうが」
つかつかとリビングに向かう新一を、蘭が慌てて追いかける。
新一は、雪だるまが溶けてしまわない様に、お皿の周りにドライアイスを並べて、上からガラスのボウルをひっくり返して覆ってしまうと、リビングのローテーブルの上に置いた。
そして、一度キッチンに戻ると、用意しておいたのだろう、アイスティーの注がれたグラスを、無言で蘭に渡して、どっかりとソファに座ってしまった。
「写真はオマケよっ!だって、いつも、写真を見るたびに「いつ会えるかな」って、楽しみにしてたんだからっ」
新一の機嫌を損ねてしまっただろうかと、心配になった蘭は、頬を膨らませながら、新一の隣にくっ付いて座る。
普段ならば、暑苦しくて離れて座るところだが、今日は目の前に涼しげに佇む雪だるまのおかげか、部屋の空気まで涼しく感じたのかもしれない。
その様子と言葉に満足した新一は、弄んでいたアイスティーのグラスをテーブルに置くと、蘭の肩を抱き寄せた。
ここまでくっ付くと、やっぱり少しだけ、暑いのだが。
「あとで、博士の所持って行って、またキチンとパッキングしてもらわなきゃな」
「・・・ねぇ、なんで真空パックなの?」
「あん?じゃないと、霜が着いちまうんだよ」
「あ、なるほど!」
納得した蘭は、テーブルに自分のアイスティーを置くと、嬉しそうに、ドライアイスの冷気で冷えたガラスのボールをぺたぺたと触った。
・・・新一の隣には、戻らずに。
「・・・らぁん?」
「だって、暑いんだもんっ!・・・って、きゃっ!」
赤くなった顔だけを新一の方に向けて、言い訳をした蘭だったが、腰を引き寄せられて、新一の膝の上に座る形になった。
「ちょっとぉ?」
「この方が、テーブルが近くなって、雪だるまを見やすいだろ?」
「・・・ホントにそれだけ?」
「誓って」
右手を左胸に当てて、軽く左手を上げてみせる新一に、蘭はやっぱり疑わしげな視線を向けた。
「こーゆーことに関しては、あんまり信用できないんだよね」
「ンだとぉ?おらっ」
「イヤ!暑いっ!」
いつも通りにじゃれ合いはじめた2人を、ガラスドームの中の雪だるまだけが、“冷ややかに”見つめていた。
End.