交差点の向こう側には何もない
それでも人は群れを成し 渡りきろうと足を動かす
見落としているだけではないだろうか
ほら渡った先は 景色が違う すれ違う人も違う きっと何かある

足を止めて空を見よう―――渡った先にきっと新しい君がいる


〜愛すべき日々の始まりに〜



地下鉄の階段を上がると、先程とは違う外の風。
空には白い雲が気持ちよさそうに漂い、少しの間、雲を目で追ってみた。
日差しが穏やかすぎて、眠くなってきた。欠伸の1つでも出てきそうな勢いである。
視線を前に戻すと目の前には交差点があり、信号は青く点滅している。
何も急いでいる訳ではないので、交差点前で立ち止まると忙しなく渡っていく人々を見ていた。
何をそんなに急ぐことがあるのかと思うが、まあ、人には人の事情というものがあるのだろう。
こんなに晴れ晴れとした天候も久しぶりだというのに、誰1人として空を見上げる事をしない。
先程まで事件に没頭し、今し方帰宅の途についたオレも言えた義理ではないが。

―――さて、蘭に電話してみるか。
別に用は無いが、無性に『誰か』の声が聞きたくなる時があるだろう?
今のオレはそんな気分なんだ。オレの場合、『誰か』というのは決まっているけれど。

通行人の邪魔にならぬように近くの店先へ移動する。
上着のポケットから携帯を取り出し、押し慣れた番号を押すと呼び出し音が鳴り出した。
そんな音に、電波が届かない場所に・・・なんて案内はねーよなと思ったが、それも杞憂に終わる。
6回目の呼び出し音の直後、耳に届く機械越しの蘭の声。

『・・・新一?』
問いかける声はいつも聞く蘭の声で、それだけで殺伐としたものが取り払われる。
声を聞けば、探偵としてのオレから『工藤新一』に戻る事が出来るのだ。日常へと戻る儀式・・・
幼馴染としての・・・蘭に想いを寄せる1人の男に戻る事が出来る。

「ああ・・・今、平気か?」
『あ、うん。大丈夫だけど・・・。事件解決したの?』
「ったりめーだろ。オレを誰だと思ってんだよ?」
『なに偉そうにしてんのよ。・・・新一は新一でしょ』

―――オレはオレ、ね・・・
そんな言葉が蘭らしくて、ああ、今オレは蘭と話してるんだなと思いに耽る。
街中だろうが口元が緩んでしまう自分に、・・・春だなと関係がありそうでないことを思った。

会話が続く中、蘭の携帯からBGMらしき曲が聞こえてくる。
「なあ、蘭。オメー今何処にいるんだ?」
『何処って、デパートだけど。それがどうかしたの?』
不思議そうな蘭の声。きっと電話の向こうできょとんとした表情を浮かべてんだろうな。
蘭の携帯から流れるBGMに耳を澄ませてみれば、どこか聞き覚えのある曲。

それもその筈。

先日蘭がウチに晩メシを作りに来てくれた時の事。
見たいドラマがあるからと、オレの存在を忘れたかのようにテレビを見ていた蘭。
まあ、オレは見ようという気も起きなかったが。・・・恋愛ドラマなんて何が良いのかさっぱりだ。
そんな事を言えば、蘭の機嫌が下降していくのが分かっているので、思っている事は一言も口にはしなかった。
オレはそんな蘭の様子を後ろから眺めていた。場面に合わせ泣いたり、笑ったり。
ドラマなんか見るよりも、蘭を見ていたほうが何倍も楽しいではないか。
蘭をじっくり観察・・・いや、見ているとドラマも終わったのか、いつの間にかエンディング曲が流れていた。
ドラマが終わっても動こうとしない蘭は、「曲も良いのよね」と、まだドラマの世界から帰って来る気配がない。
そんな蘭の姿に、やれやれとソファから腰を上げ、1人寂しくコーヒーを淹れに行ったのはつい最近の事だ。

そう、蘭の携帯から聞こえる曲は・・・忘れもしないあの時の曲なのだ。

店内のBGMというのは、何も客を楽しませる為だけのものではない。
従業員に「店内で万引きがあった」と客に気づかれないように伝える為にBGMやアナウンスを使う。
他にもその時々の緊急事態や、売り上げ達成などのBGM・アナウンスもあるらしい。
従業員に雨が降り出したとBGMで伝える。
それによって傘売り場を前面に出したり、紙製の袋をビニールにしたり、色々と工夫をしているようだ。
要するにその店内で決まった曲、アナウンスで従業員に連絡をしている、という事だ。

この曲には何か意味があるのだろうか、そんな事をふと考えてしまった。
今考えるような事でもないけれど。

そんな事を考えているうちに蘭の携帯からBGMが聞こえなくなる。
微かに聞こえるには聞こえるが。
どこか別の場所に移動したのだろう。
「オメー買い物すんだのか?」と訊けば、『なんで分かるのよ』と驚愕しているようだ。

「いいのかよ。今日半額セールがあるとかなんとか言ってただろ?」
いつもの蘭ならば、あの人波の中でいろいろと決めかねている時間。
『いいの!それより新一もう帰ってくるんでしょ?』
「今、帰ってるとこだけど・・・でさ、オレ腹減ってんだけど、どっかで待ち合わせてなんか食わねーか?」
時間はもう昼過ぎだ。この時間では昼食は済ましてしまっているだろう。
だが、飲み物ぐらいなら付き合ってくれるかも知れない。誘ってみる価値はある筈。
『もうっ、新一ってば朝から何も食べてないんでしょ?』
「・・・分かるか」
『分かるかじゃないわよ!しょうがないから今から御飯を作りに行くからね』
嬉しい言葉が耳に響く。
蘭に会える上に、蘭の手料理・・・これは早く帰らねーとな。

さっきは忙しなく動く人に疑問を覚えたが、今はその中に入りたい気分だった。
よくもまあ、ころころと考えを変えるものだ、と思う自分に苦笑が漏れる。
それでも・・・それは仕方ないだろう。それだけ嬉しかったのだという事だ。

『・・・それで新一、何食べたい?』
帰宅モードに入ったのか、冷蔵庫の中には・・・なんて悩んでいる。
「やっぱハンバーグだろ?」
『そう言うと思った』と呆れながらも、楽しそうに答えてくれている。
本当は蘭の手作りならなんだっていいのだが、「なんでもいい」なんて言えば最後。
「自分の事でしょ!ちゃんと食べて栄養取らないと・・・」なんて言うに決まっている。
でも、そんな言葉の中には蘭の優しさが含まれており、そんなところについ甘えてしまうのだ。

『じゃあ、もう外に出るから切るね』
「・・・また後でな」
『うん。・・・気をつけて帰って来なさいよ』
「わーってるよ。蘭も気をつけろよ」
特に男共にはな、なんて付け足さなかったが、それが1番心配だ。
きっとアイツのことだ。ナンパされたってその事実に気づくことはないだろう。
もっと警戒心を持ってくれると助かるんだけど・・・と心の中で呟いていた。

その言葉を最後に互いに通話を切った。
会えない日は電話があると、蘭から切ってほしいという思いにかられる。
それはオレだけではなかった。
以前、どちらが先に切るかで一悶着あったのだ。
それでも互いにそう思っていたのだと気づき、最後には可笑しくなって笑ってしまった。
それからというもの、蘭との電話の度にその出来事が浮かび、ささやかな幸せに胸を躍らせている。
もちろん、蘭にはばれないようにしたいとは思う。こんな事、恥ずかしくて言えたもんじゃねーから。

携帯を上着のポケットにしまい、交差点の方へ足を進める。
歩行者は赤信号でまだ先へ進むことが出来なかった。
やがて、車の動きが停止して、青信号になった。

相変わらず、足早に渡りきろうとする人の群れは、何を思って渡っているのか。
もしかしたら、単に群れについて行こうと必死になっているだけなのかも知れない。
それも中々に可笑しくて、たまにはいいのかも知れない。
さしずめオレは気づかぬ間に取り残された1人ってとこか、とゆっくりと渡り始める。

暫く人間観察のように人の動きにばかり注意を払っていたので、気づくのが遅くなってしまった。

何気なく前方を見ていると、驚くべき人物が交差点の先にいたのである。
その人物は、まさに今デパートから出てきました、といった様子で、オレに気づくことはない。

『      』

呼び止める為、名前を口にしてみるが、声となり出てくることはなかった。
人の波から抜け出すようにして、なるべく交差点の隅を選びながら走っていく。
交差点を渡りきろうという頃、呼び止めようとした人物が交差点とは逆の方向へ歩き出そうとしていた。

それを目に留め、もう1度名を呼ぶ。

「・・・蘭っ!!」

ちょうど交差点を渡り切り、蘭に近づいていく。
1度足を止め、くるりと振り返る蘭。それと同時に花柄の白いスカートがふわりと広がった。

その瞬間、互いの目が合い、蘭の瞳が驚愕に開かれる。
だが、次に待っていたのは2人の満面の笑顔と、笑い声だった。

背後で自動ドアが開く度に店内から曲が漏れ出し、その間だけ2人はドラマの住人。


それはデパートのBGM―――蘭がお気に入りのあの曲。






ニッシーさんからの頂き物ですv
ええ、今年1月の大阪インテでお会いした時に半ば強制のようにお願いしたのです。
そうして届いたのがこのお話!
しかもこのサイトの3周年記念にとの嬉しいお言葉付き!
・・・いや、すみません。これ頂くまで開設日すっかり忘れてました・・・(駄目管理人)。

もう、スッゴク素敵で!!
ドラマを見ている蘭ちゃん観察してる新一とか。
ドラマに蘭ちゃん取られて一人寂しくコーヒー淹れに行く新一とか。
もう、ツボでツボでv

ニッシーさん、有り難うございました!!