銀板の恋人たち
byドミ
(1)フィギュアへの転向
「蘭・・・」
「新一・・・」
新一が思わず名を呼ぶと、蘭もハッキリ新一の名を呼んだ。
蘭も新一の事を忘れてはいなかったのだ、そう思うと、新一の胸は高鳴った。
けれど、久し振りに再会した蘭は。
目を丸くして新一を見た後、目を伏せて視線を逸らした。
「スケート、止めちゃったのね・・・」
「え・・・?」
「今年こそ、世界選手権出場は出来なかったけど。いずれは世界のタイトルも夢じゃないって言われていたあなたが。他の人がどんなに望んでも、手に入れられない稀有な才能を持つあなたが。スケート、止めちゃったの?」
蘭の言葉には、責める響きがあった。
長い間思い描いていた再会とはあまりにも異なる展開に、新一はただ、狼狽していた。
冷静に考えるのなら。
新一はスピードスケーターとして実績を上げてきた挙句、シーズン半ばにして引退という事を仕出かして、かなりの有名人であると言える。
蘭が新一の事を知っていたとしても、無理はなかった。
そして蘭が新一をファーストネームで呼んだのは、「あの」工藤新一が、幼い頃一緒にスケートをやった相手である事は、分かっていたからであろう。
単に懐かしい相手と思っていたのか、それとも、才能を嘱望されながらあっさりスピードスケートを捨ててしまった仕方のない我儘男と思っていたのか。
『オレは、才能を生かす為に、有名になる為に、スケートを続けてきたんじゃねえ!オレはただ、蘭、オメーとの約束を果たしたくて・・・』
幼い頃の約束など、蘭がたとえ覚えていても、子供の淡い夢物語としか思わないだろう。
新一は自嘲的にそう思い、とても今、本音を告げられる状況ではなかった。
「あ、あのよ、蘭。お、オレは、スケートを止めたんじゃねえんだ。ただオレは、スピードだけを競うものより、もっと別にやりてえ事があって・・・それこそ、本当に才能があるのか解んねえし、結果出せなきゃ『それ見たことか』と非難されても仕方ねえけど・・・オレはどうしても・・・フィギュアスケートがやりてえんだ・・・」
蘭が新一に目を向け、再び目を丸くする。
「フィギュアスケート?」
「うん。日本には滅多にねえ、ペアスケートを、やりたい。それがオレの夢だ」
蘭と共に、ペアスケートをやりたい。
まだ再会も果たす前から、新一の心のどこかにその願望があった。
それこそ、夢物語もいいところだと解っていた筈だけれど。
曲がりなりにも、他の人には出せない結果を出し、この先の可能性も大きいと期待されていたスピードスケートを捨て、夢物語のような「ペアのフィギュアスケート」をやりたいなど、また、蘭に非難の眼差しで見られるかと思ったが。
「素敵な夢じゃない!」
蘭が目を輝かせてそう言った。
「へ?そ、そうかな・・・」
「うん!確かに夢物語かも知れないけど、すごいと思うよ!そりゃ、スピードスケートだったらいずれメダルが取れるのにって残念がる人も多いと思うけど。私は、そうやって妥協せず夢に向かって進むのって、素敵だと思うな。・・・パートナーになってくれる女の人は居るの?」
「それが難問。まあまだすぐとは思ってねえさ。今はまだ、相手を探しながらフィギュアスケートの技を磨くってとこかな?」
「そっか。フィギュアスケートも、練習はしてたんだね」
「あ、ま、まあな」
「頑張って。私、応援してるよ!」
幼い時以来、初めての再会だと言うのに、何だか話が妙なふうに転んでいるなと新一は思い、とにかく蘭の連絡先を訊こうと、口を開きかけた。
その時。
「毛利さん!」
声が掛かり、蘭がビクンと飛び上がる。
「は、ハイ!」
「子供達を早く誘導して頂戴」
「分かりました!・・・ごめん新一、今私、バイト中なの。じゃ、またね!」
そう言って蘭は、引率中だったらしい子供達を引き連れて、子供達専用のリンクとなっている第2リンクへと向かって行った。
「じゃ、またね・・・ったって・・・連絡先もお互い伝えてねえってのによ・・・」
新一は思わず呆然として呟いていた。
けれどとにかく、蘭が今バイト中である事は分かったから。
終わるのを待ってコンタクトを取れば良いと考え直す。
「蘭の苗字は、毛利か。それも今初めて知ったぜ・・・」
焦る必要はない。
再会まで10年近く、待ったのだから。
蘭に取って新一の存在は、まだ、子供の頃の知り合いに過ぎないだろう。
とにかくやっと会えたのだ、距離を詰めるのはこれからゆっくりやれば良い、新一はそう考えていた。
☆☆☆
「蘭!」
バイトがひと段落し休憩中の蘭に、温かいココアを差し出しながら声をかけたのは、新一のクラスメートである鈴木園子であった。
「あ、園子!」
「どう?工藤君には会えた?」
「園子。どうしよう〜、私テンパッちゃって、変な事言っちゃったよ〜」
「へ?」
「スケート止めちゃったんだねって・・・新一がスケートをやっても止めても、それは新一の自由なのに。つい、責めるような事言っちゃったの。きっと新一、『何こいつ』って思ってるよ〜」
「やれやれ。せっかくこの園子様が、蘭の為に2人の感動の再会を演出してあげたったのにさ〜。で?ヤツは蘭の事、覚えてなかったの?」
「ううん。蘭って呼ばれたから、覚えていてくれてたんだと思う。でもでも、台無しにしちゃったよ〜、園子、どうしよう〜」
「大丈夫だって!蘭、自信持って。蘭の事を嫌うような朴念仁なんか、絶対に居ないから!私が保証するよ!」
新一は、ずっと後になって知る事になるのだが。
新一と蘭の再会は、決して偶然などではなく。
小学生の頃からの蘭の友人である鈴木園子が仕掛けたものだったのだ。
「園子。何だか私、いっつも園子に助けられて、迷惑かけてるよね・・・」
「蘭。もう、気にしなさんなって。蘭は真面目に働いてくれてるから、助かってるんだし。それに、小学校でいつも浮いてた私を、いつも庇って助けてくれたのは、蘭なんだもん」
蘭と園子は、小学時代の同級生で。
園子は財閥令嬢らしからぬ気さくでサバサバした性格ではあったけれど、その立場上故なく妬かれたり絡まれたりする事も多く。
そんな園子を庇って、分け隔てない友達として接し続けたのが、蘭であった。
スケートをやりたいが、経済的理由で諦めようとしていた蘭に、それを知った園子が助けの手を伸べた。
鈴木財閥は、トロピカルランドのスケートリンクにも出資しており、将来有望な選手のスポンサーにもなっている。
園子が蘭に提案したのは、営業時間が終わったスケートリンクを利用して滑るという事と、他の選手につけるコーチ陣に、蘭も一緒に教わるという事である。
トロピカルランドの屋外スケートリンクは冬季のみ24時間営業だが。屋内のスケートリンクは、365日24時間営業のリンクと、朝9時〜夜10時まで営業の小リンクとがあった。
園子の提案は、夜10時以降、その小リンクを使う事である。
そこは他のスケート選手達も夜間練習する場所であった。
ただ、蘭としては鈴木財閥の財力に一方的に負ぶさる形での助けは、抵抗があった。
そこで、助け舟を出したのが、園子の母親である鈴木朋子である。
朋子が蘭に出した条件は、奨学金貸付という形を取る事。
蘭が高校生になったら、トロピカルランドのスケート場でアルバイトとして働く事。
奨学金の返済は、蘭がスケート選手としてある程度の実績を残せたら免除となるが、そうでなければ、大人になってから分割返済するという事。
その条件を呑んで、蘭はスケートを続けて来た。
蘭は、いずれお金はきちんと返そうと思っているが、それでも厚意を受けた分尚更に、精一杯スケートの練習を頑張っていた。
中学から私立帝丹学園に進学した園子と、公立に行った蘭とは、学校は離れ離れになったけれどずっと仲良しだった。
ただ、蘭はスケートを続けたい本当の理由を、親友である園子にも明かした事はなかった。
園子が、蘭と新一の幼い頃の関わりを知ったのは。
「工藤新一スピードスケート引退」の報道を、偶然一緒に見た時である。
蘭が小さく「しんいち・・・」と呟いたのを、園子は聞き逃さなかった。
「え!?何?蘭、工藤君と知り合いなの?」
「あ、あの・・・し、知り合いって言うか・・・子供の頃、長野で会った事があるだけで・・・新一は私の事なんか覚えているかどうか・・・」
蘭はしどろもどろにそう言ったが、長年の蘭の親友には、蘭が抱えている想いを、すぐに見抜かれてしまったようである。
「工藤君は、クラスメートだよ」
「え!?ほ、ホント!?」
蘭は園子の言葉に、思わず反応してしまい、園子はにやりと笑っていた。
「ふうん、蘭、もてる割に彼氏の1人も作らないと思ってたら。アヤツの事が忘れられなかったからなのね〜」
「そ、園子!そんなんじゃ・・・!」
蘭は反論するが、顔が真っ赤で、説得力がない。
園子がドンと胸を叩いて言った。
「ふうん、そっか〜。蘭は工藤君には勿体無いけど、アヤツももてる割にどういう訳か彼女の1人も居ないようだし?この園子サマに任せなさい、2人の感動の再会を、お膳立てしてあげるからさ〜」
園子が、今回新一を執拗に合コンに誘い、合コン会場をトロピカルランドのスケート場にしたのには、こんな裏事情があったのである。
☆☆☆
新一は、ファンの女の子に時々捕まりそうになりながら、それをスケートでひょいひょい交わしつつ。
時々蘭の様子を見に行っては、蘭のバイトが終るのを待っていた。
合コンの中で、ペアになった者、はぐれた者、それぞれにバラバラになり、いつしか合コンは流れ解散のようになってしまっている。
「オレは合コンってよく分かんねえけど。普通はやっぱ、もうちょっと違う形だよなあ。高校生だから、酒の席って訳には行かねえだろうけどよ。それでも、飲食店とかでやんのが普通じゃねえか?」
新一はそう独りごちた。
新一にとってどうでも良い事の筈だが、今回の園子の行動は、謎に満ちていると思っていた。
新一が何度目か蘭の様子を見に行った時。
思いがけない人物をその傍で発見して、目を見張る。
「鈴木・・・?あいつ、蘭と知り合いだったのか?」
2人が何を話しているのかは分からないが、とても親しそうだという事は分かった。
「鈴木」
蘭の居る第2リンクから出て来た園子に、新一は声をかけた。
「あら。工藤君、こんなとこをうろついてたの?」
「もう、合コンメンバーはバラバラで、流れ解散のようになっちまったよ。第一、主催者のオメー自身が、んなとこに居んじゃねえか。それよりもさ、鈴木。あの子とは、知り合いなのか?」
「あの子って?」
「毛利蘭」
「・・・何、工藤君、蘭に目をつけたの?悪いけど、あの子は私の大切な親友だから、軽々しく紹介したり連絡先教えたり出来ないわよ」
「良いさ、そんなのは自分でやっからよ。けど、合コンの頭数を頼んで置きながら、蘭は大切な友達だから軽々しく紹介出来ねえって、そりゃ、あんまりじゃねえか?」
「うっさいわね〜。私の勝手でしょ?」
「ああ、まあ確かに。でも、オレは、オメーには感謝してるぜ。偶然とは言え、ここで蘭に会えたのは、オメーのお陰だからな」
園子は、信じられないものでも見たかのように目を丸くした。
「・・・そ。まあ、良いけど。工藤君、蘭のバイトが終わるのは、10時。蘭はそれから、第2リンクでスケートの練習をする筈よ。それだけ、教えといてあげる」
「サンキュー」
蘭はどうやら、フィギュアスケートをやっているらしいという事が分かった。
日本で、趣味として程度ならともかく、本格的にスケートを続けるというのは、お金がかかる。
それがフィギュアスケートともなると、尚更だ。
幼い頃出会った蘭は、少なくとも裕福な家の子には見えなかった。
だからこそ新一は、蘭がもしスケートを続けているとしたらスピードスケート界に居るのではと、予測していたのだが。
蘭は経済的ハンデを持ち前の頑張りで乗り越える道を選び、フィギュアスケートの世界に入っていたようである。
新一は、蘭が頑張ってスケートを続けていた事が嬉しかった。
その理由が自分にあるだろうと自惚れた訳ではなかったけれども。
そして新一は、適当に時間を潰しながら、夜10時になるのを待った。
屋内第2リンクは、一般客が外に出される。
「新一?どうしたの?」
「ああ、蘭を待ってたんだ。さっき連絡先も聞きそびれたと思ってさ」
新一は出来るだけサラリと軽い調子でそう言いながら、内心はドキドキだった。
「あ、あの・・・私バイトは終わったけど、これから練習があるから」
「蘭は、フィギュアスケートをやってるんだ?」
「うん・・・本当は贅沢な事なんだけどね。鈴木財閥から奨学金を借りて、何とか・・・」
「奨学金〜?あそこは金持ちなんだから、鈴木の友達だったら、ポンと気前よくその位出してくれるだろ?」
蘭は、キッと新一を睨みつけるようにして言った。
「駄目だよ、そんなの!私は園子と一生の友達で居たいんだもん!奨学金を借りるだけでも、充分過ぎる好意だと思ってるよ!貰うなんてそんな事、絶対駄目!」
「・・・あ・・・ごめん。悪かった・・・」
「あ・・・私こそごめん。新一は・・・園子と私が友達だって、知らなかったんだもんね」
いや、知ってたさと、新一は苦く心の中で思う。
そして新一は、自分を恥じる。
蘭は、幼い頃の純粋な優しい気持ちをそのままに、成長したようだ。
それがとても誇らしく嬉しく。
そしてそんな蘭にとんでもない事を言ってしまったと、恥ずかしくて堪らなかった。
リンクでは、他の選手と思しき面々が滑り始めている。
「毛利!何を油売ってる!部外者をリンクに入れるな!」
突然男性の叱咤の声が飛んだ。
見ると、長身のいかつい顔つきのコーチらしき男性が、こちらを見ていた。
新一はその男に見覚えがあり、考え込む。
昔フィギュアスケートの選手として活躍していた、横溝参悟、横溝重悟兄弟のどちらかであろう。
兄の参悟の方は確か、普段はスケート界から離れた世界に身を置いている筈だから、今コーチをしているのなら、弟の重悟の方と考えられる。
「すみません。オレは鈴木園子さんのクラスメートですが、ちょっと練習風景を見せて貰おうと思いまして。鈴木の・・・鈴木園子さんの許可は得てます」
新一が殊勝気に頭を下げながら、しれしれとそう言った。
園子に確認した訳ではなかったけれど、後から園子が知ってもおそらく文句も言うまいという確信が、新一にはあった。
「園子お嬢さんの・・・ったく、スケートを知らない素人のお嬢さんは、これだから困る」
コーチはブツブツ言いながらも、スポンサーの娘の差し金とあれば、それ以上文句を言おうとはしなかった。
蘭は新一に向かってぺこりと頭を下げると、慌ててリンクの真ん中に行き、練習を始めた。
流石に鈴木財閥がスポンサーとなるだけあって、ここで練習している選手はそれぞれにそこそこ実力はありそうだ。
新一の目は、その中でもどうしても、蘭に吸い寄せられてしまう。
『蘭の事だ。地道に真面目に練習を積み重ねて来たんだな。確かに上手い。でも何だか・・・変に萎縮してねえか?もっと伸びやかに滑れれば、もっと上手いんじゃねえかという気がするんだが』
ジャンプ、スピン、どれを取っても一応及第点で、そつなくこなしているのだが。
どうも今ひとつ、華がない。
「おい。お前、スピードスケートの工藤新一だろ?」
突然声をかけられ、新一はそちらを見る。
いつの間にか男子選手の1人が新一の立っているすぐ傍までやって来ていた。
新一より2つ3つ年上らしいその男は、眼鏡をかけた長身のさわやか青年風だったが、その表情に嫌味なものを感じる。
新一は無視する訳にも行かず口を開いた。
「ああ、そうだが、何か?」
「電撃引退の報道があったばかりだけど、まさかフィギュアに転向、なんて言わないよなあ?いくら同じスケートだからって、スピードスケート一筋だったヤツがそのまま通用する程、甘い世界じゃないぞ」
相手の言う事があまりにも新一の予測通りだったので、新一はウンザリした。
「まあ、そうだろうな。安心しろよ、オレがオメーのライバル的存在になる事は、ぜってーねえからよ」
ペアスケートに目標を置く新一としては、別に皮肉でもなくそう言ったのだが。
相手は自分の実力への侮辱と受け取ったらしい。
「来いよ!」
その男が、新一の手を強引にリンクへ引っ張る。
「お、おい!」
「そこまで大口叩くんだ、お前の実力、見せて貰おうか!」
新一は、内心困った事になったと考えていた。
フィギュアスケートの方も、基礎は練習して来ているから、出来ない訳ではないけれど。
このような場所で、いきなり実力を見せろと言われても、とても困る。
第一、園子や蘭の立場が悪くならないとも限らない。
蘭が、不安げな顔をしてこちらを見ているのが分かった。
他の選手達も、何事かと固唾を呑んで見ている。
「沢井、それにそこの・・・お前達、何をやってるんだ!?」
コーチが見咎めて、声をかけてくる。
「横溝コーチ。こいつ、スピードスケートを引退した工藤新一ですよ。フィギュアに転向したいなんて、ふざけた事を言ってるから、ちょっとその実力の程を見せて貰おうと思いまして」
「ほう。本来そんな事は許可出来ないが、こいつは園子お嬢さんの許可を得てここに来てるんだったな。スピードスケートでもどういう滑りをしていたものか、オレもまだ実際に見た事はない。本当にフィギュアをやる気があるのなら、ちょっと滑ってみて貰うのも、面白いかもな」
いつの間にか人だかりがしていて。
新一は、逃れられないと観念し。
そして、滑り始めた。
ジャンプもスピンも何もなく、ただ、片足でゆっくりとスケーティングをする。
「何だ?あいつが滑ってるの・・・」
「ああ、あれ、コンパルソリーじゃないか?」
「何だよ、今更コンパルソリーの練習から始めんのかよ」
「それじゃ、とてもとても」
コンパルソリー(規定)とは、氷上に大きな2つの円を描く、フィギュアスケートの基礎と言われるもの。
昔は、フィギュアの試合では、必ず演目としてあったものだが。
1991年の大会から、廃止された。
選手達の間から、嘲笑のざわめきが起こる。
新一は全くそれらを意に介さず、氷上に図形を描いて行った。
嘲笑う者が多い中で、真剣な眼差しで見ていた者もあった。
新一の滑りが終わった時。
横溝コーチが口を開いた。
「お前、フィギュアの練習もずっとやってたのか?」
「え?ああ、まあ、最低限の事なら」
「ふうん・・・そうか」
選手達の間から、別のざわめきが起こる。
横溝コーチが嘲笑っていない事が、見て取れたからだろう。
「今は試合でコンパルソリーをやらないから、練習もまともにしない選手が殆どになったが。工藤が描いた図形を良く見てみるんだ。スケーティングの上手さが分かるからな」
言われて、選手達は改めて新一の描いた図形を見た。
製氷後すぐでない為判り難いが、よく見ると、数回トレースされた線には、殆どぶれがなく。
歪みのない綺麗な円形を描いている。
氷上の図形は、新一のスケーティングが如何に正確で上手なのか、それを現していた。
「それに、工藤の姿勢はほぼ完璧だった。まあ、ジャンプやスピンといった技を見せて貰ってないから、何とも言えないが。それでも、お前達にバカにされるレベルじゃないぞ。工藤、お前、来季の大会には出るのか?」
「・・・まだ分かりません、オレは級もきちんと取ってねえし、果たして来季に間に合うのかどうか。いずれは、と思ってますけど」
「そうか。工藤、お前はスピードスケートをあっさり捨てて今度はフィギュアと、地味な努力もせずにただ華やかな事が好きなのかと誤解していたが。きちんと努力をしているヤツだって事、分かったよ。来季以降が楽しみだな」
新一をリンクに引き込んだ男・沢井は、口惜しそうな顔をしていた。
「沢井、お前ももっと基礎のスケーティングを練習しろ。そしたら伸びるぞ」
横溝コーチが、そう言って沢井の肩を叩いた。
散った選手達が、それぞれに真剣な顔で練習に取り組み始めた。
蘭がホッとしたような顔で、新一に小さく手を振ったので、新一も振り返した。
そして新一は、堂々と蘭の傍まで行く。
「蘭、オメーは今季の大会には出てねえのか?」
新一は、分かり切った事を訊いた。
一応忙しい合間を縫って、フィギュアの大会も、チェック位はしている。
蘭は、少なくとも全国区や関東地方の大きな大会にはエントリーすらしていなかった。
「新一、私のスケーティングを見たでしょ?まだまだ、とても」
「オメーはかなり、実力はありそうな感じがするんだけどなあ」
「それこそ、買い被りよ。・・・言い訳なんかせず、頑張らないといけないんだけどね。ある程度結果出せないと、奨学金返すの大変だし」
「ここで練習している多くは、鈴木財閥がスポンサーになってるんだよな?」
「ええ、だから皆必死よ。今の所、全日本に出場だけでも出来ているのが、この中でもホンの一握りだけど」
「そっか。スピードスケートで、曲がりなりにも全日本入賞を果たしているオレが、フィギュアに転向したいと言ったら、そりゃ反発食らうよなあ」
「うん・・・でもそれは、仕方がない事だと思うよ」
蘭と新一は、何となく2人滑りながら、蘭はちょっとしたジャンプやスピンなどの練習をしながら、会話をしていたのだが。
このリンクでは複数の人数が練習をしていた。
「危ない!」
誰かの声が飛んだ。
ジャンプの練習をしている選手が、まともに蘭の居る方目掛けて飛んで来たのである。
蘭は突然の事に、動けなくなっていた。
誰もが衝突を予測して息を呑んだその瞬間。
すばやく動いた者があった。
新一が目にも止まらぬ速さで蘭を抱えあげ、ジャンプした選手が着氷しようとする寸前に前を突っ切って行ったのである。
「ほう。アイスダンスのリフトだな。やるじゃないか」
横溝コーチがそう言って口笛を吹いた。
新一がやった事は、地上で言えば「お姫様抱っこ」に近いのだが。
氷上では、「男性が女性を抱えあげる」のは、リフトという技である。
勿論、新一が意図してやった訳ではないが。
ちなみに、横溝コーチが「アイスダンスのリフト」と表現したのは、何せお姫様抱っこと同じなので、高さがなく、ペアスケーティングよりアイスダンスのリフトに近い形だったからだ。
新一は優雅な動きでそっと蘭を氷上に立たせると、そのまま蘭の手を引いて滑って行く。
横溝コーチの目が光る。
「毛利は、どうも今ひとつ実力の割に精彩に欠けると思っていたが。シングルスケーターに必要な、負けん気の強さが足りないあいつは、もしかしてペア向きか?」
新一は、真っ赤になっている蘭の腰を引き寄せ、そっと耳に囁いた。
「なあ、蘭。オレと組んでペアスケートやってみねえか?」
(2)に続く
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銀盤の恋人たち(1)後書き
いよいよ、オリンピックも始まります。
だからという訳でもありませんが、プロローグだけ書いて長い事(もう、1年半以上になるよ・・・)ほったらかしだった、銀盤の恋人たち(1)を、ようやくお届けします。
長い中断、何を書いても言い訳にしかならないのは分かっているのですが、とにかく「フィギュアスケートの知識不足」が1番問題でした。今年は冬季オリンピック開催とあって、資料になるような本もふんだんに出ていて、ようやく・・・といった感じです。
でも、調べれば調べるほど奥が深く、プロローグでの矛盾も色々目に付き始めました。
あんまり拘ってたら、これ以上書けない事に気付き。
元々2次創作フィクションだから、「本格」を追求するのは止めようと思いました。
だから、今後も尤もらしく沢山ウソをでっち上げて書くと思いますが、そこら辺は笑って許して頂けると・・・。
とうとう横溝さんまで、この世界に引っ張り出してしまいました。
沢井君は、原作18巻登場で、私も名前を忘れていた人です。今回限りのご登場という事で、脇役陣の中から適当に探してみました。
続きは出来るだけ近い内にお届け出来ればなあと、願望だけは持っています。
多分オリンピックが終わるまでに完結は間に合いそうもありませんが(汗)。
(2)以降の展開は、決まっているようで決まっていません。ハッキリしているのは、蘭ちゃんのスケートクラブ移籍の話が出る事と、2人が正式にペアを組む事位です。
で、この先も、コナンの登場人物達がスケート選手だの何だのになって登場予定です。キャラ的には変わらないよう頑張りますが、スケートに無縁そうなあの人もこの人も、スケート選手として出て来ますが、そこも笑って許して頂けると幸いです。
ドミさんから連載の続きを頂きましたv
素敵です・・・!!トリノ効果万歳(笑)。
新ちゃんの「アイスダンスのリフト」が・・・カッコ良い・・・・v
どんな手で蘭ちゃんをペアにして見せるのか?
お手並み拝見(爆)。
続き、楽しみです。