「新一はここ数日、やけに機嫌がよさそうだね。」
工藤邸の広いリビングのソファに座り、小説を読んでいた工藤優作氏が
彼のためにコーヒーを持ってきた妻の有希子に話しかけた。
「うふふ、ほんとね!今日も機嫌よさそうにお皿洗いしてくれたもの。」
嬉しそうに笑いながら夫にコーヒーを差し出す有希子の声は心底楽しそうなものだった。
「新一が機嫌がいい理由・・・か。サッカー・・・かな?」
「ここ数日、試合は無いわよ?・・・推理小説の新刊が出たとか?」
「いや、発売時期はまだ先の筈だよ。」
「じゃあ・・・やっぱりここは・・・。」
「そうね、残った理由はただひとつね。」
どうやら夫婦の可愛い一人息子の機嫌のいい理由はきっちりと把握済みのようだった。
では。
彼らの一人息子である工藤新一くんがここのところ機嫌がいい理由について数日前までさかのぼることにしよう。
「やっぱり素敵ね〜・・・・。」
とある真冬の日曜の昼下がり。
宿題を見てもらうという名目で工藤邸を訪れていた蘭は、「息抜きに」と見始めたフィギュアスケートの大会に釘付けになっていた。
華麗な音楽に合わせて優雅に、時にダイナミックに滑り踊るテレビの中のフィギュアスケートの選手を見つめ
”ほうっ・・・”とため息をまたついた。
「フィギュアスケートねえ・・・。まっ!来年は見てらんねーもんな。」
蘭の隣で同じようにテレビを見ていた新一が不意に口に出した。
「何でよ?来年も見るわよ?私。」
新一の言葉にちょっとむっとしたように蘭は言い返した。
だが、新一は慌てることもなく、ふふふん。と言いたげな笑みを浮かべた。
「受験生に『滑る』なんて縁起わりーこと聞けるのか?お前・・・。」
「んー・・・・。それは・・・ちょっと・・・。」
「だろ?」
「勝った」と言いたげな笑みを持って蘭に接している新一だが内心はかなり焦っていた。
今日、父の優作が無事新作の入稿を終え、一息ついたところなのだ。
そんな優作に「久しぶりに恋人気分で。」と連れ出したのは当然のごとく母の有希子だった。
そんなわけで今現在、工藤邸は新一と蘭の2人きりだった。
少なからず想っている少女と2人きり。
新一としてはもう少し甘い雰囲気に持ち込みたいところではあるのだが、いかんせん相手が悪かった。
相手がこのド鈍感じゃあなあ・・・。
少しは進展してるかもしれねーのに・・・・。
自分が行動を移すことをしない割りに身勝手な展開を望み、はあっ・・・と人知れずため息をついた新一だったが、
はっと思い直す。
まてよ!?蘭だってもう中2だぜ?
もしかして他に好きな奴がいるんじゃ・・??
いや、でも・・・。
「・・・いち。し・・・いち。新一!!」
「うわああああ!!」
「きゃああ・・・・!!」
「脅かすんじゃねーよ!バーロ!!」
新一は蘭に急に話しかけられ飛び上がらんばかりに驚き、そのまま怒鳴りつけてしまった。
そんな新一に唖然としながら聞いていた蘭だったが体制を建て直し逆に怒鳴りつけてきた。
「驚いたのはコッチ!!何よ?ボーっと考え込んじゃって!!」
どうやら、新一は自分の考えに入り込むあまり、周りが見えていなかったようだ。
蘭がいたにもかかわらず自分の世界に入り込んでしまっていたようだった。
「あ・・・。ああ、悪い・・・。」
少しバツが悪そうに声を上ずらせながら出し、不意に気がついた。
「あれ?テレビ消したのか?」
「フィギュアの大会もう終わったもの。」
「ああ、なるほどね。」
「やっぱり素敵だったなあ・・・。」
蘭はほうっと思い出したようにまた、ため息をついた。
「フィギュアは無理だけど・・・。トロピカルランドのスケートリンク行くか?あそこ別料金だろ?」
「う・・・うん・・・・。」
「・・・・???」
すぐに「行く!」と即答すると思っていた蘭が言葉を濁したことに新一は不思議に思い、頭をひねった。
「・・・何だよ?スケート嫌いなのか?・・・んなわけねーよな?さっきまでフィギュア見てたんだし・・・。」
「・・・れないの・・・・。」
蘭がうつむいてごく小さな声で答えた。
その声は小さすぎて新一の耳にまで届かなかった。
「あン?何だって?」
だから新一は聞き返した。
「だから!!滑れないの!!」
蘭は少しやけくそ気味に大声を出してプイッとそっぽを向いた。
新一はその蘭の発言に驚きながらも体制を整えた。
「おめー・・・スケートできなかった・・っけ?」
「・・・スキーは・・・連れて行ってもらった事あるんだけど。スケートは・・なくて・・・。」
蘭をじっと見つめていた新一は高速でその頭脳を働かせた。
もっともそれは世のため、人のためではなく。
自分の利益と目的達成のためだった。
「ふう・・ん。蘭、滑れねーんだ・・・。」
ニヤリとした笑みを浮かべた新一はそう告げた。
「・・・悪かったわね、滑れなくて!!」
「教えてやろーか?」
「は・・・・?」
蘭は新一の提案を始め、理解できなかった。
「スケート。オレが教えてやろうか・・・?」
「で、でも。」
「蘭だって滑りてーんだろ?」
「う・・・ん。・・・ホントに?ホントにいいの?新一。・・・教えて・・・くれるの?」
ちょっとはにかみながら上目使いで見上げられ新一は心臓を跳ね上がらせた。
か、可愛い・・・・。
ンな顔、すんじゃねー!!心臓に悪い・・・・!!
それを隠すようにわざと目をそらし、えらそうにふんぞり返った。
「ら、来週にでも行こうぜ!」
「うん!!」
「ビシビシスパルタで行くから覚悟しとけよ!」
「えー!!」
そういいながら蘭は最高の笑顔を見せていた。
その日の晩、新一はあるテレビ番組に釘付けとなった。
連続もののドラマらしいのだが付き合い始めたカップルがスケートデートに出かけるというなんともタイムリーなシーンだった。
その中で彼氏らしき男が滑れないという彼女の手を引いているシーンが映し出された。
そっかあ・・・。
蘭滑れないんだし、オレが手を取ってやらなきゃなんねーよな・・・。
フィギュア観て思いついたスケートだったけど・・・蘭が滑れないのは・・ちょっと役得かも・・・。
なんとも中学生らしいヨコシマたっぷりの妄想を飛ばしていた新一の目にテレビの中のカップルはもっと大胆なことをやってのけていた。
彼氏が彼女の後ろに立ち、彼女の腰を支えて後ろからぴったりと寄り添って滑る・・というものだった。
こんなことも・・・出来んのか・・・・??
「もう、うまく滑れないよお・・・新一・・・・。」
拗ねたような、でもちょっと落ち込むような蘭。
「わーった、わーった!ほら、支えてやっから!これで滑れるだろ?」
そして自分は蘭の後ろに周り、彼女の細腰を支え、後ろにぴったりと寄り添う・・・。
「うわあ。ありがとう、新一。滑れてるよ!!」
蘭は満面の笑みを持って新一に振り返る。
「・・・ずっと新一のことが好きだったの・・・。」
不意の蘭の告白。
「オレも、蘭のこと、ずっと好きだったよ・・・。」
蘭が目を閉じ、そこへ新一の顔が近づき、二人は唇を重ねた・・・・。
なーんてな!!
テレビの中のカップルに自分たちを重ね合わせばかげた妄想に浸り想定する新一。
そんなばかげた妄想に浸りながら、両親にご機嫌な理由を簡単に見破られているとも知らずに
新一は一週間を心待ちにしながらすごした。
一週間後、トロピカルランドのスケートリンクに出かけた新一と蘭だったが、
蘭が転びそうになり支えが欲しくて新一にしがみつくだけで新一の心臓は嫌になるくらい跳ね上がり、
まともに教えることさえ出来ず、ポーカーフェイスを保つのに必死だったこと。
結局、その日は蘭は滑ることが出来ず、蘭が滑れるようになるまで毎週のようにスケートに2人で出かける。
という、ある意味、新一にとってはラッキーともいえる状態が続いたこと。
そして、手はもちろん握ることは出来たけれど、結局それから先の進展は一切見られなかったということを追記しておく。