必要な温かさ

光の入らない締め切られた部屋の中。
時折思い出したようにパソコンのキーを叩く音が響く。

人工的に作り出された光が部屋の中の住人をより一層追い詰めているように感じていた。
そう思うのは今、この部屋の中にいる人物だけかもしれないけれども。


「はあっ!」

重苦しく吐き出されたため息が部屋一杯に響く。
ソレを耳にして哀は渋い顔をしてもう一度、今度は響かないように小さくため息を零した。


「馬鹿みたい・・・。」

ポツリと零した言葉が寄り一層自分の首を絞めているようで気分的にはよくない。
でも、それでも零れてしまう言葉が今の自分の心境そのままで、ちょっと笑ってしまう。

精神的に安定しない。
何故だろう?なんて陳腐な問いかけはしない。
理由など分かりきっているから。
もうひとつ言うなら、解決方法もちゃんと分かっている。

ただ、それが出来ないだけ。

「今更。なのよねぇ・・・。」

ぽつりと呟いた言葉が哀にもう一度ため息を零させた。

「・・・続き、やろ。」

自分を追い込むように声に出してパソコンの画面を覗き込んだ。
雑念を追い払い、一心不乱にキーを叩く。
漸く軌道に乗ってきたのか、キーを叩く指先も軽い。


そんな時に邪魔をされるのはなんとも気分が悪いものである。
そして、タイミング悪く部屋をばあんっ!と開け放ったのは、もちろん阿笠博士だった。


「哀くんっ!」
「・・・博士・・・。」

どこか嬉しそうな博士の声に哀はしょうがない。という顔をしつつも声だけはちょっと怒ってみせる。
どんなに邪魔されようが、博士にだけは強く言えない。
居候をさせてもらっているからだけじゃない「何か」が哀の中に芽生えていたから。

それは哀自身、検討はついているが決して認めたくは無いものの二つのうちの一つだった。

「哀君、出かけるぞ!」
「出かけるって・・・あの子たちでも来たの?」
「あの子たち?・・・ああ、歩美くんと、元太君と、光彦君のことかの?」
「・・・ま、まあ。」
「いやいや。今日は違うんじゃ!」
「違うって・・・じゃあどこへ?」

ちちちっ!と指を振りながら博士はどこか得意げにしてみせる。
そんな博士の態度が何を意味しているのかが分からず哀は首をかしげる。

「ほれ、ほれっ!準備するんじゃよっ!」
「ちょ、ちょっと、博士っ!!」

せかす博士に対して慌てた声を出すが、哀は結局ろくな反抗も出来ず、部屋に居る。


阿笠邸の一室。
6畳ほどの部屋。
ココは、博士が哀のためにと用意した一室だった。

作業部屋として地下室を与えてもらっているほかにこんな部屋をあてがわれて初めは戸惑った。
そして断りもした。
だが、博士は笑って「いいから、いいから。」で押し切ってしまった。


ここは哀が小学生として生活していくための部屋だ。
手っ取り早い言葉でいうと「子供部屋」。哀の自室と言う言い方が正しいのかもしれない。
だが、哀がこの部屋に居ることは極端に少ない。
服を着替えるときと、学校へ行くための準備をする以外、ここに立ち入ることはない。


一人になりたいときは地下室へ。
一人で居たくないときは、リビングに居る。

大体博士の居る場所がリビングだから、其処から移動することが少ない。
一人きりでいて、恐怖におののくような真似はしたくない。
だから客用にと置いてあったベッドを部屋へ移動させようかと博士から提案があったとき、慌てて否定した。



準備を簡単に済ませて部屋を出た哀をつれて、博士は愛車・ビートルで走り始めた。
軽快に走る車から見る風景がどんどん変わっていく。
ただ、それだけで哀にとっては、心地よかった。


「・・・どこへ連れて行く気なの、博士?」
「米花ショッピングモールじゃよ。」
「米花ショッピングモールって・・・確か最近出来たって言う総合ビルの事?」
「そう。そこでの、待ち合わせをしてるんじゃよ。」
「待ち合わせ?」

博士の意外な言葉に哀は疑問に思わずには居られなかった。
しかし、博士はニコニコと笑っているばかりで、哀の質問に今、答えてくれる気はなさそうだった。



車は米花ショッピングモールに到着した。
混んでいるかと思われたが、タイミングがよかったのか、割とスムーズに車を駐車場へと止める事が出来た。
車を降りてから、博士は迷うことなくショッピングモールの中を歩いていく。
初めから場所が決まっているかのようだ。


「ああ、先についておったようじゃの。」
「え・・・?」

博士の言葉に哀は視線を前に泳がせた。
博士の指差す方向を見て、身体が固まった。



「な、なん・・・で。」


小さく出た言葉に博士は反応を示さなかった。
聞こえなかったのかもしれない。


「博士っ!哀ちゃんっ!」

二人に気づいたその人物は、大きく腕を振って二人を出迎えた。
哀の視線の先には、満面の笑みを浮かべる蘭が居た。


「おお、蘭君、コナン君。待たせたかの?」
「ちょ、ちょっと・・・はか・・・!」

「ちょっと待って、博士」といいたかった哀だが、その言葉は博士の耳には届いていないらしくすたすたと歩み寄る。

「ううん。私たちも今来たところ、ね、コナン君?」
「う、うんっ!」

なんでもないといった風の蘭にあわせるためにコナンが子供らしさ満載を装う。
博士は気づかなかったようだが、哀は博士と二人近づいたとき、コナンが顔をしかめたのをばっちりと見てしまっている。

随分と大人気ないなあとは思うが、あえて口には出さずにいた。
ソレは、自分も大人気ない行動を取っている自覚があるからだ。
先ほどから博士は蘭と二人して話し合っている。
どうやらこの二人が首謀者・・・と言ったところなのだろう。

・・・多分、博士が彼女に頼み込んで彼女は二つ返事で引き受けたってところね。

そんな風に冷静に判断はするものの、先ほどから落ち着かないのは確かだった。
皆から一歩離れたところに立ち尽くし、動こうとはしなかった。


「じゃあ1時間後と言うことで。ほれ、しん・・・じゃない。コナン君、いくぞい!」
「は、はあ!?」
「え!?」

コナンと哀。
二人の驚く声が大きく響く。

「コナン君、どうしたの?大きな声出して・・・。」
「哀君もどうしたんじゃ?」

博士と蘭は二人の反応に首をかしげる。

「だ、だって。え、蘭ねえちゃん?」
「ああ。今日博士に頼まれたのよ。哀ちゃんの新しい服選んでもらえないかって。」
「博士・・・!!」
「女の子の服の事はよう分からんからの。・・・今までいろんなところからかき集めてきたお古ばかりだったじゃろ?」
「だからって・・・!!」
「コナン君の新しい服も買ってあげなくちゃって思ってたから丁度いいと思ったんだけど・・・。」
「う・・・。」


じいっと蘭に覗き込まれてコナンが落ちないはずはない。
・・・なので、諦めたようにため息を吐いて博士の腕を引っ張った。

「コナン君?」
「一時間後に・・・この場所でいいの?」
「うん。じゃ、コナン君、また後でね?」
「・・・うん。」
「哀君も。」
「ええ・・・。」


結局博士と蘭の意見がそのまま通り、博士とコナン、蘭と哀に別れることになった。





「どういうつもりだよ、博士?」

ぶすっとした声そのままにコナンは博士に問いかける。
気づいておったかの?と言いたげな表情を浮かべている。
ソレがわかるから余計に気に障る。

「蘭と灰原が二人だけで一時間なんて・・・。」
「哀君が話したそうにしとったからの。・・・切っ掛けをつくってやりたくての。」
「灰原が・・・誰と?」
「じゃから、蘭君と。」
「はあ!?」

意図を汲み取れないまま博士がそう言葉を返すとコナンは心底驚いた。

「灰原、蘭さけてんじゃねーのか?」
「気にはなっとるみたいじゃがのう?」
「・・・信じられねぇ。」
「ま、哀君への勤労感謝と思って協力してやりなさい。」
「勤労感謝?なんで灰原に?」

突然の博士の言葉が理解できなくて大きくクエスチョンマークが飛び交う感覚を味わっていた。

「哀君はアポトキシンの解毒薬の開発しておるだろう?解毒薬の開発と言うのはなかなかに骨が折れるものなんじゃよ。
 昼夜関係なく頑張っておる哀君のためのご褒美じゃよ。」
「・・・そうは言うけど・・・灰原随分と戸惑ってたじゃねーか。いきなり二人きりにして大丈夫かよ?」
「大丈夫じゃよ!」

どおん!と胸を叩き大船に乗った気でいなさい。と言いたげな博士にコナンはもう反論をすることをやめた。
そうして「蘭が居心地悪くなければいいけれど・・・」と気遣った。




一方こちらは蘭と哀。
哀は相変わらず素直になれずに一歩ひいていたが。
蘭がニコニコと哀を引っ張っていた。

「こっちにね、哀ちゃんに似合いそうな服があるのっ!きっと似合うと思うなあ!」
「・・・。」

哀は何も話せないまま引かれるままに歩いていた。
でもどうしたらいいか分からないままだった。


手を引いてくれるこの人に言いたいことは沢山あったはずなのに・・・。
手のひらから感じるぬくもりが心地いいと感じているのに。
結局、何一つ言葉として口から零れ出てはくれなかった。


そんな哀に気づいていないはずは無いのに、蘭は目的の店へとたどり着くと
あれやこれやと哀のコーディネートを考えて店内を動き回る。

「ほら、こんなのどうかなぁ?」
「あ・・・はい。」

蘭は微笑を絶やすことなく、ばっと哀の元へといろいろな洋服を持ってきてくれる。
そんな彼女に哀はまだ、二言三言しか話せない。

フィッテングルームへと押し込まれ、シャッとカーテンが引かれて一人きりの空間になる。
哀はほっとしたようにため息を零し、コーディネートされた服を着替え始める。


・・・あの人が選んでくれた服。


選んでくれた服は見事に哀の好みに合致している。
それがなんとなく心を暖かくさせる。




「哀ちゃん、どうかなぁ?」

蘭の声がカーテンの向こうから聞こえて、はっと我に返る。
慌てて途中になっていた服を着替え終え、カーテンをそおっと開ける。
予想したとおりにニコニコと笑う蘭が其処には立っていて。

それだけでほっとする。

「あ〜!やっぱり可愛い!!サイズは、どお?」
「・・・丁度いい・・・と思います。」
「ホント?ん〜、でもすぐ大きくなっちゃうしもうワンサイズ大きくてもいいかなぁ?」
「・・・これで・・・いいです。」
「え、でも・・・。」
「これが、いいんです。」


子供の成長期を考えてもうワンサイズ上をと考える蘭を遮る。
きっぱりとした哀の物言いに蘭はちょっと戸惑う。


だって・・・しょうがないじゃない。
子供でいる期間は、短いわ。

彼も、私も・・・。


思案する哀の思いは蘭には届かない。
届かないように遮っているのは自分。
何度も打ち明けようとするコナンさえも遮って、かたくなに。

初めは唯一持っている秘密の共有だと思っていた。
だけれども今、その考えは揺らいでいる。





「ん〜・・・。じゃ、コレにしようかっ!すみません〜!」

蘭はしばし思案顔だったが、すぐに納得するとそばに居た店員を呼んだ。
店員はすぐに蘭の元へと寄り、話しかける。


「ありがとうございます〜、ではお包みしますので、妹さん着替えてね?」
「え!?」

店員の言葉に哀は動揺を隠せない。

「はい。じゃ、着替えてきて?」
「あ・・・。」

そのままフィッテングルームに押し込まれる。
哀の動揺とは裏腹に蘭の態度は変わらない。
それがなんだか悲しくて、乱暴に服を脱ぎ捨てた。


「いらないわ、こんなもの。」

そう言ったら・・・彼女はどう思うのかしら?そう思いつつも・・・。
フィッテングルームから出てきた服を店員に渡す。

居心地悪く待っている哀に蘭がこそり。と話しかける。

「店員さん、私と哀ちゃんを姉妹だと思ったみたいだね?」
「・・・。」

それが、なに?
といわんばかしの哀の目と態度。
しかし、そんな彼女に気づかずに蘭はとても弾んだ声で続けた。

「ふふっ、なんだか嬉しいな。」
「・・・・。」

反抗的な態度だった哀が目を丸くする。

「姉妹だって!私一人っ子だったからコナン君が来てくれて弟が出来たみたいで嬉しかったけど・・・。」
「けど・・・?」
「哀ちゃんが来て妹が出来たみたいで嬉しいな。」
「・・・。」


ソレは蘭の素直な感情。
そんな彼女の素直さに直視が出来なくて哀はそっぽを向く。
蘭はそんな哀を見て、くすくすと笑う。

それでも繋がれた手は離しては居ない。
温かさを失うのが怖くて。


・・・そうよ。
揺らぎ始めたのは、あの埠頭の事があったから。


「駄目っ!動いちゃ・・・。」
拳銃の音が響く中、自分だって怖いはずなのに、身を挺して守ってくれた。
ぎゅっと抱きしめてくれたあの暖かさが、忘れられない。


自分の求めているものが、何なのか気づかされるから彼女に関わりたくなかった。
失いたくない、もう二度と。


だから彼女を戦いには巻き込みたくない。
秘密の共有じゃなくて、守りたいから・・・彼女には知って欲しくない。



ぎゅう・・・と繋がれた蘭の手を強く握る。
それに気づいて蘭は哀をふっと見るが、真剣な表情の哀に話しかけるようなことはしなかった。
話しかけないほうがいいと、気づいていたからかもしれない。





一時間後別れた場所で落ち合った4人は、博士のビートルで帰宅の途に着いた。
毛利探偵事務所の前でコナンと蘭をおろし、そのまま車は走り去る。


「またね。」の言葉はあったけど、返事は返せなかった。
そもそもほとんど会話らしい会話などしなかった。


でも、哀にとっては貴重な時間だったと分かる。


朝と同じ様に車の外に流れる風景。
大好きな時間だったけれどももっと好きになった。


「ありがとう、博士・・・。」
「ん?哀君、何か言ったかの?」

ポツリと零れた哀の感謝の言葉は小さすぎて博士には聞こえなかったのかも知れない。
ソレならばそれで、いいと哀は思った。
それでもきっと博士には通じてる。そう感じていた。


だからもう一度言い返すようなことはせず、黙って外を眺め続けた。



祝日企画も第14弾まで来ました!!
今回は「勤労感謝の日」

さて、誰にしよう?と思った時に結構見たことあるんですよね〜、お仕事ご苦労様なお話って。
で、見たことない人ということで、今回のセレクトは哀ちゃんです。
ま〜、このサイトへとやってきてくださってる方々ならば理解してくださるでしょう!
「哀蘭」でございます(笑)
まだまだ素直じゃないけど気になる人って感じでしょうか?

博士から哀ちゃんへの「勤労感謝」なのです。
ええ。
無理やりに入れ込みましたが、気にしないで下さると幸いです。