両親の感傷
深夜の毛利家。
小五郎は居間に座り込み、感慨深げに目の前にある缶ビールに手を伸ばした。
ちらりと視線が、蘭の部屋へと向く。
蘭は、明日に備えてもう、眠りに就いている。
何しろ、晴れ着に着替えて、美容院で髪を結ってもらうのが朝の6時なのだ。
「せっかくなのに寝不足の顔なんてしてられないじゃない!」
とは蘭の言い分だ。
半分結いあがっている髪に気を使いながらすやすやと寝ているはずだ。
「ふん・・・・。蘭ももう、成人式か・・・・。」
「あら、あなたでもそんな顔するのね?」
「オメーなあ・・・。」
英理の言葉に顔をしかめるが、彼女はクスクスとますます面白そうに笑っている。
英理だって、本気でからかってそんな事を言っているわけではない。
「あなたにとっては確かに感慨深いものがあるんでしょうね・・・。」
「英理・・・?」
さっきまでの楽しそうな顔は影を潜め、英理の顔はどこか寂しげだ。
「男手ひとつで育て上げた娘が本当の意味で『大人』と認められるんですものね・・・。」
「バーロ・・・・んなんじゃねーよ。」
「そうかしら?」
そう言いながら英理は、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、プルトップを空ける。
ぷしゅっ!っと小気味いい音をさせ、少しだけ泡が溢れてきた。
「カンパイ。」
泡を気にせず、英理は小五郎の飲んでいた缶ビール自分のそれに当てるとカンッと鈍い音が響いた。
「・・・おいし。」
「・・・珍しいな、オメーがビールなんて・・・・。」
「そうかしら?」
「・・・・オメーも案外感傷に浸っているのか?」
「そうね・・・・。蘭はいい子に育ってくれたわ。母親が居なかったにも関わらず・・・・。」
「・・・蘭は本当にいい娘だよ。俺の子供とは思えないほどに・・・な。」
小五郎は英理の言葉の真意を鋭く汲み取り、ビールを飲み干した。
「もう一本、飲む?」
そういいながら、英理が缶ビールを小五郎に手渡す。
それを手に取りながら、小五郎は薄く笑う。
「・・・・ふうん、今日は『飲みすぎ』とか言わねーんだな・・・・。」
「たまにはいいんじゃない?こういう日があっても。」
「で、オメーも『こういう日』っていうことか?」
「そうね。」
そう微笑みながら、英理は2本目の缶ビールに手を伸ばす。
「蘭は本当によく出来た子だよ。・・・・さすがに母親の力ってところか?」
「え!?」
小五郎の一言は冷静沈着な法廷のクイーンと称される英理のポーカーフェイスを一瞬で崩した。
「あ、あなた何言ってるの!?」
「何がだ?」
心底分からないという顔をしている小五郎の真意がつかめなくて英理は目を白黒させた。
それが分かっているのかいないのか。
小五郎はふ・・・っと笑う。
「俺が本当に一人で育ててたら蘭はあそこまでいい娘にはならなかったさ。」
「え・・・・?」
「たとえ一緒に暮らしていなくても・・・オメーはちゃんと蘭の母親をしていたさ。」
「あなた・・・?」
小五郎の思いがけない一言。それは英理がすぐに納得させるだけの力は持っていなかった。
むしろ、警戒してしまうほどだった。
「冗談で言ってんじゃねーよ。」
「まさか。」
英理は、信じられなくてくすりと苦笑いを零す。
人から言われなくても分かりきっている。
蘭が7歳になったばかりの幼い頃に娘の事も考えずにたった一人、家を出た。
蘭の面倒は小五郎に任せきり。
そんな自分にいい親の資格なんて無い。
にも関わらず蘭があんなにもいい子に育ったのは、間違いなく目の前に居る夫の力だ。
・・・・それが分からないほど、英理は馬鹿ではない。
なのに、小五郎は英理を指して「いい母親だった」と言い切っている。
何故なのかが心底分からない。
「英理。」
「何?」
「蘭はオメーも頼りにしていた。男親にいえないことをオメーに相談してただろ?」
「あ・・・・・。」
「邪険にせずに親身になって聞いてやってたじゃねーか。それがあれば・・・十分じゃねーのか?」
「あなた・・・・・。」
小五郎の一言で心が軽くなっていくのが分かる。
いいの・・・?
聞いていただけで・・・いいの?
あなたは・・・・・いいってそう言ってくれるの・・・??
「大体よ!俺とオマエの娘だぜ?いい娘なのは間違いないじゃねーか!」
「自信家ね。」
「おうよ!蘭が産まれた時にそういったじゃねーか!」
「・・・そうだったわね。」
英理はくすくすと笑い、その当時の事を思い出した。
蘭が産まれたすぐのとき、産婦人科の病室までやってきて蘭を見ては自慢げに見ていた小五郎の事を。
「周りに新生児を持つ親が沢山居るのに、あなた大声で言ってたわね。」
「当たり前だろ!オメーはそう思わなかったのかよ?」
「思うけど、そんな大声で言わないわよ。」
「俺は本当に大声で全ての世界の人に聞いて欲しかったんだよ!」
ふんっ!と小五郎は鼻をならして、そっぽを向く。
その大人気ない行動に英理はこくすくすと笑う。
「でも嬉しかったわよ?あなたがそこまで喜んでくれて。」
「当たり前だろ!?・・・好きな女が自分との間に出来た命を守ってくれたんだぜ?」
「あなた・・・・。」
「っと、そうだ!蘭、着物なんて締め付けるもの着て大丈夫だろうな?」
蘭の話を力説していて、ふと思い立ったように小五郎は英理に問いかけた。
「大丈夫よ、安定期に入っているし、そんなにキツくはしないようにしているから。」
英理は、またもやくすくすと笑いながら小五郎をいさめた。
彼らの娘である蘭はすでに一年前に結婚して居る。
今日は成人式の前日だから。と彼女の夫に言われ、こうして実家に戻っているのだ。
「蘭の結婚のときにもこんなこと言わなかったのに、どうしたの?」
「バーロ。あん時は蘭が居なくなるという寂しさしか起きなかったんだよ!」
「今は・・・・冷静に思えているって・・・ところ?」
「ま、一応は・・・な。」
小五郎は応えたが、今も前も寂しいことに変わりはない。
それは英理も同じだろう。
彼らの娘であることには永遠には変わらない。
だが、「たった一人」を探し出し自分たちの元を離れ、巣立っていく淋しさ。
娘は此処から5分と離れていないところに住んでいる。
だが、ずっと一緒だったことを考えるとやはり毎日は会えなくなるのだから。
それが、彼の夫の配慮で久々に親子3人で過ごすことが出来ている。
だからこそ、結婚式の前日には思い起こせなかった、「嬉しさ」がこみ上げて来ていたのだ。
「あなた。」
「何だ?」
英理の改まった声に小五郎は不機嫌に応える。
あんなにも「大丈夫だ」と言った自分の言葉が信じられないのかといぶかしんだのだ。
まだ「不安」なのだ・・・と思い込んでしまって。
だが、英理の口から零れてきたのは今までのような「不安」ではなかった。
「蘭がいい娘なのは当たり前です!」
「あ・・・??」
きっぱりとした英理の言葉に小五郎は驚く。
今までのようなどこか不安そうな彼女ではなかったから。
今の彼女は、「法廷のクイーン」と称される時の新聞やテレビでよく見る毅然とした顔だ。
自信に満ち溢れ、まっすぐ前を向いて立っている彼女の姿だ。
・・・・・。
これが英理だ。
俺の惚れた・・・・妃英理だ。
小五郎はまっすぐな気持ちで思うことが出来た。
そういえば・・・・。
新一の奴も言ってたっけ?
あいつの一番好きな蘭の姿。
何をも恐れず、まっすぐに前を見据える蘭の姿が好きだ、と。
ふっ・・・と笑みを浮かべる。
男を見る目もちゃんと確かな娘だよ。
蘭、オメーは。
「なあに?いきなり笑うなんて・・・。」
英理はいぶかしげに小五郎の顔を覗き込む。
「いや、なんでもねえよ。・・・・やっぱり蘭がいい娘だったと思ってただけさ。」
「・・・そうね。」
英理は、何も聞かず、静かに微笑を浮かべ、小五郎にそう返した。
小五郎は持っていた缶ビールをゆっくりと持ち上げた。
英理はその小五郎の行動に気づき、同じようにゆっくりと缶ビールを同じ高さまで持ち上げた。
「カンパイ。」
「・・・・カンパイ。」
蘭の成人を祝うように今日2度目の乾杯をした。