カチ、カチ、カチ・・・・。

シーンと静まり返った部屋で、パソコンのキーを叩く音だけが、響いていた。



パソコンのキーを叩く音以外にも

ゴホゴホ、や、ハックション!!

などの音が時折混ざって聞こえてきていた。


そこへ音もなく現れた人物は、チェストボードの上に置かれた物体を取り上げた。

カタン。

かすかな物音がして、それからその人物はため息を零しながら目を細めた。


「38.2°」
「勝手に見んなよなー・・・、宮野。」
「博士といい、貴方といい、この界隈風邪がはやってるのかしら?」

志保の呆れた様な声を気にも留めずに、新一はパソコンに向かったままだった。

「さあな、偶然じゃね?」
「貴方専属のナースは・・・・?」

きょろきょろと周りを見渡しながら、いるはずの人物を探そうとする。

「ああ、蘭なら園子たち数人のクラスメートと温泉旅行。」
「なるほど・・・・?それで、止める人間がいないのをいいことに、趣味に、仕事に明け暮れて
 体調を壊した・・・って訳ね。
 まんま、子供ねー・・・。
 
 ああ、そういえば貴方、『江戸川コナン』だった時もよく体調崩してたわね。」
「うっせーな!!イヤミ言いに来たのかよ!」

ズバズバとはき捨てられていく志保の言動にいい加減耐え切れなくなった新一が
少しかすれた声で怒鳴る。

「まさか。抵抗の出来ないうちに新薬の実験台になってもらおうと思ってきただけよ。」

シニカルな笑みを浮かべ、志保は透明の小さなビニールパックに入ったカプセルを持ち上げた。

それに少し目をやった新一だったが、又すぐに視線をパソコンへと戻した。

「バーロ!いくら体調悪いからって女のオメーに負けるわけないだろ?」

「あら。」

志保は意外そうな声を上げ、目を大きく開けた。

「だって、貴方蘭には負けっぱなしじゃない。」

そう言いながら、持っていた体温計を元のチェストボードの上に戻した。

「バーロ、俺が蘭相手に本気出すわけねーだろ?」
「そうかしら?・・・その割りに蘭がヘトヘトになるまで本気出してる時もあるようだけど・・・?」
「な!!何でオメーが・・・!!」
「オメーが・・・何?」

冷静な志保の反応に新一は「しまった!!」というあからさまな態度をとってしまったが、
志保は特別気にするでもなくさらりと言ってのけた。

「あら、別にそんなの普通にわかるでしょう?」
「まさか、蘭のやつが・・・・。」

新一がソレを唯一知っている筈の人物の名を挙げたが、速攻で志保に却下された。

「え?違う・・・のか?」
「あのねえ・・・。天下無敵の恥ずかしがり屋がそんな事いうわけがないでしょう?」
「それも・・・そうか。」
「でも言わなくても態度には出るものなのよ。あの子素直だし。
 第一、貴方が元気ハツラツで出て行ったあと、彼女がどこか虚ろ気に出てきたら丸わかりだわ。」
「〜〜〜〜〜!!!オメー、人にンな事言うためにわざわざ来たのかよ!!」

あまりにもな志保の言動に新一はたまらなくなり、声を荒げた。

「そんなわけ、ないでしょ。はい、これ。」

どこまでも冷静な志保が、先ほどのビニールパックを新一に手渡した。

「オメーのモルモットはごめんだよ!!」
「博士の余り物で悪いけど、風邪薬よ。」
「あん・・・?」
「ちゃんと、飲みなさいよ。」

そのまま出て行こうとする志保を新一はあわてて呼び止める。

「ちょ・・・ちょっと待てよ、宮野!」
「何?」
「どーゆー風の吹き回しだ・・??オメー・・・。」
「別に・・・?」

しれっといい流す志保をそれでも信じきれずにジト目で見据えたままの新一。

そんな彼をやり過ごしながら、それでも「ああ!」といかにも今、思い出したようなわざとらしい声をあげた。

「何・・・だよ?」
「時に貴方、どうして私がこんな絶妙なタイミングで来れたか分かる・・・?」
「は・・・・?」
「いくら博士が風邪中とはいえ、わざわざ風邪薬を持ってこれた理由よ。」
「さあ・・・?」
「分からない?本当に・・・?」
「・・・・・??」

意味ありげな笑みを浮かべる志保にそれでも訳が分からずにクエスチョンマークを飛ばす新一。

「分からないか・・・あ・・・。」

少し、大げさに声を上げた志保は、だめだしのように言葉をのせた。

「こっちに、4時ごろには着くって。」
「・・・誰が?」
「貴方の専属ナース。」
「え。・・・って、まさ・・・か。」

突然振って沸いた答えにあわてる新一。

「じゃ、お大事に。薬飲んでよ?でないと私が蘭に怒られちゃうわ。」

そのまま、ドアを開け出て行こうとする志保。

「おい!!宮野!!」
「今朝、電話があったのよ、蘭から。『新一が体調よくなさそうにしてたから、様子だけ見てきてほしい』ってね。」
「蘭が・・・。」
「さ、あと6時間程ね?貴方の体調が崩れて、今どんな状態が彼女が知ったら・・・どんな反応示すかしら・・・?
 楽しみだわ。」

楽しそうな口ぶりのまま、パタンと閉じられてたドア。
それをまっすぐに見つめながら、本気で新一はあわてた。


マ・・・ズ・・・イ

ひた隠しにしていたはずの体調の不良を蘭に知られていた。
しかも、そのころよりも無茶をしたせいで、悪化させてしまっている。
それを蘭が知ればどうなるか・・・。
今までの経験上、よーーーーく知っていた。

初めは居留守でも使おうか・・などと考えたが、それが全く無駄である事に気づくには新一の頭の回転は
風邪のために鈍りすぎていた。

蘭は、工藤家の合鍵を持っているのだ。
いくら、居留守を使っても、簡単に入れてしまう。
ましてや、体調が良くない事を知っているなら、「居ない」ではなく、「倒れている」と心配し、
駆け込んでくるに決まっている。

こんな時は、おとなしくして、少しでも体調を回復させる方がいいに決まっているのに
そんな単純なことさえ、今の新一に気づくはずもなく、虚しく時間だけが過ぎ去ってしまった。

ピーンポーン

工藤家にチャイムが鳴り響いた。

時刻は、午後3時50分。

「4時前には着く」と言っていた志保の言葉どおり。

「新一〜・・・居ないの〜?」

今聞きたくて、聞きたくない声が、工藤邸いっぱいに響き渡る。

「新一・・?」

ガチャリ

とあけられた扉の向こうから、蘭がひょいっと顔を出した。

「ら、蘭・・・・。」
「何だ、居るじゃない。」

ほっとしたような顔を見せた蘭が新一へと近づいてくる。

「よ、よお。旅行はどうだった・・・?」
「ん?楽しかったよー・・・って、新一!!」
「な、何だよ?」
「なんだよ、じゃないわよ!!声!!掠れてるじゃない!・・・体調悪かったのにムチャしたんでしょ!!」

ものの見事に、わずか数秒で見抜かれた新一は笑ってやりすごそうとした。

「いや、まあ。あはは・・・。」
「あはは、じゃないわよ!ちゃんと寝てなさいよ、こんなときくらい!!」
「あ・・・ああ・・・。」

グイグイと新一をベッドの中へ押し込めて、蘭はため息をついた。

「全く、もう!!体調管理くらいちゃんとしなさいよ。」
「まあ・・・大丈夫・・・かなー・・・?と。」
「大丈夫じゃないからこんなになったんでしょう!!」

キッ!っと新一に鋭い視線を送りながら「ピピピ!」と鳴った電子体温計を取り出した。

「38.4°」
「え・・・?」

朝よりもひどくなっていた。

「新一、ただでさえ、平熱低いのに、よく動き回る気になるわね・・・?」
「いや、まあ・・・。」

呆れたような蘭の声に反省の色の薄そうな新一のおどけた声。
蘭は、ため息をつきながら新一の額のタオルを変えてやる。

「薬、飲んだの?」
「飲んでねえ・・・。」

朝より少し上がった体温を知らされ、新一の声のトーンが下がった。
思った以上の熱を知らされ、いまさらながら、体の不調が悪化したようだった。

蘭が電子体温計を直そうと近づいた机の上に乗った小さなビニールパックを見つけた。

「あ、宮野の持ってきた薬・・・。」
「志保に様子見てきてって頼んだんだけど・・・。
 なあに?志保、薬まで、持ってきてくれてたんだ。
 ・・・なんで、飲んでないの?」
「だーーってよー・・・。」

言いよどんだ新一だったが、本音としては
「宮野の作った怪しげな薬なんて飲めるか!」なのだ・・・。

「もう!!・・・ごはん、食べたの?」
「食欲ねー・・・。」
「だめよ、食べなくちゃ。おかゆ、作ってあげるから。
 それ食べて、薬飲まなきゃね。」

蘭がそのまま台所へ向かうようにドアノブに手をかけた時、新一の掠れ声が聞こえてきた。

「蘭。」
「なあに?」
「蘭特製のたまご粥・・・な。」

ちょっと甘えたような新一の声と態度。
それに蘭がちょっとくすりと笑った。

「ん。作ってくるから・・・。ちゃんと寝てなきゃだめよ・・・?」
「わーってる。」

パタンと閉めて、蘭は早速たまご粥を作り始めた。



「新一。」
「んー・・・。あ、寝てた・・のか。」
「やっぱり体は疲れてるのよ。出来たよ、たまご粥。」
「さんきゅ・・・。」

何もほしくなかった体だったが、やっぱり蘭の作る料理のおいしそうな匂いに誘われて、
小さな土鍋のたまご粥を蓮華で救って一口、口に入れる。

「ん。うまい。」
「良かった。」

フワリと笑みを浮かべる蘭にドキリと見とれながら、それでも食べるためのその手は止まらなかった。

「ごちそーさん、うまかった。」
「よっぽどおなかすいてたのね、新一。」
「んー・・・。蘭の作った飯だったし。」

本心からの言葉だった。

「ばか。」

蘭が、顔を真っ赤にさせてくるりと空になった容器を片付けるために早々に部屋を出て行った。


片づけを終えて戻ってきた蘭が冷却シートを新一の額に貼り付けた。

「もう・・・。早く、直ってよ・・・?」

心配そうな蘭の声。
蘭のたまご粥を食べて少し元気を取り戻した新一はニヤリと心の中で笑みを浮かべた。

とっておきのいたずらを見つけた子供のように・・・・。

「・・・早く直す方法・・・知ってるか・・・?」
「早く直す方法・・・て、風邪を・・?」

ぐいっと蘭の腕を引き、新一が蘭の目をじっと見つめならが・・・言い放った。

「人に移す・・・ってコト。俺の風邪・・・蘭に移してやろーか・・??」

蘭は、じっと新一の目を見つめ返しながらきっぱりと告げた。

「移らないわよ。」
「あん・・・?」
「だって・・・。私、新一と違って規則正しい生活送ってるもの。」
「じゃー・・・。試してみようか・・?移るか移らないか・・・・?」

「ばか。」







かくして、やっぱり風邪は蘭には移らず、新一は、3日寝込む羽目になり、その間蘭は新一の看病に追われた。

その間、当然、オアズケを食らっていた新一だったが、直った後も1週間がたつのに、まだオアズケのままだった。


と、言うのも、博士の看病で動き回っていた志保が、新一の風邪も加えて二人分の風邪ウイルスをかぶってしまったのだ。

当然、蘭は、「私が、新一の様子を見に行かせたせいだ!!」っと、気をもみ、阿笠邸に入り浸っている毎日だからだ。

しかも、志保は志保で、ここぞとばかりに蘭にべったりで、新一を寄せ付けない。

新一は、その間、志保に勉強を見てもらう約束をしていた光彦の愚痴を彼女が直るまで聞き続ける羽目になったのだった。

定番、風邪ねた〜・・。
今回はとりあえず新一、風邪バージョンです。

3つねたがあって、3つまとめてアップしたかったんだけど・・・。
パソコンに打ち込むのって、案外、時間を食うものなんですね。

新一と容赦ない志保とのやりとりが個人的に大好きで(笑)。
その分、蘭ちゃんとは甘〜くしているつもり。
あ、最後は新一にとっては試練であって、甘くなかったかも。