「…しんいちの…ばかぁ〜!!嫌い!!」
そういい捨てるなり泣きながら部屋を飛び出していってしまった蘭の
白いワンピースの後姿を、新一はただぼうっと見送ってしまった。
あまりに突然の出来事で何が起こったかも一瞬、わからなかったのだ。
やがて状況を飲み込んだときにはもう遅く…
可愛い幼馴染の姿はこの広い家のどこにも見当たらなかった。
「…なんだってんだよ…」
手元に残ったのは、工藤家の書庫から引っ張り出されていた
絵も装丁も美しい、一冊の絵本。
有希子が女優時代の付き合いで『着物のお見立て会』などと言う子供を連れて行
っても邪魔にしかならない
イベントに「たまにはいいじゃない!」と英理を誘って出席し、
忙しい小五郎に代わって在宅勤務の優作が殊勝にも新一と蘭の子守をかってでて
、
蘭はこの日朝から工藤家に預けられていた。
子守といっても普段から一緒に遊びなれている二人のこと、
ほうっておいても勝手にくっついて遊んでいるので優作は時折様子を見るだけで
よく
特に大変だとは感じなかったが。
自分自身の仕事もちょこちょことこなしながら、コーヒーを入れなおすついでに
子供たちにも
そろそろジュースでも、とキッチンに入ったところに
聞こえてきた、蘭の涙交じりの怒鳴る声。続いて、ばたんと扉が鳴り、
可愛らしい足音が駆けていく。
おやおやと様子を見に部屋へ行って見ると、
かわいそうなくらいがっくりと肩を落としたわが息子の姿。
「…新一。いったい何があったんだい??」
声をかけられて初めて父が自分を見ていることに気づいてあわてて
精一杯の虚勢で不機嫌面を作ってみせる。
「わっかんねーよ!蘭が…いきなり怒ってさ…」
「…その前のことを、良く思い出してごらん??」
「……」
************
シンデレラの本を読むとき、蘭は決まって後半の、
『王子様が靴を持ってシンデレラを見つけにくる』場面で
ページをめくる手を止めてうっとりと挿絵を見つめる。
「…素敵だよねぇ…」
「…なにがだよ?」
「この、王子様よ!」
絵本の中の王子様に賞賛を贈ったことに対して新一が不機嫌になっているとは気
づかずに、
蘭は目を輝かせてしゃべり続けた。
「だって舞踏会で一回あっただけなのに、ちゃんと居場所を見つけてくれたんだ
よ!」
「シンデレラは汚れた格好だったのに、靴を履いたらちゃんとわかってくれたの
!」
「やさしくて、かっこいい王子様だよね!」
ふくふくのほっぺたを紅潮させて夢見るように語る蘭の姿に、なぜだか新一のイ
ライラは募った。
「…けっ、そんな王子様なんてたいしたことないじゃねーか。大体、あれじゃ靴
がぴったりの女ならだれでも
シンデレラになれるじゃねーか。足の大きさが同じ人なんてたくさんいるんだか
ら…」
「俺なら靴の指紋とっておくな。足の指紋も手と同じで人によって違うんだ。照
合すりゃ確実だろ?」
「だいたい、そーんなに好きになったんなら踊ってる最中に次は二人で会う約束
、しとけばいいんだよ」
「昔話の王子様ってのはだいたいいつもどっか抜けてんだよな。おれならもうち
ょっと…」
ついまくし立ててしまい、ふと気がつくと蘭は黙って下を向いていた。
(ヤバイ…)
と思った瞬間、蘭は涙のいっぱいたまった瞳で新一をきっ、と見据えて
泣くのをこらえながら怒鳴ったのだった。
**************
「…我が家の王子様は、自分が悪いことは、もうわかっているようだね?」
「だって、蘭が…」
「『だって』と『でも』はナシだ。君は絵本の王子様に、やきもちを焼いたに過
ぎない。違うか?」
「…違わ…ない」
新一の隣に腰を下ろして話を聴き、優作は静かに新一を諭す。
自分の好きな女の子が、絵本の中の相手とはいえ他の男の人に
手放しの賞賛を贈って嬉しいはずが無い。
「父さんの仕事は知ってるだろう?想像するってことは人にとってすごく
大切でいいことなんだ。蘭ちゃんは絵本の王子様を好きになったんじゃなく、
自分の好きな男の子も王子様のように優しくて、かっこいい人だったらいいなあ
、と
思っていたんだよ。それを新一にあんなふうにいわれては、蘭ちゃんが怒るのも
無理は無いと思わないか?」
「…悪かったと思う」
調子のいい時なら口答えのひとつも飛び出すところがしょんぼりと素直に非を認
めるあたり、
よほど「嫌い!」の台詞が効いたと思われる。
優作は新一が十分反省していると判断し、その肩をぽんとひとつ叩いて、言って
やった。
「さて、わかったらシンデレラを探しに行きなさい。君なら見つけ出せるだろう
?…絵本の王子様には負けられないからね?」
「…負けるかよ!」
発破をかけられて威勢良く飛び出した息子の小さな背中を見送って、
小さいながらもやきもちだけは一丁前の男らしい彼の姿に、優作は苦笑した。
(…しんいち…怒ってるかな…)
怒りに任せて飛び出してきたものの、一人になってしばらくすると
急に心細くなったのか蘭は勝手に出てきたことを早くも後悔しはじめていた。
(…でも、しんいちが悪いんだもん。私は…)
(王子様が…シンデレラをちゃんと見つけてくれた王子様が…しんいちみたいで
…かっこいいな、って思っただけだもん…)
公園の遊具の下でひざを抱えて座り、おちそうになった涙を汚れた手できゅっと
拭う。
(…嫌いって言っちゃったんだもん、しんいちがおこっても仕方ないよね…)
うちに帰ろうと思っても、今日は鍵がかかっている。
かといってこのままでは新一の家には、帰りにくい。
(…ごめんなさいって、言いたい)
『嫌い!』は人を、傷つける言葉なのに。
もし新一にそう言われたらどんな気持ちになるか…
想像しただけで涙が出た。そんなひどい言葉を、
新一に投げつけてしまった…
ふと自分を見下ろすと、白かったワンピースは砂埃で汚れ、
手足も薄黒くなっている。走ってくる途中何度も転んで、片方のひざは
うっすらとすりむけていた。
靴も、片方はどこかで脱げてきたらしく履いていない…
そんなことにも今まで気づいていなかった。
(…ふぇ…うぅ…)
裸足の足を見ていたらなんだか急に悲しさがぶり返してきて、蘭はひざに顔を伏
せた。
その時。
「蘭!!」
息を切らした、でもほっとしたような声。
はっと顔を上げると、額に汗で髪を貼りつかせ、よほど急いで駆けてきたのだろ
う、
肩で大きく息をしながら体をかがめて蘭を見つめる、見慣れた瞳があった。
「…しん、いち…」
「…ったく…シンデレラってのは今も昔も、逃げ足が速いよな」
そういって新一が手に持っていたものを差し出す。
どこかに忘れてきた、蘭の靴。
「しんいち…探しに来てくれたの…?」
「あ?当たりめーだろ…っておい、泣くなって!」
「うぅ…だって…ふぇ〜〜ん…!」
涙をぼろぼろこぼす蘭に、慌てる新一。
奇跡的にポケットに入っていたハンカチ(くしゃっとしてはいたけど)
で蘭の顔を拭く。
「泣くなって…ちゃんと見つけられたろ、俺だって…」
「…違…う…私、しんいち…嫌いって…ひどいこと、言った…のに…!」
ハンカチに顔をうずめて泣きじゃくる蘭の背中をなだめるようにぽんぽんと叩く
。
「いいんだ…俺が、悪かったんだから…蘭があんまり王子様のことほめるから、
ちょっと悔しかっただけなんだ」
「ごめんね…嫌いだなんて言って、ごめんね」
謝ったら、ほっとした。新一も、ふう、と息をついて改めて蘭を見て…
「おい、ひざ!怪我してるじゃねーか!」
「あ…途中で…転んで…」
「見せてみろ!」
そう言って目の前にかがみこんで、蘭のふくらはぎを手に乗せてひざに目を近づ
ける。
「平気、だよ…/////」
「黙って見せろ!」
厳しく言われて口ごもるが、蘭は内心、どきどきするのを抑えられなかった。
自分の正面に片ひざを突いて、足をやさしく手に取る新一が…
絵本の一ページにそっくりだったから。
シンデレラの足にそっと靴を履かせる、王子様の絵に。
end