昼下がりの店内。
ゆっくりとした時間が流れ、新一も穏やかに過ごしていた。
カウンターには前回訪れたときにはほとんど飲めなかったから。と光彦がやってきていた。
コーヒーとサンドウィッチで軽い食事を取っている。
志保の研究がひと段落着いたら、二人で映画を見に行く約束になっていて、その待ち合わせ場所が此処なのだ。
「何時からやったっけ?映画。」
「え〜と・・・。」
和葉の言葉に答えるように光彦は自分のかばんをごそごそとあさる。
すっと出てきた財布からチケットを取り出す。
志保の分と二枚だ。
「5時半ですね。米花シネマ1です。」
「何見に行くの?」
「『夏のサンタクロース』です。」
「あはは、前にあたしらが試写行こうとしてたやつやん!」
「え、そうなんですか?」
「まあ・・・。」
和葉はあはは!とあっけらかんと笑い、蘭はバツが悪そうに苦笑いをしている。
あの試写の日は大変だったよな〜。
蘭の意外な一面を思い知ったし。
園子と宮野にはまんまとだまされるし。
・・・・まあ、結果的にはいい方向へと向いたからいいんだけどさ。
「今年の邦画ナンバーワンって言われてるヒット作ですからね。
志保さんもやっと興味を持ってくれたんですよ!」
「へえ。確かに志保が名画座以外の作品を見るなんて珍しいわね。」
志保の映画の好みを知っている蘭は不思議そうに首をかしげた。
蘭の言うとおり、志保は「大作映画」やら「大ヒット作」とか付く映画は好みではない。
好みではないというよりも、興味がないといったほうが正しいだろう。
「まあ、すぐ隣で園子がきゃいきゃいと言ってたからな・・・・。」
新一がぼそりと種明かしをするように短く答える。
「あ、園子見たんだ?」
「ああ、大学で大騒ぎしてる。」
「それで志保ちゃんも興味を持ったって所なんかな?」
「だろうな。」
「いいんですよ!どんな映画だって!志保さんと一緒に見られるんですから!」
光彦はこぶしをぐっと握り締め、そう高らかに宣言した。
蘭と和葉はそんな光彦を暖かく見守っていた。
新一も蘭に該当しないのであれば、邪魔はしない。
いまだに宮野志保という人物が5つも年下の少年と恋愛関係を持っているのは不思議だし、信じがたい。
だが、蘭や和葉・園子から聞く情報はうそが混じっているとは思えない内容なのだった。
相当に信じられなかった新一に証明するように蘭は昔のアルバムを持ってきた。
蘭は志保と光彦のラブラブっぷりを見せようと思っての行動だろう。
だが、新一はソコに映る幼い蘭の姿を脳裏に納めようと必死だった。
もちろん、和葉や園子なんかにはばればれだったのだが・・・・。
光彦は壁にかかっている時計で時間を確認する。
時刻は4時10分前だ。
米花シネマ1の入っている米花センタービルまでは此処からバスで20分。
徒歩やらもろもろの時間を考えてみるとここは4時半に出ないと間に合わない。
やってきて、すぐに出かけるのもしんどいからと光彦は4時に店にしておいた。
志保の研究発表や、光彦の中間テストなんかでなかなか二人きりでゆっくりとデートする時間も取れていなかった。
久々のデートに光彦は喜びを隠しきれない様子で、そわそわしている。
それがわかるからこそ、蘭や和葉は微笑ましく見守っているところだろう。
これで宮野がこいつに思い切り猫なで声とかしたらそれはそれで面白そうなんだけどなあ・・・。
ふとそんなことを考えて新一は想像をめぐらしすぐに震えた。
無理だ。宮野が男に甘えるなんて想像できね〜・・・。
しかしそんなラブラブなんて見えねーのに・・・。
何をもって蘭も和葉ちゃんも二人をラブラブと言うんだろうな・・・?
新一はふとそんなことを考えた。
志保が光彦と交際中だと知っても志保の態度は以前とさほど変わらない。
第一、二人で居るところなんて見たことがない。
大学で一番仲のいい園子でさえも、「デート?さあ、見たこと無いけど?」状態なのだ。
ぼんやりと思考を飛ばしていた新一は突然の訪問者の声に遮られることになった。
「あれ?円谷君。」
「あ・・・・。笠置さん、森山さん。」
「円谷君、こんなとこで何してるの?」
どうやら高校の同級生らしく、帝丹の制服であるきれいな青紫のブレザーを着た少女が二人光彦の前に立ち止まった。
「あ、ちょっと・・・待ち合わせ。」
「そうなんだ!私たち先輩に教えてもらったんだ、ここ!」
「へえ・・・。」
「あ〜ん。円谷君居るならひばり誘えばよかった〜!」
「やだ、もうチエミったら〜!」
「あ、あの・・・・。」
少女二人が盛り上がり、光彦は完全においていかれている。
すぐそばにいる蘭や和葉も似たように目を白黒させている。
だが、新一は一人納得したような顔をしている。
ふうん?この子らの女友達が光彦のことを好きなわけだ・・・。
結構、もてるんだな、こいつ・・・・・。
勘働きはいいと思うのに恋愛にはさっぱりなのか。
はたまた志保しかみていないせいの鈍感さなのか。
それは新一にも分からなかったが、光彦が気づいてないのがおかしくて少し意地の悪い顔をしてしまった。
これで終わればこの話もただの世間話で済むはずだった。
誰一人、気づいては居なかった。
少し時間より早めに来ていた志保が窓の外からこの光景を見ていたとは・・・・。
そして、不安から完全な誤解をしてしまったことにも・・・・・。
何よりも、それによって新一が驚愕する事実を知ることになるとは思ってもみなかった。
「じゃあね!円谷君!」
「あ、はい。」
「学校でね!」
「「ありがとうございました〜!」」
光彦が馬鹿丁寧に。
蘭と和葉が客人対して。
それぞれ、挨拶をしている間に彼女たちは出て行った。
「・・・・。ここでクラスメイトに会うとは思いませんでした・・・。」
は〜・・・っと光彦はため息をついた。
その光彦の態度を不思議に思った新一は思わず問いかけた。
「なんだ?ここで会うとまずいことでもあんのか?」
「あ、それは・・・。」
「学校の子達に私みたいなのと会ってるなんて思われるのが嫌だからよね。」
え、今の声って確か・・・・。
新一がそう想像するよりも周りの声のほうが早かった。
「志保!?」
「志保ちゃん?」
いきなりの固い声に全員が振り返った。
その視線の先に居たのは誰でもない。
宮野志保、その人だったのである。
「宮野、オメー何言って・・・??」
志保の言い方に真っ先に反応したのは新一だった。
志保らしい一言。と新一が認識していたからこそといえる。
残りの三人。
光彦は別としても蘭と和葉はその物言いに信じられないものを見るような目で見ていた。
この二人は「光彦と志保はラブラブ」が大前提だったからだ。
光彦は・・・・戸惑ったままだった。
「志保さん・・・?」
光彦はためらいがちに志保に声をかける。
周りから見てもおっかなびっくりといった感じだ。
「そうでしょ?」
「そ、そんなことありませんよ!僕は志保さんのことそんな風に思ったことありません!」
「どうかしら?口では何とでも言えるわよね。」
「ちょ、志保!」
あまりの突っかかりっぷりにさすがに蘭もとがめたのか少し強い口調で志保をたしなめた。
「蘭には分からないのよ!もう、いい!」
志保は肩を大げさに振り、蘭の手を振り落とす。
いつもの冷静さは微塵も感じられない。
志保はそのまま店を後にしようとした。
「!!どこへ行くんですか!?志保さんっ!!」
志保の行動に驚きながらも光彦は志保を呼び止めようと大声を出した。
「帰るの。映画なんてもともと行きたくもなかったし。」
志保は振り向きもせずに冷たい口調で光彦を切って捨てるように店を後にした。
からん、からん・・・・。
店のドアを揺らすたびに鳴る鐘の音だけを残してしんっと静まり返った店内は誰もが口を閉ざしたままだった。
「志保さん・・・。どうしていきなり・・・?」
「何が志保ちゃんの琴線に触れたん?」
「うーん・・・。」
「宮野のヤツ、前々から機嫌悪かったのか?」
それぞれがみな、分からない。といった顔をしていた。
新一が光彦に問いかけても、「違う。」としか返ってこなかった。
「だって、昨日『明日、また』って話した時も普通でしたよ!?」
「だったらさっきの機嫌の悪さは何なんだよ!?」
「僕だって知りたいですよ!!」
新一と光彦は平行線をたどる。
それはそうだろう。二人とも志保の心の変化は分かっていないのだから。
その間、蘭はじっと考え込んでいた。
この中で一番志保とのつきあいが長いのは蘭だ。
じっと考え込んでいたが、蘭はふっと何かに気づいたようだった。
「あ・・・。そっか。だから志保あの時・・・・。」
「!!何か分かったんですか!?蘭さん!!」
光彦は身を乗り出し、蘭に詰め寄る。
蘭はそんな光彦をしばらく見つめて、ふっ・・・と笑みをこぼした。
「にっこりv」という笑みではなく、「にやり」という笑みといったほうが正しいかも知れない。
事実、光彦は蘭の笑みを見て、一瞬引いた。
「ら、蘭さん・・・?」
「光〜っちゃんv」
「!!や、やめてくださいよ、蘭さんっ!そんな昔の呼び方・・・・!」
「あら、懐かしいでしょ?」
「年の差感じて凄く嫌なんですよ・・・・。子供扱いされてるみたいで・・・・。」
「・・・ね、光っちゃん。年の差感じてるのは・・君だけじゃないんだってこと。」
「え・・・?」
「ヒントはここまで。あとは自分で考える!」
「年の差・・・?子ども扱い・・・・。あ・・・!!」
光彦がぶつぶつとつぶやいていたと思ったら、何かに気づいたようで動きを止めた。
それに気づいて、蘭はくす。と穏やかに笑った。
「志保さんっ・・・・!」
光彦は目にも留まらぬ速さで店を飛び出していった。
「なんだ・・・?」
「さあ?」
新一と和葉は光彦の行動が読めずにクエスチョンマークを飛ばしていた。
蘭は一人、くすくすと笑っているだけだ。
「なあ、蘭ちゃん。何やの?」
たまらず和葉が問いかける。
「志保が何に対してかたくなになっていたのか?それが分かれば簡単よ?」
「・・???」
「さあってと!特別料理で作ろうかな?」
「分かった?工藤君。」
「いや、全然。」
未だ謎の解けない二人を残したまま、蘭は嬉しそうに調理を始めた。
「志保さん・・・っ!!」
「!みっ、光彦!!どうして・・!」
自分を呼ぶ声とつかまれた腕にびっくりした志保は思わず声を上げていた。
自分など追ってこないと思っていた光彦が息を切らして自分を追いかけてきた。
しかも店を出て、すぐに追いかけてきたわけでもないのに、光彦は志保に追いついていた。
「やっ・・!離してよっ!」
それでもこの場から逃れたくて、必死で彼の手を振りほどこうとする。
「駄目です!離しません!!絶対に離しませんよ!」
「みつ・・・ひこ・・・。」
「どうして、逃げたりなんてするんですか!僕何かしましたか!?」
ぎゅっと志保の腕をつかむ手は大人のものであり。
こうして並んで立つと光彦のほうが身長が高い。
少し前まで小さな子供だったのに。
ずっと自分の後ろを付いて歩く子供だと思っていたのに。
いつの間にか背丈を抜かし。
志保の知らない友人が増えていた。
彼の世界はこれからどんどん広がっていくだろう。
いつか。
自分を置いていくのかもしれない。
そう思うと志保は怖かった。
今日、早めに着いた店の中で自分の知らない女性たちと話していた光彦を見たとき。
それが現実のものとなって目に飛び込んできた。
来るべきと気が来た。
そう思うと怖かったし、悲しかった。
でも、自分の持って産まれた性格なのだろう。
「行かないで。そばに居て欲しい。」
なんていえそうにもない。
いつの間にか離れていくなら、今のうちに、いっそ・・・!!
そんな想いが今日の行動につながった。
言いたくもない可愛くない台詞。
心の中で「ヤメテ」と叫びながらも口から出ていた「映画に行くつもりはない。」の言葉。
「志保さん。」
「やっ・・・!!」
「志保っ・・・!!」
光彦は自分から逃れようとする志保を抱きしめた。
「みつ・・・ひこ・・・?」
行動に驚いた。
此処までするほどの行動力は無いと思っていたから。
それよりも何よりも驚いたこと。
光彦が・・・・私を呼び捨てにした・・・・?
志保は逃れることも忘れて、光彦の腕の中でおとなしかった。
「志保がなんて言おうと僕は志保が大好きだから!
志保が不安に思うことなんて何も無いんだから!!」
「・・・・だ・・・って。
光彦、あの店でクラスメイトに会いたくないみたいなこと言ってたじゃない・・・。」
「そりゃいいますよ!志保を見せるのなんて嫌ですから!
志保をクラスのみんなに会わせて友達に好かれるなんて嫌ですから!」
「どうしてよ・・・?」
「まだわかんないんですか!?僕が志保を独り占めしたいんです!!」
ぎゅうっと志保を抱きしめたまま絶叫するような光彦の声が志保の耳を突き刺す。
すぐそばで叫ばれていて、とてもうるさいはずなのに。
不思議。
とても心地いい・・・・・。
志保は何も言わずにじっと目を閉じていた。
*****************
「なあ、蘭ちゃん。教えてぇな!」
「うふふv」
くすくすと楽しそうに笑うばかりで和葉の問いかけには一切応じようとしていなかった。
新一も和葉同様、気になっていたが、あえて二人の間に入り込もうとせず、横でやり取りを見ていた。
それにしても・・・。
客もいねーのに、蘭は一体、何を作ってるんだ・・??
「なあ、蘭・・・。」
「ん?どうしたの?新一君。」
「それ・・・何作ってるんだ?」
「あ。これ?戻ってくる志保と光彦君のためにちょっと・・・ねv」
ぱちんっ!とウインクで返されて思わず新一は悩殺される。
ちくしょー。可愛すぎる・・・。
不意打ちでんなことすんなよな〜・・・。
俺の心臓いくつあっても足りねーぜ・・・。
気になっていたことも忘れるくらいの威力のある攻撃。
それを無意識にやってのける蘭に新一はくらくらする。
当然、その現場を見ていた和葉は、蘭に聞きたいことも一時中断して新一を見ていた。
そんな和葉の視線に気づき、新一が顔を上げると、和葉は「待っていました!」とばかりにくすり。と笑った。
大変バツの悪い思いをする羽目になる新一だった。
言い訳しようかとも思ったが、和葉はすぐに自分の好奇心へと戻っていき、蘭に詰め寄っていた。
二人が出て行ってどれくらいの時間がたっただろう?
店の中全体に甘い匂いが立ち込める中、志保と光彦が戻ってきた。
「志保ちゃん!光彦君!」
「映画はいいのか?」
新一と和葉はそれでも冷静に努める様に二人を出迎えた。
「あ・・えっと。」
戻ってきた二人もしどろもどろで会話が続かない。
そんな4人に助け舟を出したのが蘭だった。
「志保、光彦君。出来てるよ、例のもの。」
「私たちになにかあったときに必ず出してくれるお菓子・・・ね。」
「僕、蘭さんが作ってくれるソレが一番好きなんですよ!」
幼なじみ3人にだけ通じる謎の言葉。
新一と和葉が不思議そうにしているところに、先ほどまで立ち込めていた甘いにおいのするものが出てきた。
オーブンでよく焼かれた焼きりんご。
ホイップで飾られて、りんごの中に入れていた砂糖が溶け出してあふれていた。
「「いただきます。」」
「どうぞ召し上がれ。」
志保と光彦の合わせた声に蘭が呼応するように応え、勧める。
甘い匂いの立ち込める、焼きりんごに二人で手をつける。
「これが例のお菓子なん?どういう意味?」
和葉が不思議そうに問いかける。
「蘭が私と光彦君が初めてけんかしたその日に作ってくれたのよ。」
「あの時も志保、理不尽なことですねてくれましたよね?」
「み、光彦っ!!」
「すみません。」
照れたように、少し頬を赤くして怒る志保に笑ったように謝る光彦。
これは・・・確かに。
今まで見たこと無い宮野かも・・・・。
新一はおかしなことに感心していた。
そして、蘭は目ざとく気づいたあることに嬉しそうにしていた。
「ふ〜ん・・。とりあえずうまくまとまったようね、志保?」
「・・・どういう意味?」
「不安は消えた?」
「蘭・・・。」
ニコニコと笑いそう問いかける蘭に志保は観念したようにため息をついた。
「まあ・・・ね。」
照れたようにそう一言だけ告げて、志保は焼きりんごを一口、口に入れた。
「昔から変わらずに美味しい。」
そんな一言に感謝をこめて。