「新ちゃん、さん、し!」
「あ・・〜・・・〜・・」
「ああああ・・・駄目ぇ〜・・・。」


有希子は幼い息子の芸術性を高めようとピアノを弾きながら声楽もどきをやっていた。

しかし新一はどうにもまったく音程というものに見放されているらしく、何度やっても音痴だった。



んん〜・・・・音感は悪くないと思うのよね。
ちゃんとピアノの音理解してるし。
曲聴くのが嫌いって訳でもないみたいだし。
でも。
どーしてこう音痴なのかしらね〜・・・ウチの王子様は!!


いっそのこと歌よりもピアノとかの楽器をやらせたほうがいいのかしら?


ああ・・・でもこの間ホームズが弾いてるからってヴァイオリンやりたいって言い出したときあったわね。
あの時すっごい音鳴らしてたっけ・・・・??

でもアレは憧れのホームズに近づけたって妙に力が入ってたからだし・・・慣れればそうでもないのかしらねえ?

うーん・・だったらピアノの方がいいかしら?
ポンッと叩くだけでとりあえず音は出るから。


有希子はああでもない、こうでもない。とうーんと考え込んでいた。
ピアノの前に立ったまま、幼い新一は母の百面相を面白そうに見ていた。


ガチャリ・・・とリビングのドアが開いたことにも有希子は気付けないほど、考えに浸っていた。


「有希子、音楽の勉強かい?」

リビングに入って来たのは書斎で原稿に追われていたはずの優作だった。

「あら、優作。原稿は?」
「ひと段落ついたよ。」

優雅に微笑みながら優作はソファに腰をかけた。
そんな優作を見ながら有希子はほっと一息をついた。

「・・・なら、いいんだけど・・ね。」
「有希子。久しぶりに弾いてくれないか、アレ。」
「え?」
「聴きたいんだ。」
「何を?」

優作の言わんとしていることがいまいちつかめなくて有希子は首をかしげた。
そんな妻を見つめながら優作は言葉を続けた。


「『夢を叶えてくれるピアノ』を。」


「『夢を叶えてくれるピアノ』って・・・なに?」

ずっと夫婦のやり取りを聞いていた新一が疑問をぶつけた。

「そのままだよ、新一。父さんの『夢を叶えてくれるピアノ』を母さんが弾いてくれるんだよ。」
「ふうん?母さんのピアノが・・・・??夢を・・・?叶えてくれる・・・??」

いまいち分っていないような新一だったが優作の隣にポスンと座り込み、すでに聴く体勢に入っていた。

有希子はふっ・・・と何処か懐かしそうに微笑み、ピアノに向き直り、指を滑らせ始めた。


奏でられて行くゆったりとした音楽。
特に早いでもなく、遅いでもないその曲。
綺麗な旋律が耳に残る。


最後の和音が奏でられ曲は終わりを告げた。
繰り返しは多いが、さほど長くも無いその曲。


パンパンパン・・・・!!


音が途切れた瞬間にリビングにたったひとりの拍手が鳴り響いた。
有希子の曲に優作が惜しみなく贈っているのだ。

パンパンパン・・・!

そんな優作に気付いた新一が自分も同じように拍手を贈る。


「ありがとう。優ちゃん、新ちゃん。」
「そのセリフは私のものだよ、有希子。ありがとう。」

2人で言い合って笑いあう。

「父さん、この曲なんていうの?」

新一が優作の腕をひっぱりながら疑問に思ったことを聞いてきた。

「シューマンのトロイメライという曲だよ。新一。」
「トロイ・・・メライ・・・?」
「”夢をみること”という意味を持っているのよ、新ちゃん。」
「”夢をみること”・・・・?あ・・!!だから『夢を叶えてくれるピアノ』!」

疑問が解けた新一は満面の笑みを浮かべた。


「じゃあ、僕にも弾いてよ!母さん!!」

『夢を叶えてくれるピアノ』と聞いて新一は母・有希子にねだった。


が、しかし。
その新一の望みは叶えられなかった。

「だぁ〜めvv母さんの弾く『夢を叶えてくれるピアノ』は優ちゃん限定なのvv」


有希子は新一に負けない満面の笑みで言葉を返してきた。



「え〜・・・・!!」

新一はぶすっとした顔をして望みを叶えられなかったことに対して不満気に拗ねた。

そんな新一に対して上機嫌になりながら有希子は言葉を続ける。

「『夢を叶えてくれるピアノ』はね、新ちゃん。たった一人の人のためのものなの。」
「たった一人の・・・ためのもの・・・?」
「そう。母さんのピアノは優作限定、だから新ちゃんには効かないのよ。」
「じゃあ僕は〜・・?」
「新一も見つかるといいね。『夢を叶えてくれるピアノ』を弾いてくれるたった一人の人が。」
「父さん。」

優作は新一の頭にポンッと手を置いて諭すように言葉を選ぶ。

「たった一人の人・・・・?僕のために弾いてくれる・・・?」
「きっといるわよ!新ちゃんにも必ずvv」

有希子はガッツポーズを作ってみせた。


「蘭・・・弾いてくれるかなあ・・・?」

ポツリと零された息子の言葉に優作と有希子は顔を見合わせて笑いあう。

「新ちゃん、もうたった一人の人、見つけてるみたい。」
「そのようだね。蘭君・・・か。トロイメライを弾けるようになるのは・・・いつごろかな?」
「さあ・・・でも、楽しみね。」

可愛い息子の淡い想いを見つめながら遠い未来に思いを馳せていた。



****************************************************


時は流れて新一は中学2年生になっていた。



「工藤君!!」

厳しい声が職員室に響き渡る。

「ふぁい・・・。」
「全く・・・君だけなのよ?リコーダーのテストの不合格者はっ!!」

音楽教師の松本小百合は缶入りのレモンティーを片手に新一をギロリとにらみつけた。

「何も意地悪しているわけじゃないのよ、工藤君?
 ヘタでもいいの!!でもヘタならヘタなりに練習をしなさいっていってるでしょう!?
 ・・・・君のリコーダー今まで一切の上達が見られないのよ。」


松本先生はため息をつきながら手にしていたレモンティーをごくりと飲んだ。


(・・・いくら練習したって変わんねーもんはしゃーねーじゃんかよ!!)

新一は松本先生のお小言を聞きながらぶすっとした顔を隠さずに居た。


「何度いっても聞かないなら・・・そうね!補習しましょう!!」
「はあ!?」



松本先生の言葉は新一に十分な威力をもった爆弾発言として投下された。

「いくら練習してきなさいって言ってもしてこないんじゃしょうがないでしょ?」
「ちょっ・・・、待てよ、先生!!」
「善は急げだわ!今日の放課後やりましょ!!」

松本先生はすっかりやる気モードで話を進め、その間新一は一言も発言できなかった。

「じゃ、工藤君!!今日の放課後補習しましょう!音楽室に来なさいね。」
「へ〜・・・・い。(誰が行くか!んなもん!!)」

心の中で舌をペロリと出しながら新一はとりあえず熱心な音楽教師の言葉に了承の意を伝えた。

「じゃ〜・・・先生、オレはコレで。」

新一はいそいそと職員室を後にしようと歩き出した。

「あ!工藤君!!・・・逃げたらどうなるのか・・・分ってるわよね・・・・?」


(げっ・・・・)


教師・松本はにっこりと満面の笑みを持って釘を指した。
流石に中学教師を伊達にしてはいない。
新一の行動などお見通しだったのだ。


「し、失礼しました〜・・・。」

松本先生の満面の笑みの後ろに般若を見たような錯覚に陥った新一は言葉少なく職員室を後にした。


放課後になり新一は4階の音楽室に向かって歩いていた。

ったく・・・!!何なんだよ、あの先コー!!オレばっかり目の敵にしやがって・・・!!


歩く新一の頭の中は松本先生に対する不満だらけだった。

確かに彼女は新一によく構う。
音楽が苦手な新一に構うのは特別珍しいことでもない。

溢れる情熱をもつ熱血教師が落ちこぼれた生徒にやる気を起こさせる。


と、そんな風に考えられなくも無いのだが、流石に被害(?)にあっている本人からしてみたらそれは

「いじめられている」

と考えても何ら不思議は無いだろう。


事実、松本先生にも「いじめている・・・まではなくてもついからかってしまう」自覚があったから。


新一が松本先生の初恋の彼に似ている・・・・などということは今の新一は全く知らない。


彼が音楽教室に差し掛かった時・・・音楽室からピアノの音が聞こえてきた。


「あれ・・・・?これ、『トロイメライ』じゃん・・・。松本先生が・・・?」


少し早足になった新一が音楽室のドアを開けた。

がらっ!!と大きな音をたてたドアに驚いたピアノに向かっていた人物がピアノの演奏を止めた。


「蘭・・・・?」
「びっくりしたあ〜!!もう、新一だったの!?脅かさないでよ!!」
「あ・・悪い・・・。今・・・お前・・・?」


新一はピアノを弾いていた予想外の人物を前に少々パニックを起こしていた。

「お前・・・なんでこんなとこで弾いてんだ?ピアノ・・・・。」
「あれ?新一知らなかったっけ・・・・?」

蘭は新一ににっこりと微笑みながら身体を新一へと向けた。

「ウチ、電子ピアノでしょ?やっぱ本物とは音違うのよ。
 だからってそうちょくちょく園子ん家に行くわけにも行かないしね。
 松本先生に頼んでたまに音楽室のピアノ貸してもらってるのよ。」
「あ、そういうことね・・・。」
「新一が珍しいわね、音楽の時間以外に音楽室に寄り付くなんて・・・。」

蘭は心底不思議そうに新一に問いかけた。

「ああ・・・いや、まあ。松本先生に呼ばれて・・・。」

頭をかりかりとかきながら新一はしどろもどろ答えた。

「あれ?松本先生帰ったわよ?」
「はあ?」
「彼氏とデートだって。急に彼が早く帰れそうだって連絡貰ったって・・・ルンルンと帰って行ったわよ?」
「あん・・・の、先生・・・!!」


新一がリコーダーをもった手をふるふるとさせながら怒りをあらわにした。

「新一・・先生に呼ばれてた・・・って・・・もしかしてソレのせい・・・・?」

蘭が新一の持っていたリコーダーを指差し、ジト目で睨みつけてきた。

「あ・・・・。あはははは〜・・・・。」

迂闊すぎた自分の行動を悔やみながら新一は浅く笑った。

「もう!私つきあってあげるから練習しよ!!新一だけでしょ?テスト合格してないの!!」

蘭はため息をついてピアノに向かい、新一を促す。


「練習したら・・・さ、何かご褒美くれよ、蘭?」

新一は自分を促す蘭に条件を突きつけだした。

「何言ってるのよ、あんた。練習・・・!!」
「だーから、ご褒美。練習すっからよ!」

蘭はもはやあきれ果てていたが新一は一歩も譲らなかった。

「ご褒美をくれ」の一点張り。
最終的には何が「ご褒美」なのかも分らないまま、蘭はその新一の条件を飲む羽目になった。


そうしてリコーダーの練習が始まり、終わった。

「さあ〜て、ご褒美、ご褒美!!」

新一がやけに嬉しそうにしていて、蘭は少し不安を覚える。

「何・・・させる気よ?」
「さっきの蘭が弾いてた曲・・さ。」
「さっきって・・・ああ。『トロイメライ』のこと・・・?」
「それ。弾いてくれよ。」

新一が手近にあったイスを持ってきてピアノのすぐそばに置いて腰を下ろした。

「何・・・・?」

蘭は新一の言っている意味が全く分らなかった。

「新一・・・こんな曲好きだっけ・・・・?もっと激しいとか早いとかの曲が好きじゃなかった?」
「ま、ソレはそれ。


 な、蘭。・・・・弾いてくれよ。俺だけのために・・・・。」


あまりにも真剣な新一の眼差しに押されるように蘭は『トロイメライ』を奏で始めた。


まだ習いたてなのだろう。
昔有希子が弾いていたときよりも完成度は低い。
所々ミスタッチもある。

でも。それでも新一には昔聞いた有希子の『トロイメライ』よりもずっと・・・心地よかった。



弾き終わった蘭が新一の方へと向く。

「これで・・・いいの?っていうか・・・コレが新一の望んでたご褒美・・・?」

未だに理解できずにいる蘭に向かって新一はにやりと笑った。

「いや、もひとつ、あるぜ?」
「まだ弾いて欲しい曲があるの?」
「そうじゃねーよ!!・・・今の曲・・さ。」
「?」

不思議そうに首をかしげる蘭に向かって新一が言葉を続けた。

「この曲、オレ以外の前で弾かないで欲しいんだ。」

きっぱりと告げられたその言葉・・・・・。

「何・・・・?どういう意味・・・?」

訳も何も聞かされずに蘭はきょとんとした目を新一に向ける。

「ん、何でも。約束だからな、守れよ?」
「よくわかんないけど・・・分った・・・。」

あまりにも真剣な新一の目に押され、蘭は訳も解からないまま、承諾した。


こうして新一は「たった一人の人のための『夢を叶えてくれるピアノ』を手に入れた。

蘭がこの事実を知るのは・・・まだもう少し先のことだ。



*******************************************


時は流れて新一は高校3年生になっていた。


「もう、もう、もう!!!またよ、また!!」


蘭が新一の前に仁王立ちになって大層ご立腹の様子だ。

「悪かったって!ホントに!!」
「悪かったって思うなら忘れないでよ、新一!!!」

新一は圧倒されながら平謝り状態だった。


「いつも連絡しようと思ってるって!!ただ・・・事件に没頭しちまってつい忘れちまうんだよ・・・。」
「・・・またペナルティだからね、新一!!」
「はい・・・。」


新一は素直にうなずいた。

事件に首を突っ込みすぎて体が縮むという経験をした新一。
その最中や、それ以外でも何度も何度も絶体絶命の危機を味わってきた。

それでも探偵を辞めなかったのは新一。
そしてそれを許したのは蘭だった。

が。

名探偵・工藤新一。
世界レベルの犯罪組織を壊滅させた稀代の名探偵。
それゆえに、依頼は日本各地から寄せられる。
警察からの依頼も後を絶たない。
そんな新一を心配する蘭が、出した条件がたった一つあった。

どこへ行ってもいい。その代わりどこへ行くにも必ず連絡して。
どんなに危なくてもいいから。
どんなに私に危険が及んでもかまわない。
必ずどこへ行くのか話しておいて。


「危険が及んでもかまわない」の一文で新一はかなり戸惑った。
しかし真っ直ぐに見つめる蘭のその瞳におされ、その条件を飲んだのだ。

なのに事件になると周りが見えなくなる新一が蘭に何も言わずに、いつの間にか地方に居る。
ということが多々起きた。
そんな新一に痺れを切らした蘭が、ペナルティーをつけたのだ。

「ホントに電話も何もしてこないことが3回続けばペナルティーだからね!」と。


「今回のペナルティー内容は・・・なんでしょうか?」

新一が殊勝に問いかけた。

ちなみにペナルティー内容はそのときによって変わる。

豪華ディナーだったり、バックやアクセサリーといったものをプレゼント。などなど多岐にわたる。

そしてもちろん、その決定権は蘭にあった。


だから蘭に問いかけた。
いつもだったら「そおね〜・・。」と言いながらも割とあっさりと口にしてきた蘭が今回に限って戸惑っている。

「口に出せないようなことでも頼むつもりか?」

からかい半分、期待半分で新一は蘭に問いかけた。

「馬鹿!!そんなんじゃないわよ!!」

蘭は顔を真っ赤にして大声で叫んだ。そうして・・・うつむいてごく小さな声で内容を告げた。


「・・・新一の・・・ピアノが聴きたい・・・の。」


きっちり10秒、新一は動きを完全に停止させた。


「は・・・・?」
「ご、ごめん!!他のもの考えるから忘れて!!」

蘭は新一の不思議そうな声を聞いて慌てて否定を出した。

「ごめん!!もう帰るね!ごめん!!」
「あ!おい!蘭・・・!!」

新一が止める間も無く、蘭はものすごい勢いで走り去ってしまった。


「オレの・・・ピアノ・・・?何で?」

新一は本当に不思議そうにもう一度口にした。


オレ・・・ピアノなんて弾けねーぞ?
昔ちょろっと・・・母さんに弾かされたくらいで・・・もう10年近く弾いてねーし・・・??
なんで今更・・・??


訳も解からないまま新一は家へと入っていった。


「おっかえり〜!!新ちゃん!!」
「わああ!!・・か、母さん!!驚かすんじゃねーよ!!」

目の前にいるはずの無い人物を捕らえ新一は心底驚いた。

「あ、新ちゃん、びっくりした?びっくりした?やったあ!大成功vv」

当の有希子はといえば、そんな新一の驚く顔に大変満足そうにきゃらきゃらと笑い声を上げていた。


「で?今回は何なんだよ?いきなり・・・。」

新一はリビングのソファにどかっと乱暴に腰を下ろした。

「あら、随分な言い草ね〜・・・。可愛〜い息子の顔を見に帰ってきたんじゃな〜いvv」
「あ、そ。」

最早何を言っても無駄だろうと判断した新一は深くは追求しなかった。

有希子が新一の前にコーヒーを置いて向かいのソファに座り込んだ。

「あ、サンキュ・・・。そういや父さんは?」
「優作?編集さんと打ち合わせ。そろそろ帰ってくるわ。」
「あ、そ。」

新一は会話を短く終らせて淹れたてのコーヒーに口を付けた。

「よかったわね〜、新ちゃんvv」
「何がだよ?」

有希子のいきなりの賛辞に新一は訳がわからない。

「『夢を叶えてくれるピアノ』を弾いてくれる人が見つかってvv」


ぶはああ・・・!!

新一が有希子の爆弾発言に飲みかけていたコーヒーを噴出した。

「あち〜!!」
「はい。新ちゃん、タオルvv」
「・・・・・。」

無言で有希子の差し出したタオルを受け取った新一はそのまま有希子をにらみつけた。

「あら、こわーい、新ちゃん。」
「何でそれ・・・・。」
「蘭ちゃんからvvもう、新ちゃんったら蘭ちゃんになんにも説明してないまま弾いてもらってたのお?」

有希子は不満気な口調で新一を問い詰めて行く。

「うるせー・・・。」
「で、しょうがないから私から蘭ちゃんの方に説明しておいたからvv感謝してよ〜。」


余計なことを・・・!!

思わず心の中でうなってしまった新一だったが・・・コレで先ほどの蘭の望みが何故起ったのか正確に理解した。


爆弾を投下してくれた有希子は翌日、用事を済ませた優作と共にすぐに機上の人となった。



リビングで新一はボーっとソファに寝そべっていた。


「新一の・・ピアノが・・聴きたいの・・・。」

真っ赤に頬を染めて蘭が告げた言葉を思い出していた。


『夢を叶えてくれるピアノ』のことを蘭が知った上でオレのピアノを聴きたいって言うのなら・・・やっぱり曲は・・・。

新一はそこまで考えてピアノのそばにあった本棚の中からひとつの楽譜をとりだし、ピアノの長いすに座り込んだ。


ぱらぱらとページをめくりながら目的の箇所を探し出した新一はピアノの椅子に行儀悪く座りながら頭を抱え込んだ。


・・・・まじぃ、何だよ、結構複雑そうじゃんかよ・・・・。
しかもこの端っこの記号、沢山ついてるし・・・・。


ぱんっ!!と新一は楽譜を早々に直し、オーディオにある曲をセットしてエンドレスで聴き始めた。



一週間後、蘭は新一の家のリビングに通されていた。

「な、何・・・?」

蘭は何も聞かされないまま、ピアノの前にセットされていたイスに座らされた。

「し、新一・・・!?」

驚いた蘭は新一をじっと見つめた。

ピアノのイスに座った新一はにやりと笑って見せた。

「まあ・・・楽譜みんのあきらめて曲聴いて練習しただけだから・・・滅茶苦茶だろうけど・・・な。」

そういって新一はピアノに指を滑らせ始めた。


蘭は新一のその横顔をじっと見ていた。

流れてくる曲は『トロイメライ』。
確かに、楽譜を見ないで曲を聴いただけ・・といっただけあってところどころ新一が意図しないままアレンジがされていた。
CDや演奏会に聴く曲、とはかけ離れているかもしれない。

それでも新一は真剣な眼差しでピアノに向かっていた。


最後の和音がリビングに響き渡る。


蘭は・・・何もいえないまま涙を浮かべていた。


「しん・・いち。」
「母さんに聞いたんだろ・・・?『トロイメライ』のこと。」
「『夢を叶えてくれるピアノ』・・って・・・・教えてくださった・・・・の。
 ずっと解からなかった答えを頂いて・・・そんな風に新一が考えてくれてたのって・・嬉しくって・・・。」

蘭の頬に浮かんだ涙が零れ落ちるているのを見て、新一はその涙を指でそっとぬぐった。

「昔母さんにその話聞いた時・・・「オレにとってのたった一人は蘭であって欲しい」って思ってた。
 だけど蘭にそういうのって・・・こっぱずかしくってさ。何もいえなかったんだよな。

 だけど蘭に「オレのピアノが聴きたい」って聞いて『トロイメライ』のこと蘭が知ったって知って・・・。
 蘭が聴きたいのはコレしかないって・・・思ったんだよな。


 オレにとってのたった一人は蘭だけど蘭にとってのたった一人もオレであって欲しいから。」



新一がそういって蘭を抱きしめた。
蘭は新一の腕の中でおとなしかった。

「うん・・・私にとってのたった一人は新一だから。・・だからどうしても『夢を叶えてくれるピアノ』を弾いて欲しかったの。
 ・・・ありがと、新一。また・・・聴かせてね?」
「ああ・・・また・・な。・・なあ、蘭。」
「なあに?」

「『夢を叶えてくれるピアノ』・・・・聴かせてくれねーか・・・?」


新一の言葉に2人は同時に笑い出した。


「喜んで!!」

そういった蘭はピアノに向かった。

今度は楽譜どおりの『トロイメライ』がリビングを満たして行った。


こんな風景も・・・ごく当たり前の2人の出来事となって追加された。



 芸術祭参加作品です。

   一応ピアノ題材。でもかけあしでおっかけたからなあ・・・。
おもったよりも長くなってしまった・・・・。
一応、新一視点からにまとめた・・・筈。
時間があれば蘭ちゃん視点もかいてみたかったかも。