ちゅん、ちゅん―――鳥の鳴き声が聞こえてきそうな清々しい朝。
そんな清々しさを吹き飛ばすように目覚ましが朝を告げる。
眠りから覚めきっていない体をベッドから起こし欠伸を1つ。
そのままベッドから立ち上がり、カーテンを開けると眩しさに目を細めた。
さっと身支度を済ませると、待ってましたとばかりに自宅の電話が鳴り、
「・・・またかよ。」とついボソリと呟いてしまった。
呟いても文句は言われないだろう。
電話の相手は分かっている―――警視庁からだ。
コール音が鳴り響く電話の受話器を持ち上げ、「工藤です」と言えば馴染みの声が聞こえてくる。
「もしもし、警視庁の高木です。朝早くからごめんね。実は―――」
高木刑事の用件を聞き終え受話器を置くと、すぐさま学校へと電話をかけ「午後から行きます。」とだけ伝えた。
学校側も日常茶飯事の電話に「課題追加な。」とだけ。
学生ながらにも探偵という仕事を選んだことに後悔はしていない。
だが、次から次へと事件が起これば、皺寄せは当然、学生の自分に来るのだ。
最近は事件が終われば、課題をやりに家に帰ってきているだけの生活を送っていた。
そろそろ迎えの車が来る頃だ。
その前に何か胃に詰めるモノがないかと冷蔵庫を覗いてみるが中は空っぽ。
昨日、商店街を通る時に買い物をしておくべきだったか。
どうせ何を買ったとしても、冷蔵庫に眠ったまま、出番を待たずして捨ててしまうことになるのだが。
すでにコーヒーを淹れる時間もないので、食器棚からコップを出して、水をグイッと飲み干す。
飲み終えると、テーブルの上に置かれている財布と携帯をポケットの中に突っ込むように入れた。
と、視界にとまったカロリーメイト。昨日、毛利から投げ渡されたモノだ。
冷蔵庫の中は空っぽだが自分にはコレがあったと思い出し、1度は事件だと引き締めた心が顔と共に緩んでしまう。
こんなモノ1つで、と思われるかもしれないが、オレにとってはバレンタインデーに好きな子からチョコを渡された気分で。
箱を開けようと手を動かし小さな異変に気づいた。
異変というほどのものでもないけれど―――1度開封された形跡がある。
毛利から貰ったモノだし、食べようと買ったものならば開封されていてもおかしくはないけれど、
何かが引っかかるというか、気になって仕方がない。
数は箱に表示されている個数通りにあるので食べたわけでもなさそうだ。
時間もないので、箱から1個だけ出して有り難く食べることにした。
すると、箱の中でカサリと小さな音が聞こえてくるではないか。
何だ?と箱の中を覗き見れば、小さく折り畳まれた1枚の紙が入っている。
毛利が入れたものだろう。
それならば、手付かずのカロリーメイトの箱が開いていた理由にもしっくりとくる。
箱の中に入っているということは、オレ宛に書かれたものだと思って良いのだろうか。
箱の中から紙を取り出して、折り畳まれていたものを広げていく。
メモ帳の紙を使用し、オレに投げ渡す前に急いで書いてくれたのだろう。
そう思うと、オレの為にと思うと、今日はいい日だなと思わずにはいられない。
さっきまでは事件続きの日々に、世も末だな。と思っていたのに、紙1つでこうも変わるとは。
自分でも現金なヤツだと思うけれど、これも恋する男特有のものだと思えば開き直ることだってできるのだ。
紙には毛利の字でこう書かれていた。
『お疲れさま。
疲れた顔をしていたから、少しでも何か食べて眠らないと身体に毒だよ。』
短いけれど、それだけで十分だった。
探偵としてマスコミに取り上げられ、有名になってしまった今。誰もが『探偵』としてオレを見る。
学校にいても、クラスのヤツ等以外はだいたいがそんなヤツばかりで、
しまいにはアイドルか何かと間違えてるんじゃねーかと思うヤツまで出てくる始末だ。
探偵として学生として、そんなものをひっくるめて、工藤新一自身を見てくれる毛利。
それがどんなにオレを喜ばすことになるのか毛利はきっと分かっていない。
分からずにメモまで残してくれるとは。
先程取り出した1つを食べ、広げた紙をもう1度折り畳む。
畳まれた紙をそのまま箱の中に入れておこうかと思ったが、思い直して財布の中にしまう。
以前、学校で誰かが言っていたことを思い出したのだ。
「オレは定期入れに彼女との写真を入れてるぞ。」と自慢げに話していたことを。
生徒手帳になんてヤツもいたがバカにはできない。
今日までは「そんなこと自慢してどうすんだよ。」とバカにしていた1人。
それが今では同じようなことをし、写真ではなく紙を入れるというのだから。
有り難い朝食が終わると外に出て迎えを待つ。
いつもの車を視界に捕らえたところで門を出ると車がゆっくりと停車する。
オレは当然のように後部座席に座りドアを閉めると、申し訳なさそうにこちらを見る高木刑事。
それを笑顔で返し、早速警視庁へ向かった。
今回は犯人も特定されており、残るはアリバイ崩しのみ。
アリバイを崩すということならば、午後には学校にも行けるだろう。
学校に電話をした際に、課題追加のおまけとばかりに「単位も危ないぞ。」と冗談混じりに言った担任。
しかし、冗談ではなく本気なのだとすぐに分かった。
だからこそ行かなければいけない。けれどそれだけではない。
学校に行けば会えるかもしれないと思ったからだ。
必ずというものではなく、もしかしたらという僅かな可能性。
それに掛けよう―――毛利に会える可能性に。
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東京の郊外で起きた殺人事件。
殺害されたのは20代半ばの女性。死因は絞殺による窒息死。
容疑者として出てきたのが、今も取調室にいる殺害された女性の恋人。
死亡推定時刻は一昨日の午後3時から5時の間。
事件当日の朝、自宅のマンションで殺害された女性と恋人の口論を隣人が聞いており、そこから捜査は開始された。
近所や、女性、恋人である男の友人や、会社に聞き込みをし、そこから発覚した男の浮気。
その後も警察の地道な捜査をし、犯人を特定する証拠を発見したが、男には事件当時のアリバイがあった。
証拠を出して問い詰めたようだが、男は「オレはその時間―――」とアリバイを主張した。
だが、そう主張するのもここまでだった。
自分の恋人を殺害した男。今は熱が冷めていたとしても、愛していた筈だ。
けれど、口から出る言葉といえば自分のアリバイだけである。
そこまで自分がカワイイのかと、保身が大事かと、恋人の命よりも。
オレが殺害された女性にできることは1つ。男を殺人犯として罪を認めさせること。
犯人逮捕は警察の仕事だ。ならば、自分ができることをするまで。
2時間もかからずアリバイを崩すと「助かったよ、工藤君。」と心底ホッとしている様子が伺えた。
この後はそのまま高木刑事が学校まで送り届けてくれると言うので、その言葉に甘えることにした。
コーヒーを淹れてもらい一息ついた後、高木刑事がにこやかな顔をオレに向ける。
「僕の顔に何かついていますか?」
「今日は朝から嬉しそうな顔をしていたけど、何かいいことでもあったのかい?」
「分かります?」
「分かるというか、いつもと雰囲気が違う感じがしたんだ。」
高木刑事が気づいたということは、近くにいた佐藤刑事や、目暮警部も。
・・・マジかよ。せめて毛利の前では気づかれないようにしねーと。
毛利に同じように訊かれても、理由を言えるわけもないのだから。
「理由は分からないけど、いいことだと思うよ。この頃事件続きで学校に行く暇さえなかっただろう?
そんな中でも何かを楽しむ余裕を見つけてくれて嬉しいんだよ。」
高木刑事の言葉には目を見張る思いだった。
事件の時以外には関わることがないと言ってもおかしくない関係。
いつも申し訳なさそうにしていたが、こんなに気にかけてくれていたとは思ってもいなかった。
「いつも事件に連れ出している僕が言うことじゃないんだけど。」なんて言っているけれど、高木刑事が謝ることではない。
呼び出すのは警察だが、探偵という仕事を、現場に行くと決断したのは誰でもないオレ自身。
済まないね、と謝罪が出てくる前に「ありがとうございます。」と伝えた。
10分ほど談笑をした後、高木刑事の運転する車で学校へ向かった。
こんなにも早く学校へ着けることに今までは喜びも何もなかった。
けれど、毛利の「また明日ね。」という言葉を思い出すと、早く着かないかとさえ思ってしまう。
今のオレは探偵ではなく、ただの恋する男と化していた。
校門の前で車を止めてもらい、先程とは違う意味で「ありがとうございました。」と言えば、
「お礼を言うのはこっちだよ。」となんとも高木刑事らしい返事が返ってきた。
車が発進し見えなくなると、校舎へと1歩1歩踏みしめるように歩いていく。
今までよりも昨日。昨日よりも今日。
想いは深く、揺るぎないものへと変わっている。
踏みしめる数だけ彼女に想いが届いていると信じて疑わないかのように男は歩いた。