『変わらぬ絆』



 窓の外を流れていく馴染みの風景をぼんやりと眺めていたら、色鮮やかな浴衣が時折混じっていることに気付いた。
「あれ?今日、何か祭りあんの?」
 身を起こして問うと、バックミラーに映る姉、由美子の目がちらりと裕太を見た。
「あら裕太、もう忘れちゃったの?丁度今日帰って来るとか言うから、てっきり分かってるもんだと思ってたのに。ほら、あれよ。今日はウチの近くの神社の縁日よ」
「あ〜…そういえば」
 歩いて数分のところにある神社。神社のぐるりを鬱蒼と茂った森が囲っていて、昼なお暗く、静かな神社。
 未だなお、その神社に何が祀られているのか裕太は知らなかったが、寂莫とした独特の空気は子供心に結構怖かった覚えがある。
 普段はそんな感じの神社だったが、縁日の日はその雰囲気が一変してとても華やかになった。
 色とりどりの提灯、屋台の軒先につるされた裸電球、行き交う人々の色彩豊かな衣服、楽しそうな笑い声、活気溢れた喧騒、空腹を誘う香ばしい食べ物の匂い、甘ったるいお菓子の匂い。
 いつもの様子からは想像もつかない煌びやかさに、幼かった裕太はいつも心浮かされたものである。
「毎年毎年、よく飽きもせず行ってたわよね、裕太は」
 運転しながら由美子はそう言って、クスクスと笑った。
「そうだ、これからちょっと寄ってく?」
「え?」
 由美子の提案に裕太がうんともすんとも答える前に、由美子は問答無用でハンドルを切っていた。



「自分から誘っておいて…一体何処行ったんだか」
 裕太は呟いて、ふぅ、とため息を吐いた。
 結構な人手の中、はぐれないように注意していたのだが、案の定、姉とはぐれてしまった。
「随分離れちまったな」
 姉の姿を探しながら歩いていたら、いつの間にか社殿に辿り着いていた。
 ここには出店自体がないものだから、人気はほとんどなく、見渡すかぎりでは、裕太以外の人はいない。
 縁日の屋台が集まっている場所からはそれほど離れていないのだが、神社を囲む森が防音効果を果たしているのか、祭りの喧騒が矢鱈遠くに感じる。
 祭りの浮かれた明るさとはうってかわって、ここには夜闇の帳が落ち、静謐が満ちていた。
 祭りの熱気を遠くに感じながら、裕太はぶつぶつとぼやく。
「そういえば…いつだっけ?なんか前に来た時も似たようなことがあったような気がするな。姉さんと兄貴と俺と三人で来て、姉さんとはぐれて…んで…あれ?その後の記憶がないな」
「周助と裕太、二人仲良くここで寝てたのよ」
 声に振り向くと、由美子がにこりと笑って立っていた。
「姉さん!何処行ってたんだよ」
「それはこっちの台詞よ。途中でいなくなっちゃって。探したんだから」
 由美子はゆったりとした足取りで近づいて来、裕太の隣に並んだ。
「あたしが必死になって探していたことも露知らず、ほら、そこの廊下のとこで寝てたのよ、あんた達」
 言って由美子は社殿の外縁の廊下のようなところを指差した。
「あれはいつ頃だったかしらね?周助と裕太、おそろいの浴衣をお母さんに仕立ててもらった時かしら。あの時は…二人とも随分はしゃいでいたっけね」
 二人ではしゃいでいた、と聞いて、裕太は複雑な気分になった。
 今では絶対に有り得ない。兄と同じ服を着て喜ぶなど。
 兄はどうだろう?喜ぶだろうか。いや、いくらなんでも中三になって弟とおそろいの服で喜ぶなんて無いだろう。
 それにしても何故そんなつまらない事で心浮かれていたのか、と、裕太は幼かった自分に毒づいた。自然―――
「ああ、そうだっけか」
 姉に答える声も険しくなる。
 由美子は弟のそんな様子にちょっとため息をついた。
「…ねえ、折角だからお参りして行かない?」
 疑問系で話し掛けたくせに、最前と同じく裕太の答えを待つ間もなく、由美子はすたすたと社殿に歩み寄った。
 裕太は相変わらずだな、と思いながら姉の背中を追いかけた。
(そういえば、あの時…兄貴とおそろいの浴衣を着てここに迷い込んだ時も、確か兄貴に誘われてお参りしたっけ―――



「裕太、神様にお参りしよ」
 兄はそう言って、財布から5円玉を二枚出した。
「たったの5円なの?10円玉、あったんじゃない?」
 裕太がそう問うと、兄はにっこりと微笑んだ。
「10円はね、『遠縁』に通じるから良くないんだよ。5円は『御縁』に通じるから、こっちの方が良いんだ。神様とご縁が有りますようにって」
「へぇ、そうなんだ〜」
 兄の博識に、裕太は目を輝かせた。
 1歳しか違わないのに、何故か兄はいつだって大人びて見えた。
 そんな兄は、裕太に5円玉を一枚手渡し、手の中に残った一枚を賽銭箱に投げ入れた。
 裕太も同じように投げ入れる。
 ちゃりんちゃりん、と乾いた音が間を置いて鳴った。
 そして、ぱんぱん、と兄が柏手を打つのを見て、裕太も一歩遅れて慌ててそれに倣う。
「………………」
「………………」
 暫く手を合わせていたが、やがて兄が手を下ろして口を開いた。
「裕太は何をお願いしたの?」
「えっとね、お姉ちゃんが早く僕たちを見つけてくれますようにって」
「あはは、確かにね」
「お兄ちゃんは何をお願いしたの?」
「僕?僕も一緒だよ」



「―――裕太、はい、5円玉。神様とご縁が有りますように」
 気付くと、姉が財布から5円玉を出していた。
 裕太は姉から受け取った5円玉を、姉とほぼ同時に賽銭箱に投げ入れる。
 兄とお参りした時と同じ、ちゃりん、と乾いた音が鳴った。姉が5円玉を投げ入れた音が後に続く。
 ほぼ二人同時に柏手を打って、手を合わせた。
「………………」
「………………」
「裕太は何をお願いしたの?」
 記憶の中の兄と同じようなタイミングで、同じような事を訊かれ、裕太は少しだけ苦笑した。そして言う。
「…来年こそ、全国大会に出れますようにって」
「そう…そうね、頑張らなきゃね、裕太」
「ああ」
 ぽつりぽつりと銀色の点が穿たれた夜空を見上げた。
 晧々と白い光を落とす真円の月が頭上にあった。
(そう、来年こそ…!)
 裕太が胸のうちで決意を顕わにしていると、由美子がふと声を上げた。
「あら、裕太、また大きくなったんじゃない?」
「ん?そうかなぁ?あ、でもこの前身体測定で測ったとき170になってた」
「じゃあ周助を越えちゃったわね。すごいすごい」
 頭を撫でようと腕を伸ばしてくる姉に、裕太は少々頬を赤らめて半歩身を退く。
「なんで逃げるのよ?」
「だ、だって、この歳になって頭撫でられんのって…恥ずい」
「あらまあ、可愛い」
「かわっ…」
 裕太がいよいよ照れゆえに顔を真っ赤にして反論しようとすると、由美子がぽん、と手を打った。
「そういえば周助、捻挫しちゃったのよ。知ってた?」
「ね、捻挫?」
 寝耳に水だった。
 何か変わったことがあると寮に電話をかけてくる兄だったが、そのようなことは聞いていない。
「そう、練習中にひねっちゃったみたいでね。ちょっと腫れ具合が心配だから今日病院に行くって言ってたわ。もう家には帰っている頃かしらね?大した事無かったらいいんだけど」
 由美子は腕時計を見た。
 もうすっかり夜の8時を回っている。
「そろそろ帰ろうか。周助にお土産買って行きましょ」
 由美子がそう言って踵を返す。
 裕太は一瞬それを追いかけて、思い留まる。
「あ……」
「何?裕太」
「……5円玉もう一枚ある?」
「え、5円玉?あ、あるある。これで最後だけど」
 由美子がそう言って財布から出した5円玉を、半ばひったくるように受け取る裕太。
「ごめん、借りる。家に帰ったらちゃんと返すから」
「別に5円くらいいいわよ。で?何お願いすんの?」
「…何だっていいじゃん」
 裕太は照れた顔を隠すように不貞腐れを装いながら、社殿に向き直った。
 賽銭箱に硬貨を投げ入れて柏手を打つ。

(なんか兄貴の為に祈るのとか癪だけど、でも兄貴とテニスで戦いたいし…もし選手生命に関わるとかそんなんだったら兄貴を倒すっていう目標が無くなって困るし)
 裕太はなんとなく自分に言い訳をしながら、両手を合わせた。
 そして祈る。
(……兄貴の怪我が大したことありませんように)


<了>



※あとがき※