どうしてこんな理不尽な日があるのか。
 嘘をついてよい日など、どうしてわざわざ定められていなければならないのか。
 今までこの日が来る度にどれだけ馬鹿をみたことか、思い出すだけでぞっとする。

 今年こそは騙されまい。

 南は、壁にかかったカレンダーを眺めながら、そう心の中で誓った。
 一方で、疑心暗鬼で胃が潰されそうな思いを味わいながら。

 だから、突如携帯の着信音が部屋に鳴り響いた時には飛び上がらんばかりに驚いた。
 実際、数センチほど飛び上がった。

 明るく点灯したディスプレイを見る。
 千石だった。



『走れ正直者』



「や〜南、元気?」
 通話ボタンを押すと、相変わらず能天気っぽい声がスピーカーから流れてきた。
 南はため息をつきそうになるのを堪えて、答えた。
「……元気」
「…あんまり元気っぽくないヨ?」
「気のせいだ」
「あ、そう?まあそれはいいんだけどさ、今から出て来れる?」
 本日4月1日エイプリルフール。
 南は正直、今日は誰にも会いたくなかった。誰とも接触しなければ、騙されることはないからだ。
 しかし馬鹿正直に「騙されるのが嫌だから今日は誰とも会いたくない」等と言えば、大笑いされること請け合いである。
 南は嘘をつくことにした。
「今日はちょっと…」
「嘘つけ〜。どーせ人に騙されるのが嫌だから外出たくないんだろ」
 あっさり嘘を看破され、南は無性に空しくなった。
(自分は簡単に騙されるのに、俺は千石一人騙すことすら出来ないのか)
 心に隙間風が吹きこむ寒々しい気分に沈む南を無視して、千石は受話スピーカーの向こう側から喋りつづける。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だって!オレがついてたら、誰が南にどんな嘘つこうと、全部見破ってやるからさ」
「お前が一番信用出来ん」
「うわ、南ひっどーい。即答?俺泣いちゃう」
「……お前、去年俺に嘘つきまくったくせに」
「…………えー?ボク忘れちゃった。てへ」
「ボク言うな。気持ち悪い」
「そんなにたくさん嘘言ったっけ?伴爺不倫疑惑は信じてくれなかったじゃん」
「室町がヴェトナム人」
「ああ、言った言った!あれは我ながら傑作だったよな」
 南は千石のその嘘を戸惑いながらも何故か信じてしまい、室町に確かめて「んなわけないじゃないですか。千石さんの言うこと信じるなんてバカですね、今日はエイプリルフールですよ」と身もフタも無く言われてしまった過去がある。
 後輩にバカですね、と言われて、本当なら怒る所なのかもしれないが、室町の言葉は正論過ぎる正論だった。
 室町を怒る気など端から起こらず、自分の馬鹿さ加減を心底呪った。
 その姿があまりに痛々しかったのか、室町があれこれ言って慰めてくれたが、そんなことは今はどうでもいい。
「まあいいじゃんいいじゃん。今日こんなに天気いいのに、外に出ないのは損だぜ?」
「………何処に行くつもりなんだ?」
 南が、千石に何を言っても無駄だと悟ってそう尋ねると、千石は嬉しそうに、花見、と答えた。




「なんでいきなり花見に行こうとか言い出したんだ?」
 電話を切ってから30分後、近くのコンビニで待ち合わせた二人は、桜並木が続く川縁に向かって歩いていた。
 南の質問に、千石はニッと笑って言った。
「今年は桜咲くの早かったじゃん?だから花が散ってしまう前に花見大会をしなきゃいけないらしくって。今日やるんだって、花見大会。後輩達が練習早めに切り上げるって言ってたからさ、俺たちも飛び入り参加しよーと思って」
「…帰る」
 南は急にくるりと踵を返した。
 知人の多いところは嫌なのだ。
(どれだけ騙されるか知れたもんじゃない…!)
 しかし踵を返しかけた南の腕を、千石がガッシリと捕らえた。
「何言ってんの!仮にも部長だったんだから、OBとして重要行事には参加しなきゃ」
 呼ばれても無いのに何故に参加しなければならないのかは謎だが、そんなことよりも南の胸中で、一縷の不安が頭をもたげる。
「……嘘じゃないのか?花見大会するっての…」
 今日はエイプリルフール。どんな情報だって、アテにならない。
 不信感を丸出しにする南をぷっと笑って、千石はバシバシ背中を叩いた。
「なに警戒してんのさー。連絡があったのは昨日だよ?それにちゃんと確かめてあるからさ…ほら、あそこ」
 千石は言って、川縁の一角を指で指した。
 見慣れたジャージ姿の部員たちが、地面に座ってわいわい騒いでいる。
「ちゃんとこの目で確認してから南に連絡入れたんだから。オレは簡単には騙されないよん」
 自慢気に胸を逸らして言う千石を、南は半眼で睨んだ。
「悪かったな、俺はどうせすぐに騙されるよ」
「僻むなって」
「うるさい」
「そういや、太一のバンダナの下に何があるか知ってる?実は三つめの目があるんだぜ?」
「……あのな、そんな嘘信じるか」
「ほーら、騙されないじゃん!進歩進歩」
「…俺を馬鹿にしてんのか?」
 唸るように南がそう言った時、あ、と背後で声がした。
「南と千石」
 名前を呼ばわる声に二人が振り返ると、東方が菓子やジュースが入ったビニール袋を手に立っていた。
「遅かったな」
 東方が千石にそう言うと、千石はメンゴ、とちっとも悪びれた風も無く言った。
「南、外出するの相当渋ったんだな?」
「うん」
 二人の会話から察するに、どうやら二人はグルだったらしい。
 東方が花見現場に残り、千石が南を連れ出す役目を果たした、とそんなところなのだろう。
「ま、仕方ないよな、エイプリルフールだし。去年散々騙されたもんな。南」
 憐れむような目で南を見ながら肩に手を置いてくる東方に、南は返す言葉も見当たらず、がくりと肩を落とした。
「今年はちょっとは進歩したか?」
 東方の質問に、南に代わって千石が口を開いた。
「してたしてた。太一三つ目説は信じなかったヨ」
「それは良かった」
「良くない」
 南がそう呟いた時。
「あ、千石先輩」
 オレンジ色の頭は遠目からでもよく目立つのか、千石の名を呼んだ声の主が、部員たちの輪を抜けて駆けて来た。
「やあ室町」
「部長、連れ出せたんですね。良かった」
 室町は南に向かってぺこりと一礼した。
「部長、今日は警戒して出てきてもらえないんじゃないかと思って、千石先輩に頼んだんです」
「あ、そう…」
 なんとなく情けない気分になる南。
(後輩にまでそんな風に気を遣ってもらわなきゃならない俺って一体…)
「そういや部長、知ってます?今日ペットショップで新種のデジカメが特売してましたよ」
「ん?…あ、え?カメ?」
 考え事をしている最中の室町の言葉を半ば聞き流していた南は、思わず聞き返す。
 その様子を見て、東方が千石に耳打ちした。
「進歩してないじゃないか」
「あれ?おかしいな」
「……デジカメ?」
「気付くの遅いよ、南」
 千石が口元に手を当てて懸命に笑いを堪えている横で、東方が苦笑い気味に言った。
 南はカアッと顔が熱くなるのを感じながら、怨念を込めて室町を見た。
「…むーろーまーちー」
「あはは、すんません。先輩も重症ですね」
「ああ、どーせ俺も重症だよ…って、”も”?」
 思わず南が聞き返すと、室町はこくりと頷いて口を開きかけた。
 丁度その時。
「南部長〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」
 やたら語尾の伸びた声が矢庭に聞こえてきたかと思うと、それはどんどん近づいてきて、不意に目の前に小さな影が飛び出した。
「あわわ!ま、前が見えないです!!」
 そう言いながら、影は、ぼて、と東方の腹の辺りに突っ込んだ。
「南はあっち」
 東方がその影の首根っこを掴んで南の方に向かせる。
 あたふたと目までずり落ちてきていたバンダナを直しながら、太一は慌ててぺこり、と一礼した。
「お、お久しぶりです!」
 言いながら自分を見上げる目が驚愕で見開かれていて、南は鬼気迫らんばかりのその視線に少々たじろいだ。
 しかし南のそんな様子をもろともせず、太一は両手を拳の形に握ってやおら言った。
「南部長、許婚がいるってホントですか!?」
 ずる。
 思わず足を滑らせかけた南の背中を千石が支えた。
「高校出たらすぐに結婚するって、ホントですか!?」
「………は!?」
 南は我が耳を疑った。
「な、なんだソレは!」
「へ?」
 ようやっと体勢を立て直した南を太一は目をぱちくりと瞬かせながら見た。
「え?だって東方先輩が…」
「…………………」
 思わず東方を見ると、東方もこちらを見ていた。
 すごく面白そうな表情をしながら。
「…………………東方?」
「エイプリルフールだし。南より騙されやすいのがいたんだな、これが」
「”も”ってのは、こういうことです」
 室町が白々しくそう言ったが、その言葉は南の右耳から左耳に綺麗に流れていた。
「あ、そういえば千石先輩のその頭、みかんの食べ過ぎでその色になったってのは本当なんですか!?僕、みかん好きなんですけど、そんな色になったら困りますー」
「あはははは、太一、そんなワケ無いじゃん〜」
 千石は心底可笑しそうに腹を抱えて笑いながら、太一の頭をぐりぐり撫でた。
 太一は千石の手の下で、「えー!?嘘なんですか!?」と叫んでいる。

 南は太一に仲間意識みたいなものを感じながらも、さすがに千石のオレンジ頭がみかんの食べすぎによるものだとは信じないな、と僅かな優越感を感じていた。

 少しだけ、4/1の憂鬱が晴れた気がした。




<了>




※あとがき※