初めまして!山吹中一年の檀太一です。
 男子硬式テニス部でマネージャーやってますです。
 マネージャーって仕事は見た目以上に忙しくてしんどい仕事ですけど、選手のみなさんが快適に練習に打ち込めるように、また試合を有利に進められるように、日々頑張っているです。
 だから、みなさんがどれだけ亜久津先輩を怖がろうとも、僕は亜久津先輩を怖がったりしません!いえ、むしろみなさんがその気なら、僕が徹底的に亜久津先輩を支えます!

 他人にはよく、「亜久津が怖くないのか?」と聞かれたりしますが、怖いわけがありません。
 それは亜久津先輩が、僕の憧れだってのももちろんあります。
 背が低くて選手としてテニス部に入部することを、僕は諦めました。だから、背が大きくてテニスがとっても強い亜久津先輩は憧れです。
 けど、そういった憧れだけじゃなくて、僕は亜久津先輩が実はとても優しいことを知っています。

 それは、先日、亜久津先輩がテニス部に入部してきた頃のことでした―――――。



『僕だけが知っている』



 亜久津先輩は、不良で有名な人です。
 噂では、ケンカ、タバコ、カツアゲ、万引きなどなど、表で、影で、色々ヤバイことをしてるって聞きます。
 姿を見ればなるほど納得。

 一言で言っちゃえば、亜久津先輩は外見がメチャクチャ恐いです。


 まず髪の毛が銀色です。自然に有り得る色じゃないです。
 って、それを言ったら千石先輩のオレンジ色もそうですけど、千石先輩はみかんの食べ過ぎであの色になったそうなので気にしません…というのは冗談ですが、千石先輩はあんな性格なので、恐いわけがありません。
 次に目つき。
 あの目で睨まれたら、誰でも蛇に睨まれたカエルみたいに体が動かなくなっちゃいます。あの目は、きっと羆も殺せる気がします。
 また亜久津先輩は体格がすごくいいです。同じ中学生とは思えません。
 上背は東方先輩の方がありますけど、なにやら体全体から発するオーラが全然違います。
 亜久津先輩は、”俺に触るな近づくな”オーラをむんむんと発生させています。”俺に関わると死ぬぜ?”と言わんばかりの強烈オーラです。

 また、恐いのは外見だけじゃないです。

 噂は背びれや尾ひれや胸びれが付いてまことしやかなモノが多々ありますけど、その中には真実も幾分かは混じっているわけで、噂通り、タバコは吸います。
 いつも、紫煙を燻らせてコートに現れます。
 今のところ、亜久津先輩に注意できるのは、千石先輩と南部長と東方先輩だけです。といっても、主に千石先輩の役目と化しつつある今日この頃です(どうやら亜久津先輩は千石先輩が苦手のようです)。
 それに、亜久津先輩は喧嘩っ早いです。
 何か気に食わないことがあるとすぐに拳を握ります。んで低い声で脅すんです。
「誰に指図してんだコラ」
 って。
 ドスの利いたその声を聞くだけで、普通背筋が凍ります。手足が震えます。


 亜久津先輩はこんな人です。

 恐いに決まってます。誰だって!


 僕も正直言って、すんごーーーーく恐いです。
 あまり人見知りする性質じゃないですけど、こんな不良みたいな人(真実不良だと先生や先輩方は仰ってますが)とお近づきになる機会なんて、今まで無かったんですよ僕は。
 でも僕は、山吹中男子硬式テニス部のマネージャーです。部員全員を等しく陰から支えなければいけません。マネージャーは部員全員の縁の下の力持ちです。
 明日、亜久津先輩が初めてテニス部の練習にマトモに参加することを考えると、ぞっとします。
 亜久津先輩にドリンクとタオルとおしぼりを手渡す時のことをシュミレートすると、それだけで緊張で胸が高鳴って冷や汗が出てきます。
 だって、何て言ってどういう風に渡したらいいんでしょう?
「お疲れ様でした〜」
 って、みなさんに渡す時みたいにニッコリ笑顔で言ったらいいんでしょうか?
「へらへら笑ってんじゃねぇ」
 とか何とかイチャモンつけられそうです。これって偏見でしょうか。でもそういう反応が返ってくる気がします。かと言って、無言で渡すのも失礼です。
「はぁ…どうしたらいいんだろ」
 憂鬱です。
 明日が来るのがイヤです。
 悲しいくらいに綺麗なオレンジ色の夕空を見ていたら、いっそ明日一日だけ登校拒否しようかと思いたくなります。
 駅前の商店街は夕飯の材料を買い求めるお母さん方や、帰途につく学生が目立ちますが、僕みたいに深刻な顔をしている人はいません。
 それがなお一層悲しいなあと思っていたら。
「……………ぁ?」
 突然、背後から声がしました。
 低く唸るような声で―――その声には聞き覚えがあったので、心臓が飛び上がりそうになりました。
 振り向くと、想像通り、亜久津先輩がいました。
「!!」
 驚いて、慌てて電柱に身を隠しました。
 そこから見やると、山吹中の白い制服に身を包んだ亜久津先輩は、立ち止まって一点を見据えていました。
 人ごみでちゃんと見えませんが、どうやら女の人を見ているみたいです。
 人影からちらりと見えたその女の人は、とても大きな荷物をいっぱいいっぱい抱えていました。あれじゃ前が見えてないと思われます。
 案の定、女の人はフラフラとあっちに行き、こっちに行き、と危なっかしい感じです。
(助けてあげた方がいいのかな?でも亜久津先輩があそこに居るし…亜久津先輩に見つかったら……)
 僕があれこれ悩んでいるうちに、亜久津先輩は眉を顰めて女の人に近づき、やおら女の人の顔の前にある荷物を手にとりました。
「あら、仁。今日は早いのね」
「あら、じゃねぇ。前見えてないだろ、テメェ」
「あは。駅前のスーパーで安売りしてたから、つい買いすぎちゃった」
「………左手の荷物も貸せ」
「え?いいわよこれくらい」
「………………」
 亜久津先輩は、無言で女の人の左手の荷物をひったくりました。次いで右手。
 女の人の手元に残されたのは、小さな鞄だけになりました。
「ありがと仁〜!」
 女の人は笑顔で、嬉々とした声を上げました。
 その時に、丁度人の波が途絶えて、女の人の顔が見えました。
 声からして若い人を想像してましたが、その想像通り、とても若い女の人でした。
 その上、とっても美人。
 なんだか親しげにお話してますし……もしかして、もしかして……あの人は亜久津先輩のカノジョさんでしょうか!?
 亜久津先輩は、女の人の言葉を聞いているのかいないのか、荷物を両手に抱えてさっさと歩き出しました。
 女の人は、ずんずん歩いていく亜久津先輩の背中を早歩きで追っかけます。
「仁、今日はスキヤキよ!」
「…………しらたき入れろよ」
 ぽつりと亜久津先輩が呟くのを聞いて、女の人は、モチよ!と腕を高々と差し上げました。なんだか、顔だけじゃなく仕草や物言いがとても可愛い人です。
 二人は仲良く肩を並べて、人ごみの中に紛れてどっかに行っちゃいました。尤も、仲良くと言っても、女の人が亜久津先輩に一方的に話し掛けているみたいでしたが。

 でも、意外と亜久津先輩が優しいことが分かりました。
 なんだかんだ言いながら、女の人の荷物を全て奪って自分で持っちゃったりして。

 …でもそういえば、女の人は亜久津先輩を下の名前で呼び捨てにしてました。
 それに会話内容から推測する限り…二人は晩御飯を一緒に食べるってことですよね?んでもって一緒に帰っていくってことは……もしや二人は一つ屋根の下に暮らしてるってことでしょーか!?
 それって、それって―――同棲って言うんですよね!?

 ダダダダーン!
 亜久津先輩、オトナです!!



 驚きの事実が偶然発覚して、僕は次の日を迎えました。
 亜久津先輩がただ恐いだけじゃないってのが昨日のことで分かってたので、学校を休もうとはもう思いませんでした。
 そう、亜久津先輩は見かけは恐いけど、根は優しいことが分かったから。
 見かけなんて大したことじゃない。外見が不良っぽくても、優しい人は五万といるです。
 タバコを吸ってるからって何ということはありません。ただ健康に悪いというだけです。
 喧嘩っ早いのは…まあ、それは性格の問題のような気がしないでもないですが、昨日の出来事を反芻してみると、亜久津先輩は誰彼構わず殴るような性格じゃないと僕は思います。
 だって、カノジョさんにはあんなに優しかったんですよ…!


 亜久津先輩が姿を現すときのことを考えると、僕は別の意味で胸がドキドキしました。
 だって…同棲とか!中三で同棲とか!
 同棲ってことは…同棲ってことは………。
 僕は、はしたない想像が浮かびそうになるのを無理矢理理性で頭の外に追い出して、亜久津先輩が部活に姿を現すのを待ちました。
 亜久津先輩は、部活が始まって10分くらいした頃に来ました。
 部員の皆さんが、一瞬で身体を硬直させるのが、雰囲気で分かりました。
 南部長は、練習がお留守になりかけた部員たちを一喝しています。

 僕は深呼吸を繰り返し、なるべく平静を装えるように頑張りました。
 そして勇気を出して、亜久津先輩に駆け寄りました。
(亜久津先輩は優しいんだ!)
 そう自分に言い聞かせて。

「あ?」
 なんだこのチビ、というような目で、亜久津先輩が僕を見ました。
 えーっと……正直、恐いです。
 でも僕、負けません!

「あ、あの!僕は男テニのマネージャーの檀太一って言いますです!宜しくお願いいたしますです!」
 僕はぺこり、と頭を下げました。
 亜久津先輩は、フンと鼻で笑いました。そして何も言わずに横を通り過ぎようとします。


 多分、僕は自己紹介を無事終えて、少し気が大きくなっていたんだと思います。
 僕はどうしても昨日のカノジョさんのことが気になって、気付いたら声を上げてました。

「あ、あの!」

 亜久津先輩が怪訝そうに振り向きます。
 僕は、もしかしたらカノジョさんのことは触れちゃまずいことなんじゃないかとその時になって思いましたが(だって中三で同棲とか普通隠しますよね?)、呼び止めてしまってからそう思ってももう後の祭り。
 僕はちょっと戸惑いながらも、勇気を出して言いました。
「昨日、亜久津先輩を見たんです。駅前の商店街で」
「それが何………」
 亜久津先輩は、言いかけて口を噤みました。見る見るうちに顔が険しくなっていきます。

 ヒィ!やっぱり秘密のカノジョさんですか!?

「テメェ…何を見た?」
「いいいいいいいええええ!いや、とっても美人な女性と一緒にいるところとか…!えと、あの、カノジョさんですか?可愛らしい方ですね!」
 僕は全身の血がさぁっと引いていくのを感じながら、咄嗟に言い繕う言葉も見当たらず、もうヤケクソで思ったままを告げました。
(絶対殴られる…!)
 僕はそう思って、こっそり歯を食いしばりました。ついでに、怖かったので目も閉じました。
 でも、来る来ると思っていたゲンコツは飛んでこなくて、いつまで経っても殴られる気配がないので、恐る恐る目を開けると、亜久津先輩がくるりと踵を返して背中を向けるところでした。

「…ありゃオフクロだ」

「……………は?」
 僕は思わず素っ頓狂な声が出るのを止められませんでした。
「あ、だから荷物………」
 あまりにも意外な答えだったので、無意識のうちに呟きが漏れていることに僕は自分で気付きませんでした。亜久津先輩が悪鬼の如き形相で振り返るまで。
「!?」
「お前、見てたのか………!?」
「ひぃぃぃ!?ごめんなさいごめんなさい!?」
 何やら強烈に凄まれて、僕はワケがわからないうちに謝りました。
 亜久津先輩は、僕の胸倉に伸びかけていた手を所在なげに握って、ややあってから拳を下ろしました。
「…誰にも言うなよ」
 舌打ち混じりに言い捨てて、亜久津先輩は身を翻しました。


 ……………………もしかして、照れてる?


 銀髪から覗く亜久津先輩の耳がほんのり赤く見えて、僕は笑みが顔に広がっていくのを感じました。

 僕は、その時に亜久津先輩が悪人じゃないことを確信しました。
 悪人じゃないどころか、とっても優しいのにそれを表に出さない恥ずかしがり屋さんだってことも確信しました。

 僕は亜久津先輩の背中に向かって叫びました。
「分かりました!二人だけの秘密ですね!」
「テメ……!」
 亜久津先輩が頬を引き攣らせて振り返るのが視界の端に映りましたが、その時にはもう、僕はマネージャーの仕事をするべく部室に向かって走り出していたので、真相はよく分かりません。
 ただ、亜久津先輩が追いかけてこなかったので、本気で怒ってないことだけは分かりました。



 以上が、亜久津先輩が入部してきた頃にあった出来事です。

 そんなことがあってから、僕は亜久津先輩をテニスプレイヤーとしてだけでなく、一人の男として、とても尊敬しています。

 みなさんも、亜久津先輩を見た目だけで怖がらずに、お近づきになってみては如何ですか?
 そしたらきっと、亜久津先輩の良い所が見えてくると思いますです!



<了>



※あとがき※