「違う」ということ
                    2002.5.1 東山裕一


人は"違う"ことを生理的に嫌う動物のようです。 「類は友を呼ぶ」ということわざがありますが、よく似た者が自然に集まります。 そしてグループや派閥ができてくるんです。 いろんな趣味嗜好、考えの集まりがいっぱいあること、それはそれで良いことです。 でも、違う考えの人を遠ざけるぐらいはいいとしても、自分に都合が悪くなると相手を力でねじ伏せようとしたりします。 しかもそれを無意識にしてしまう事も多いので、始末におえません。

あまり意識していないことですが、よく似たことが地球規模でも起こっています。 世界に瞬時に伝わるマスコミ電波やインターネットによって、国・地域の壁がなくなりつつあります。 そして地域の独自性が、良いことも悪いこともどちらもなくなって、世界の価値観が均等化する方向に動いています。 共産主義や民族主義が次第に衰え、"グローバリズム"という、実質的にはアメリカの価値観が世界を支配しようとしています。 でも、地域の特殊性を無視して1つの価値観を押し付けることには、もともと無理があります。 新興の国と、四大文明の頃から脈々と歴史を築いてきたアラブ諸国、中東、インド、中国のような国々とを1つの価値観で統一するなんて無茶な話だと思いませんか。

さて一方では、人は自分にないものを求めたり、あこがれたりするのも事実です。 大自然の静寂に住む者は都会の刺激を求め、都会の騒がしさに生きる者は、大自然の安らぎを求めます。 都会に住む者は、自然は自然のままであって、時折訪れて心をなごませてくれる存在であってほしいと考えます。 できれば簡単に行けたらいいな、なんて身勝手なことを言いがちですが、不便だから自然が保てるんです。

"違う"ということをお互い尊重しながら、世界規模の良い循環が作り出せるしくみがないものか、なんて思ったりします。
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