"ラジオ体操"と国民性
                    2004.8.10 東山裕一


「♪新しい朝が来た。 希望の朝だ...」。 昭和初期に始まり、戦後復興を精神的に支えたラジオ体操の放送は今でも延々と続いています。

私が子供の頃は、40日の夏休みの間毎日、朝6時半に近くの神社に集まってラジオ体操をしました。 最近、近所でやっているという様子がまったくありません。 子供が怠け者になったのかと思うと、朝早くから放送がうるさいということで広場周辺の人が嫌がるという大人側の理由のようです。

アメリカにしばらくいた頃、小規模の日本人会があって、秋になると小学生ぐらいの子供を集めて運動会もどきをやりました。 最初にラジオ体操の音楽が流れたとき、私はなぜか涙が出そうになりました。 ラジオ体操は、日本人の健康と復興を励ましてくれた日本人の心だと思います。

アメリカの小学校には日本みたいな運動会はありませんし、広い運動場もありません。 アメリカ人は整列できないという話があります。 「気をつけ!、前にならえ!」風の軍隊みたいなことをする機会がないからでしょう。 みんなの足がそろうまで、きれいに直角に曲がれるまで行進の練習をさせられた苦い経験とはえらい違いです。

私は、音楽にあわせて同じことをするというラジオ体操的行為が、良くも悪くも日本人の同質的国民性に影響しているのではないかと思っています。 日本人は江戸時代から明治・大正まで、価値の多様性と躍動感ある国民性をもっていたはずですが、遺伝子に残ったものは急には変えられません。 良い面はうまく生かし、悪い面は気をつける、でいいと思います。
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