「あ〜〜〜…」

とある昼下がり。

ランチタイムで混んでいた、飲食店の並ぶ大通りもそろそろ空間に余裕の出来はじめた頃。

「う〜〜〜…」

結構大きな街だから、それでも人通りは多いのだが。

空間に余裕が出来れば、視界に入るものも多くなる。

「えぇ〜〜〜…」

先程から道行く人に、ちらりと視線を向けては背けるという行為を強いているのは、

パン屋の店先に座り込み、あまつさえうめき続けている人間である。

「いぃぃ〜〜〜…」

「ちょっと!!」

扉を開ける大きな音と共に現れたのは、パン屋のおばちゃん。

「そんな所にすわってんじゃないよ!商売のじゃまっ!!」

「……すみません」

座り込んでいた人間はのろのろと顔を上げる。

黒い髪に白い肌、そして赤い瞳。

予想外に整った若い顔に、おばちゃんは眉をひそめる。

「あんた女だったのかい。そんなでっかい剣持って薄汚れてるから分かんなかったよ」

「ホント、すみません」

だるそうに立ち上がった女は、ぱたぱたと衣服に付いた砂埃をはたき落とす。

白いシャツに白いズボン。

これでうずくまっていれば、薄汚れるのは当たり前だ。

「よっ…と。」

脇に置いてあった荷物をガショッと重たい音で持ち上げ、腰のベルトに剣をつるす。

黒いブーツを履いた爪先でトンと地面をたたき、同じく黒いグローブを手にはめる。

一連の作業を慣れた様子で、しかしどこか夢遊病の様にこなし、ふらついた歩き方で店から離れる。

「はらへった…」

後方のパン屋の存在と、まだこっちを見ているおばちゃんの気配を感じながら、巳波まつりはふらふらと通りを進んでいった。

そう。

悪いのは全部、組合のおっちゃんとモンスターである。

戦士に仕事を紹介する組合がある。

私も自分の足で依頼人を捜すのが面倒で、エルヘブンの組合に加入していた。

しかし、私担当のおっちゃんはどうも腕が悪いらしく、いつも条件の悪い仕事ばかりを選んで紹介してくるのだ。

あれはもういじめと言っていいだろう。

「まつり君。要人の護衛なんかは…」

「そんなハゲの護衛、絶対いや。」

「…まつり君。この村のモンスター駆除を…」

「イヤ。このモンスター面倒くさいのよ。弱いくせに群れるから。」

「ま、まつり君。こちらのお嬢さんの護衛なら…」

「そんな性格悪そうな成金女、誰が守るか。」

「まつり君。(以下略)」

「イヤ。(以下略)」

以下略……

「……まつり君。」

「ん?今度は何?」

「出ていってくれ。」

「は?」

「おまえに回す仕事なんてもう一つだってないんじゃあっっ!!」

というおっちゃんの一方的わがままと就職難の陰謀で、私はエルヘブンで仕事を探すことをあきらめ、とりあえずルシアールに向かうことにしたのだ。

ルシアールはエルヘブンから行ける一番近い大都市だ。

しかし、街と街を結ぶ街道にモンスターはつきもの。

モンスターを相手にすれば、それだけ一日に進む距離も短くなり、旅が長引けば宿代がかさみ、旅での消耗品は補充が必要となる。

しかも私は、それまでろくな仕事をしていなかったのだ。

よってルシアールに着く頃には財布が空っぽになっていた。

おかげで宿も取れないし、腹が減って力が出ないから仕事も無理。

行き倒れ半歩前…いや、寸前である。

──さてどうしたものか。

何よりも食料の調達が先決だが、金がないのだから正攻法は効かない。

──スリでもするかな…。

物乞いというのもあるが、それが出来るほどにはまだプライドがすり減っていない。

プライドのために犯罪を犯すのかとは言う無かれ。

その通りである。

──ガキの頃はよくスッた額を友達同士で競ってたな〜。

貧しい地域だったからか、食っていけないほど貧乏だったわけでもないのに子供の頃の遊びでスリは日常だった。

しかも友達連中の中で腕は一番だったのだ。

今やってもへまをする気は毛頭ない。

まずは腕馴らし、簡単そうな獲物を探そう。

そして、いざとなったら警官蹴飛ばして逃げよう。

私は通りの先にある広場に向かって歩き出した。

穏やかな昼下がり。

一族の暮らす山を下りて、とりあえず三週間といったところ。

今日も広場でぼんやりと座って過ごす。

いいかげん仕える主を探すか、少なくとも働く場所を見つけなくてはいけないのだが…

──いい天気…。

しなくてはと思った五秒後には、大抵頭の中は白紙だ。

濃褐色の短髪に淡褐色の肌、緑の目。

名前は時嗚。

これでも一応、窃盗から暗殺までをこなす一族の出身である。

ふと、意識の端に引っかかるモノがあった。

ごく普通に歩いてくる、大きな荷物を持った女の人。

自分の座るベンチの横を通り過ぎ、遠ざかっていく。

特に不審なところはない。

…様に見える。

──今、上着のポケットから財布抜いてったよね…。

目は余りいい方じゃない。

それでも、そういう人間の中で生まれ育ったのだ。

他の感覚器官から自然と情報は入ってくる。

ぼんやりとした焦点を合わそうとしないまま、意識を通り過ぎた女性に集めていく。

──あの財布、空なんだけどな。

どうしようか…。

そう考えながら、ベンチを立つ。

いつもなら、どうしようなどと考えもせずそのまま座り続けているところだが…

自分でも珍しいことをしていると十分自覚しながら、もうかなり遠くなり、人混みに紛れかけた女性の黒髪を追った。

居た。

小さな路地の、突き当たり。

行き止まりの壁に背をあずけ、左手を地面におかれた荷物の肩紐に、右手を額に当ててうつむいている。

「まさか空とは…。きっと今日の金運は最低最悪なんだ」

ぶつぶつつぶやくその姿からは、異様な気配が発せられている。

「ぼ〜っと座ってやがるから良いカモだと思ったんだ。それにしたって…なんで銅貨一枚入っていやがらねぇーんだぁっっ!?」

「2日前に全部使っちゃったから」

声をかけると、空の財布を地面にたたきつけて踏みつけた姿勢のまま、ぴしっとフリーズドライになった。

ぎしぎしと音を立てながら、五メートルほど離れて立つ自分に顔を向ける。

よっぽど驚いたらしい。

…やっぱり気配を消して近づいたのはまずかったかも知れない。

警戒されてしまったかも。

「お金がひつよ…」

言葉を続けることは出来なかった。

「くそぉぉおおお〜〜〜!!」

相手がすごい勢いで剣を抜き、向かってきたから。

なんとか、袖に隠しておいたナイフで受け止める。

「ええい、宿代くらい持ってろバカヤロー!!」

悪態をつきながら、ぐいぐいと押してくる。

驚きが怒りに変わったらしい。

更にまずいことに相当力が強い女性らしく、真っ向からの接近戦ではこちらの分が悪い。

戦う気などカケラもなかったのに…

「空の財布すって警察行くくらいなら傷害罪でも殺人罪でもやってやらぁ!!」

座った目と、その言葉を聞いてようやく相手の必死さに納得がいった。

「ああ、別に何処かに突き出そうと思って追ってきたわけじゃないから。」

ぴたりと、またフリーズドライと化す相手。

「は?」

眉がいぶかしげにひそめられる。

ちなみに体勢は剣を受け止めた時のまま。

「お金が必要ならトオが盗ってくるよ」

「はあぁ!?」

にっと笑い、カシンッと力の抜けた剣をはじいて後ろへ飛ぶ。

「ここで待ってて」

そう言い残し、時嗚は路地から飛び出していった。

「なんだよ、あれは」

路地に残った人間のつぶやいた疑問は、だれにも届かなかった。

三十分ほどで路地に戻ってくると、誰もいなかった。

「あれ?」

逃げられたらしい。

でも、ふと覚えのあるにおいを見つける。

「こっちかな…」

肩くらいの黒い髪で、赤い目で、白い服で、それから…

探し人の特徴を頭に浮かべながら、時嗚は街の人混みに入っていく。

探し人は、自分の財布がすられたのとは別の広場のベンチに座っていた。

「見ぃつけたぁ」

そう言って右肩口から顔をのぞかせると、相手はすごい速度にものすごい形相を伴って振り返ってきた。

その際、手に持っていた包みは手を放れて地面に落ち、右手は腰の剣に掛かっている。

…つい、また気配を消して近づいたのがまずかったのだろうか?

「おまえ、なんでここに居るんだよ」

呆然としてつぶやく本人の荷物を、指さす。

「あの荷物から、珍しい油のにおいがしたから」

そう言うと、今度は困惑したような表情になった。

「確かに鎧の潤滑油の臭いが嫌いで、香油を使ってるけど…」

まじまじとこちらを見てくる。

「そんな強い臭いじゃないし、第一さっきの路地からここまで五百メートル以上は離れてるぞ?」

「町中でも一キロは平気だよ。人が少ないところだったらもっといけるけど。」

相手がその答えに再度呆然としている間に、追いかけていた理由を思い出す。

上着の内側をごそごそとあさり…

「ハイ、これ」

五つほどの財布を差し出す。

「これで足りる?」

相手の表情は困惑に戻り、そして驚愕に移り変わる。

本当に表情豊かな人だ。

「おまえが盗ってきたのか?」

「うん」

「…なんで?」

「お金がないんでしょ?」

「だからなんで私に…」

そこまで言って渡した財布に目を落とす。

「しかも中身めっちゃ入ってそうなんですケド」

「金持ちそうなのから盗ったから」

しばらく何かをいいたそうに口を開け閉めしていたが、ついに意を決したという感じで顔を上げる。

「分かった、有り難く貰ってく。で…」

そこで少しの間。

「おまえ、どこで何して生活してる人?」

そんなこと、聞かれると思わなかった。

少し首を傾げながら、一族の暮らしを思い出す。

「えーと、普段は盗賊してて、頼まれた時に色々調べてきたり、何か盗んだり…それから〜、誰か殺してきたり。後、自分の仕える人を見つけて…」

話を進めるうち、相手の口元がだんだんと引きつってきたのを目に止めて途中で止める。

「どうしたの?」

「いや、大丈夫。で、そんな仕事してる人がなんでここにいるの」

かなり深刻な顔で問われ、とりあえず自分がまだ一人前でなく、仕事も請け負ったことがないことを話す。

そのまま話の流れに任せて、一人前と認められるためには五年間誰かに仕える必要があること、その他一族の決まり、家族のこと、自分の現状を永遠話していった。

初めは真顔で聞いていたのに、なぜか途中から笑いをこらえるような顔になる。

いきなり「信じらんない」と口走ったり、顔が蒼白になったり、目が点になったり。

表情が豊かだとは思っていたが、そんなバラエティーに富んだ顔をするような話をしているつもりは全くなかったので、ちょっと心外だ。

話が終えると、目に涙をためながら左肩に手を置いてくる。

「おまえも苦労してんだな」

そう一言。

…どういう意味だろう。

「で、今は仕える主人を捜している最中なんだ?」

そう問われて首を横にふる。

「あれ?見つかったの?」

今度は首を縦にふり、そして指を差す。

問いかけた、本人に向けて。

その時巳波まつりがした、なんとも奇妙な表情を時嗚は一生忘れないだろうと思った。

空は鮮やかな茜色。

窓の縁に腰掛けて、夕食の時間を待つ。

私は三日前から、ルシアールに在る宿を取っていた。

宿代は時嗚と名乗ったアイツの盗ってきた財布から出した。

そう、結局いきなりくっついてきた得体の知れない生物を飼うことになってしまったのだ。

最初こそ頭を抱えたが、とりあえずの生活費が入って代わりに珍しいペットを飼うことになったのだと、そう思うことにした。

(心の奥底から、何か違うという声が聞こえるような気もするが…)

ちなみにそのペットは、同室のソファーの上で丸くなっている。

(ほおって置けばいつまででも寝ていることが、この三日で発覚した)

当初私は、あれのことを十二〜三才の男の子だと思っていた。

しかし実は十五才で、しかも性別のない人種だとか。

(そんな人種聞いたこともない。本当に人間なのかと突っ込みたかった)

性別が無いと仕事上とても便利なのだとごく普通に答えられ、ますます珍しいモノになつかれたのだという事実が身にしみたものだ。

 実は路地でその生物と別れた後、新たな財布をすって食べ物を買っていたのだが、せっかく手にした食料は見つけられたときに驚いて落とし、しかも振り返った拍子に踏んでしまって食べられなくなった。

(ああ、愛しのカツサンド…)

おかげで食べ物の分だけすった金を使い、宿代は働いて稼ぐという清い計画はつぶれ、もうスリをする体力も残っていなかった私は、結局薦められるままに財布の中身を使うはめになった。

(まさに踏んだり蹴ったり。この日の運を決めた神様に会えたら、絶対に足払いかけて腹に肘入れて往復ビンタしてやるんだ)

と、生物がいきなりむくりと起きあがる。

「あ、仕事見つかった?」

私が仕事を探しにでた朝九時から、ずっと寝ていた奴にしか出来ない質問である。

「まだ。あんたもちょっとくらい手伝いなさいよ」

どこかふらふらしているのに、なぜか足音のしない歩き方で近づいてくる相手に、ちょっとムッとして言い返してやる。

「うん、わかった」

あっさりとした返答。

少なくともこの三日間、私がしろと言ったことに生き物は必ず従っている。

(本人はそれが“仕える”ということだと思っているのだろうか?)

私が言えば死ぬかどうかは分からないが、少なくとも人は殺してくるだろうペットである。

──やっぱり常識はしつけないとねぇ…

などとおもしろ半分に考えているうちに、それは私の横までたどり着く。

そして、

「う゛〜…でも、面倒くさいねぇ」

──言ってはいけないことを…

(がごっ)

とてもいたそうな音がペットの頭に炸裂。

しつけである。

「私もしたくないの。生活のためなんだから我慢しなさい」

言うことは聞いても文句は言うのだ、この生物は。

なにげに涙目でこちらを見上げてくるそれは気にしない。

しかし…、

「お金なら盗ってこればいいのに」

(どげっ)

しつけ二号。

「世間ではそれを犯罪というの。たまにどうしようもない時もあるけど、犯罪者になる気は全くないから」

「たまには良いのに?」

──痛いところを…

「……。本当はたまにもダメだけど…、私は良いのよっ!!」

「……。そうなんだ?」

──さすがに今のは信じなかったか。常識が一部ずれていても、バカではない……と、思う。

突っ込まれるかも知れないと少し身構えたところで、時嗚がドサリと横倒しになる。

「って、ええっ!?」

「……ねむい」

……慌てて立ち上がったその勢いのまま、頭に足を下ろす。

「オマエ……、もう一生寝てていいわ」

うめき声も出せず床に潰れていたそいつは、ゆっくりとこっちに目を向けてきた。

こっちも目を会わせて、ひょいと片眉を上げる。

「……トオって呼んでくれる?」

耳に届いたのはかなり意外な言葉。

「ん?」

「トオは、トオって呼ばれてたから。」

頭を抱えたまま、目だけをこちらに向けて言ってくる。

「……トオって、呼んでくれる?」

少し、沈黙。

口元がゆるむ。

「じゃあ、私のことはまつりって呼ぶ。いい?」

生き物、時嗚の頭の横にしゃがんで顔をのぞき込んで聞くと、なんだか力の入らない表情の時嗚が、こくっと一回うなずいた。

「じゃ、とりあえず雇ってくれる人を捜さないとね。」

立ち上がり、部屋の出口へ向かう。

「とりあえずは夕飯。行くよ、トオ」

背中にぱたぱたと追いかけてくる足音。

そういえば、時嗚の足音を聞いたのはこれが初めてだ。

──たまには、変わったのと一緒も良いかも知れない。

そう思った。