アンティック望遠鏡シリーズその1 
郡山北小学校のお宝望遠鏡
五藤光学ウラノス号
(口径58ミリ、焦点距離800ミリ)

 2004年6月8日、修理完了したウラノス号を郡山北小学校にお返しいたしました。

*ウラノス号の由来書とお宝鑑定証も贈呈しました。現在、この望遠鏡は同校の校長室に動態展示してあります。
1.運命の再会
 地元の小学校に観望会の打ち合わせに行かせていただいた際に、先生方から見せてもらった古い木箱、ご丁寧にも「天体望遠鏡」と鮮やかに書かれている。「高垣さん、これ、なおりますやろか?」中をあけてみれば、古い新聞紙や、多量の埃とともに立派な望遠鏡が出現した。対物レンズ、接眼レンズ、天頂プリズム、太陽投影プロジェクターなど、レンズ、プリズムの類は、カビや汚れで視野は「雲海状態」である!架台は両軸ともに微動装置のついた経緯台であるが、かなりの高級品と見受けられた。

 この望遠鏡を見ているうちに、私はあることに気づいた。「そうだ、この望遠鏡を覗いたことがある!」なんとなんと、私の母校である郡山小学校のものだったのだ。昭和30年代、戦後のベビーブームでわが母校は生徒数2400人を誇る大規模小学校だったのだ。箱の裏には昭和24年育友会購入とある。当時の商店街の旦那衆が買ってくれたものだろう。その姿を見ているうちにだんだんと記憶が蘇えってきた。巨大小学校の理化準備室にあった名品は偶然一度覗かせてもらっただけだった。そう、小学校2年生位の時のことだ。私はこの望遠鏡を覗かせてもらったのだ。確かに見たのだ。眼前に広がる三日月のクレーター、金星の輝きを・・・・・! ああ、なんあというめぐり合い、40年以上経っての再会だったのだ! その後、この望遠鏡は昭和40年代半ばの郡山小学校の廃校による校区の分割で、新しく出来た北小学校に形見わけの形でやってきたようだった。保護のためにいれたと思われる新聞紙は昭和45年のものだったので、間違いないだろう。「先生、とりあえず、持って帰りますわ。」実は、話はそれからだったのだ。こんなに大変な時間がかかるとは・・・。
立派な箱に経緯台と鏡筒一式が収まる。
2.困難を極めたレストア作業
 さて、箱ごと持ち帰ったものの、中身を良く見ればビックリ仰天。中は埃まみれ、鏡筒や架台を受けるフエルトはボロボロ、鏡筒はぼこぼこのキズだらけ、レンズは向こうが見えない状態・・・! まずは、箱の中の掃除をして、フエルトをはがしたのだが、ここでまたビックリ仰天! はがすとばらばらに、なんとなんと人毛がわらわらと出てくるではないか! なんじゃぁぁぁ! これはぁぁぁ! 落ち着いて考えてみれば、昭和24年の話、戦後の物資不足に十分な材料がなかったのであろう。多少の「つなぎ」を入れたのではあるまいか? 気をとり直して、ありあわせのフエルトを貼り付けて内装は完了だ。

 さて、問題はレンズ類、これはホンマに難儀なことであった。ただ、驚いたことに、ノンコートのレンズ類は意外に掃除しやすく、汚れは台所洗剤で簡単に落ちた。これはしめたと接眼レンズやプリズム類も掃除したが、本当に綺麗になった。ここまでは大収穫であった。

 しかし、難関は光軸修正、ねじ込みだけのセルだけでは、なかなかぴったりあわず、何度もつけたりはずしたりを繰り返ししたが、すっきりしない。鏡筒を見れば、哀れ、何回もぶつけたり、おとしたりしてぼこぼこ・・・。しかし、あえて、内面にパイプを入れてたたき出した。これで、光軸は非常に良くなり、ジフラクションリングも鮮やかに見えるようになった。往年の名機のパワーが蘇えった瞬間であった。実のところ、簡単に書いてあるが、ここまで3年以上かかってしまったのだ。^^;
 で、収まりはこんな感じ。う〜ん、立派なものだ!
3.なぜ、ウラノス号はお宝なのか?
 レストアにあたり、五藤光学さんから、社史のコピーを送っていただいた。同社は日本光学(現在のニコン)の光学技術者であった五藤斎三氏が昭和元年に設立した。昭和3年のカタログにはすでにウラノス号の名が見える。このときの価格は今ひとつはっきりしないのだが、昭和13年の価格では、地上接眼鏡、太陽投影機、天頂プリズムとアイピース一式のフルオプション付属で250円である。ちなみに、昭和10年代では1000円普請と言って、立派な入母屋の家が建った時代である。250円と言えば、平屋の家が十分建てられる値段である。いかに、当時の天体望遠鏡が高価であったかわかる。ちなみに、戦後の価格は昭和20年11月の価格改訂で500円とある。昭和24年の価格を調べていただいたのだが、戦後の急激なインフレで当時の価格は判明しなかった。ところで、このウラノス号は理科振興法(昭和28年)施工後も販売されつづけ、昭和30年代半ば近くまで製造されたらしい。オールド天文ファンには名機の声が高い所以である。

 ところで、郡山北小学校のウラノス号は、当時のオプション部品が完全にそろっており、欠品は無い。レンズは時代背景から見て、戦前の取り置き分であろう。ノンコートのレンズは今では考えられないが、それゆえに長年の汚れやカビの蓄積にも耐えられたのではあるまいか。聞くところによれば、現在もアクロマートレンズを作りつづけている海外の某メーカーは大型レンズにはコーティングはしていないそうである。長年のヘビーな使い方を考えれば、ノンコートという割り切りもあるのではないかと思う。にわかには信じられなかったのだが、今回、ウラノス号をレストアして、その考えも正しいのではないかと思った。海外の天文台ではは100年を越えるアクロマートレンズも現役ではないか! 特筆すべきは、架台である。実にスマートで丁寧な加工は今の時代には見られない。全周微動は実にスムーズ、ステ-式の直垂直微動も実に調子がよい。すばらしい経緯台である。

 さて、木製の木箱、三脚の1本1本、経緯台本体、鏡筒、パーツの1品1品に至るまで、郡山小学校の銘が入れられている。いかに値打ちものであったかが、これでわかるではないか! ウラノス号は間違いなく昭和のお宝望遠鏡なのである。
 木箱の裏書、昭和24年育友会購入とある。
 備品としての登録は昭和25年
 五藤光学のマークが現在とは異なる。ゼウスとあるが、同社に問い合わせるもいきさつは不明である。
 これが全部品セット。上段は地上用アイピース、倍率変更可能中段は天頂プリズムと太陽投影プロジェクター下段は左から、HM25ミリ、12.5ミリ、6ミリ、サンフィルターである。
 カバーをはずして目側にサンフィルターをねじ込む構造、もちろん、各パーツに郡山小と書き込んである! 
4.見え味はどうなのか?
 標準のHMアイピースを使うと、意外に色収差はすくない。アクロマートとしてはシャープ、綺麗なジフラクションリングが印象的な名品である。ただ、古典的設計の接眼レンズにアクロマートの組み合わせは、私のようなおじさん天文ファンにとっては懐かしい見え味なのだ。確かに色収差はあるのだが、標準のHMアイピースとの組み合わせではあまり感じない。おそらくは、対物レンズと接眼レンズでのトータルな設計がされているのだと思う。

 この鏡筒にはなぜだか、ファインダーが付属していない。月はまあ大体で導入できるが、恒星は難しい。子供達がこの望遠鏡を夜に使いこなすのは難しいのではないだろうか? 一方、太陽観察用としては、実に手厚いパーツが用意されている。サンフィルターをつけて直視することもできるし、直角プリズム付の太陽投影プロジェクターを使い、ティーチング用にすれば、太陽観察用には最高の望遠鏡だ。ためしに、収納用の木箱のうえに太陽を投影してみると、実に使いやすい。水平、垂直微動と角度の変えられるプリズムのマッチングは抜群で、ストレスを感じることはない。学校用としては、太陽の日周運動や、黒点の観察には今でも使えるすばらしい望遠鏡である。
傘をおいて影をつくり、木箱の上に太陽を投影してみた。実に使いやすいのだ!

 今回、この昭和の名品をレストアすることで、色々なことを学ぶことができました。今の天文ファンは、実に安い値段ですばらしい天体望遠鏡を手にできるのは、幸福ですね。しかし、いまではほとんど目にすることのない、6センチに満たない口径の望遠鏡は、職人技のすばらしさを私に教えてくれました。いまでは小口径といえるこの望遠鏡は物事の価値を教えてくれたような気がします。

 拙文を投稿するにあたり、社史等の資料を提供いただいた五藤光学さんにはこの場をお借りしてお礼を申し上げます。また、昭和の名品の価値に気づかれた郡山北小学校の中村先生、松原先生(お二人はすでにご転勤の由)には感謝しています。まさに、子供の頃に出会った「宇宙への夢」に再会させてもらったのですから・・・。願わくば、この望遠鏡が単なる展示品に終わらないように、時々は子供達のために星や月、そして、太陽を見せてあげて欲しいものです。

 それと、全国の天文ファンの皆さんにお願いしたいのですが、このウラノス号は全国にどのくらい生き残っているのか、消息をご存知の方がありましたら、ドブマガジンに情報をお寄せください。全国ウラノス号地図なんて、できないものですかね?

*当該望遠鏡の表記はウラヌス号と表記されている例もありますが、拙文では五藤光学の社史の表記に従い、ウラノス号としました。

*社史の内容は国内の創世記の望遠鏡の歴史としても面白いものでした。同社の許可が得られれば、また公開したいと思ってます。