私の住む所 昭和の始め頃の一文に「東大寺の転害門の前から真西へ、昔の一条通りを歩いて行ったのだが・・・・佐保川を渡ると法蓮だ。法蓮は大正の終わり頃までは、まだ農村で、道の両側に美しい大和葺の民家が並んでゐて、・・・道路の中央を流れるきれいな溝も、浅く幅広く由緒ありげである。法蓮の村を外れると、左右は青田で、その中を一とすぢ白く輝く道が続いてゐる。右手の山寄りには松林の間に興福院や不退寺の屋根も見える」(安藤更生著・南都逍遥・中央公論美術出版・抜粋)と書かれている所です。 一とすぢ白く輝く道の光景は、子供のころ夏の乾いた朝見かけた土の道、そのままです。今では住宅街に変わり、浅く幅広い、と言われた溝も暗渠になり、興福院や不退寺も通りからは見ることが出来ません。 しかし兼業ながら農業をつづける人々は多く、昔の村組織も多少変化しながら存在しています。農地の多くは地域の外に買いかえられ、私の所も大和郡山に在ります。 竹林は元のところに在りますが。 |