■Clear morning■【D/M】
その部屋は住人の性格を表すかのように、整然とあるべき所にある物が、必要なだけ静かに配置されていた。いつも着ているスーツの色に似たネイビーやダークグレイの色調でファブリックは揃えてあり、まるでこのNYの一等地にあるマンションの一室が彼―マック・テイラーそのもののように思えた。
ダニー・メッサーは整髪料と油や汗の混じって固まった髪を掻き上げて、シャワールームの空いたドアの前で裸のまま考えていた。
何しろ高級ホテルのバスルームのように磨かれた白いバスタブに等間隔で並んだボトルや石鹸を見ると、おいそれと触ってはいけない気がして気が引ける、けれど二人分の汗を吸い込んだ体はベタついて、すぐにでもシャワーのコックを全開にして頭から湯を被りたいのがダニーの正直な気分だった。
ダニーは他人の家で遠慮するような性分でもない、むしろ無頓着で親しい友人や恋人の部屋でも嫌な顔をされる位の気配りのなさは静かに部署でも噂されている位だ。
ただ、上司のマックなら別だ、マックの前ではダニーも言葉を選んでいるつもりだし、彼の精一杯の礼儀をわきまえている。
だからこそ、昨夜脱ぎ散らかした服や下着を片手に、妙な遠慮で思案しながら髪をいじくっているこの状況は頭が痛い、頭の鈍い痛みは呑み過ぎのせいで、側頭部の痛みは道路でひっくり返った時のせいかもしれない、そして頭の芯からガンガン響く強い痛みは彼の激しい後悔の念に他ならなかった。
「使ってくれ!…構わない。」
広い寝室から続きのバスルームまで声が響いて、
ベッドから起き上がったマックがカーテンを開けながら抑揚のない声で続けた。
「どうぞ。」
さらに促されて、ダニーは声の主を振り返ることもなくフラフラとシャワールームに入りドアを閉めた。
マックはその様子をチラと視界に入れるとキッチンへ向かった。ヨレていても質の良さそうなリネンのパジャマを着て、髪は寝癖を手櫛で整える程度の身だしなみは来客がいるからというでもなく整頓された雰囲気は演出といった類ではない、マック自身そういった性分の男なのだ。
いつも目覚めてからの日課になっているコーヒーメーカーのセットをする、いつもと違うのは今日は二人分だということ位だ、いつもならコーヒーを煎れるまでの時間にシャワールームで身支度を整えるのだが、今日は先に使っている人間がいる、これもいつもとは違ってる。マックはこれは日常であると努めて思おうとした、昨日の続きで今日があって、これから出勤してまた明日が来る…連続の一瞬でしかない、だから、この一瞬が過ぎ去ればもうただの過去であると。
皮肉なことにこの二人の男の仕事は警察の科学捜査部門であり、その一瞬の過去を掘り起こし、科学的に意味を見い出し、全ての過去を現実に繋げてゆく。細かい事象や物に対して逐一、象徴を見い出そうとする推理癖は職業病ともいえる。
それが人との関係においてもネックになる不器用さは一見正反対に見える二人に共通するものだった。
バスルームを占領されて、マックは所在なげにキッチンの端の小さな窓から外を眺めていた、同じようなマンションやビルが立ち並んでその間を埋めるように青い空が見える。
コーヒーが沸いたので、マグカップと来客用のコーヒーカップを戸棚から一つ取ってそれぞれに注いだ。辺りに煎れ立てのよい薫りが漂ってきたその時、バスルームのドアが開く音がして、まだ濡れた髪を適当に撫でつけたダニーが顔を出した。寝室から靴とジャケットを取ると手早く着込み、キッチンカウンターを横切って足早にその先の玄関ドアに向かおうとする。何か声を掛けようとマックが口を開きかけたが、ダニーの声がそれを制した。
「…すいませんでした。」
謝っているのか挨拶なのか歯切れの悪い物言いでボソボソと呟くと、マックに向き直るようにして一礼した、そしてすぐに踵を返すとドアノブに手をかける、マックが問いかける間もなくダニーの姿はドアの向こうに消えた、ドアの閉まる音がやけに大きく響いた気がした。
キッチンのカウンターテーブルには二人分のコーヒーがまだ湯気を立てていた。
【end.】
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