杉岡華邨先生の書の歩み
2004年3月9日
「上手だと言われるような字は書きたくない、杉岡とはどんな男だろう、いっぺん彼に会ってみて、どんな考えを持っているのか話をしてみたいというような字を書きたい。」 |
◆古筆習熟の時代◆ |
東京まで夜行列車で通いながら、柴舟が至上のものとした粘葉本和漢朗詠集を精習し続けた。臨書を単なる模倣ではなく、見いだした美を再表現する主体的表現行為と考え、古典を徹底的に学び、その品の良い形や味を身につけ、形の変化が乏しいものを良く見せるために深く立体感のある線を鍛錬した。 |
◆様式模索の時代◆ |
日展での華々しい活躍の一方、物理的に計量・計測できない書の審査への迷い、人生へ疑問と苦悩は増すばかりであった。そんな折、生き方の悩みを解決してくれる人を求め、西田幾多郎門下の久松真一を尋ね、その禅の哲学や芸術論に非常に感激し、以後約10年間禅の指導を受けた。 |
◆表現開花の時代◆ |
昭和53年、大阪教育大学を定年退官した華邨は、退官記念書作展を開き、杉岡様式とも言うべき作品を披露した。また同年、日展文部大臣賞を受賞し、五鳳はこれを「人柄と多年にわたって積み重ねてきた実力の賜物で、知性と感覚のバランスがとれた、優れた作品」と評した。 |
◆円熟純化の時代◆ |
平成元年、76歳を迎え華邨は日本芸術院会員に選ばれる。この頃より、滋味深くあたたかな書線が際立ってくる。広く深く耕された書的地盤の中で長い年月をかけて熟成してきた線が作品にゆとりと安らぎを与える。細字作品は、文字が線に解体され、線の流れの中に文字が埋没し、様式模索の時代に見られた流麗さとは趣を異にした、閑寂な流れが完成する。一方、大字作品は、「にじみ」に思いを込めた、息の長い線、空間の「白」を生かした作風が主流となる。 |
さて、あなたの目には、どんな杉岡華邨が映るだろうか。 |
この文章は2004年3月9日付け奈良新聞に掲載されたものと同じです。 |